第三十四話 Mな狼とMな竜

「お腹……すいたな……」


 投獄されてから、一日が経過。僕はまったく役目を果たせていなかった。フロラインさんはおろか、大臣や兵士の人とも会話できていない。


 このままだったら、全面戦争になってしまう。いや、もう始まってしまってもおかしくない。ため息をつくことしかできなかった。


 けど、その時だった。廊下の奥から早足の靴音が聞こえてきた。


「誰だろう……?」


 靴の音が、鉄格子の前で止まった。


「おい、犬っ子」


「へ? ふ、フロライン様?」


 清流のように澄んだ声。凜々しく美しい御身。紛う事なきフロラインさんだった。これで、お話しができる!


「あ、あのっ、聞いてください!」


「うるさい! 勝手に喋るな!」


 フロラインさんは、腕を大きく動かした。鉄格子が一瞬で凍りつき、ひび割れ、ガラガラと崩れていく。


「ひっ!」


「あんた、大臣に言ったのよね――北に動きはない。マーロックとも揉めていないって」


「え? あ、はい!」


「……ついてきなさい。少しでも妙な真似をしたら、氷漬けにしてバラバラにしたあと、腕を背中にくっつけてキマイラみたいにしてから、門の飾りにしてやるんだからね!」


 うう、勇ましくも優しい人だと思ってたのに、こんなに怖い人だったとは……。


          ☆


 城壁へと連れてこられた僕は、千里眼でシュルーナ様の本陣を見た。


「よかった……お変わりないみたいだ……」


 僕は、ほっと胸を撫で下ろす。


「何が『よかった』よ! あれはなんなの!」


 フロラインさんは、僕の犬耳を両手で摘まみ、強引に向きを変えた。


「痛たたたっ! ……え、ええっと、あれは……えっ! ええっ?」


 視線の先に現れたのは、10000の軍勢。しかも、あの旗印は――。


「あれ、マーロックの旗印よね?」


 ――うねった竜が『M』の文字を構築する禍々しいマーク。マーロック軍の旗印だ。兵は彫刻のように動かない。まるで得体の知れない宗教集団を見ているようだ。


「ま、マーロック・ジェルミノワ……?」


「どういうこと? あんたたち、手を組んでたの? あたしたちを騙したのッ!」


 フロラインさんの怒声に合わせて、氷点下の風が僕の髪をぶわりと持ち上げ、凍りつかせてしまう。オールバックになってしまった。寒くてちんちんが縮んでしまう。


「ち、違います! 書状は本物ですし、マーロックは……そのっ――」


「なんであいつがいるのよ!」


「そ、それは……」


 僕は城壁から戦場を見渡し、布陣を確認する。


 ――どうやらマーロックは、姫様にとって招かれざる客のようだ。シュルーナ軍は、リーデンヘルを包囲しつつもマーロック軍を意識した布陣になっている。南門担当のリオンさんが、本陣の守りを受け持っているのが証拠だ。


 マーロックの狙いは漁夫の利か。姫様がリーデンヘルを攻めれば、マーロックが横槍を入れる。かといって、マーロックを攻めればリーデンヘルに隙を見せることになる。最悪の三竦みだ。僕は、頭を抱えたくなった。


 ――いったいマリルク先輩は何をしていたのだ!


 あの人は、ベルシュタットを守ると豪語したハズだ。なのに、なぜこのタイミングでマーロックが現れるのだ。もしかして寝返った? 


 いや、あの人は言っていた。臆病だけど、シュルーナ様を裏切ることはないって。じゃあ、これもマリルク先輩の策略の内なのだろうか――。


「どういうつもりなの、シュルーナも、マーロックも」


 どこまで説明するべきか……。


 普通に考えれば、敵に不必要な情報を与える理由はない。これは、ある意味リーデンヘルにとっての好機なのである。シュルーナ様とマーロックが潰し合ってくれたら、これ以上の幸運はないのだろう。


 しかし、それでもリーデンヘルは滅びる。その漁夫の利を許すほど、僕たちもマーロックも甘くはない。――だから、僕は打ち明けることにした。嘘をついて通用する局面でもない。。


「……おそらくですが、我が主はマーロックのことを歓迎していません」


「ふん。そんなの布陣を見ればわかるわ。舐めないでちょうだい。――ま、要するに、あんたたちも攻められているわけね。いい気味だわ」


「しかし、これはリーデンヘルにとって最悪の状態です」


「適当なこと言うと、流氷にして漂流させるわよ?」


「て、適当じゃないです!」


 リーデンヘルに力は残されていない。少ない兵糧を、兵士を中心に分け与えている状況だ。待てど、戦えど、リーデンヘルの行き着く先は地獄である。


「私たちは強い。どれだけでも耐えてみせるわよ」


「フロライン様は、耐えられるかもしれません。しかし、民は――」


 また、空気が冷たくなった。

 僕の犬耳がぷるんと震えた。


「黙れッ! もとはといえばあんたたちのせいじゃないの! 平和に暮らしている人間を襲って! 殺して! 国を滅ぼそうとしている!」


 ごもっともだ。魔物は、縄張りに入った人間を襲い、時には食らい、組織して人間の住む場所を侵略してきた。けど『仕方のないこと』だと僕は思っている。


「それは……当然でしょう……」


「さすがは卑劣で邪悪な魔物ね! 開き直るなんて!」


「いえ、それが自然界のルールです。けど人間は、その弱肉強食(いろ)が見えていないだけなんです」


 魔物は、食事のために他の生物を殺す。縄張りを護るために攻撃する。人間も、生活する上で家畜や魚を食べるし、住む場所を護るために城を構える。


 ただ、人間は臆病で貪欲なのだ。少しでも快適な生活を送るため、敵となる生物は皆殺しにする。食糧の安定供給のため、家畜を飼育する。食べられるために、生まれてくる生物がいるのである。すべてをコントロールしようとしているのだ。


 戦争はいけないことだし、残酷なことである。ただ、それは人間も魔物も同じ。魔物だから卑劣で残酷なのではない。平等に残酷で必死。そして、生きたいという気持ちも同じぐらい強いのだ。


「そういう意味では、人間がもっとも弱肉強食を体現していると言っても過言ではありません。ですが、力のある人間が、それを強いるならば、他の生物は否応にも蹂躙されるしかないでしょう。残酷であっても、ある意味自然なことです」


「残酷? 魔物の方がよっぽど残酷よ。人間を殺して食べるんだから」


「普通の食物連鎖なんです。人間だって、他の生物を殺して食べるでしょう?」


 これからも、人間は動植物、時には魔物も食べるだろう。魔物だって、食べられたくないから抵抗するし、腹が減れば他種を食らう。それが普通なのだ。ただ、彼女はその『普通』を受け入れず、人間だけが特別な存在だと思っている。


「ふん、価値観の違いね」


 僕は、再び布陣を眺めた。この戦の行く末はどうなるのか。混戦になれば、例え勝ったとしても多大な被害を受ける。――ならば、やることは最初と同じだろうと思った。


「フロライン様。……降伏の件……考えてくださいませんか?」


「バッカじゃないの? シュルーナも追い詰められているってのに、みすみす従うわけないじゃない。あはっはー! マーロックのおかげで光明が見えてきたわ」


「マーロックを利用したとて、この三竦みからリーデンヘルが生き残るのは至難の業。しかし、降伏さえしてくだされば、状況は一変します。我々には、受け入れる準備があります」


「断る。そもそもあんたたちを信用していない。信頼もしていない」


「我が主はお優しい方です。世界を統一した後は、人間も健やかに生活できる未来を望んでおります。魔物と人間が共存できる未来を、唯一成し遂げられる御方なんです。――けど、マーロックは違います。彼は、魔王様を殺した人間を憎んでいます」


「シュルーナも憎んでるんじゃないの? あいつのパパを殺したのは、私たちよ?」


「世界のためを思えば、そんなことは些末だとおっしゃっております」


「信用できない。そもそも、あたしたちが魔物を恨んでいる。ずっと魔物に怯えて暮らしてきたのよ? 大勢の死傷者が出た。組めるわけがない」


「僕たち魔物も、人間に大勢殺されました。僕の家族も殺されました」


「あっそ」


 つっけんどんに言い放つフロライン。


「……フロライン様は、イーヴァルディアの森に住む、シャーマンウルフの群れを覚えていますか」


「なにそれ。覚えているわけ――え……シャーマンウルフ……?」


 フロラインの表情が、ほのかな陰りを見せた。


「僕はシャーマンウルフのデモンブレッドです。昔、勇者たちが縄張りへと入ってきたことがありました。僕の家族は縄張りを守ろうとして、皆殺しにされました。フロラインさんも、その場にいたのではないでしょうか。僕は、悲しくて悲しくて、わんわんと泣き続けました。けど、強く生きていかなければならないから、こうしてシュルーナ様に仕えているんです。シュルーナ様も同じです。魔王様が殺されても、人間と良い関係を築きたいと思ってるんです」


「し、知らないわよ! あたしには関係のないことね!」


 腕を組んで、プイとそっぽを向くフロライン。


「そうかもしれません。ですが、フロライン様が決断してくださることで、大勢の命が救われるのです。感情を殺し、未来だけを追い求めれば」


「簡単に言ってくれるわね」


「民からは、悪魔に魂を売り渡した魔女だと、石を投げられましょう。けど、なんの問題があるというのですか。民の命と未来には、仕打ちを受けても余りある価値があるハズです」


 わかってる。僕の言ったことには、理と利があっても『感情』がない。けど、ここで僕たちが手を組めば、最悪の未来は回避できるかもしれないのだ。


「……卑怯ね。さすがは魔物だわ。過去の話を持ち出すなんて」


「やはり、あの場にいたのですね」


 フロラインさんは、腰にぶら下がっていた剣を抜いた。そして、僕の前へと放り投げた。


「拾いなさい」


「は?」


「いいから」


 僕は、それを掴んだ。すると、フロラインさんは刃を素手で持ち上げ、なんと自分の肩へと置いたではないか。


「な、なにをッ?」


「聞きなさい。――ええと、名前は……」


「ミゲルです。ミゲルシオン・ユーロアート」


「ミゲル……あたしは、あなたの家族を殺したかもしれない。ううん、殺した」


 フロラインさんの表情が冷たくなった。真っ直ぐに僕を見つめていた。


 あの日、勇者リシェルが、早く森を抜けたいと駄々をこねたので、地理に明るかったフロラインさんが、街道から逸れた近道を案内したそうだ。そうしたら、シャーマンウルフと遭遇した。


「ちょっとした気まぐれ。リシェルが文句を言ったから、面倒臭くなってあの道を進んだ」


 厄介な魔物に囲まれ、リシェルはフロラインのせいだと嫌味を言った。


「じゃあ、あたしが責任を取れば良いんでしょ……って、シャーマンウルフのほとんどを、あたしが殺したの」


 ならば、目の前にいる彼女こそ、僕の本当の仇ということになる。僕は、剣を握る拳に、ほんの少し力が入った。


「あたしがいなければ、あんたは群れの仲間と一緒に平穏な暮らしができた。戦争なんかに駆り出されずに済んだ。……憎いでしょ?」


「……憎くない。と、言ったら嘘になります」


 優しかった家族の顔を思い出せば、悲しみと憎悪の感情が溢れてくる。無念を晴らしてあげたいという気持ちにもなる。


「それが正しいわ。生物から感情を消すことは無理なの。これが、シュルーナと手を組めない最大の理由。人間もデモンブレッドも心で生きているから。……さ、力を込めて、剣を引いてみなさい。家族の仇をとれる最初で最後のチャンスよ」


 たしかに、仇を取る絶好の機会だ。けど、彼女の考えていることがわからない僕じゃなかった。彼女は、罪悪感から吐露した。そして同時に、試しているのだ。僕が殺そうとした時『やはり投降などできるわけがない!』と、彼女は納得できる。


 そして、五英傑のひとりなのだ。たぶん、この状況からでも僕に殺される彼女じゃない。そんな打算的な考えを抜きにしても、僕は彼女を殺すことはできない。


 僕には、シュルーナ様の掲げる『誰もが笑って鍋をつつける世の中』を実現したいという大望がある。それを思えば、僕の感情など些末なものである。だから――。


「僕は殺しません」


「後悔するわよ。心の奥底に、ずっと淀んだものが残る」


「残りません。絶対に」


 彼女は世界に必要な人だ。だからこそ、僕は命を懸けて、ここへ足を運んだのだ。


「僕は、自分のためだけに戦っているのではありません。姫様のため、世界のため、理想の未来のために戦っているのです。その大望は、憎しみすらも越えます」


「あたしは、魔物が大嫌い」


「感情すらも捨てるべきです。僕はできました。シュルーナ様もです。フロライン様もできるはずです。それを、皆に伝播させましょう。苦しい道のりとなります。ひとりに理解させるのも、凄くパワーのいることです。けど、それを乗り越えた時、魔物と人間が笑って『鍋』をつつける未来が訪れます。どうか、力をお貸しください」


「……は? ……鍋?」


 僕は剣を置いた。そして跪いた。


 しばらく、沈黙が漂った。空気が冷たくなったり、ぬるくなったりした。たぶん、フロラインさんが迷っているからだと思う。


「近道なんて、子供みたいなことをした。それだけで、あんたの家族は死んだのよ」


「承知の上です」


「引き返すこともできた。けど、リシェルを黙らせるために、殺さなくてもいいあんたの家族を殺した。あの時は、ワカサギを蹴散らすような感覚だった」


 悔しくて涙が出そうな言いぐさだった。けど、ぐっと堪える。


 僕にはフロラインさんの気持ちがわかるからだ。自分に恨みを持つ魔物ぼくが、感情を捨て、民や仲間のために生きようとしている。それを、認めたくないんだ。だから、心にもないことを口にしているんだ。


「それでも、僕はフロライン様を殺せません。未来のためにも、殺したくありません」


「バカね。あたしを信じられるの?」


「信じます。あなたの戦う姿を見ました。フロライン様こそ、この国の希望です。潰えてはならぬ光だと感じました」


 僕の家族の死は、彼女を成長させるためにあった。今の僕は、そう信じている。再びの沈黙があった。あって、彼女はぼそりとつぶやいたのだった。


「……降伏はしない。絶対に……」


「しかし――!」


「うるさい! 黙れッ!」


 僕の言葉を押し込むかのように、フロラインさんは続けた。


「――けど…………同盟ならいいわ」


「同盟……ですか?」


 圧倒的不利な状況でありながら、同盟というのはあまりに虫が良すぎる。さすがに、シュルーナ様もお認めになるだろうか。マリルク先輩なら、どうお考えになるだろうか――。


 ――その時、僕の背筋が凍り付いた。


 もしかして、マリルク先輩はこの状況を望んでいたのか?


 ベルシュタットで、どういう攻防があったのか僕は知らない。けど、この三竦みの状況で、シュルーナ様のほとんどの兵力がこの地に集っている。同時に、リーデンヘルとの『良好な関係』を築かなければならないという窮地。


 シュルーナ様とフロラインさん。このふたりが手を取り合わなければ成らない状況をつくるがために、あえてマーロックを送り込んだのではないか。事実、シュルーナ様もフロラインさんも食指が動いている。そうせざるをえない場面に直面している。


 ――ならば、成さねばならないだろう。


 マリルク先輩の意思をくみ取れるのは、この現在いまには僕しかいない。シュルーナ様の道を用意するのも僕しかいないのだから。


「――人間も魔物も笑って暮らせる世界を作る。邪魔する奴は、すべてぶっ飛ばす。そのために感情すらも贅肉だという理屈はわかった。あたしも、それに一枚噛ませてもらう」


「しかし、同盟となれば、関係は対等。我々と肩を並べ、人間とも戦うことになるかもしれないのですよ?」


「承知。人間同士でも殺し合いはする。魔物に組みすれば、まあ、あたしは世界から非難されるわね。でも、あんたたちと戦争して思った。あたしは、いい子を演じすぎた。大人の顔色を窺ってた。けど、もういい。リシェルが魔王を倒しても世界は平和にならなかった。人の意見に従っても、良い結果が得られるとは限らない。これからは、人の期待する行動はしない。人のために自分でやるべきことを決める」


「我が主との対等な関係……それが叶えば、手を結ぶと」


「面目があるなら、あたしが下でもいい。けど、誤った道を進もうものなら、シュルーナもあんたも永久凍土の中で永遠に眠ることになる」


「兵が従いますか?」


「従わせてみせる。それぐらいできないで、なにが女王よ。己を削り、我が道を行く。例え、人間の99%があたしを拒絶しても、志のある残り1%がいてさえすれば、それこそ国。リーデンヘルである」


「その言葉、本心ですね?」


「くどい。同盟こそが、フロライン・リーデンヘルの最大の譲歩よ。そう、伝えなさい。あたしは、六惨将シュルーナと共に行く」


「わかりました」


 僕は、深く頷いた。


「その覚悟があれば、きっと我が主は喜ばれるでしょう。必ず……絶対に、この同盟は成し得ます。僕が、必ず結んで見せます」


「書状を書くから待ってなさい。あなたも帰らせてあげるわ」


「――いえ、書状は必要ありません。それよりもお願いがあるのですが……」


 この同盟は必ず上手くいく。そうせざるをえない状況なのだ。ならば、僕は次の手を考えなければならない。


「なに?」


「――僕を殺してくれませんか?」


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