9. 月を踏む

「君、クリストファーと仲良かったの?」


 病院のロビーに座っているユウヒを見つけたら、彼は肩をびくりと上げた。私が来るって、知らなかったみたい。クリストファーに頼まれたって言ったら、この返事。

 確かに、そうだよね。なんでクリストファーと私が……って思うよね。私も、そう思う。


「巻き込んだみたいでごめんね。彼、やけに僕に突っかかるんだよ。クラブ・ジャックで採用されないのを、根に持ってるみたいで」

「……確かにこの前、“俺のこと採用しろってユウヒに言っとけ”って言ってた」

「やっぱり。クリストファーはカリスマ性で盛り上げるタイプだから、よその方が合ってるよ。ジャックにいても、本人が面白くないと思うんだけど……」


 ぶつぶつ言いながら、ユウヒは受付の端末で帰宅の手続きをする。クリストファーがくれたメモが、ユウヒを連れて帰るキーになってたみたい。

 画面を眺めながら、ユウヒは呆れた声色で言った。


「こういうの、大袈裟だよな。僕はピンピンしてるのにさ」

「もう平気なの?」

「そうだね。再起動したら、普通に目が覚めたらしいよ。今回は、エラーも出なかったみたいだし」


 ビアンカが言ってた通りだ……。でも、昔のコンピューターみたいだね、なんて言えるわけがない。言葉を飲み込んで、2人で病院を出た。

 出入口には、メイリのバイク。ヘルメットをユウヒに渡して、もちろん私も被る。すると、ユウヒはヘルメットをしげしげと眺めてからこっちにそれを差し出した。


「僕にこれ渡して来たの、君が初めてだよ」


 ユウヒは肩を揺らして笑ってる。確かに、人の頭の形をしたヘルメットが、ユウヒに合うわけがない。


「ご、ごめん」

「いや、別に。僕も今まで、なんにも思ってなかったや」



 ユウヒをバイクの後ろに乗せて、月明かりの下を走り出す。男の子と2人乗りなんて、もしかしたら初めてかも。

 ユウヒの細い腕は、私の腰をぐるりと囲んでいる。大丈夫かな、私、太ってない……?そんなどうしようもないことを考えてたら、後ろからユウヒの声がした。


「少しだけ、どこかへ行きたいんだ」

「どこか?」

「静かで、綺麗なものが見られるところ、どこか知ってる? 僕は、うるさい場所しか知らないから」


 少しだけ考えて、それから、前にメイリと遊びに行った場所を思い出した。


「いいよ、行こっか」

「やったね」


 背中から聞こえるユウヒの声は、いつもより輪郭がぼんやりして聞こえる。やっぱり、まだ本調子じゃないのかな。倒れた直後だし、病院っているだけで疲れるもんね。

 きっと、元気ないねって言っても、そんなことないって返されそう。だから、私はそれ以上なんにも言わないで、ひたすらバイクを走らせた。



 目的地は、寮から少し離れた森にある川。昼間は散歩してる人もいるけど、今は誰もいない。

 道路から歩いてすぐ行けて、岩も多いけど平たい土地だから、のんびりするにはちょうどいい。


 空には、もうすぐまんまるになりそうな月と、それを避けるように点々と光る星。空には所々雲が浮かんでるけど、あっさり風で流される。だから、電灯がなくてもお互いの姿が良く見えた。


 川の水が流れる、耳をくすぐるような音。風が吹けば木々が揺れる、頭の上でささやくような音。時々、鳥の羽音が聞こえるけど、数は多くない。


 2人で、川沿いの大きな岩に腰を下ろす。ユウヒは、静けさに聞き入ってるみたいだった。森の中は高い音が多い。低いのは、こっそり鳴くフクロウの声くらいかな。ささやかな高音が、私たちの周りを包んでる。


「ああ、月だ」


 空に浮かぶ月が、川の水面に映ってる。流れが穏やかだから、月はゆらゆら揺れるけど、粉々にならずにそこにいる。


「ほんとだね」

「確かに、ここは静かで綺麗だね」

「でしょ?」


 ユウヒの黒い頭がうなづく。いつも通りに見える機械頭だけど、ほんの少しだけ、笑ってる気がした。


「君、今日はなにか面白いことあった?」

「面白くはないけど、友達が倒れたよ」

「じゃあ、それ以外で」


 思い出したのは、あの鳥のことだった。


「生物で、ドードーの進化シミュレーションやったよ」

「絶滅種を絶滅させないってやつ?」

「そうそう」

「君はどうしたの?」

「……確か、空を飛ぶのと、警戒心を高めるのと、毒のある草を食べられるようにした」


 ユウヒは少し黙ってから、閃いたように顔を上げる。


「自分が捕食されないようにってこと?」

「そう! 餌争いにも巻き込まれにくいしね」

「へえ、面白いな。攻撃性は上げなかったんだ」

「うん。ユウヒだったら、どうする?」

「生物、取ってないからなあ……」


 そうやって言いながら、ユウヒはしばらく考え込んだ。その間も、川はきらきらと音を立てて流れ、木々はさらさらと絹糸のように揺れる。


「授業のプレゼンじゃないっていう前提でいいなら」

「どうぞ」

「真空でも、1000度以上の温度差でも、生命維持が出来るようにする。それと、どこまでも空を飛べるようにしたいね」

「……宇宙にでも行くの?」

「そう。人間に認識される前に、急いで地球を脱出して、月へ行く」


 ユウヒが見ていたのは、水面に浮かぶ月だった。空に浮かぶ月ではなくて。


「そしたら、絶滅種だなんて言われない。好きに生きて、地球を眺めて青いなぁ小さいなぁって言って、死ぬまでパタパタ飛んでのんきに過ごすんだ」

「楽しそう」

「だろ? 同じひとりぼっちでも、その方がずっといい」


 ドードーが絶滅した時、当の彼らは、きっとそんなこと考えなかった。人間は、少しくらいは騒いだのかな。それとも、気にしなかったのかな。


「まぁ、少なくとも、今よりはマシさ」


 肩をすくめることもなければ、手をひらひら揺らすこともない。単なる黒い機械頭は、水面の月を眺めていた。

 でも、なんだかそれって。


 私は靴を脱いだ。それから、靴下も。デニムの裾は上げにくいけど、膝下くらいまで上がったからこれでいいや。


「野菊?」


 ゆっくり、水面に足を入れる。冷たいけど、悲しくなるほどじゃない。水面の高さは、すねの真ん中くらい。川の流れが、くすぐったくて心地いい。


 月がある。偽物の月が、足元を漂ってる。月は私の足の甲を撫で、指を、爪を撫でる。

 そっと足を上げると、月は歪む。落ちた影が、形を変える。


 月を踏む。

 ぐにゃりと消えた月が、こっちを笑うみたいに元に戻る。

 もう一度踏む。結果はおんなじで、偽物はまた笑ってる。

 

 私は月の上には立てない。そんなの当たり前だけど。

 ユウヒが1人になるのは、なんだか嫌だった。


「綺麗だ」


 ユウヒの声がした。川辺に座ったままのユウヒを見ると、彼は、こっちを見た後で、顔を上げた。


「ほんとだね」


 私も顔を上げる。本当の月が、紺色の空に浮かんでる。


「なんで、ユウヒのドードー、1羽で飛んで行こうとするの」

「え?」

「私のドードーがいるんだから、連れてってよ」


 ユウヒのささやかな笑い声は、マッチの灯りみたい。肩が揺れてる。


「君、そんな風に言うけどさ。僕らが考えた個体って」


 なんてことなかった。

 彼は、諦めてた。


「どう考えたって、よ」




 寮に戻ると、部屋には誰もいなかった。メイリは出かけてるみたい。

 頭の中で、夜の川の景色がちらちらと光る。目を閉じても浮かぶ、あの光。私が踏めなかった、月の光。

 

 ぽん、と目の前にポップアップ画面が飛び出した。表示された名前は、同じボランティアグループのカイルという男の子。でも、事務的にコードを知ってるだけで、個別で連絡なんてしたことない。

 大きく息を吸う。何度か声を出す。もしもし、もしもし。練習してから応答する。


「は、はい」


 全然声が出ない。声はひっくり返って、かすれて、響かない。ルームメイトが寝てるから、メッセージにしてって言ってみようかな……。

 そう思った時、大きな声が響いた。


『よお、地味子。俺だ、クリストファー』

「やだ! なんで!」

『うるせっ……。声がでけぇんだよ』


 今度は、おどおどした人の良さそうな声がする。多分、これがカイル。


『ごめん、君に用があったみたいで……頼まれて……』

「あ、う、うん、わ、わかった。ありがとう」

『おい、お前、どっか行ってろ』

『はっ、は、はい!』


 うわあ、これがキング……。顔が見えなくても、威圧感が伝わってくる。良くも悪くも、対面と通話の印象に差がない。


「そ、それで、ええと、なにか……」

『ユウヒの件、ありがとな』

「え?」

『人が礼言ってんだから、“どういたしまして”だろうが!』

「ど、どういたしまして……」


 本当に、この人なんなの……。早く会話を終わらせたい。だから、今すぐ本題に入ってほしい。


「そ、それで、なに? て、手短に」

『はあ?』

「あ、あなたと話すの、得意じゃなくて……」

『正直で結構。俺も、地味子にゃ興味ねぇ』

「じゃ、じゃあなんで」


 クリストファーの周りには、誰もいないはずなのに。彼は、絶対に誰にも聞かれたくないように、でも、はっきり聞こえる声で言った。


『野菊。お前、なんであいつが機械頭になったか、知ってるか?』

「え?」

『聞いてんだよ、答えろ』

「し! 知らないよ!」

『なんだよ、いいタイミングで2人きりにしてやったのに』

「べ、別に、他にも話したいこと、色々、あるし……」

『ああ、そーかい』

「……あなたは、知ってるの?」


 私に興味がないと言ったのは、嘘じゃなかったみたい。クリストファーの語気はあからさまにぐったりして、手で追い払うような口ぶりに変わる。


『知ってたら、地味子になんか聞かねぇよ。じゃあな』


 通話はぶつりと切れる。部屋はまた、静かになる。

 なんでキングが、私なんかに通話してくるんだろ。


 住む世界が違うのに。

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