自由研究の歴史:小学校の教科「自由研究」から夏休みの宿題へ

 夏休みの宿題の定番である自由研究。なぜ自由なのに強制されるのか、頭を悩ませた人も多いでしょう。

 なぜ自由研究が宿題なのか、理由は歴史から見えてきます。戦後すぐ、自由研究は小学校の教科で授業がありました。「個人の興味関心に応じた学びを深める」目的で始まったものの、上手く行かずに4年で廃止、宿題としてだけ中途半端に形が残りました。


1.1947年 小学校の授業「自由研究」


 1947年に小学校で「自由研究」の授業が始まりました。この年、学校教育で扱う内容の基準「学習指導要領」が初めて作られました。その中で国語や算数と並ぶ教科の1つとして「自由研究」が定められ、4-6年生に週2時間が割り当てられました。

 指導要領によると、その目的は子どもそれぞれの学びを深めること。音楽の時間で使った楽器をもっと深めたい、鉛筆で習った文字を筆でも書きたいなど、普通の授業から生まれた学びたい思いを実現する場でした。とはいえ、担任が子ども1人1人に全て個別対応は難しいので、4-6年生が合同で、音楽・書道・手芸・科学・スポーツなど分野ごとに集まるクラブ形式が推奨されました。子どもに合わせるという理念もあって教科書等の定めはなく、内容は各学校に任されていました。


2.宿題自由研究の出現:自由研究を夏休み中に進める


 この教科「自由研究」で行う自分の研究を夏休みに進めることが、夏休みの宿題である自由研究の始まりでした。

 夏休みに宿題を出すこと自体は1900年代には広まっていましたが、その中心は国語や算数の問題集でした。

 こうした従来の大人から与えられる課題に対して、子ども自ら内容を決めるのが自由研究の宿題です。ただ、夏休み中に悩む人の多い現在とは違い、自由研究の授業の中で夏休み前にテーマを決めました。夏休み明けには展覧会や発表会で成果を披露することが行われました。

 突然「自由にして」と言われても困る子が多いと思います。また事後も、出して展示して一言コメントがあって終わりという所が多いでしょう。しかし、当時の教員向けの本には、夏休み前の注意指導と、休み明けの研究物の扱いには一段と力を入れなければならない、研究物を残すことは今後の研究に対して大切なことだ、と記されています。 

 単発で終わらず、事前・事後指導も含めて学習を積み重ねていく。これが当初の夏休みの自由研究の理念でした。自由研究の時間が無くなった現在では、担任や教科担当者が自主的・意識的にフィードバックしなければ、やりっぱなしになってしまいます。


3.すぐ廃止:「個性を伸ばす」学校教育の運用は難しい


 ここまでの話を聞くと、昔の自由研究は良かったと思うかもしれません。しかし、話してきたのは理想であり、一部の上手く行った事例です。個性を伸ばすため始まった自由研究ですが、実際は多くの学校で上手くいきませんでした。結局、51年に教科自由研究は廃止されました。

 先生も指導方法が良く分からず、とりあえず子どもの希望通りのことをやらせるという事態が多発しました。男子は体育、女子は家庭に人気が偏り、特に当時は野球が人気で、都会も田舎も自由研究の時間と言えば野球だったようです。当時の切実な文章が残っています。


都会と農村を問わず、自由研究の時間位往々まちまちで、しかもレールから逸脱しているものはない。どこの学校へ行ってみても、体育志望が圧倒的で、しかも野球全盛である。もちろん野球がいけないとはいえぬ。しかし自由研究は、あくまで学習活動としての自由研究なのであって、子供が勝手に遊んでいい自由時間ではない。

(出典:宮本敏行『新学科の導き方』1947年 p.149)


 また、現在も小学校の特別活動で少し残っている「クラブ活動」の時間が、自由研究と同時1947年に始まっていました。自由研究のクラブとクラブ活動のクラブという2つの活動が並行して行われ、どう違いを作ればいいのかわからず混乱を生みました。自由研究は科学クラブでクラブ活動は文芸クラブの子どももいれば、自由研究もクラブ活動も科学クラブの子どももいるという、よくわからない状況が生じました。

 結局、1951年に学級活動など教科以外の活動をまとめた「教科外活動」が出来ると、その1つであるクラブ活動に自由研究は統合されました。


4.夏休みの課題としてのみ残る


 こうして教科「自由研究」は消滅しましたが、多くの学校で夏休みの宿題として続きました。

 宿題として続けなさいというのは、国レベルの判断ではありません。しかし、各学校・教員の自主的な判断で続けられました。

 夏休みの宿題として続いた理由としては、教科「自由研究」は廃止されたものの多くの学校でクラブ活動として同じ活動が続いていたこと、そして夏休みの自由研究で成果があがっていると感じた先生が多かったことです。例えば1956年、5年生の担任がテーマフリーで自由研究を課したところ、図画、昆虫・植物採集、気温調べ、魚の研究、工作、習字、詩集、泳ぎ方の研究と多彩なものが出て、それぞれ自分の好きな学びができたそうです。


 こうして宿題として残った自由研究ですが、実際に課すかは当時から先生によってまちまちでした。1955年の小学校教員へのアンケートでは、回答29人のうち(分野問わず)自由研究を課しているのは11人でしたが、それとは別に理科や工作など分野を絞った中で自由とする場合も多数ありました。何の研究や制作物も課さないのは7人で、多くの小学校の先生は何らかの研究や制作物を課していたようです。



5.理科中心の雰囲気 科学コンクールの隆盛


 自由研究は本来文字通りテーマ自由であり、社会科的な調査も大いにありです。しかし、夏休みの自由研究といえば理科の印象は強いです。

 自由研究=理科のイメージが広まった一因は、夏休みの成果を表彰する科学コンクールが多数あったことです。市町村や都道府県単位の科学コンクーが戦後すぐから開かれていました。全国規模のものは、1960年から行われている小中対象の「自然科学観察コンクール」(当初は「顕微鏡観察コンクール」)や、1957年から行われている中高対象の「日本学生科学賞」が現在も続いています。

 科学コンクールは大小様々なものがありました。例えば、1950年『子供と科学』という月刊誌では、夏休みの自由研究作品を募集していました。テーマは自由、特別賞1名で賞金1000円、優秀賞10名で賞金500円。50年当時の円は、消費者物価指数で見ると現在の約10倍の価値があるので、1万円と考えると小学生には中々の賞金です(この雑誌自体が1部30円でした)。この雑誌は51年で廃刊となりますが、このように様々な科学コンクールが昔から存在しました。

 表彰があることは、子どもも保護者も学校側もモチベーションにつながります。多数の科学コンクールがあったことは、自由研究=理科のイメージ定着に一役買ったと考えられます。


おわりに.自由研究を扱い方を真剣に考えるべき


 こうして自由研究は、今も夏休みの宿題として続いています。何をしたらよいのか分からないのは、70年前の教科自由研究時代から共通の悩みです。そして、自由研究は取り組む前や後の指導が重要ですが、指導方法は未だに広く検討されていません。

 ただやらせるだけではなく、助言指導など子どもが学びを深められるようにする手立ては必要でしょう。そして、コンクールの結果等にこだわらず、子どもが取り組んだことをしっかりと評価してあげてほしいと思います。


(本文おわり。参考文献は以下URLに記している)

https://note.com/gakumarui/n/n7beaccf2a693

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