赤と灰

( ぎぃ、ばたん。 )


 ――……。


 私の話を聞きたいというのは、あなた?


 ――……?


 そうよ、私は、3年の岩切かなみ。美術部の。


 ――……。


 ああ、どうでもいいの、あなたの名前は。知りたくもない。


 ――……。


 ええ、よろしくね。あなた、名前は?


 ――……?


 え、普通、そうでしょう? 名乗るのは。お互いに、初めての人なのだから。早く、あなたの名前を知りたいわ。ええ、そうね。早く!


 ――……。


 よかった、礼儀を知っている人で。安心した。前から、そうだろうと、思っていたわ。そうね、知っていた。いつから?


 ――……。


 ごめんなさい、あなたのことに、興味はないの。名前もね。だから、話すのが終わったら、全てを忘れるわ。存在を記憶から消す。忘れたい。


 ――……。


 気を悪くしたのなら、謝るわ。だって、あなたが、あまりに礼儀知らずだから。ふふふ、好きよ。嫌い。汚らわしい。臆病で。嘘つきは。死んで。触るな。忘れるものか。豚め。


 ――……。


 あまり時間を無駄にするものではないわ。命は限られているのよ。永遠に。与えられたの。


 ――……。


 そうね、さっそく始めてしまいましょう。もっとこっちに。来て。近寄りなさい。来るな。消えろ。


 ――……。


 ここに座ればいいのかしら?


 ――……。


 あなたに指図されるいわれはないわ。死ねばいい。


 ――……。


 ええ、ここに座りましょう。あなたも、そこに、いいかしら?


 ――……。


 早くして。待つのは嫌いなの。いらいらさせないで。私を。


 ――……。


 何から話せばいいのかしら? あなたを怒らせないために。ああ、怖いわ。そんなに、にらまないで。もっと見て。見て。私を。何故? 見るな。見て。でも、見ないで。もっと。うふふ。無意味。どうでもいい。とても。気持ち良い。


 ――……。


 そうね、決まっていたわね。こちら側の話。これ以上、私を責めないで。卑怯よ。


 ――……。


 最初に、言っておかないといけないことがあるの。だから、言っておくわ。聞いて。無理を言わないで。いい? これから。いつも。前から、つまらない。がっかりさせる。本当に。残念だわ。予想した通り。あなたも。


 ――……。


 私、言ったわよね? 嘘つきは、死ぬべきだわ。嫌いって。


 ――……。


 ええ、そうね、ごめんなさい。あなたは、嘘を言っていなかったわね。まだ。間違っていた。間違っているわ、あなた。私は正しい。私の方が。いつも、ずっと。


 ――……。


 知ってる? 知らないわよね。知るはずがない、だって、そうでしょう、だって、知って、見たならば、知って、知っていたら、そうならば、あのことは、あんなことは、あの子は。


 ――……。


 だから、何度も言わせないで。駅だったと言ったでしょう? 駅の前に、降り立って、いつもの道を、ただ歩いて。そうしたら、とても綺麗だったの。まぶしくて。そこに、見たの。山に。そこに、あったの。ねえ、わかる? わかって。わかるはずよ。見なさい。私と、同じものを。誰ひとり知らない、皆が見ている、誰も見ていない。ただ私だけの、誰にでも訪れる、夕闇の世界。


 ――……。


 紅茶を飲んでもいいかしら? あなたも。とても香りがいいの。気分が落ち着く。嫌なことを忘れられる。思い出すために。


 ――……。


 扉を開けたの。そう、それは、新しい世界だった。否、古い、懐かしい、怖い、とても怖い、寂しい、優しい、冷たい、温かい、悲しい、涙、もう、無理。我慢したくない。戻りたい。戻れない。埃をかぶった、色あせた、汚い、古い、とても古い、昔の、私の知らない、知っている、懐かしい、明るく輝く景色。


 ――……。


 弟がいたの。私にはね、可愛い、弟。いなかった。いなかったの。どこにも。いなくなった。どうして? あなたのせい。そうなんでしょう? ごめんなさい、違うわね。川。排水路。溺れて。ああ、可哀想に。落ちて。もがいて。手が届かずに。誰にも助けてもらえずに。だって誰もいなかったから。気づかれずに。見つけてもらえたら。見つけたわ。翌朝に。朝焼けが眩しくて、綺麗で。だから、気づいたの。私。気がついた。私は知った。そう、それは、そこに。ずっと、あった。入って、出てきた。そうなの。それが、あちらの世界への、扉。自由に行き来できるはず。私は、そう思うのだけれど。でも、こればっかりは、わからない。誰にも。いえ、きっと、誰もが知る。知らないままの人もいる。それは、切ないわね。同情するわ。私も、知りたいから。どうしても。知るべきよ。皆。皆が。そうあるべきだわ。幸せに、なりたいでしょう?


 ――……。


 魂がね、あちら側に。まだ戻ってきていないの。体だけでは、不十分でしょう? 足りない。そうでしょう? だって、あの子は、まだ、笑ったり、怒ったりもできない。誰に? あなたによ!


 ――……?


 ああ、違うのよ。誤解しないで。嫌わないでほしいわ。怯えないでいいのよ。あなたじゃない。あなたのような、酷い人では、無理。道端の小石ほどの価値もない。同情してあげる。


 ――……。


 だから、言葉では無理だと思ったの。私が、これだけ話しているのに。少しも伝わっていないと感じるの。言葉では通じない。あなたは、あれを、見ているの? 見るべきものを、心に感じている? 嘘よ。嘘ね。嘘だわ。嘘だらけ。嘘ばかり。嘘、嘘、嘘、嘘。うんざり。心底、あきれている。


 ――……。


 絵を描いてきたの。だから、それを見て。これよ。見て。見なさい。目を開いて。パレットナイフで、こじ開けましょうか? さあ、見て。その目で。こちらを向いて。それとも。首だけ。


 ――……。


 タイトルは、断罪、あるいは救済、いいえ、旅立ち、帰還。タイトルは、まだつけていないの。あなたが決めて。感じたままに。この絵は、未完成だから。名前は、必要ないの。もう描けない。

 あなたが、これを見れば、完成する。


 ――……。


湿った、

生ぬるい、

不快な風が、

肌にまとわりつく。


燃えろ、燃えろ、

輝き、揺れる炎。

目を刺し、別れを告げよ。

我、ここにありと、誇らしく。

消えゆくさまを、見届けさせよ。


空と地平線との境を焦がす、

深い深い、血潮ちしおの色。


肌を焼かれ、

肉がはじけ、

骨が砕けども。


痛みも、

嘆きも、

その山の向こうに。


暗い影を、大地に迎える。


最早もはや

妬気ときに飲み込まれることも、

怒りに身を委ねることもない。


物言わぬ。

墓石の下。


長い、永い、夜。

終わり、眠る。


朱い、紅い、人の業。

人のみが、罪を、罰を、背負う。


美しいと感じるのも、

虚しいと嘆くのも、

今宵、この限り。


 ――……。


 あなたには、何が見えたかしら? 何に、見えるかしら?

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八月の葬式 墨ノ江なおき @suminoenaoki

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