第三十七話 その狼は一縷の望みを置いていった

 翌日


「マーロック様。どうやら、姫様が最後の戦を仕掛けてくるみたいっすよ」


 キルファは、シュルーナ軍の布陣を見てそう言った。


 シュルーナ軍は、城の包囲を大部分を解いた。そして、その戦力を東に布陣するマーロック軍へと向けている。その数、約14000。


 対する、マーロック軍は10000だ。だが、侮るなかれ、兵の質が圧倒的に違う。正面からぶつかり合ったところでパワー負けはしない。


 そして、シュルーナはリーデンヘル方面へも5000の兵を配置している。そちらの指揮はリオンだ。フロラインが出陣してきた場合への対処なのだろう。


「リーデンヘルが動く前に、自ら戦局を動かす、か」


「こっちに狙いを定めたってわけっすね。運が良けりゃ、リーデンは傍観をしてくれるかもしれないっすから。……家臣を殺された割には冷静。案外現実を見てるっすねえ」


「でもでも、キルファちゃん、姫様的にそれっていいの? せっかく追い詰めたリーデンヘルでしょ? 包囲を解いたら、逃げられちゃうかもじゃない?」


 ハートネスが、頭の悪そうな質問をしてくる。


「良くはないっすよ。けど、奴らはベストだと思ってるんす。包囲を続けたまま、うちらに勝てると思ってないわけっす」


 バランス良く配置し、あらゆる懸念に対応する布陣。基本に忠実な『そこそこ兵法に通じている者』が選びそうな戦い方である。


「もはや、姫様にはブレインがいない」


 リオンは戦バカである。シークイズも、先日の戦を見るに同じだ。ヒュレイとかいうのもいたが、姫様以上に頭がいいとは思えない。シュルーナはまあまあだが、それでもキルファやマリルクには到底及ばない。そして、あの狼っ子は……多少頭が切れるような気がしたが、氷の中にいる。


 ――キルファは、城壁にある巨大な氷の棺に視線を馳せる。


「……おそらくリーデンヘルも動くっすね。かなり派手な戦になるっすよ。ハートネス、先陣は任せるっす」


「あいあいさーです。任せてキルファちゃん。――絶対に、マーロック様の手はわずらわせないから!」



「――ついに、始まる」


 フロラインは、城壁から大地を眺めていた。悍ましい魔物が、景色に広がっている。戦が始まるのを、今か今かと待ち望んで高揚している。


 ――思えば、長い戦だった。


「そして、ようやく終わる……」


 そう言って――フロラインは、氷柱に閉じ込められたミゲルを見上げた。


「……姫様。本当によろしいのですか? まだ、取り返しがつきます。シュルーナ軍との約束を反故にし、漁夫の利を得るという手も――」


 若き将軍ロカードが、フロラインに語りかける。


「なに? あたしの決めたことに文句があるの?」


 ぎろりとフロラインは睨む。しかし、ロカードは落ち着いて首を左右に振った。


「計画どおりマーロックを滅ぼしたとしても、シュルーナが約束を守るとは限りません。それに万が一、約束したように同盟が成っていたとしても、民からの顰蹙は免れますまい。どっちに転んだとしても、姫様にとっての地獄。このロカード、それだけが心配であります」


「覚悟の上よ。あたしは、この六将戦争の未来を想った。とにかく、長引かせない。とにかく人を死なせない。そのためには、シュルーナの味方をするのが一番だと思った。この犬っコロを信じるのが最善最短だと信じた」


「…………姫様にそのお覚悟あらば、もうなにも言いませぬ。我ら兵は、姫様と運命を共にします」


 前回、フロラインが出撃したときは1000の兵しか動かせなかった。だが、今回は違った。


 9000の兵がフロラインと共に戦ってくれる。もう、兵は疲れていたのだろう。早く終わりにしたいと思ったのだろう。長引く戦に、出口の見えない未来。そして、マーロックという絶望的な新手。


 まあ、それでも理解できない者はいた。大臣のガンディスは、最後まで日和見を決めていた。いや、彼はこの戦が終わった後のことを考えていたのだろう。魔物に与(くみ)するフロラインを糾弾し、排除する考えか。


 それに賛同した幾分さんぜんの兵は従わなかった。だが、十分だ。


「いくわよ、ロカード。この一戦、必ず勝つ」


「はい」


「そして、誰もが笑って鍋をつつける世の中をつくる」


「鍋、ですか?」


「ええ、それがシュルーナの望みらしいわよ」



 馬に跨がり、大軍の背後へと控えるのはシュルーナ・ディストニア。彼女は、笑みを浮かべながらつぶやいた。


「……ミゲルは軍師に向いておるのかもしれんのう」


 肩を並べるシークイズが返す。


「彼がですか?」


「命知らずで奇抜。マリルクとはまったく真逆の性質を持っておる。――此度の策と調略、見事だと思わぬか?」


「しかし、フロラインに騙されている可能性もあります。彼女は裏切るかも」


「それはない」


「なぜですか? 彼女は魔王様を殺した逆賊です。どんな手を使ってくるか――」


「わしは個を見ておる」


 フロラインは、義に厚く責任感のある人物だとシュルーナは思っている。そうでなければ、他都市から押し寄せる民を受け入れたりはしない。高慢でプライドも高いが、確固たる信念のもと君臨している。そうでなければ、シュルーナはとっくに滅ぼしていただろう。


「あのタイプは騙し討ちはせん。正々堂々裏切ると宣言してから裏切るタイプじゃ」


 邪な考えを持つような輩であれば、最初から降伏勧告を受け入れ、騙し討ちをするぐらいしていたはずだ。シュルーナは、もう信じると決めている。この局面で、それすらもできないのであれば、人間との共存などできるわけがない。


「――わしは、おぬしを信頼しておるから側に置いておる」


「嬉しきお言葉にございます」


「リオンが信頼できるから、負け戦を任せておる。ヒュレイが信頼できるから、前線を任せておる。マリルクが信頼できるから、城を任せておる。チャコが信頼できるから、調理場を任せておる。ミゲルが信頼できるから、調略を任せておる。――優秀なだけではない。信頼できるからこそ、わしは家臣を頼っておるのじゃ」


「はっ」


「じゃが、マーロックのように信用も信頼もできぬ者もおる。奴は、打ち倒すべき敵じゃ」


「ごもっともでございます。このシークイズ・レモンチューラ。汚名を返上すべく、必ずやマーロックを討ち取ってご覧に入れます」


「うむ。頼りにしておる」


 ――シュルーナは、馬上でお玉を掲げた。


「皆の者! 我が軍の未来はこの一戦にありッ!」


 魔物たちが、応えるかのように咆哮する。それを突き破るかのように、シュルーナも負けじと声を張り上げる。


「敵は、マーロック・ジェルミノワじゃ! わしの理想とする、誰もが鍋を続ける世の中を邪魔する悪鬼じゃ! ――奴のクビ、我が前に差し出して見せよ!」



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