Disc.3 誰も相応しくなんてなかった
Fri., Oct. 6
15. 海辺の告白(上)
海沿いのベンチに、2人並んで座る。私たちの間には、ヘルメット。顔のない丸い頭は、なんだかユウヒの分身みたい。クラブ・ジャックのソファを思い出す。音楽でいっぱいの、暗い箱。
ユウヒが言ってた通り、辺りは夕焼けで赤く染まっていた。昨日、古ぼけた教会を染めた静かな赤とは違う。海に沈んでいく太陽は、大声で歌いながら辺りを照らして、きらきらまぶしい。
潮風に乗って、ほんのりと、レモンの葉っぱの香りがした。よく見ると、ユウヒは黒いボトムに黒い革のジャケット。クラブ・ジャックに立つ時の格好とおんなじだ。
もしも今、なにも言えずにいたら。この人はきっと、このまま、私もクリストファーもいない、遠くの世界に行っちゃうんだ。
そう思ったら、私の口が言葉を急かした。
「あの、ク、クリストファーのこと……。ごめんなさい」
「なにについて謝ってるのか、教えてくれる?」
「……あなたを、動揺させたこと。教会で、あなたに言ったことは本当だよ。確かに、クリストファーからは、どうしてユウヒが機械頭になったのか、知ってるなら教えろって言われてた。でも、あなたとジャックでその話をしたのは、クリストファーに言われたからじゃない。それは信じて」
「わかった、信じるよ。2人でいるのを見て、動揺はしたけどね」
「……ごめん」
ユウヒがどこを見ているのかはわからない。肩が正面を向いてるから、海を見てるのかな。それとも、横目で私の様子を窺ってる?
私は、海を見てた。ユウヒのことを真っ直ぐ見るのには、勇気がいる。
「それ、と……。あなたとクリストファーの話を、聞いちゃったことにも。大事な話だったのに」
「まあ、別にそれはー……。予定外だったし驚いたけど、今はもう落ち着いてる。事実確認も済ませたから」
「事実確認?」
「授業の空き時間で、カウンセラーと話したんだよ。兄が……コガネが死んだ時からの担当で、僕の赤毛を知ってる数少ない人さ。クリストファーの名前を出したら、僕の過去の面談記録を見せてくれた」
ユウヒが、私がいる右側の手のひらを上げて、ひらひら振るのが見えた。まるで実感がないと言うように。それでも、思い出を慈しむように、口にした。
「8歳の僕が言ってたんだ。“一番の友達はクリストファーで、大きくなったら、一緒にDJをやるんだ”って」
ああ、だから。だからあの人は、クラブ・ジャックにこだわってたんだ。ユウヒと一緒じゃなきゃ、意味なかったんだ。
なんて不器用な人なんだろう。あんなに威張ってて、人気者で、強気な大男なのに。
「この頭になった時、記憶の変換エラーが出たらしいんだ。生身の頭の損傷と、機械頭のスペックのせいで。でも、誰かのことを忘れてたなんて初めてだったんだ。あの頃の知り合いなんて、もう周りにいないからさ。他にも忘れてる人がいるかどうかは、確かめようがないけど。僕に忘れられて悲しむ人が近くにいるなんて、思ってもなかったな」
潮風が吹く。遠くに見える白波が、夕焼けを浴びてきらきらと輝いてる。足を組んだユウヒのつま先が、風に乗るようにゆらゆら揺れた。
「彼には悪いことしたと思ってる。僕のミスじゃないとしてもさ。当時の記憶はどこにもないから、これから先、思い出すこともないしね」
「今からでも、友達になれないの?」
「……彼にとって、それって嬉しいことかなあ? 同じ思い出を持ってない、昔の友達なんてさ。過去に縛られて、クリストファーのこれからを締め付けることにならないかな」
「そんなこと、ないと思うけど……」
「そのうちに、ちゃんと話すよ。カウンセラーにも、また相談しようと思ってる」
「それがいいね」
ユウヒは、また手を揺らした。
「不思議な話だけど、記憶は消えちゃっても、思考回路というか、ものの考え方は残るんだって」
「考え方?」
聞き返せば、ユウヒは指先で空中に適当な線を引いた。
「獣道と同じさ。何度も何度も歩いたから、姿はなくても森の中に道だけは残ってる。だから、“なにか”を忘れてしまったくせに、“なにか”を目の前にすると、昔と同じ反応をするんだって。思考の癖って言うのかな」
「だから、クリストファーのこと嫌いじゃなかったの?」
「そうみたい。僕はずっと、コガネに似てるからかなって思ってたんだけど」
「クリストファー、ユウヒのお兄さんに憧れてたって言ってたよ」
「うーん……。まあ、似てると言えばそうだけど、コガネはあれよりも正義感が強くて優しくて、音楽のセンスも良かったんだよな」
「お兄さんみたいに、なりたかったのかな」
私が言うと、ユウヒは足の動きをピタリと止めた。首をかしげながら、実感がわかないといった様子で。それでも、わずかな可能性はあるかもしれないと、言いたそうに。
「きっと、そうだ。もしかしたら、僕が思い出すかもしれないって、賭けてたのかもしれないね」
本当のことはわからない。でも、今なら。どんなに小さな可能性でも、あの人は諦めなかったんだと私は信じる。
だって。
「クリストファーにね、“俺の親友だった男を頼んだ”って、言われたよ」
「親友だった、か」
ぽとりと、言葉が膝の上に落ちる。それは、潮風に吹かれて消えてしまったみたい。空っぽの手のひらを、ユウヒは見つめた。
「それはちょっと、寂しいな」
レモンの葉っぱの香りがした。
夕焼けが消えていく。最後の赤い一筋が、光を放って消えていく。空から一面、赤い昼間が消える。
夜がやって来た。新鮮な夜。まっさらな夜。始まったばかりの、暗闇が。
「君が話したかったことは、これくらい?」
「……うん」
「だとしたら、君さ。ひとつ謝り忘れてるよ」
「えっ?」
闇にまぎれて、ユウヒの声は少しだけ弾んだ。人差し指がすらりと伸びて、こっちに肩を向けたユウヒは、笑うように指を振った。
「だって、君に僕の頭の秘密を話した途端、君たちが逢瀬に出かけるんだもの。教会の窓から中を覗いた時の、最悪な気分ったらないよ。本当に、結婚式でもするのかと思った」
「え?」
「うまく言えないけど、君が、僕以外の男の顔を見てるのが、嫌なんだ。しかも、苛々したままドアを開けたらあれだもの。まあひとまず、紛らわしいことしてごめんって言ってくれない?」
「ええと……。紛らわしいことしてごめん」
「うん。気が済んだよ。僕の機嫌を取るのは簡単だね」
ユウヒは、私たちの間に座るヘルメットの上で、鍵盤を弾くようにカタカタと指を動かした。
「謝ってくれたついでに、ひとつ、頼みごとを聞いて欲しいんだけど」
「頼みごと?」
「そう。君にしか、出来ないことなんだ」
「いいけどー……。なに?」
波の音がする。
音楽と違って、それは途切れない。近づいてくるのに、離れてしまう。波はちっとも、そばにいてくれない。
ユウヒは身を乗り出した。まるでダンスを始めるみたいに。ヘルメットの上まで自分の頭を寄せて、私にしか聞こえないように、小さな声で言う。
「君の秘密を、僕に教えてくれないかい?」
「ひ、秘密?」
「そう。秘密。グミパーティーの時、言わなかっただろ? 大きな音が苦手な理由。もしかしたら、今君が苦手な物すべてにつながってるかもしれない、大きな理由だ。それが知りたい」
「な……。なんで?」
聞き返したら、ユウヒは肩をすくめた。
「君と同じだよ。君のことが知りたいんだ。それだけさ」
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