僕は生きているよ。

じゅん

女の子は突然に

 僕は白い壁に囲まれた部屋の中にいた。目の前の机の上には、白いワインと野菜ジュース、食べ終わったプリンの残骸が置かれている。机のそばのゴミ箱には、ティッシュやレシート、コンビニ弁当が今にもあふれ出しそうに入っていた。


 辺りは無機質で、静まり返っていた。時折近所の子供が楽しそうに笑う声が聞こえてくる。カーテンの隙間から射しこんでくる陽光が、僕を温かく包み込んでいた。何の変哲もない日曜日だ。


 窓の外で、洗濯物が風に揺れていた。隣の家の天井の上から、白い雲がのぞいている。大きく息を吸い込んで、吐き出してみた。そうしないと、自分が本当にここにいるのかわからなくなりそうだった。


 生活に質感が失われ、身体が透明になっていくような感覚に襲われていた。日々生きていくうちに、何かがすり減っていくように思えた。自分が広大な宇宙の片隅で小さくうごめいているのを、わけもなく想像してみたりもした。


 毎日ひっきりなしに飛び込んでくるニュースを何の興味もなく眺めていた。感情を失って、ただ流れてくる情報を見つめることしかできなかった。些細なことで心を動かされていた子供の頃を思い出して、切なくなった。


 繰り返される味気ない日常に、心が蝕まれていく。かといって、何か変化を求めていたわけでもなかった。現状をただ受け入れ、なんの行動も起こさなかった。それが自然の摂理のように思っていた。


 こうやって死んでいくのかなあと、ぼんやりと考えるときがある。空に浮かぶ風船が突然破裂するように、僕の命は何の前触れもなく終わりを告げるのだろう。今この瞬間に突然心臓が止まり、命の火が燃え尽きても全然不思議ではない。僕はパソコンの前に突っ伏したまま、誰にも見つからずにそっと死んでいく自分を想像した。なんとなく美しくて、綺麗だと思った。それが人生の真実のような気がした。


 歯磨きをしようと洗面所に向かう途中で、一人の女の子が僕の前に立っているのに気づいた。彼女はふっと微笑んで、こちらをまじまじと見つめていた。


 僕は驚くべきだったのかもしれない。自分の頭がおかしくなったのかと疑うべきだったのかもしれない。せめて声を出したり、目を見開いたり、何かしらの行動をとる必要はあった。けれどもすべてを受け入れ始めていた僕は、何もしなかった。ただ少しだけ自分の瞳孔が広がったのを感じていた。


 現実をありのままに受け入れるとはいっても、突然女の子が目の前に現れることは、なかなかない特別な現象だという認識はあった。僕はその子が現れた理由を知りたかった。それで、いくつかの質問をしてみようという気になった。


「こんにちは。」


挨拶は相手を認める最初のステップだということを、僕は知っていた。


「こんにちは。」


女の子はハキハキと答えた。お互いが見つめ合う時間が、数秒だけ続いた。何を聞けばよいのかパッとは出てこなくて、ドギマギした。


「えっと、僕と君ははじめて会ったと思うんだけど、合ってる?」


「何言っているの?生まれたときからずっと一緒じゃないの!」


呆れたといった感じで女の子はふっと息をついた。この言葉を聞いて、僕は眉をひそめた。生まれたときから一緒?本当だろうか?僕はもう一度その子の顔をじっくりと眺めた。見れば見るほど、彼女とは初対面のような気がした。今までの人生で、こんなに可愛い人に出会ったことはなかったから。


「ごめん。全然君のことを思い出せないんだ。僕と君はどういう関係なの?兄妹とか?幼馴染とか?」


「そういう形あるものではないわ。もっと、目に見えないところでつながっている関係なの。だから、何かの名前で呼べるような間柄ではないわ。強いていうなら、私はずっとあなただったし、あなたはずっと私だったの。そして、これからも…。


 本当に、私のことわからないの?もしかしたら、今まで見えていなかったのかもしれないわ。あなたに何かの変化があって、私の姿がはっきりとわかるようになったのよ、きっと。」


僕に何かの変化があった…?そう言われても、ピンとこなかった。無限に繰り返される生活と同じように、僕自身もいつまでも変わらないだろうと思っていたからだ。

 

 でももしかしたら、そんなことがあるのかもしれない。何かの拍子に、今まで見えていなかった姿、聞こえなかった声、触れられなかった輪郭…。隠されたものが突然、音もなく浮かび上がることが。


「たとえば、僕にどんな変化が起こったかわかる?」


「そうね…。私のことを求めていたんじゃない?会いたいと真に願っていた。だから、私の姿が見えるようになったのよ。


 あなたが望んでいるものしか、目の前に現れない。世界はいつだって、そういう風にできているのよ。」


僕がこの子に会えることを願っていた…?にわかには信じられなかった。彼女の綺麗な音色さえ、心の中で想像したことはなかった。意識できない、心のずっと奥底で彼女のことを呼んでいたのだろうか。


 何もかもわからなかった。でも、わからないままでいいと思えた。


 だから僕は彼女に笑いかけた。


「よろしく。」


「よろしくね。」


そう言って、彼女は微笑んだ。





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僕は生きているよ。 じゅん @kiboutomirai

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