第21話 8月19日 3度目の正直

 


 8月19日


「随分やつれてますね。サキちゃん、まだ見つからないんですか?」


「はい……。かと言って俺ができることなんてたかが知れてるし……ほんとにどこいっちゃったんだよ、もう5日目だぞ」


 いつもの喫茶店で俺は頭を抱えていた。


 家で1人でいても不安と焦燥感が募るばかり。

 足は自然とここに赴いていた。


 詩織さんは向かいの席に座って顔をしかめた。


「行きそうな場所に心当たりは?」


「ダメです。毎日行ってるんですけど、全然見つからない。サキちゃんケータイも持ってないから、連絡のしようもなくて。あぁ……誘拐とかされてたらどうしましょう……?」


「落ち着いて下さい。お祭りの日までは居たんでしょ?」


「……はい。ちゃんと送り届けましたし、家に入っていく所まで見届けました。でもその次の日から……ああああああああぁぁぁどうすればいいんだぁ」


 もし……もしもの話だけど。

 誘拐とかの犯罪に巻き込まれたんじゃなくて、自らの意思で行方を暗ませてしまったと考えるなら、俺が関係してる気がする。


 だって、そうだろ。


 タイミング的に大きなイベントはお祭りだ。

 その日、サキちゃんによからぬ影響を与えた出来事があったとすれば、十中八九、告白……ああもう、ダメだダメだ。


 全部悪い方に引っ張られる。


「ねぇ、宮田先輩。映画見に行きませんか?」


「映画? 今からですか?」


 突とした提案に、俺は思わず聞き直した。


「あっ、……ごめんなさい。不謹慎でしたよね。大切な人がいなくなってしまったのに、のうのうと映画に行こうだなんて」


 詩織さんはシュンと肩を落とした。


 彼女が他人を捨ておくような情のない人間には見えない。

 むしろ、俺を最大限励まそうとして提案してくれたんだろう。


「俺がいくら焦ったって解決しませんもんね。詩織さん、映画行きましょう」


「は……はい!」



 で、……どうしてこの映画を選んでしまったんだ。


 夏休み真っ盛りの映画館。


 幾つもあるスクリーンの中で最も小さい箱に収容された。それでも、人は全く入っていない。


 この作品が如何に不評なのか一目瞭然だ。


「ほんとにこれ見るんですか? すごい地雷臭がします」


「宮田先輩も一緒にチケット買ったじゃないですか」


 それは、映画の悪いとこ思い出してぼーっとしてたからで。


「それに、人が入っていないからってつまらないという訳ではないでしょ? もしかしたら、クスッと笑えるシーンもあるかもしれません」


 ありますよ、笑えるシーン。

 でも全部鼻で笑う感じになっちゃうもん。


 てか、この作品で笑っちゃダメなんですよ。

 だって、感動をテーマにしたお涙頂戴作品なんですから。


「あっ、始まりますよ!」


 館内の照明が落とされる。


 俺の120分は帰ってこない。

 正確に言うと、2回目だから結果的に240分がドブに捨てられた訳だけど。


 詩織さん……その期待に溢れた表情が終わった頃にはどうなっているか楽しみだよ。


 俺は120分後の詩織さんが見せる表情を1500円で買ったのだ。

 そう考えると安いかもしれない。


 開始20分もすれば退屈でお尻が痛くなった。

 1時間が経つと、カップのドリンクが氷だけになった。

 1時間半後には、一度席を立ってトイレに行った。


 だが、一つだけ変化もあった。

 起伏のない物語だったはずなのに、クライマックスの15分は不思議と見入った。


 不治の病に陥ったヒロインを主人公の男が看取るシーンだ。


 1度目は主人公の方に感情を向けていたけど、2度目は死んでいったヒロインの方を追っていた。


 ヒロインは励まし続ける主人公に向けて、ずっと笑顔を向けていた。


 死が目前に迫っているのに彼女は物静かな姿勢を崩さず、最期も眠るように息を引き取った。


 この物語の最中、ヒロインは1度も涙を見せなかった。

 泣いているのはずっと男のほう。


 序盤中盤終盤、いつどのシーンを切り取ったって情けない顔だ。


 それを見て、もしかしたら俺もこんな風に見られてるかもなんて考えてしまった。


 自己嫌悪が湧く。





「楽しい話ではなかったですね」


 スクリーンから出ると、詩織さんはおもむろに感想を口にする。


 そうですね、と同意して歩き始めると不意に強烈なデジャブを感じる。


 その正体は後方からだ。


「おにいちゃん、また来てたんだね!」


 こんな偶然があるのか、もはや運命的なものを感じるぞ。


 その少女とここで出会うのはもう3度目だ。


 まさか、と思って少女の首から下げられている先を見た。

 やっぱり、プリキュンの限定ポップコーンケースだ。


 俺はまたしても膝をついて、少女と同じ目線に立った。


「今日もプリキュン?」


「うん! もうなんかい見たか、わかんない!」


 眩しい笑顔の横で少女の母親が苦笑いを浮かべている。

 子が探究心大勢だと親も大変だな。


「おにいちゃんはなに見たの?」


「ん? そうだなぁ、君にはまだ早い映画を見たよ」


「えー、なにそれ!? プリキュン見てないのー?」


「今回はプリキュンじゃないんだ。もう2回も見ちゃったからね」


「わたしもたくさん見たー!」


 楽しそうだけど、君に付き合わされるお母さんをもう少し気遣ってあげなさいよ。

 そのうちレンタルDVDが出るよ?その時まで待と?


「あっ、でもね、今回はちょっとかなしかった」


「かなしい?」


「だってね、ワルモノはプリキュン達にやっつけられちゃうでしょ? だからね、やっつけるよりお友だちになった方がいいと思うの!」


 少女は悲しげな顔をパアッっと笑顔に変えた。


 えっ、なに!? この子ガチもんの評論家になってんじゃん。

 精神年齢突き抜けてるよ。

 見た目は子供頭脳は大人かよ。


「あなたは優しいんですね」


 しゃがんだ詩織さんが少女の頭を撫でる。


 すると、少女はキョトンとした顔でませた発言をしてきた。


「新しいカノジョさん? おにいちゃん、女の人には困らないんだね。でも、わたしはは前のお姉ちゃんのほうが好きだなぁ」


「なっ!?」


 身を引き気味に反らすと、フッと少女の姿消えた。顔を上にあげると、猫のように脇を抱えられた少女が頭の上に疑問符を浮かべている。


 母親は深々と頭を下げて、小走りで去っていった。


 取り残された俺と詩織さんの間に緊張感が漂う。


「子供は元気で微笑ましいですね」


 気まずい空気を破ったのは詩織さんだった。俺は話を合わせるように続く。


「ほ……ほんとですね。俺があのくらい時は引きこもって積み木ばっかりしてたような気がします。そう考えると、昔っから内向的だったんだな。今に通ずるものがありますね、あははは」


「過度な自虐は相手を不快にしますよ。ほどほどにして下さい」


 怒ってる?

 そう思ってしまうほど、詩織さんの声色は固くて冷たい。


 しゃがんだまま動こうとしないし、機嫌を損なっているのは間違いなさそう……なんてことしてくれたんだ、あのマセガキ。


 とにかく、いつまでもここで時間を貪る訳にもいかない。

 背中に向かって「詩織さん」と名前を呼んだ。


 すると、詩織さんはいつも通りの涼しげな顔で。


「さあ、帰りましょう」


 と俺を追い抜いた。怒ってると思ったのは思い過ごしだったのかも。


 帰宅の最中、詩織さんは映画の感想を訊ねてきた。


 1度見てるとも、面白くなかったとも言えず、「良かったんじゃないですかね」と相手にしていて1番困る反応を返してしまった。


 詩織さんもこれには苦笑いだ。


 俺が逆に感想を問うと。


「リアルだなって、思いました。人の人生って現実、言うほどドラマチックにはならないでしょ? それをあの作品は再現してた気がします。希望も無い、奇跡も無い。時間だけが着時に進んでしまって、最期は安らかに終わっていく」


 詩織さんは最後に「ま、映画としては全く面白くはなかったですけどね」と辛辣な評価をつけた。


 1度目でそこまで深くあの作品を鑑賞できるとは思わなかった。


 感性が鋭いというか、別方向を向いているというか。詩織さんらしいなと納得した。


「喫茶店まで送りますよ」


「いえ、大丈夫です。行くところがありますから」


 駅をバックにした詩織さんが答える。


 彼女は今日もどこかに向かうらしい。


 毎日毎日、足繁く通うような場所がどこにあるんだろう?


 深く考えずに、思った通りに口を開いた。


「詩織さんは毎日誰かと会ってるんですか?」


「変なこと聞きますね。もちろん、人とは会いますよ? 宮田先輩とだってこの夏はほとんど顔を合わせてるじゃないですか」


 眉を八の字に下げた詩織さんはぎこちない表情をしている。


 彼女らしからぬ、無理を押し通そうとする不自然な口の運び方だ。


「いやそういう意味じゃなくて特定の人と会ってるのかな、って。もしそうだったとしたら、毎日毎日会わなきゃいけない呪いをかけられてるみたいで、ちょっと辛そうに見えます」


「そ……そんな風に見えてますか? まいったな、全然そんなつもりなかったのに


 全体的に今日の詩織さんは様子がおかしい。


 いきなり脈絡もなく映画を見に行こうと言ったり、態度がよそよそしがったり。


 落ち着いた雰囲気がベースの彼女が、操り糸で動かされてるみたいに乱暴でまとまりのない身のこなしになっている。


 たじろぐ詩織さんは、やがて肩の荷を降ろしたようにピンと背筋を伸ばした。


 重い重い荷物だったらしい。

 吹っ切れたような表情だ。


「サキちゃん、早く見つかるといいですね」


 詩織さんは、恐ろしいほどいつも通りに微笑んだ。


『詩織』と聞いて、思い浮かべる要素を存分に含んだ立ち姿。


 けれど俺は見逃さなかった。


 彼女の手が、自分を戒めるように強く握られていた事を。


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