第39話 きっとまた好きになる

 


 8月1日


 貸切の喫茶店で最後のパーティをした。


 散々禁酒を強いられていたが、今日だけは特別。詩織からお許しが出た。久しぶりのせいか、あっという間に酔いが回って動けなくなった。


「宗治。そろそろ行こう」


 詩織に手を引かれて奥の部屋に通される。

 酒のせいでぼんやりとしてよく見えないが、小さなシアタールームのようだ。


 一番手前の椅子に座るよう指示される。


 目の前に現れた男。たぶん、和重さんだ。


 言葉も発せないくらい頭が重い。


 何かされてるのか?

 それすらよくわからない。ただ、今はとにかく眠りたい。


「詩織。ほんとにいいんだね?」


「うん」


 詩織が屈んで同じ目線に降りてくる。

 握られた手から包み込むような温かさを感じる。


「さよなら。宗治」


 この声だけは絶対忘れちゃいけない。

 顔を忘れても、姿を忘れても、名前を呼んでくれるこの声だけは絶対記憶から消しちゃいけないんだ。


 まぶたが重くなる。


 ダメだダメだ、と分かっているのに、意識は遠く。それでいて残酷なほど綺麗に全てを真っ白に染め上げてしまった。



 ***



「以上が宮田宗治についての記憶です。いかがでしたか? 羽山紗希さん」


 名前を呼ばれてハッとした。


 スクリーン上でセンパイの記憶を見ていただけなのに、その物語に乗り移ってしまったかのような錯覚に陥っていた。


 首から垂れたネックレスを握りしめて、自分は羽山紗希である事を何度も反芻する。


 そして、取り戻した意識は残酷な事実を突きつける。


「なんだよ……あたしが付け入る隙なんてないじゃん。初めから出来レースかよ……」


 悔しい。

 センパイが詩織さんを想っているのは分かってた。けど、前世まで一緒とかズルすぎでしょ。

 ちょっとは夢見させてよ。


 詩織さんを妬みを込めた視線で見やる。


「あたしもやる。あたしからセンパイの記憶全部持っていってよ」


 詩織さんの眉がピクリと震える。


「その判断は間違いです。今すぐ考え直して下さい」


「どうして? あたしも詩織さんの言うジンクスを破る1例になろうとしてるだけだよ」


 しかし、と食い下がる詩織さんに嫌気がさした。感情が爆発する。


「あたしはセンパイが好きなの! だから確かめる。全部忘れたとしても、もう一度同じ人を好きになれるのか。それとも、真っ白に塗りつぶされて消えるのか! これはあたしのケジメだから!」


 数拍置いて、詩織さんに「落ち着いて下さい」と宥められた。


 我に返れば、勢い余って立ち上がっているではないか。思わず赤面する。


 しかし、詩織さんには決意か届いたようで「分かりました」と言って奥から持ってきた毒々しい色の錠剤を手渡された。


「後、これにサインを」


 躊躇なくサインをして一思いに薬を飲み込んだ。1分と待たず頭がぼんやりしてきた。

 即効性ありすぎでしょ……どうなって、んの……よ。


 でも、きっと大丈夫。次に目を覚ました時、あたしの目の前にはセンパイがいて、同じように……おな、じ……。


 意識が暗闇に溶けていく。握りしめた指輪がくい込む痛みだけが最後まで意思を繋ぎ止めている。


 ……でも。


 腕から力が抜け、するりと垂れ下がる。

 体も言うことを効かなくなって、虚脱感に抗えぬまま暗闇に落ちた。



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