第23話 伊勢湾台風

 蓮實はレンの上に馬乗りになり、左肩口にある生身と人工物の境目に鋼鉄の指を突き立てた。


「アガァアア!!!」

「やはり苦しみが足りない。俺の苦しみ、絶望はこんなもんじゃない。お前の顔に面影を思い出す。お前の父は、俺に希望を与え、生きる意欲を沸かせ、その上ですべてを奈落の底へと叩き落したのだ」

「アガアァァ!! ウアァアア!!」


 蓮實は、ギリギリと指をほじくり返した。レンの肩と腕の隙間がミシミシと音を立てて歪み、血と油が流れ出した。


「甘い言葉で騙し、研究に協力させた。しかし、俺を廃棄処分にしようとした。戦争で活躍させてその後も生きられるというウソをついた。さも私は他の研究者と違う! 私だけは人として実験体のきみを扱う! 友人のふりをして、家族のような存在だとうそをついて!! 用が無くなったら、仲間を虫けらのように殺してたんだ。あいつの血は絶やさねばならない。悪魔の血は絶たねばならない」


 蓮實はもう一方の手をレンの首元へ持っていき、力を込める。レンの顔が青くなり、口元から泡が漏れて出した。


「ググググッフグッ……」

「その左腕と、お前の首は取っておいてやろう。頭を切り落とし、その綺麗な顔を、過去を忘れぬために保存しよう」

「…………」


 レンの息が止まろうとしていたその時。

 奇妙な音を立てて、近づいて来る車があった。


 ――グウォングウォングウォングウォン……。


「グガガガガガァ! な、なん、だ?!」


 いきなり蓮實の体が制御不能になった。彼は何とか立ち上がって振り返る。すると、そこには古めかしい車の天井に取り付けられたコイルを何重にも重ねたような機械が見えた。コイルからは見えない何かが放出されている様だ。そして、その後ろには機会を操作するヴァイス博士の姿があった。


「何なんですかこれ?」


 博士の横に控えていた本庄が質問した。


「強電磁場発生装置じゃ。電気の力で動いてる実験体に対抗するために作ってあったのじゃ。元々は、レンが制御できない時のために残しておいたんだがの」

「ゴガガガガガグガ! は、はかせ、な……」

「クソッ! なんで動ける? 出力が足りんか?」


 蓮實は、博士のいる車の方へ歩みを進めようとした。


「アガアアガッガガガ!!!」

「ど、どうすんですか? 向かってきますよ?」

「くっそ、古臭い設計の代わりにレンよりも耐性があるようじゃ。ええい! 撃て! 頭を撃ちぬくんじゃ!」


 本庄は慌てて銃を構え、引き金を引いた。しかし、狙いは外れ蓮實の頭を掠めただけに終わる。本庄は弾をリボルバーに慌てて補充する。しかし、その間に危険を察知した蓮實は重い脚を引きずるようにして岸まで歩いていき、運河の中へと飛び込んだ。


「しまった! 逃げられた!」

「ヴァイスさん! そんなことよりレン君を!!」


 天井から飛び降りた本庄は、仰向けに倒れるレンの元へと駆け寄った。博士は、モタモタと後に続く。


「レン君しっかりしろ!」

「ハァハァハァハァ……」

「ヴァイスさん! この腕はどうしたら?」

「心配いらん。機械は修理すれば何とかなる。さっさと止血して病院に運ぶんじゃ」


 瀕死のレンを見て慌てふためく本庄と対照的に、博士は落ち着き払って止血の処理を済ませた。本庄に抱えさせ、車の後部座席にレンを放り込む。


「さっさと乗るんじゃ!」

「あ、待ってください!」


 本庄が助手席のドアを閉めないうちに、博士はアクセルを全開にしてタイヤを滑らせながら車を発進させるのだった。



 運河に落ちた蓮實の捜索は、翌日に大型台風の接近もあり、二日後を待たなければならなかった。結局、川をさらっても何も出てはこなかったのは、当然の帰結と言っても良いかもしれない。

 病院に運び込まれたレンは、麻酔によって昏睡させられて外傷の緊急手術が行われた。そして、3日後……。


「あ! 目を開けた!!」


 意識を取り戻したレンの目には、逆光で少し暗くなった微笑みかける操の顔が見えた。その顔に手を伸ばそうとするも、片方の腕しか上がらない。操は、伸ばされたレンの手を両手で包みこむように握り、慈しむように目を瞑る。


「あれ?」


 レンは体に違和感を覚えて、起き上がろうとした。しかし、操がレンの頭に手を添えて制止する。


「ダメだよ。安静にしてないと、傷口が開いちゃうよ?」

「今はいつ?」

「今日は日曜日だよ? 3日も寝てたんだから!」

「そうなんだ」

「うん……」


 操の笑顔が陰り、どう続ければ良いのか分からず言葉に詰まったような返事をした。それを見たレンは、何かに気付いたように目を見開いく。


「ああ、動物園行けなかったね。ゴメン」

「え?」


 想定外の言葉に、操は目を丸くした。


「今日行くんじゃなかった?」

「そ、そうだったけど……」


 気まずい沈黙が病室を覆う。しかし、段々意識がはっきりしてきたレンは、操に言わねばならないことを思い出した。


「ああ、記憶が混乱してた。ゴメンね、逃げ出したりして」

「うん」


 操は涙目になりながらも微笑みを絶やさないように気丈に振舞った。レンは彼女の顔を見続けるのが辛くなり、目を閉じた。そして、何とか思いを伝えようと口を開く。


「自分に嘘をついていたんだ。悪い事なのに、人が悪い事じゃないって言うから、そうなんだって、自分に思いこませてた」

「レン君は悪くないよ。ヴァイスさんや本庄さんに聞いたよ。騙されてたって」

「ううん、違うんだ。バカのふりをしてただけ。自分には責任が無いって思おうとしてただけなんだ。そのことに気がついたから、もう盗みや殴り込みの手伝いはやらない。だから、だから……。むむむぅんっ?!」


 操は必死に言葉を紡ごうとしていたレンの唇に、ぶつけるくらいの勢いで自分の唇を重ねた。驚いたレンは目を大きく開いた。しばらくして操の唇が離れた後に、「何をするの?!」と叫ばざる負えなかった。

「レン君もう喋らないで安静にしてなさい」操はそう言っていたずらっぽく微笑み、「レン君は世間知らずで危なっかしいから、私がずっとそばに居ないとダメだと思うの。間違ったことしても、私が正してあげる。だからこれからは私の言うことは絶対に聞くのよ! 絶対だかんね!!」と宣言するのだった。


 その後は、いつものように他愛も無い会話を続ける二人。しかし、レンはある大きな変化にようやく気が付いた。


「あの……」

「何? レン君?」

「俺の左腕はいったい何処へ?」

「え?」


 操がシーツを捲ると、レンの鋼鉄の左腕がすっぽり無くなっていた。

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