Sun., Oct. 1

3. 土曜日の名残り

「すごいじゃない、今年もダンスパーティー行けたなんて」


 カウンセラーのディアナは、私の話を一通り聴き終わった後で目を細めた。

 この、真っ直ぐなブルネットヘアと初めて会ったのは、私が8歳の時。それからずっと、彼女はこうやって話を聞いてくれる。それがディアナの仕事だからと言えば、そうなんだけど。


「もう、大きな低い音を聞いても動揺することはない?」

みたいに、突然鳴ると心臓がばくばくするんですけど……。音楽なら、割と平気みたいです」

「まだ、少しは落ち着かない?」

「……ちょっぴり」

「でも、大きな進歩ね。今まで、あなたが頑張ってきた証拠じゃない。誇っていいことよ」


 ディアナは笑う時、口角を上げて歯が見えて、えくぼが出来る。観葉植物を背にして笑うディアナは、私にとってお馴染みの姿。


「それに、あなたが言ってた男の子のお友達も。久しぶりでしょ? 男の子とそんな風に話すの」

「はい」

「少しずつ世界が広がっていくのは、とても良いことよ。もちろん、無理はして欲しくないけど、応援してるわ」




 寮に帰って自室のドアを開けると、メイリのお気に入りのポップスが耳に飛び込んできた。歌ってるのは、壁にポスターが貼ってある、美人なシンガー。

 当のメイリはベッドの中でぐずぐずしてるけど、曲が流れてるってことは、起きようとはしてるみたい。


『彼が私の窓辺に立ったって、もう鍵なんて開けてあげないんだから』


 言葉が前に出る音楽は、女の子の声でそんなことを歌った。


「ただいまー」


 声をかけると、布団の中からぼさぼさ頭が顔を出す。昨日の気合い十分なメイクはどこへやら。寝起きだから、声がまだふわふわしてる。


「おはよー。……どっか行ってたのー?」

「カウンセリング。バイク、借りたよ。浮きが悪くなってたから、充電してる」

「ありがとー」


 昨日の夜は結局、寮に戻ってきてもパーティーは続いてた。大盛り上がりの勢いで、今日、二次会って名前のグミパーティーをしようって決まった。

 小さな冷蔵庫を開けると、サイダーの中にグミを入れた瓶。寝る前に作ったから、今日のおやつ時にはいい感じになってるはず。

 食べるのが楽しみで、私は、ディアナからもらったグミを口の中に放り込む。カウンセリング後のご褒美は、8歳の頃からずっとこの味。



 やっと目が覚めてきたみたいで、メイリはベッドの上で大きく伸びをした。


「あー、お腹すいたー! ハンバーガー食べたい!」

「いいね。ドローン、見てみよっか」


 私は右の耳たぶに2度触れた。寮共有の買い物ドローンの管理画面を、宙に表示する。


 ルームメイトになったばかりの頃、メイリは、私が皮下デバイスを操作する度に気味悪がってた。みんながアクセサリーにしてるものを耳たぶに入れてるだけで、耳の形が違うわけでもないのに。もちろん、光りもしない。

 今ではもう慣れっこで、メイリは私の耳に見向きもしない。画面を覗き込んで、嬉しそうに声を上げた。


「1号がハンバーガー買いに行ってる!」

「便乗させてもらおっか。いつものでいい?」

「うん! ありがとー」


 窓の向こうに、空を飛んでいく買い物ドローンたちが見える。イベントの翌日、お昼時の寮の上空ではお馴染みの光景。だって、夜更かしした次の日は、誰だって部屋でゴロゴロしていたいから。

 白くて四角いドローンは、急いでお使いを済ませようと、4つのプロペラをフル回転させてる。でもきっと、休む間もなく次のフライトが待ってるはず。一言、「お疲れ様」くらいは言ってあげたくなる。


 注文を済ませてドローンのことを考えてたら、メイリに、指先で脇腹を突かれた。


「ユウヒにメッセージ送った?」


 背中がぴきっと硬くなる。頭がぼんやりするのに、心臓だけは急にばくばく騒ぎ出す。


「……まだ」

「やっぱり」

「なんて送ればいいと思う?」

「普通に、“昨日はありがとう、また遊ぼうね。お誘い待ってるよ!”で良くない?」

「ほんとに?」

「だってさ、“先日はお声かけ頂き大変光栄でございます。もし貴殿さえ構わなければ、お時間の無理のない範囲でお会いすることを、ご検討下さいますでしょうか”なんて送らないでしょ?」

「それくらいはわかるけど……」

「あっ! あれ、うちのドローン? 行ってくる!」


 びっくりした猫みたいに、メイリは部屋を飛び出した。寝起きだから、お腹が空いてたみたい。ディアナがくれたグミは、半分くらいメイリに食べられてる。


 そのすぐ後に、ぽこんとポップアップ画面が目の前に飛び出した。メイリにそっくり……なんて思ったら、通話してきたのはメイリ。


『野菊、来て! あ、今スッピン?』

「え?」

『いいから、早く!』


 あんまりにもメイリが急かすから、私は慌てて部屋を飛び出した。

 2階の部屋から1階のロビーにはすぐ行ける。買い物ドローンの到着を待っていたのか、ロビーは女の子だらけだ。


「野菊! こっちこっち!」


 玄関の外で、メイリがぴょんぴょん飛び跳ねて手を振ってる。女の子の間を進んで外に出たら、どうしてメイリがさっき、“スッピン?”って聞いて来たのかわかった。


「やあ」


 そこには、あの機械頭のユウヒがいた。



 ユウヒは、黒い頭を向けてこちらに軽く手を挙げる。昨日と違うのは、自転車に寄りかかってるのと、ラフな格好だけ。黒いボトムに少し大きめの青いパーカー、首にヘッドフォン。この頭だと、どこが耳なのかな。

 ユウヒは片方の手をポケットに入れて、もう片方で寮を指さした。


「ここの寮だったんだね、住んでるところ」

「あっ、うん。……あなたも、寮生?」

「まぁ、そのためにここに入学したようなものだし」

「あ、えっと、そうなんだ」


 今までも、ユウヒを昼間の学校で見かけたことはあるのに。こうして向き合うのは、なんだかくすぐったい。だって私は今、デニムにパーカーで、ほとんどノーメイク!

 それに、まだユウヒにメッセージを送ってない。それが一番気まずい。なにを話せばいいの?


「君、ドレスもいいけどデニムも似合うね」

「えっ、あ、あなたも、いいパーカーだね」

「それはどうも」


 逃げ出したいけど、近くにいるメイリから無言の圧を感じる。今ここで、「それじゃあまたね」なんて言って帰ったら、きっと後でこっぴどく叱られる。グミを全部食べられちゃうかもしれない。

 話さなきゃ、話さなきゃ。


「あ、あの、どうしたの?」

「ここのドローンが、充電切れでうちの寮に不時着してさ。だから、引っ張って来たんだ」

「あ……。そうだったんだ。ありがとう」

「どういたしまして」


 メイリは、私たちの会話に興味津々。昨日パーティーで踊った子を“くるみ割り人形の方がマシ”なんて言ってたのに。好奇心をくすぐられたのか、顔のないユウヒに話しかけた。


「女子寮に1人で来るなんて、勇気あるじゃん」

「1人じゃないよ。我らがキングも一緒」


 ユウヒが指差す方を見ると、寮の前に人だかりが出来ていた。女の子に囲まれているのは、背が高く肩幅の広い男の子。もう秋口なのに、筋肉質な腕を見せつけるような半袖のTシャツを着てる。彫刻みたいな顔には、こげ茶の髪と青い瞳、凛々しい眉毛と真っ白な歯。

 あれが、昨日キングに選ばれた上級生。名前は、クリストファー……だったかな。もちろん、話したことは一度もない。


「アンタ、キングと仲良いの? すごくない?」

「仲良くはないよ、違う世界の住民さ。やる気満々の新米寮長様に、手伝えって言われただけ」


 私たちの視線に気付いたクリストファーは、ご機嫌な様子で軽く指を振ってくる。あれが“ファンサービス”ってやつ? ファンになった覚えはないけど……。


 その光景に、ユウヒは呆れた声で呟き、メイリはなにかを閃いたような声を上げた。


「あれじゃ、しばらく女の子たちが離してくれなそうだ」

「ねえねえ! どうせなら、野菊とランチすれば?」

「せっかくのお誘いだけど、これからやることがあってね。そろそろ戻るよ。お詫びに、区切りが付いたらメッセージ送……」


 そこまで口にすると、一度言葉を引っ込めて、ユウヒは肩をすくめながら自転車にまたがった。


「そうか。僕は、野菊のコードを知らないね。まあいいや、よいランチを」


 こちらに背中を向け手を振って、ユウヒは自転車で帰っていく。その後ろ姿を眺めていると、視界に無理矢理メイリが入り込んできた。


「ほら。アイツ待ってるじゃん」

「……そうかなあ」

「そうだよー! 今すぐ送れーっ!」


 勢いよくメイリが抱きついてきて、私の体をぐらぐら揺らす。ぐらぐら揺れる視界の中で、ユウヒが乗った自転車も、一緒になって揺れている。


「……わかった!」


 私はぐいっと体を止め、通信画面を表示してアドレス一覧を開いた。彼の名前は、新着順の一番上でじっとしている。

 宙に浮いた名前をタップして、“パーティーとランチをありがとう”と打ち込んだら、何度も何度も文を確認して、目をギュッと閉じて送信!


「送った!」

「偉いーっ!」


 また体を揺さぶられる。メイリと一緒にぐらぐら揺れて、2人で笑った。向こうに見えるユウヒが、片手を大きく上げて拳を振るのが見える。

 もしかして、メッセージに気がついた?


「ほら、喜んでるよ」

「……そうかなあ」

「そうに決まってるじゃんー」


 こんな遠くにいたら、ユウヒがなにを考えてるのかなんてわからない。違う、どんなに近くにいたって、誰のこともよくわからない。

 その時、あからさまに大きく、私のお腹がぐう……と鳴った。もちろん、私にくっついていたメイリにも聞こえてたみたい。にやりと笑われて、私まで笑っちゃう。


「ハンバーガー、取りに行こ」

「そうだね」


 浮き足立つ女の子たちの声を通り過ぎて、寮に戻る。そこにあるのは、ユウヒがいないいつも通りの景色と、ハンバーガーの香りだった。

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