鍋奉行の姫様と大軍師のわんこ

第四十四話 逢いたい

　触手に張り付き、二本の足で駆け上がるシークイズ。振り払われると、漆黒の糸を射出し、弾力を利用して戻ってくる。

　振り子の要領で、マーロックの巨大な身体をぐるりと旋回。腕が振り下ろされたら、回避して触手に張り付き、顔面を目指して疾駆する。

　シークイズが蜘蛛タイプのデモンブレッドだから成せる戦い方だ。

　蜘蛛は本来、体毛の摩擦で、壁や天井に張り付くのだが、彼女にはそれがない。ゆえに『魔力』を利用している。掌や靴底に粘着性のある魔力を帯びさせることで、縦横無尽の移動を可能にする。

「屈辱は晴らさせてもらうぞ、マーロック」

　剣によって肉を裂く。だが、マーロックには蚊に刺されたほどにも効かない。

　――狙うなら目か。

　とりあえず、その辺りからやってみようとシークイズは思った。

　糸を付着。遠心力を使い、マーロックの背後へと回ろうとしする。その時、巨大な腕が振るわれた。回避できたのだが、腕の一部から新たな触手が飛び出してくる。

「なッ？　がはッ！」

　バチンと、鞭のように打ち据えられるシークイズ。雲の彼方まで弾き飛ばされそうだったが、すかさず糸を粘着させておいた。弾力を利用して、戻ってくる。

　触手を切り裂き、さらに距離を詰めて、マーロックの肩へと着地する。ごふ、と、口から血液がこぼれた。

「あ、案外……軽いぞ。六惨将とはいえ、この程度か。わ、笑わせるッ！」

　その時だった。ドゴン！　という爆発音が聞こえた。振り向くと、マーロックの巨大な触手のひとつが、蒼き火柱によって消し飛んでいた。

「……ふ、うちの筆頭もなかなかやるな」

☆

「デカけりゃ強えと思うなよ、このタコジジイがぁッ！」

　リオン・ファーレが吠えていた。蒼炎渦巻く大地の真ん中で、怒りの表情を貼り付け、一歩また一歩と距離を詰める。

　さすがは、最強に数えられるひとりである。触手ひとつ破壊するのも、並のデモンブレッドでは不可能だろう。

　リオンの炎は再生をさせない『呪われた炎』だとマーロックは聞いている。だが、マーロックの再生は特殊で、リオンの呪われた炎を意に介さない。

　マーロックの肉体を構築しているのは『竜の群れ』だ。大小様々な偽ウシュロドラゴンが、筋繊維のように絡み合って図体を成している。

　小さいものは蛇ほど。大きなものは塔ほど。マーロックは、それらを魔力で『分裂』させることができるのだ。ゆえに、リオンが焼き尽くしたのは、数多の竜であって細胞ではない。失った竜は、魔力によって何度でも『増産』できるのである。

　システムの違いで、不死蝶（リオン）の炎はマーロックに通用していない。もちろん、竜を増産することで魔力は消耗するのだが――マーロックの魔力は無尽蔵と言ってもいい。このまま戦い続けても、枯渇するまでに幾年かかるか本人にもわからない。

「あ？　なんで再生できッ――おグぶちゃ！」

　触手が再生した瞬間、大地を砕かんばかりにリオンへと叩きつける。リオンはミンチになった。それでも復活し、再度蒼炎を巻き起こす。触手を消し飛ばした。

「はぁ、はぁ……調子に乗ってんじゃねえぞ、このタコ野郎が……ッ！　六惨将だか魔王の右腕だが知らねえが……特Ｓ級のデモンブレッドを舐めんじゃはぐわらべしゃッ！」

　また、元に戻った触手が、リオンをぺしゃんこにする。

「腹が……腹が減った……ああぁあぁぁぁああぁぁッ！」

　食欲は生物にとって当然の欲求だ。本来のスケールとなった食いしん坊のタコにとって、それを制御するのは至難であった。欲望の檻から解き放たれたマーロックは『とりあえず』という軽い気持ちで、腹を満たそうとする。

　魔力で抑えてきた食欲が爆発する。

　触手が城壁へと叩きつけられる。魔法によって強化されたそれも、一瞬で半壊した。

「食うぞ！　食うぞッ！」

　全身から、小型の偽ウシュロドラゴンを解き放つ。それは、国中の生物を食らわんと宙を泳ぐ。魔物や人間を見つけると襲いかかる。シュルーナ軍もリーデンヘルの兵も、それらの対応に追われるのであった。

☆

「……まさか、マーロックがヒュドリアであったとはのう。父上め、教えてくれても良かったのじゃ」

　本陣。シュルーナは、空を見上げながら溜息をついた。

　ヒュドリアの御伽話は読んだことがある。父が討伐した話も、本人から聞かせてもらったことがあった。ただ、マーロックがそれであることは聞かされていなかった。そもそも、父が『ヒュドリアは俺が倒したんだぜ』というのも、冗談にしか思っていなかった。

　このままでは、奴の産み出した小型のウシュロドラゴンによって、生物という生物を食い尽くされてしまうであろう。

　轟、と、火炎が空を焼いた。

　数多の小型ウシュロが灰へと変わる。

　その灰を吹き飛ばすかのようにして、巨大な飛竜が推参する。シュルーナの御前に降り立ち、飛竜の首から『ヒュレイ』が上半身を出現させた。

「姫様、ご無事でしたか」

「うむ。しかし、いつまでもつかわからんな」

「マーロックはリオンたちが食い止めておりますゆえ、姫様は撤退を」

「逃げればリーデンヘルの信用も失う。立て直せぬぞ」

「きっと、マリルクとミゲルが新たな策を授けてくれます」

「そのミゲルはどうする。あやつは、まだリーデンヘル城におる」

「わたくしが助けます」

「わしだけ逃げるのものう……。仲間がいなくなるのは、まっぴら御免じゃ」

「意地とプライドでどうにかなる局面ではございません！」

　もし、マーロックを倒す可能性が万に一つでもあるのならば、命を懸けて実行するべきだとシュルーナは思った。撤退を愚かとは思わないが、この大戦（おおいくさ）で逃げたら、野望など泡沫となる。

　この一戦、それほど重い。

「わしはあきらめておらぬ……。ヒュレイよ。行きたい場所がある。運んでくれぬか？」