第33話 事の次第

 紅葉が色付く季節になり、街行く人もコートを着こんでいるものが多くなりだした。ヴァイス博士の罪は、被疑者がヤクザや違法なことで儲けた連中だったので、事件自体の証拠がなかなか集まらず、無罪放免になるかに見えた。しかし、回復した木島自動車の木島社長が自らも蓮實から逃れるために刑務所に入りたいと自首して来たことで流れが変わった。この件に関連してヴァイス博士も懲役5年の求刑を受けていたのだ。

 一方、怪我の具合が大きかったレンは、2か月間の入院生活の後に、少年院へと送られる予定だ。早ければ半年、長ければ1年の少年院生活を送るはずだが、少年審判までの間は警察病院に面会謝絶の状態で隔離されていた。という訳で、病室に見舞いに来るのは本庄だけだった。


「よう! そろそろギプス取れるってな」

「治りは早いんです」浴衣姿でベッドに横になっているレンが言った。「ところで本庄さん、オーパの裁判は?」

「最高裁まで争うぞ! って息巻いてるよあの爺さん。弁護士も付けないで滅茶苦茶なこと言いまくって、もしかしたら心神喪失を狙ってるのかもしれないが、強盗事件じゃどだい無理ってもんよ」

「オーパらしいや。勝利は仕事見つかった?」

「自動車の販売店入ったよ。修理まかされると思ってたら、口が達者なんでセールスマンやれって言われたらしくて、俺んとこにも営業にきて困ってんだ。でも、稼ぎは良いらしいぜ。営業に来たときなんか、月賦で買った国産セダン乗り回してやがったよ」

「おじさんおばさんは?」

「店が潰れちまったからな。まぁ、借家だったし、損を被ったのは大家なんだけど。この辺で仕事探してたみたいだが、箱根の旅館に良い口があったんで板前と女中で入ったってよ」

「そっかぁ、寂しくなるな」

「操ちゃんだが……」

「うん」

「直接、話を聞けよ」

「ん? 何言ってんの本庄さん……。あ!!」


 病室の扉が開かれ、バスケットを持った少女が入ってきた。本庄は背を向けて入れ替わりに部屋から出て行こうとする。


「ちょっくら俺は、タバコ吸ってくるわ」


 扉が閉まり、部屋には二人だけになった。


「操……」


 操はベッドにバスケットを投げ出して、寝ているレンの首元に抱き着いた。


「うぅ……、逢いたかった。逢いたかったよ」

「どうやって? 誰も入れないって」

「本庄さんがね。内緒で入れてくれたの」

「そうだったのか。ねぇ、起こして!」

「あ、ゴメン! 苦しかった?」

「そうじゃないよ。ちゃんと顔が見たいんだ」


 操はレンを抱き起した。涙を拭って顔をまじまじと見つめる。


「少しやせたかしら?」

「ご飯美味しくないからね」

「そうだ! 唐揚げ作って持ってきたんだよ」


 操はバスケットの中から、山盛りの唐揚げを取り出した。


「懐かしい匂い。ああ、おじさんたちに悪いことしたな」

「レン君が悪いんじゃないよ。それに一番壊したのは本庄さんなんだから、警察が弁償すべきなのよ。でも、おじさんたち良い機会だから、他の場所に行ってみたいって。ほら、もうお子さんたちもみんな独立したし。年取ったふたりでやるには大きすぎる店だって言ってた」

「そういえば、操は何してるの?」

「私は港近くの大きな工場で働いてるよ。住み込みで食事も出るからお得なんだ。それに、いろんな地方から出て来た子たちと友だちになれて、なんか学生時代と全然違う感じ。なんていうかな、すごく純朴そうな子が多いんだ。それでね、私だけ地元だから、休みなんかみんなに横浜案内してあげてるんだ。それでね、「わー、人がいっぺぇだべ」なんて……」


 レンは、花が咲いたような明るい笑顔で話し続ける操をニコニコしながら見つめ続けた。幸せな気分が全身に染みわたって行くような気分になった。ずっと続けばいいのにと思って見つめ続けた。


「あ! 私だけおしゃべりしちゃった! しかも、唐揚げ持ってきたのに、ゴメーン!!」

「良いんだよ。おしゃべりな操が俺は好きだから」

「やだ! 恥ずかしいよう」

「恥ずかしがってる操も好き」

「もう! いじわる!! そうだ! 手使えないでしょ? 唐揚げ食べさせてあげるね」

「ちょっと待って! その前に、したいことがあるんだ」

「なぁに?」

「傍に来て」

「どうしたの?」

「もっと近く、顔を近づけてくれる?」

「ひぇっ? あ、あの?!」

「いや?」

「ううん。ただ、ちょっと待ってね。心の準備が!」


 操は一回立って、大きく深呼吸した。


「何してんの?」

「はぁはぁ、逆に緊張してきた」

「早く来てよ操!」

「は、はい!」


 レンが手を使えないんだということを思い出し、自分から寄っていくしかないとガチガチに緊張しながら操は顔を近づけて行った。ほとんどくっ付きそうになったところで目を瞑る。


 ――チュクッ、チュッ、スッ……。

「え? な、何してるのレン君……」


 レンは、操のほっぺたにキスというより、唇を付けたり這わせたり、顎筋じゃ、耳、うなじに唇で触れ回っていた。


「操の頬に触りたかったんだ。ほら、手が使えないだろ? 食事の時とか口だけで食べたり、何か書くときも口に咥えて書いていたんだけどさ。唇ってさ敏感だから、手の代わりになるんだって気付いたんだよ」

「そう、だったんだ……。キスされるのかと思っちゃった。というか、あう! やんっ! キスより、恥ずかしいかも」

「キスなんかするわけないだろ」

「え!! ど、どうして?」

「口塞がれたら息できないじゃん! この前だって、操に無理やりされて苦しかったし! 映画とか見ると、よく恋人同士がしてるけどさ。何が良いわけ?」

「うぴゃー!!!」


 操は飛び上がり、頭を抱えて自己嫌悪に陥った。自分のした乱暴なキスが原因でレンが変な理解をしているんだと知って、恥ずかしさでいっぱいになる。


「どうしたの操? 歩き回って」

「あー! もう! やだやだやだぁ!!」

「傍に来てよ。キスしてほしいならしてあげるから」

「レン君、キス嫌いなんでしょ?」

「操のためなら我慢するよ」

「何でそうなるのよ! アレは、あの時は! 焦ってギュッてしちゃったからで、本当は、本当は、レン君のバカ!! うっく、ううぅぅ……」

「泣かないで操! 何で泣くの? 待って! 俺たちにはもう時間が無いんだから!!」


 恥ずかしさと惨めさでいっぱいになり、部屋から泣きながら出て行こうとしていた操。しかし、レンの言葉を聞いて思いとどまり傍へと戻った。


「ほんと、子どもみたいなんだから」

「ゴメン。俺はジョウシキを知らないから。でも、操のためなら何だってするよ」

「じゃあ、さっきほっぺに触ったみたいに、優しくキスして」

「う、うん……」


 レンは少し嫌そうな顔をしながら、操の唇にキスをした。


「うっんっ」

「あ!」

「どうしたの?」

「唐揚げの味がする」

「もう! それは味見くらいするから、ひゃぅ……」


 それから何度も何度も、心配になった本庄刑事が戻って来るまでキスを続ける二人なのだった……。

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