第二十三話 重い1年の始まり

「ええ。貴方様の愛しのかぐやです」


 僕の呟きに、彼女はこちらにいつものような怪しい表情を見せず、背を向けたままそう肯定する。

 本人がそういう以上、僕はこれ以上疑うことはできない。

 だけど、かぐや姫ならそれはそれで問題だ。

 何故なら。


「今日は約束の日ではないですよ」


 彼女は設定した日以外、出て来ないことを約束した。

 それにより、普段は頭痛が起こらないようにしたのに、彼女が出てしまっては交渉をした意味がない。

 けれど、一番に気にするべきは。


「本当にかぐや姫なら、どうして頭痛が起こらないんですか?」


 いつもなら、かぐや姫が出てくるときに頭痛が起こる。

 けど、今回は起こらなかった。その違いが分からない。


「この子の頭痛は、私の感情の昂るによって記憶の一部が漏れ出ることで起こる障害。でしたら、昂らずに出てくれば頭痛は起きません」


 確かに、頭痛の原因は前世の記憶が漏れ出ることによるものであり、彼女が興奮しなければそれを抑えれれると言っていた。

 だからこそ、設定した日以外は感情をコントロールして、頭痛が起こらないように調整するという交渉を行ったのだ。

 でも、思い返してみれば彼女は一言も表に出るときに頭痛を起こさずに表に出れないとは言ってない。

 僕が完全に今までのパターンから思い込んでいたにすぎない。


(やられた。しっかり確認しておけばよかった)


 完全な確認ミスに、自分の思考の至らなさを痛感させられるが、これはこれでいい情報だ。

 かぐや姫が表に出てくるときに毎回奈代さんに頭痛を我慢してもらうことになると思っていたが、そうせずに済むならありがたい。

 とはいえ、設定した日以外に出てくるのは約束違反のため、どちらにしてもアウトだ。


「今出てきた説明をしてもらっても良いかな? 設定した日は火曜日と木曜日。今日じゃない」

「そう怒らないでください。代わりに明日は出ませんから」

「そもそも簡単に約束を破っていることが問題なんだけど」

「まだ最初の設定日も迎えていませんし、いいではありませんか」


 ああ言えば、こう言う。

 屁理屈を重ねる彼女の物言いに頭が痛くなる。

 ここは一旦彼女の目的を聞くことにしよう。


「それで、約束に乗るってどういうこと」


 彼女は間違いなくそう言った。

 その言葉の意味を、僕は理解できていない。


「貴方様はこの子と一年後、再び告白をするという約束をしましたね」

「そうだね」

「そんなのずるいじゃあありませんか?」

「はあ??」


 彼女の言っていることが分からなかった。

 ずるい? どこかだ。

 むしろ、自分の気持ちに公平でありたいと願った奈代さんの気持ちから出来た約束だ。どこも非難されるものがない。

 

「私にも、貴方様に愛してもらえるチャンスが欲しいです」

「それはもうあるだろう? そのための入れ替わる設定日だし」

「そうですね。でも、それでは私を示すのに足りません」

「……それは傲慢じゃないか?」


 そもそも、交渉の末決めたことだ。

 それに今更文句を言われても困る。


「それに、この子に貴方様を取られるのは許せません」

「それが本心じゃないか!」


 結局は彼女の独占欲が強いというだけの話だった。


「だから、私にもチャンスを下さい」

「チャンス?」

「はい。一年、私も貴方様を落とすためにアプローチを掛け続けます」

「既にしてるけどね」

「そして、一年後。貴方様は私かこの子、どちらかを選んで下さい」

「……その二択なら、奈代さんを選ぶことになると思うけど」


 少なくとも、倒錯ヤンデレ恐喝女と付き合う選択はない。

 そもそも、こんな話に乗る必要もない。

 頭痛が起こらないのであれば、僕は良いのだから。

 彼女もそのところを理解していないはずがない。


「それでも構いません。最後に愛を勝ち取るのは私ですから」


 違う。彼女は理解はしているのだ。

 自分の立場を。

 だが、それ以上に自分が最終的に愛されることを疑っていないのだ。


「メリットがない」


 まるで昨日と立場が逆だ。


「まるで昨日と同じですね」


 彼女も同じことを思っていたようだが、昨日と違う点がある。

 昨日は僕がメリットを提示できず、デメリットを提示することで納得させた。

 けれど、この話を断るデメリットが思いつかない。

 強いて挙げるなら、昨日の交渉を破棄するとかだろうが、それは彼女自身の首を絞めることになる。

 

「貴方様の交渉術に倣うのであれば、ここで私はデメリットを提示するべきでしょうかね」

「あればね

「ありますとも、この話を断れば私は命を絶ちます」


 表情を見せぬままさらりとこちらの予想の斜め上のデメリットを持ち出してくる。

 しかし、考えてみればこの女は昨日も同じことを言って脅してきた。

 僕にとっての究極のデメリットであり、彼女自身にとっては大きくデメリットには感じない手札。

 そんなのを出されてしまっては僕は従うしかない。

 

「とはいえ、これは筋が通りませんね」


 僕の苦渋を感じてか、クスクスと笑いながらそういう。

 遊ばれたという悔しさが内から湧き出る。

 しかし、それすらも楽しむように彼女は続ける。


「ですから、私は貴方様と違いメリットを提示しましょう」

「メリット?」

「はい。貴方様も喜ぶメリットを」

「どんな?」


 正直、彼女から提示されるメリットというのは想像できないこともない。

 今約束している週二で表に出てくる条件の緩和といった具合だろう。 

 週一にするのか、それとも普段は完全に出て来なくなるのか分からないが、彼女が提示できるとメリットはこのあたりだろう。

 

「前世の記憶を共に、私は完全にこの子から消え去ります」

「……え?」

「完全な私の抹消。それでいかがでしょうか?」


 まさかの話に言葉が出ない。

 確かに、想定していた表に出て来なくなるというメリットの場合、元通りの生活を送れるようになるが、ふとした瞬間に表に出てくるかもしれないという恐怖が付きまとう。

 しかし、完全に消え去るのであれば、奈代さんは全ての恐怖と苦痛から解放される。

 それは確かに大きなメリットだ。メリットだが。


「君はそれでいいのか」


 自分の存在を交渉の材料にするなど、狂気の沙汰だ。


「ええ。貴方様から愛を貰えないのであれば存在する意味はありませんから」


 そう言ってのける彼女は最初から狂気の塊であることを思い出す。

 そもそも、奈代さんの命ごと人質にする女だ。

 彼女にとって、今世で愛が貰えなくても来世があると考えている。

 だから、簡単にこんなことを言えるのだろう。


「もちろん、完全抹消なので来世も現れることはありません」

「!」


 僕の思考を読んだのか、彼女はそんなことを言い出す。

 来世すらない。それはつまり、本当に完全に消え去るということ。

 かぐや姫としての存在を完全に消すその所業は、今までの今世限定の命がけとは違う。本当の意味で自分の存在の全ベット。

 その言葉の真意を知り、僕は血の気を引く思いになる。

 この女、本当に自分の全てを天秤に乗せてきた。


「言ったでしょう。貴方様も喜ぶメリットになると」


 狂気そのものだった。

 真っ青になる僕の顔を見ることもせずに、その様子を想像して笑う彼女は、文字通り普通でない。

 彼女が普通でないことは重々理解しているつもりだった。

 どうやら僕の彼女への理解が足りなかったらしい。

 

(……)


 正直、こちらにはメリットしかない。

 僕は決して彼女を選ぶことなく、確定した勝利と言ってもいい。

 その状態で、彼女の呪縛から完全に解き放たれることが出来る。

 しかし、彼女が愛を勝ち取れる自信だけでこんなメリットを出してくるとは考えにくい。

 何より、そのまま受け入れるのは危ない気がするため、一応駆け引きをする。


「設定した日以外は出て来ないという約束を破っている君と素直に取引すると?」

「頭痛は収まっているではありませんか」

「それでも、君は約束を破っている」

「安心してください。今日だけです。貴方様たちが望まない限りは設定日以外は表に出ません」

「それをそのまま信用しろって?」

「それしかできませんので」


 実際、それしかできない。

 彼女の言っていることを信用するしか僕にはできない。

 頭痛を収めているという事実は確かにあり、何より今までの暴走状態とは違い冷静に話が出来ている。彼女がしっかりと感情をコントロールしている証拠だ。それは確かに信用するための素材とはなるだろう。それは認める。

 とはいえ、そのまま受け入れるのは難しい。


「では、この話を無しにいたしますか? 歯痒いながらも、私はそれでも構いませんが」


 その選択肢はない。

 せっかくここまで良い条件を彼女の方から出してきたのだ。

 こちらとしては頷く選択をするのが正解だと言える。

 まだまだ不安はあるが、ここは受け入れよう。

 断っても得が無い。

 

「……分かった。その提案を受け入れるよ」

「ありがとうございます。やはり貴方様は心が大きいですね」


 渋々ながらも提案を受け入れると、彼女は少しだけ弾んだ声音でお礼を言って来るが、僕には皮肉にしか聞こえない。

 とはいえ、彼女の心底について考え付かず受け入れた以上、僕はその皮肉を甘んじるしかない。


「では、また明日……いえ、三日後にお会いしましょう」


 そう言うと、彼女の肩が少しだけ揺れた。


「では、また明日」


 その声の感じは間違いなく奈代さんで元に戻っていた。

 しかし、彼女は自分がかぐや姫と入れ替わっていたことに気が付かないようで、そのまま扉を開けて潜る。

 そうか、かぐや姫はずっと同じ態勢でいたうえに、頭痛も何も起こさずに出てきて去った。

 奈代さん視点で見れば、何が起こったのか分からず、さっきの続きのままなんだ。

 かぐや姫のことを言っても良かったが、僕や止めた。

 かぐや姫が頭痛の件の約束を守り続ける限り、奈代さんにとって選択の約束は知らなくても良い情報だ。

 余計な負担を与えるだけ意味がないだろう。

 選択するのは僕だ。 

 僕の中だけに留めておき、全てが解決した時に告げればいい。

 明日の入れ替わりの件については、木曜日からなったとだけ教えればいいだろう。

 いつそのことを言われたのかと聞かれるだろうが、昨日部室を去る前に一瞬だけ表に出てきてそう伝えたということ、そして頭痛なしでも表に出て来られる真実だけを教えればいい。

 嘘は言わないから、疑われることはないだろう。

 何故その場で言わなかったのかと言われても、時間が遅くなるのが嫌だったと言えばいい。

 問題なく隠し通せるだろう。

 だから、僕が今彼女に言う言葉は一つ。


「また明日。奈代さん」


 閉まる扉を見ながら考える。

 僕のこの一年は少なくも安念とは程遠いものになるだろうということ。

 そして一年後、僕は一人の少女をこの世から消すという事実。

 その重みを考えながら、僕は部室で一人今後の身の振り方を考えることにした。


「あぁ。なんて重い一年だ」

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輝夜さん…物理的にも重いです 鶴宮 諭弦 @sao3104

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