第23話 8月20日(後編) 記憶売買

 


 俺がサキちゃんと呼んでいた女の子は、羽山紗希はやまさきという名前らしい。


 今更、苗字と漢字を知ったところで何だって感じだけど、急にサキちゃんが遠くの人みたいに思えてくる。


 サキちゃんは紗希ちゃんで、羽山紗希ちゃん。

 もう『サキちゃん』がゲシュタルト崩壊してきた。


 佐山さんの話によると、どうらや宮田宗治に関する記憶だけがすっぽり抜け落ちているらしい。

 それを聞いて嫌な予感がした。


 いや、もう予感というか、ソレしかない。


「こっちでも記憶売買については色々足を追ってるんだけど、ほとんど情報が掴めてないんだよ」


 フロアの長椅子に座って項垂れる俺の隣に、大智さんが座る。


「記憶バイバイ? さよなら〜ってヤツっすか、アハハハハ……ハ」


「上手いこと言うね。記憶に『バイバイ』と『売買』、上手くかかってる」


「なんも嬉しくないっすよ」


 この人、佐山さんと同類の天然系?

 どうりで気が合う訳だ。てか、もっと気を使えよ。

 どんだけ心にダメージ受けてると思ってんだ、この無神経刑事!


「あっ、でも1つだけ。噂の域を出ないけど『記憶の停留所』って場所で記憶の取引が行われるらしい。サキさんもそこに行ったってことになるね。当然、記憶からは消されてるけど」


「記憶の停留所……。どんな場所なんですかね?」


「さあね。店なのか、家なのか、はたまたま広場をそう呼んでいるだけなのか。もしかしたら、遊牧民族みたいに移動し続けてるかもしれない。見つけるのは困難だね」


「なんとかして下さいよ……。警察でしょ? ドラマみたいに急展開起こして、最後の15分くらいでパパッと解決するってお決まりじゃないですか」


 大智さんは、アハハ、と笑った。


「じゃあ今は始まって5分位の触りの部分かもしれないね。解決はまだまだ先だ。セオリーを無視して、いきなり解決するものいいけど後の時間困っちゃうよ。おっさん刑事達の与太話ほどつまらないものは無いからね」


「俺にとっちゃ、解決したらそれがクライマックスなんで」


 俺は体を起こして、壁にもたれかかった。


 本当はこんなところで時間を浪費してる暇なんて無いハズなのに、かといって手の打ちようもない。


「サキちゃんは俺との思い出なんて要らなかったんですかね……」


「いや、逆のパターンもあるかもしれないよ?」


「逆?」


 大智さんに目をやると、ポケ〜とした顔で遠くを眺めていた。

 気の抜けた人だ。


 俺は彼に失礼を悟れられないように問いかけた。


「大智さんはどうして警察になったんですか?」


 急だね、と大智さんは困惑しつつ、思考を宙に漂わせた。


「子供の時からずっと夢だったんだよ。ほら、テレビで見てたらかっこよかったから。そういや、周りのヤツらは学年が進んで肩書きが変わる度になりたいものが変わってたから、忙しそうだなって他人ごとのように思ってたなぁ」


 意外と普通……というか、ある意味珍しい。


 子供の頃の夢なんて、言ってみれば落書きみたいもので、それ自体には何ら意味を持たない。


 誰かに言われて、とりあえず目標があるフリをするだけのものだと思っていた。


 大智さんと目が合う。


「『なんでこんな間抜けそうな人が警察やってんだろう』って思ってたでしょ」


「アハハ……さすが警察、鋭い……」


 後ろ頭を掻きながら苦笑い。


 そんなこと思ってないですよ、と嘘を吐こうとしたけど、相手は警察なんだ。一発で見破られるんだろうな、と思って正直に白状した。

 我ながら好判断。


「楓から聞いてたけど、ほんとに愉快な人だね」


「自分ではそうは思いませんけど」


「そりゃ自分で思ってたらまずいでしょ。ナルシストはさすがの僕でも勘弁だよ」


 なんだろう……扱いずらいというか、掴みどころのない人だな。


 佐山さんみたいに天然系なのは分かったけど、警察になるくらいには頭がいいとなれば、ふとした瞬間に心眼を発揮してきそうで怖い。


「君は、サキさんとどういう関係なのかな? 祭りに一緒に行くぐらいだから、恋人って認識でいい?」


 大智さんは急に真剣な表情になった。

 もしかして、取り調べ始まってます?


「それとも、あと一歩ってところだったのかな?」


 今度は、片眉を上げてこっちを煽るような顔。


 あえて過去形で質問をぶつけてくるところがいやらしい。


『もうちょっとで、サキちゃんと男女の関係になれたのに惜しかったね』なんて言われてるような気分だ。


 でも残念でした。

 こちとらしっかりサキちゃんの口から「好き」という言葉を頂いております。……証拠はないけど。


 黙り込んでいた俺を見かねてか、大智さんは話題を変えた。


「そういえば、君と同じ大学の生徒が、記憶売買の事件を起こしただろ?」


 大智さんは口に手を添えて「これは内密にしておいて欲しいんだけど」と小声で前置きをした。


 俺は、体を傾けて耳を近づける。


「実は、この病院にその学生が入院してるんだ。もし、興味があるならサキさんの隣の病室に行ってみるといい」


「そんな『超』が付くほどの秘密、教えていいんですか?」


 大智さんはにっこりと笑った。

 良いワケがないだろ、と言いたげな顔だ。


 俺の肩にポンと手が乗せられる。


「偶然、目の前に宝の地図が落ちてたと思えばいい。隠していれば君しか知らない事だ。それに、宝を取りに行ったって、本当に金銀財宝があるとも限らない。行くも行かぬも、全部君次第だよ」


 大智さんは「じゃあ、僕はこれで」と仕事に戻っていった。


 また、1人取り残される。

 俺はまた項垂れる為に前傾姿勢になる。


 ああもう、本当に嫌だ。


 なんで、最後にヒントだけ与えて去っていくんだ?

 そんなの聞かされたら、選択肢は1つしかないじゃないか。


 俺は、項垂れる勢いを使って立ち上がった。


 行こう。

 たとえ、身になる情報が得られなかったとしても、このまま何もせずに待ちぼうけているだけなんて死んでもゴメンだ。


 サキちゃんの記憶が元に戻る可能性が1ミリでもあるのなら、俺は宝探しでも何でもやる。



 サキちゃんの病室の前に出来ていた人だかりは、すっかり消えていた。

 ドアも閉め切られていて、中の声も聞こえない。


 俺はその隣の病室の前に立った。


 ネームプレートは無い。

 けれど、確かに人の気配があった。


 ノックをして病室に足を踏み入れた。


 個室だというのに、しっかりカーテンが閉められていた。

 入っただけでは姿を見ることは出来ない。


 覗き込むように首を傾けながら、足音をなるべく控える。

 ノックをしたのに、全くの矛盾した行動だ。


 テレビからの笑い声が聞こえた。

 複数人が一斉に笑ったのに、その距離は曇りがかったように遠い。


 彼はベッドの背もたれを起こし、和やかな表情でテレビに見入っていた。


 このご時世、夏休みにやるお昼番組なんて妥協で見ているのが大多数なのに。


 何がそんなに面白いんだろうと、歩み寄った時、彼は不意にこちらを振り返った。


「あっ」と声が漏れてしまった。


「何かご用でしょうか?」


 驚くほど穏やかな声に口ごもってしまう。


 事件を起こしたというから、どんな凶暴な人かと身構えていたから余計にだ。


「あ……ええと、少しお聞きしたい事があってですね」


「構いませんが、実はほとんど何も覚えていなくて。あまりお役に立てるとは思えません。それでもよければ」


 俺の不審な態度にも彼は誠実に対応してくれた。

 近くの丸椅子に腰掛けると、後ろのテレビの音がプツンと途切れた。


 正直、今はテレビつけてくれてた方が『間』的にはよかったかも……この人との沈黙を耐えられる気がしない。


 こちらに向き直った彼を改めてまじまじと見る。


 病的なほど肌の血色が悪いのに、死人のような雰囲気はない。

 むしろ、イキイキとして見えた。


 顔立ちも整っていて、程よい長さで整えられた髪にも清潔感がある。

 とても自分の記憶を売り払いそうには見えない。


 まずは、挨拶から。俺は苦々しく口を開いた。


「宮田といいます。突然押しかけてすいません」


「いえ全然。僕は、」


 彼は言葉を切って、枕元のネームプレートを見た。


 そして「国崎、といいます」と知らない人の名前を言うように難しい顔をした。


 その時、俺は思った。


 本当にこの人は自分の記憶を手放したんだ。

 それも、サキちゃんみたいに一部だけじゃなくて殆ど丸ごと全部。


 あわよくば、国崎さんから『記憶の停留所』についての情報を得ようとしていたけど、それは叶いそうにない。


「あっ、もしかして記憶売買の件に関してですか?」


 国崎さんは俺の思考を先読みして言い当てた。


 あらかた、その類の来客ばかり押しかけてきたのだろう。机の上に無数の名刺が散らかっている。


 気の毒なことをしてしまった。


「そのつもりだったんですけど、やっぱり止めておきます。国崎さんにとってもあまりいい出来事ではなかったようですから」


 そう言って立ち去ろうとした時。


「そうでもないですよ」


 国崎さんは俺越しに窓の外を眺める。

 再び、彼の話に聞き入る。


「僕、かなり窮屈な人生を送ってきたみたいなんです。早くに親は死ぬわ、入れられた施設では暴行を受けるわで、幼少期はなかなか悲惨だったみたいです。里親が見つかってからも、人間関係に難があった僕は学校内で孤立。飛び降り自殺なんかもしたらしいんです」


「でも、通ってる大学はそこそこな所じゃないですか。全然、巻き返しはできたはずです」


「そこはもう分かりません。他者から見て、僕がどんな人間だったかを調べることはできても、国崎という一人格が何を思ったのか知る人は、もうこの世にいないんです」


 とても幸せにそうに語っている。

 これまでに溜めた膿を全て吐き出したような清々しい口調だ。


 嫌な考えが頭をよぎる。


 サキちゃんが俺に関する記憶だけを手放したのは、不要と判断されたからなのだろうか。


 もし、そうだとしたらあの日の告白の意味は?

 サキちゃんの意図が全く読めない。


 国崎さんは「あっ、そうだ」とテレビ台の引き出しをガサゴソと漁り始めた。

 そして1枚の領収書を手渡してきた。


「これは?」


「記憶を売り払った時に、受け取り忘れたものらしいです。数日前にやってきた人に渡されました」


 俺は思わず目をうたがった。

 彼の名前と『記憶の停留所』のサインが書かれている下に、『¥1500』とあったのだ。


 冗談だろ?

 20年以上の人生が僅か1500円だって?


 俺はかつて、記憶に値段は付けられないと言い放っていた。

 その考えに嘘はないし、今も変わらない。


 なのに、突然の恐怖が襲いかかってくる。


 俺の人生はいったい幾らで買い取られるのだろう。


 逃げ出したくなるような苦しい経験も、些細な楽しみを謳歌していた輝きも。

 人を好きなった甘酸っぱい味も。


 全て投げ打って、手に入るのはたった数枚の薄紙なのか。


「後悔はないんですか?」


「国崎は後悔してないと思います。だって、今のがこうして幸せなんですから」


 どこを探しても、彼にかける言葉はもう無い。

 探すだけ時間の無駄にさえ感じられた。


 だってもう彼は、全くの別人の人生を歩もうとしているのだから。


 俺は抑揚のない声で「最後に1ついいですか?」と言いながら立ち上がった。

 彼は、どうぞ、と返す。


「この紙を持ってきた人はどんな人でした?」


「女性でした。とても美しくて、見ているだけで心が満たされるような。……でも同時に、人の形を何とか保とうとしている死人みたいにも見えました」


 俺は「ありがとうございました」と頭を下げて病室を後にした。


 彼に対して、嫌悪とか拒絶とかの感情は抱かなかった。


 それぐらい達観しなければ、話を続ける事すら危うかっただろう。


 サキちゃんの元に戻ろう。


 そうすれば、またあの笑った顔を見られる。


 容赦ない貶し言葉を浴びせてくるサキちゃんがいる。


 人の気も知らないで思わせぶりな態度をとってくるサキちゃんがいる。


 本当は恥ずかしがり屋のくせに、俺より何倍も勇気のある行動をするサキちゃんがいる。


 不器用で女々しい俺を、それでもいいと言ってくれるサキちゃんがいる。


 俺を好きだと言ってくれたサキちゃんが……、いるはずなんだ……。




 頬を流れる涙に気づいたのは、羽山紗希ちゃんの病室に入ってからだった。


 ドアを開けてすぐの洗面台で、鏡の中の自分と目が合う。


 情けねぇ顔……今のうちに気づけてよかった。

 バレたらどんな茶化され方するか分からないしな。


 指で目元を拭って、鏡の中の自分と向き合う。


 大丈夫、問題ない。上手くやれる。


 紗希ちゃんがどんな冷やかな顔をしても、心を抉るようなショッキングな発言をしても、上手く茶化せばいい。


 よし、と意気込んでカーテンを捲る。

 紗希ちゃんと佐山さんが談笑に耽っていた。


 でも、会話の内容なんてどうでもよくて、俺の視線はある一点に注がれる。


「あっ……えーっと、宮田宗治さん?」


 俺に気づいた紗希ちゃんは語感を確かめるように一字一字をハッキリと発音する。


 俺は目を背けたくなった。

 彼女の首からぶら下げられている指輪のネックレスが視界に飛び込んできたからだ。


 ほらね、やっぱり買わない方良かった。そう思うのも今は許して欲しい。


 せっかく、紗希ちゃんと初めましてをやり直そうとしたのにそれすら叶わせてくれないのか。


「宮田さん」


 紗希ちゃんがもう一度俺の名前を口ずさむ。


「楓さんから聞きました。あたしと仲良くしてくれてた、って。それで、このネックレスも宮田さんがプレゼントしてくれたんでしょ?」


 紗希ちゃんは指輪を手のひらに乗せて、包み込むように両手に閉じ込めた。思いを馳せるみたいに瞳を閉じる姿を見て、決心が揺らぎそうになる。


 出来ることなら、君に思いのはけを伝えたいさ。でも許されないだろ?


 今目の前にいるのは、俺の事なんて何一つ知らない羽山紗希という人間なんだから。


 そんな彼女に「帰ってきてくれ」なんて言ったって、白い目を向けられて終わるだけだ。


 瞼を開けた紗希ちゃんは真っ直ぐに俺を見据えた。


「ありがとう、宮田センパイ」


 どうしてだろう。止まったはずの涙が溢れてくる。


 誰かこの洪水を止めてくれ。

 鼻の奥が痛いし、顔が茹でられたみたいに熱くなる。毛穴が開いて汗も吹き出るしもう散々だ。


 なのに、どうしてだろう。

 俺は今、幸せを感じてしまっている。


 彼女の声が、抑揚が、響きが、表情が。

 全てあの時と同じものなんじゃないかって脳の錯覚を引き起こしてる。


 紗希ちゃんは静かに微笑んで問う。


「なんで泣いてるの?」


 俺は答える。


「嬉しいから」


 クスッと笑った紗希ちゃんは「変な人」と遠慮気味に言った。




 その夜、メールが届いた。


『ずっと待ってる。もう時間は残されていないよ。』


 相変わらず自分の言いたい事だけ言いやがって。


 書くなら、全部分かるように書けってんだよ。


 アレですか? 僕の文章理解力試してます? 馬鹿を言え! これで学力のパラメーター測られてたまるか!


 今まで1度も返信しようとしてこなかった。


 けれど、今回だけ。最初で最後の返信をした。


『そのうちな』


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