第24話 8月23日(前編) 16歳をうちに泊める

 

 8月23日


 紗希ちゃんが無事退院した。


 記憶以外は特に健康面の異状はなく、あっさりと日常に戻れた。


 そして、明後日の25日に羽山家に帰る。

 つまり、俺達が一緒にいれるのは今日を含めて、あと3日(正確にはそんなに残ってない)。


「映画連れてってくれるってホント?」


「まぁ、退院祝い的なね」


 隣にちょこんと座った紗希ちゃんの体が振動で左右に揺れる。


 退院したばかりというのに、帰りは2人で電車だ。

 どうしても2人で帰りたい、と言う紗希ちゃんに根負けしてこの結果。


 佐山さんも泣く泣く承諾した。


「これがいい!」


 渡したスマホを指さして俺に見せてきた。


 げ、プリキュンじゃん……こうなる予感はしてたけど、まさか一夏に同じ作品を3度見ることになろうとは……。


「何その顔。何でもって言ったの宮田センパイじゃん!」


 ほっぺたを膨らませて言い寄ってくる。


 確かに、自分で言ったそばから「でもさぁ、それ3度目じゃん?」とも言えない。


「わかった、わかった。いいよ」


「やった! 見たかったんだよね〜。ちょー楽しみ!」


 初めて電車に乗った子供みたいに足をプラプラさせている。


 ウキウキのご様子で何よりです。


 その後は、ポップコーン食べる派? とか他愛のない話をしながら駅に着くまでの時間を過ごした。




 3度目のプリキュンは、なんというかもう虚無だった。


 ジブリのトトロですら年1放送なのに、こちとら1ヶ月満たない間に3回だぞ。


 もうキャラのセリフとか覚えれそうだし、エンディングのちょっとうるっとくるシーンも味のしなくなったガムをみたい。


 映画館を出た紗希ちゃんは浮かない顔をしていた。


「もしかしてつまらなかった?」


 紗希ちゃんは意を突かれたように「えっ!?」と頓狂な声をあげる。


「そんなことないよ! キャラメルポップコーンも美味しかったし、コーラも氷少なめで非常に良し……」


「それプリキュンの感想じゃなくて、映画館の自体の評価じゃん」


「そ、それは……」


 萎縮した様子で、目を泳がせている。


 もっと無邪気に「つまんなかったー」と言ってくれると思っていたのに、真反対の反応じゃないか。


「勘違いかもしれないけど、1回見た気がする」


 紗希ちゃんは消え入りそうな声でポツリと呟いた。


「本当につまらなかった訳じゃなくて! ……なんでだろう。曖昧だけど、ちょっと前にここに来て、同じのを見た気がするの」


「……覚えてるの?」


 紗希ちゃんは首を横に振る。


「覚えてるなんて立派なものじゃない。でも、そんな気がしただけ。期待させちゃってごめんね」


 弱々しく笑って見せた紗希ちゃんは俺の前を歩き始めた。


 出来ることなら、俺の記憶を彼女に移植して、これまでにあった出来事を一緒に振り返ったりもしたいさ。でも所詮はないものねだり。


 そんな離れ業は出来ないし、出来たとしても、今度は全部忘れた俺の方が相槌を打つだけのマシンになってしまう。


 そう考えると当たり前になってる思い出を共有するなんて、おかしな話だなと思う。


 そこで何を見て、どう思ったのかなんてその人にならなければ決して知り得ない。


 同じ写真を見たって、本人とそれ以外では詰まってるバックヤードに差がありすぎる。


 一方は匂いや温度なんかも思い出として含まれるけど、もう一方はやけにリアルな絵を見ている程度の感想しか抱かない。


 詰まるところ、思い出の共有なんて自己満足を高める手段に過ぎないんだ。


「ねえ、センパイ」


 紗希ちゃんは後で手を組んだまま横顔を覗かせた。


「もいっこだけ、行きたいところがあるんだ」


「いいよ。俺、いつも暇だから」




 ……とは言ったものの。


「どうして俺の家なんですかね?」


「別にいいじゃん。センパイだって了承したんだし」


「それはそうだけど」


 紗希ちゃんは家に上がり込むと、他のものには目もくれずベッドにダイブした。


 今は布団にくるまって着ぐるみたいに顔だけ出してる。にっこにこだ。


 クーラーの効いた部屋で毛布をかぶる気持ちよさってあるよなぁ。こたつでアイス食べるのと似たような感覚。


 俺はテレビを付けて座椅子に腰を下ろした。


 一番マシな番組を求めてチャンネルを変える。

 すると、チャンネルが変わる一瞬の沈黙の中で耳慣れない音が聞こえた。


 不思議に思って後ろを振り返る。


 そこには、布団にくるまったまま、枕に顔を押し付けてる紗希ちゃんがいた。


 布に阻まれて酸素が上手く吸えないから、すぅーっと大きな呼吸音になっていたという訳だ。


「紗希ちゃん?」と呼ぶと、「んー?」と首だけをこちらに向けた。


「それは何をやっているのかな? 俺には相当な変態にしか見えないんだけど」


 間違っても、人の匂いを嗅いでるなんて言わないでくれよ……


「意外といい匂いだね」


「なっ!?」


 途端に自分の襟をつまんで鼻を近づけた。って俺が嗅いでもいつも通りじゃねぇか!


 紗希ちゃんは口元を緩めきっている。


 こんなにオープンな子だったか?

 以前の彼女は積極性こそあれど、どこか奥ゆかしさもあった。

 けれど、今を見ていると人格すら手を加えられているようにしか見えない。


 俺は改めてテレビに関心を移して、椅子にもたれかかる。


 ダメだダメだ。余計なことは考えないようにしないと。


 明後日になれば、紗希ちゃんはこの街を去ってしまうんだ。残された僅かな時間を最大限有意義に過ごさなければ。


 背中に軽い衝撃があって、「センパイ」と耳元で吐息を受けた。


 紗希ちゃんはベッドから這いずるようにして俺の首元へ手を回している。

 顔がすぐ横にあって、思わず息を呑んだ。


 俺は「どうしたの?」と平然を装いつつ、紗希ちゃんの腕を引き離そうとした。

 しかし、結ばれた腕は接着剤でくっつけられたみたいに固定されていて、引き剥がせない。


「今日、センパイん家に泊めて?」


「ダメだよ、今日退院したばかりなんだ。ちゃんと佐山さんの家に帰るんだ」


 体が熱い。紗希ちゃんのパーカーの生地が首に巻きついているせいで、額に汗が浮かんでくる。


「センパイはあたしの事キライ?」


「なんで今そんな話になるの?」


「答えてよ」


 こういう逃げ場を与えてくれない所は変わってないな。祭りの日のサキちゃんを相手にしているみたいだ。


 やりようのない俺は「キライじゃないよ」と観念した。


「好きとは言ってくれないんだ」


「それは質問の仕方が悪いんだよ。『好き?』って聞かれてたら好きって答えるさ」


「じゃあ泊まってもいいよね?」


「なんでそうなるの……。好きと嫌いは泊まらせるか、泊まらせないかの答えにはならんぞ」


 うっ……首を締める強さが強くなった……。

 俺が嫌がってんのを分かっていながらやってんな、この小娘。


「わかった! 分かったよもう! でも、ちゃんと佐山さんに連絡しておくんだぞ!」


 そう言うと、紗希ちゃんは腕を離して「やった!」と小動物みたいに飛び跳ねた。


 あ……熱かった……なんでクーラーが効いた部屋で汗かいてんだよ。


 襟元をばたつかせていると、背後からガサゴソとモノを漁る音がした。


「な、何やってんの!?」


「何って、着替え探してるの」


 後ろを確認すると、紗希ちゃんがタンスの中を物色していた。


 俺は猛スピードで紗希ちゃんとタンスの間に割り込んだ。


「着替えなら俺が用意するから! 絶対にここはダメ!」


「ふーん、そこに何か隠してるんだ〜。もしかしたら、イヤラシイものかなぁ?」


 紗希ちゃんは顎に指を当てて薄目で俺を見る。


 片眉を上げて笑うその姿は、さながら犯人を見つけたのに泳がせて、自ら墓穴を掘るのを待ってる悪趣味な探偵みたいだ。


「Tシャツでいいよね!? それなら……ほら! あと、短パンも!」


 無理矢理押し付けると、紗希ちゃんは短く笑いをこぼして「まぁいいけど」と背中を向けた。


 ふぅ、やれやれ。タンスの奥には俺のコレクションが……ん?


 聞こえたのはしゅるしゅるとした布の擦れ。


 誘われるように視線を移す。


 目に飛び込んできたのは、白い肌に覆われた紗希ちゃんの背中だった。


「さ、さ、さ、紗希ちゃん!?」


 俺は即座に部屋のカーテンを閉めた。


 我ながらいい判断だ。けれど、今はそれどころじゃない。


「服、服、服ッ! それ脱いでる訳じゃないよね!? なんかの拍子でずり落ちちゃっただけだよね!?」


「んなわけないじゃん。どうやったら上の服が下にずり落ちるのよ」


 今は冷静なツッコミ待ちじゃないよ!? てかどこ行って……。


 浴室の戸が開く音がした。


「シャワー借りるねー」


 遠くで紗希ちゃんの声が反響する。


 急に膝から力が抜けて、その場にへたり込んだ。


 シャワーかよ……

 急に素っ裸になるもんだから心底焦った。

 紗希ちゃんの肌が目に焼き付いて離れねぇ……


 あ、そうだ。俺からも佐山さんに連絡入れとかないと。


「もしもし、佐山さん? 宮田ですけど」


『……ああ、宮田くん? どうしたの?』


「紗希ちゃんが今日家に泊まりたいって言って聞かなくて」


『…………』


「佐山さん? 聞こえてますか?」


『えっ!? ああ、ごめんなさい。ちゃんと聞こえてるわよ。サキちゃんが宮田くんの家に泊まるのよね? 分かった、しっかり伝えとくわ』


「伝えとく、って誰にです?」


『……えっ、私に言ってたの? あっ、そうか。今私がサキちゃんを預かってるんだった……ごめんなさい』


 佐山さんの様子が明らかにおかしい。こっちが何を言っても心ここに在らずって感じで、返答もたどたどしい。


「何かあったんですか? もしかして、紗希ちゃんに関係ある事ですか?」


 佐山さんは口ごもった。


 否定しないって事は肯定と受け取るしかないだろう。


 俺は紗希ちゃんがまだシャワーを浴びている最中だと確認して、ベランダに出た。


「今、紗希ちゃん近くにいないんで、よければ話してくれませんか?」


 数秒の沈黙の後、佐山さんは固く閉ざした口を開いた。


『一人、ショートカットの女の子が店に来たの。とても美人で垢抜けた子だったわ』


「お客さんですか?」


『うん。でも私、返事に困っちゃって。……だってその子、手入れなんて必要ないほど綺麗に整っているのよ? どうすればいいのか分からなくて、とりあえず台に座らせたら、「髪を伸ばす事って出来ますか?」って聞いてきたの』


「ア……アハハ……。でもそういう人ってたまにいるじゃないですか。佐山さんくらいコミュ力あったら簡単に対応して穏便に切り抜けられたんじゃ……?」


『無理よ……だってその子、本気の眼をしてた。冷やかしなんかじゃなくて、本心から願ってたように見えた。だから私、本気でたじろいじゃって……。それで、初めてお客さんを追い返しちゃった』


 後悔と恐怖にも似た感情が、ひしひしと伝わってくる。


 佐山さんが手をこまねくほどなのか……


『それでね、宮田くん』


 また声のトーンが1段階低くなった気がした。


 不意に部屋の中を確認する。

 まだ紗希ちゃんは出てきてない。


『今から1人で店に来てくれない? 渡したい物があるの』


「……1人で、ですか?」


『絶対、サキちゃんを連れてきゃダメ。私の所に来るとも言わないで。それじゃ、待ってるから』


「えっ!? ちょっと、佐山さん!?」


 一方的に電話が切られた。


 あんな調子の佐山さんを見るのは初めてだ。


 俺はシャワー中の紗希ちゃんに声をかけた。


「紗希ちゃん? ちょっと夕食の買い出し行ってくるから、家で待っててね」


 俺は返事も聞かずに部屋を飛び出た。


 直前に「あたしも行くよ!」と聞こえた気がするけど、たぶん気のせいだ。


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