第34話 旅立ち

 季節は移り変わる。枯葉色に染まった街路樹は落葉し、やがて灰色の街は浮足立った気分と共に赤と緑に飾り付けられる。そんな街の空気に当てられたのか、操が下宿する寮も朝からかしましい。食堂で隣に座る少女が操に話しかける。


「ねぇ、操も仕事上がったらザキの飾りつけ見に行こうよ」

「よく見なさいよ。作業着つけて無いじゃない?」

「あらま?! 朝からお出かけ?」

「うん……まぁ……」


 珍しく歯切れの悪い操の返事に、少女は訝し気な視線を投げかける。操はどこか心ここに有らずに見えた。少女が畳みかけようとするも、外から聞こえてきた車のクラクションが遮った。それを聞いた操は慌てて食器を片しながら答える。


「ゴメン! 今日は仕事休むから。もう行かなくっちゃ」

「なになに? 平日休んでデート?! ハマの女子は違うわねぇ」


 ハンドバッグを手に、食堂を後にする操。野次馬の少女たちが、どんな相手かと玄関を出る彼女の後をぞろぞろとついて来た。


「よう! おはよう操ちゃん」


 新品の国産セダンは小さいながらもピカピカに磨き上げられ、カッコつけて助手席のドアに寄りかかる背広姿が板についていないトッチャン坊や。


「おはよう。勝利君」


 操は、いつもの太陽のような笑顔で返事をした。その様子を玄関先の物陰から見ていた少女たち。


「うーん。車は良いけど……」

「男の趣味がねぇ~」

「背広も最悪だけど、サングラスも似合ってないよね」

「聞こえてんぞ!! こらぁ!!!」

「キャー!!!」


 勝利の叫びに、娘たちはキャッキャッしながら奥に逃げ込んでいった。操は苦笑いをしながらその様子を見送る。


「ごめんなさいね。でも、なんでサイズの大きい背広着てんのよ?」

「俺まだ身長伸びてるからよ。それに、ちょっと隙がある方がマダム連中に評判が良いんだよ」


 自動車セールスマンになった勝利は、年齢層の高い相手を主に売り込みをしていたのだ。暇をもてあますマダムや、子どもが独立した父親層などの家に足繁く通って売り込む。そんな地道な営業スタイルでそこそこ成功をおさめていたのだ。


「さぁ、もたもたしてねぇで行こうぜ!」

「そうね、早く行きましょ」


 勝利が開けた助手席に乗り込み、二人を乗せた車は下宿を出発した。


 一方、横浜某所の拘置所……。


「ワシは潔白じゃ! そもそも国が研究を続けていればこんなことにはならなかったんじゃ! 証人として科学技術庁長官を呼んで来い!!」

「まーた、始まったよ」


 拘置所にヴァイス博士の叫びが響き渡る。当直の看守はうんざりした顔で呟いた。看守は、ヴァイス博士が勾留されている部屋に歩いていき、同房に新しく入った若い容疑者に話しかける。


「おい新入り! 爺さんに話しかけるな! 話を聞くな! 延々と爺さんのたわごとを聞かされることになるぞ!」

「すんません。昨日の説明、話半分に聞いてたもんで」

「おいコラッ! たわごととはなんじゃ! ワシはベルリンの大学を出て、スイスでも教鞭をとった科学者じゃぞ! 警視総監をよべ! 総理大臣を呼ぶんじゃ!」

「いいか! 目も合わせるんじゃないぞ!」


 看守は博士を徹底的に無視して去っていった。


 そして、伊勢佐木署の刑事一課。デスクの上に溜まった書類仕事に埋もれる本庄刑事……。


「本庄さん、見送り行かなくて良いんすか?」


 後輩の刑事が話しかけてきた。本庄は短くなったタバコを灰皿に押しつけ大きく伸びをした。


「ああー、肩にくるぜ。あのな、俺、少年事件担当じゃねぇし。大晦日までにコレ片付けないと、署長にどやされそうだしな」

「あれか、行ったら泣いちゃうとか?」


 違う同僚が本庄の肩に腕を廻しチャチャを入れてきた。本庄はめんどくさそうにそれを振り払った。


「バカ言え! 俺はハマのデカだぞ! そんなしみったれてねぇよ」

「あれ、何か目が潤んでません?」

「うっせぇ!! 煙が目に沁みるんだよ!」

「いつもスパスパ吸ってるじゃないですか」

「便所行ってくらぁ!」


 本庄は逃げるように、そそくさと部屋から出ていった。


 

 関内の家庭裁判所では、少年審判を終えたレンが建物を出て護送車のバスに乗り込んだ。バスは港へと出発した。遠くにある施設に行くので船に乗るのだ。

 延伸される鉄道工事の現場を過ぎて、ビルが立ち並ぶ官公庁街に入る。通りの先にレンが勾留される前は建設中だったビルが現れた。足場は既に取り払われ、大きなガラス窓が目立つ現代風の外観が姿を現わしていた。街の姿は変容していく、帰って来る頃には違う場所かと見紛うほどに変わってしまっているのだろうかと、彼は思いを馳せた。

 やがてバスは海沿いに出て、客船の港へとたどり着く。桟橋には大小様々な船が停泊していた。バスを降り、手錠を付けた警察官と連なって、直ぐ近くの離島行の定期船へ。タラップの上で振り返ると、彼方に、ビル街やその奥の広大な空き地、川沿いのバラック、細かな建物が密集する商店街、大通りを走る路面電車が見えた。レンは、この街での短かった生活を思い出しながら、街の景色を眺めた。


「レン君!!!」


 タラップの下から操の声が聞こえた。レンは身を乗り出して、その姿を見つける。


「操!!!」

「待ってるからね! ずっと待ってるからね!!」

『もたもたするな、行くぞ!』


 警察官に引っ張られて、レンは船の中へと消えていった。最後の乗客だったレンたちが乗船すると、あまり間を置かずに船は港を離れた。



「レン君! 待ってるからね!」

「もういいだろ」


 勝利は心配して声を掛けた。しかし、操は船が港を離れて地平線の彼方に消えるまで叫び続けるのだった。(終)

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