第20話 8月14日&15日

 

「おーい、兄ちゃん! 酒飲みの兄ちゃんやい!」


 突然、懐かしさのある掠れた声が聞こえた。


 練り歩く人々の隙間に目を潜らせて、声の出処を探す。


 いた。交番のおっちゃんだ。


 相変わらず制服のベルトの上に乗った腹がまず目に付いた。その安心感で口角が上がる。


 早歩き気味でおっちゃんの前に行った。


「おいおい、随分久しぶりじゃねぇか! 元気してたか?」


「久しぶり、って警察の人とそう何度も会いたくないっすよ」


「それもそうか! ガッハッハッ!」


 おっちゃんは大きな口を開けて豪快に笑う。


 はたから見たら俺がなんかやらかして取り調べを受けてるみたいだ。


「それより、寂しいな。こんな賑やか日にも1人かい? まあ、俺も仕事なんだけどな!」


「まあ、ネジが緩みやすい日ですからね。おっちゃん達みたいな見張りが居ないと、大変なことになってますよ」


 そう言うと、おっちゃんは表情を固くして肩を組んできた。


 ここだけの話なんだけどよ、と周りの目を気にする素振りを見せて、少し屈む。


「記憶売買の件、兄ちゃんも覚えてるか? テレビのニュースで見たやつだ」


「ええ、覚えてます。交番で一緒に見たやつですよね? 確か、若い男がショッピングモール内で暴れたって」


「そう。実はあの後、取り調べでわかったんだけどよ。問題起こした男、兄ちゃんと同じ大学の生徒らしい。しかも、記憶を売り払ったのはこの近辺で、って話だ。穏やかじゃねぇだろ?」


「記憶売ったのに、そんなの覚えてるもんですかね?」


「そこなんだよ。でも警察としても、それ以上は分からねぇから少ない情報に縋るしかねぇのさ。んで、こういう祭りごとにはそんな甘い囁きもツキもんだろ? だから警察が目を光らせてるってワケよ」


 おっちゃんは俺を解放して、改めて周りを見やる。


 事件を起こした男が同じ大学の生徒ってのも驚きだけど、それを取り仕切る物騒な催しがこの近くにある方がよっぽど恐ろしいね。


「ま、兄ちゃんも気を付けといて損はないぞ。襲われて無理矢理って事もありえるんだ。記憶を抜き取って売買するなんて狂った商売してる人間がまともなやり方するとは思えねぇ」


「ありがとう、おっちゃん。気を付けるよ」


「おう! また酒でも飲もうや!」


「出来ればちゃんとした居酒屋とかがいいっすね。もう交番では、怖すぎて」


「ガッハッハッ! そりゃそうだな!」


 世間話に花を咲かせていると、おっちゃんが目を細めた。


 そして、俺の肩に手を置いて言う。


「まさかとは思うが、その……売春とかやってねぇだろうな?」


「はぁ!? なんすか、いきなり! そんなもんやってるワケないでしょ!?」


「あぁ、そうだよな、悪かった。……でもよ、見るからに高校生くらいの女の子が、アンタの名前を呼びながら小走りでコッチ来てんぞ」


 がばっと首を動かした。


 目線の先には、慣れない浴衣と下駄に手こずるサキちゃんの姿があった。


 しまった、サキちゃんを放置してたんだった!


 まずい、と駆け寄ろうとした時、おっちゃんが「そばに置けないねぇ」とからかうように言って俺の背中をつき押した。


 おっちゃんの方を振り返ると、手をヒラヒラと振りながら人の嵐の中に混じり切るところだった。


「もう、……宮田、セン、パイってば、勝手にどっか行っちゃうん、だもん……まじ、最低……」


 息も絶え絶えに言葉を発するサキちゃんは、両手のタピオカドリンクを俺に預ける。


 そして、胸の真ん中に手を当てて、呼吸を整え始める。


 しばらく背中をさすってあげると、ふぅ、と息を吐いて額の汗を拭った。


 サキちゃんと目を合わせる。ムスッとして、お怒りのご様子だ。


 今回ばかりはどう考えても俺に非がある。

 女の子を置いてけぼりにするなんて、絶対やっちゃいけない事だ。


 俺は頭を下げる。


「サキちゃん! マジでごめん!」


 伝わった? 伝わってくれた? この反省の加減。


 ……いいや、伝わってない。

 だって、もう誰かの陰謀だろ、って勘ぐってしまうくらいピッタリのタイミングで花火が打ち上がったのだから。


 ヒュ〜、と空気を切り裂きながらあがって、バーン! と夏の夜に大きな花を咲かせる。


 キレイだよ? キレイだけど今じゃないよ。


 流れ的には、「ごめん」の次に「いいよ」って返されてからの打ち上げ花火じゃん? シナリオどうなってんの?


「いいよ」


 包み込んでくれるような、柔らかな声と響き。この声の正体を早く知りたくて、俺は顔を上げてしまう。


 周りにいた誰もが花火に心を奪われる中、サキちゃんはずっと俺を見ていた。


 振り返ってしまえば、花火を簡単に見られたハズなのに、サキちゃんは変わらず俺の方に関心を寄せていた。


 サキちゃんの肩越しに、また大きな花が咲く。けれど、俺のピントはサキちゃんにしか合ってなくて、背景は霞んだようにピンぼけしてる。


「ねぇ、あたしも早く花火見たいんだけど、いいよね?」


 その質問には「はい」以外の選択肢がない。


 つまり、俺がいくら叱ってくれと頼み込んでも、花火に終わりがある以上叶わないのだ。


 サキちゃんは俺の隣に立って、腕を絡めてくる。


 ポン、と肩のあたりに小さな衝撃。


 寄り添うように体を預けてくる小さな彼女を俺は拒めずに受け入れた。


 大地が揺れるほどの大きな花火が咲き誇る。


 今だったら、何を言っても聞こえないし、いかなる悪口を言われても、全部花火がかき消してくれる。そう思い込む。


「ねぇ、宮田センパイ。あたし、」


 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。


 ────聞いちゃいけない。


「宮田センパイのことが好き」


 花火よ、どうしてお前は俺の味方をしてくれない?


 どうして、聞こえないようにカモフラージュしてくれない?


 どうして、嘘を嘘だと教えてくれない?


 サキちゃんの口を塞いで言わせないって選択肢もあったはずなのに、両手のタピオカに阻まれた。ちくしょう。


 いや、本当は勇気がなかっただけ。

 頭の中ではダメだ、って分かってるのに、体がいうことを聞いてくれなかった。


 ────サキちゃんの『好き』と俺の『好き』は意味が違いすぎるんだ。


 花火が終わる。

 束の間の余韻が過ぎると、人々は上げていた首を戻して散り始める。


「あー、キレイだったぁ! センパイ、あたし達も帰ろっか」


 俺は頷いて答える。


 いつまでも花火に魅了されているフリをして、サキちゃんの告白が届いてない体を装った。


「センパイ、ちょっと待って。足痛い」


 下駄を脱がせてみると、花緒が擦れて指の間が真っ赤になっていた。

 俺がサキちゃんを走らせてしまったせいだ。


 屈んで背中を向ける。


「え、いいよ。家、すぐそこだし」


「10分以上かかるでしょうが。いいから乗りな。重かったら重いって言うから」


「余計嫌なんだけど……。あっでも、センパイが乗って下さいって言うなら、乗ってあげないことも無いかなぁ」


「へいへい、分かりやした。乗って下さいサキちゃん様」


「しっかたないなぁ〜。よいしょっと、」


 背負って立ち上がると、耳元で、うわぁ! と驚いた声をあげた。


 前に回されたサキちゃんの細い腕が首筋を撫でる。


「おんぶされたの初めてかも! 背高くなったみたいで、ちょー楽しい」


「わかったから、バタバタ動かんといてくれよ。下手すりゃ落とすかもしれん」


「大丈夫! その時はセンパイも道ずれにしてやるから」


「死なば諸共やめて」


 歩き始めると、サキちゃんが手にまとめて持っていた下駄の歯同士がぶつかる。


 1歩進む度にカランカランと弾ける。

 歩くリズムを測られているような気分だ。


 意識せざるを得ず、自然とペースが一定になった。


 人気がちりじりになり始めた頃、サキちゃんが耳元で囁いた。


「あたしの気持ち、ちゃんと聞こえてたんでしょ? なんで聞こえてないフリするの? バレバレだよ。掴んでたセンパイの腕、急に熱くなってたんだもん。わかりやすすぎてウケるんだけど」


 カラン、と下駄の歯がぶつかるペースが狂う。


 サキちゃんは、ふふっ、と笑う。


 佐山さんの家まであと少しだ。


 どうにかして時間を稼がなければ。と悩んでいると、ズボンのポケットに違和感を感じた。


 見ようとしても、サキちゃんの顔があってこれ以上動かせない。


「あっ、もしもし楓さん? サキだけど、もうちょっと遊んで帰るね。うん、はーい」


 スルッとポケットにスマホが潜り込んでくる。太ももに当たるスマホの感覚が戻ってきた。


 やられた。俺の返事を聞くまで帰さない気だ。


「どうしたの? そんなに大きなため息ついて」


「別に。ただ、サキちゃんも本当は不安なんでしょ? さっきから心臓の鼓動すんごい伝わってきてるよ」


 サキちゃんの胸が密着しているせいで、激しい鼓動が絶え間なく流れ込んでくる。


 それは、俺に悪魔のような囁きをするずっと前から。


 サキちゃんを背負った時には既に、張り裂けんばかりの早鐘の打ち方をしていた。

 いつ話を切り出そうか、タイミングを見計らっていたのだろう。


「あ、当たり前でしょ……。だって、人にコクるんだよ? ロボットじゃないんだから緊張するに決まってんじゃん」


 陽動が効いたのか、余裕綽々の声色が崩れ始めた。


 俺はため息をつく。

 踏ん切りがついたという意思表明だ。


「俺、好きな人がいる」


「……そっか」


 深い絶望を孕んだ困惑の声だった。しかし、俺は狼狽えず続ける。ここで止めてしまうと、もう二度と話し出せない気がするから。


「その人はとても優しい人なんだ。いつ見てもニコニコ笑ってて、何もしようとしない俺の手を引っ張ってくれる」


「うん」


「オマケに、こっちの気も知らないでグイグイ距離を詰めてくるような悪女だ。心臓が何個あっても足りない。1人になって悶々とする俺の身にもなって欲しい」


 サキちゃんの体にぎゅっと力がこもって、俺の首が僅かに締め付けられる。


 俺は本当に卑怯な人間だな。

 今も無駄に話を伸ばそうとして、サキちゃんが耐えかねて止めてくれないかな、なんて期待をしてる。


  彼女はずっと前から覚悟を決めていたというのに。


「本当に好きなんだね、その人のこと」


 半ば諦めたように声のトーンか低くなっている。


 俺は足を止めた。

 もう時間を稼ぐなんてせこい真似は出来ない。伝えよう、サキちゃんに。


 嘘と偽りのない正直な気持ちを。


「サキちゃん、俺は君が好きだ。……けど、」


 途中で言葉を切るのは簡単だ。

 そうすれば、晴れて俺とサキちゃんは両思い。


 文句のつけようがない美しいハッピーエンドで幕を引く事だってできる。


 俺が何もしなければ、の話だけど。


「サキちゃんと同じくらい詩織さんも好きなんだ。変だろ? 一度に2人の女の子を好きになるなんて。でも、俺の中にもう1人の俺がいて、ソイツは詩織さんのことが大好きなんだ。女々しいほどに愚かで、選択肢すら自分で覆い隠そうとしてるんだよ」


 あぁ、言ってしまった。


 ずっと自分でも気づいてた。


 最後はどちらかを選ばなければいけない。


 なのに、俺はずっと見ないフリをしていて、問題を先送りしてきた。

 その結果が今日の中途半端な態度だ。


 詩織さんと出くわした時、隠れてしていたイタズラがバレたような感覚に陥って、サキちゃんをほっぽり出して逃げた。


 サキちゃんといる時はサキちゃんの事だけ、詩織さんといる時は詩織さんの事だけを考えていたかった。


 ずり落ち始めたサキちゃんの体を背負い直す。


 さぁ、次はサキちゃんの番だ。

 彼女の嘘を俺に教えてもらわなくては。


「サキちゃんは俺を好きだと言ってくれた。でも、たぶんそれは錯覚だよ。たまたま君の前に現れたのが俺だったってだけの話で、サキちゃんにはもっと別の、」


「違う……違うよ、センパイ」


 サキちゃんは悲しみを押し殺したような声で遮る。


「あたしはアンタに優しくされたから好きになったんじゃない。目の前にいたのが、たまたまアンタだったから好きになったんじゃない……! あたしの隣にいてくれるのがアンタだったから好きになったんだ。未来の話なんてしてない。あたしは、今、センパイの事がこの世で1番好きなんだよ」


 無理矢理顔向きを変えられて、覗き込むようにキスをされた。

 短くて儚い、物足りないキスだった。


「確かに明日になったら、あたしはセンパイになんの関心も持たなくなってるかもしんない。けど、紛れもなく今ここにいるあたしは宮田センパイが好き、大好き。それは嘘じゃない。だから、あたしも聞きたい。宮田センパイは今、誰が好きなの?」


 ああ、どうしてこの子は。


 どうしてそんなに勇ましく在れるのだろうか。


 これじゃあ俺の方がよっぽど子供じゃないか。


 いつまでたっても彼女の気持ちに向き合おうとせず、あわよくばなあなあで済まそうとしていた自分が恥ずかしい。


 思えば、俺はいつもされる側だった。たまには男らしい所も見せておかないと。


 年上の威厳ってやつを教えてやるんだ。


「今、ここにいる宮田宗治は世界で一番君のことをが好きだ」


「何それ、キモ」


 いつもの調子であしらったサキちゃんは、何かを察して瞳を閉じた。


 今度は俺から。


 初めて、迎え入れられるキスをした。

 しかも、おんぶしながらのキスだ。


 車が煙を吐きながら走る車道の横で、こんなにロマンチックのら欠けらも無いキスをするなんて不格好にも程がる。


 でも、これでちょっとは俺を見直してくれたかな。


「へへへ」


 唇を離したサキちゃんは、情けなく表情を蕩けさせて二ヘラと笑った。


 叶うなら、時間をこの日で止めたい。そんな神の所業ですら手に入れたいと思う出来事がすぐに起こってしまった。




 8月15日


 サキちゃんが行方不明になった。


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