第7話 彼女の過去


 ふう、と息を吐くと、サトシは話し出した。

 「んとな、工場かどっかに見学に行った時、オヤジギャグ連発のキモオヤジが説明係で、どうもちょっかい出したらしい。ちょっかいと言ったって、そりゃ、授業で見学に行っているんだし、先生も一緒だし、せいぜい軽口を叩くぐらいで、多寡ぁ知れているんだろうけれど」

 「で?」

 「見学が終わる前に、そのおっさん、倒れたとさ。で、後日、クラスでまとめたお礼状を送ったらしいんだけど、おっさん、会社を辞めていたとさ」

 しん、とした。ビルの屋上だから、街のいろいろな音はしているのに、俺にはサトシの言葉以外は聞こえなくなった気がした。


 それでもようやく言葉を絞り出す。

 「それの、どこが問題なんだ? たまたまその時を境に体調が崩れただけとか、退職したってタイミングの問題じゃないのか? そもそも、中学生女子に何か言われて会社を辞めるか?」

 冷静な反論という口調で言えただろうか。

 「それがさぁ、工場内でぞろぞろ歩きながら調子良く説明していて、ふっと彼女の耳元でなんか言ったらしい。で、何かを言い返したらしいんだが、何を言ったかは誰も聞いていないと。つか、聞こえなかった、と。

 でも、次の瞬間、おっさん、真っ青になってばったりだとさ」

 ばったりと、サトシはテーブルに突っ伏してみせた。


 サトシも話の重さに、やるせなさを感じているのだろう。

 二十秒ぐらいたっぷり突っ伏したあと、むくむくと起き上がって話を続ける。

 「どうも、そのおっさんの身内が生徒の中にいたらしい。が、その生徒が誰かということは教えてもらえなかった。この辺り、どうも、核心人物がうちのクラスにいるらしくて、モニョられちまうんだよ。

 ま、とにかく、そいつがおっさんの異常事態は彼女のせいだと言って回った、と」

 サトシの口調が重くなる。

 俺の表情も暗くなる。


 「他に、詳しくは聞き出せなかったけれど、どうも男が絡むとそいつらが一律に激しく酷い目にあうらしい。自殺まで行った例もあるとか無いとか。

 それまでは、綺麗なだから、ストーカー被害にあうこともあるだろうって同情的な見方もあったらしい。だけど、おっさんの件と、同級生の補導の騒ぎの事件があって、併せて一本みたいな感じで怖い女ということになった。

 前にもお前さんに話した件だけど、その事件の時は自分で自分の服を破いたっていうんだから、他の被害を受けた話も信用できないってね。

 さらに尾鰭が付いて、結果として、人を陥れるためならばなんでもするヤツってことになったようだ」

 「ずいぶんとエゲツないな」

 あえて、「誰が」というのは入れずに感想を言う。だって、話の今の段階では、「誰が」は、まだ判らないからだ。

 でも、話の流れだけで十分にエゲツない。


 ため息を一つついて、サトシは続ける。

 「同じ学校に通う女子、さらに工場事件の身内のもう一人がそう言って歩けば、皆、そう思うかもなー。状況証拠だけはあるんだから。

 で、誰も話しかけなくなった。怖いもんな」

 「でも、相手が女子ならば、基本、何もされないんだろ?」

 「まぁ、基本的には、な。

 ただ、女子は、男子みたいなちょっかいを出すパターンがないのかもな。だって、実際に手を出したら、何されるか分らないから怖いし、そういう場合の相手を空気にしちまうシカト責めは、女の方が得意だし……。高校来ても、黙殺という方法には反撃しないみたいだからな」

 サトシは一気にしゃべると、コーヒーを啜った。

 俺は、言葉もない。


 再び話しだしたのは、サトシの方からだった。

 「ここまで聞いて歩くの、結構苦労したんだぜ。

 他のクラスの女子のことを聞いて回って、不自然と思われない程度って制約があるからな。で、お前から見てはどうなんだよ?」


 俺は、歴史に学ぶまで賢くはない。

 自分の経験からしかまだ学べない。

 でも、自分の経験こそが一番信頼できるとも思っている。自分と言う人間のいい加減さとか、感覚の勘違いとかがあることを理解していても、だ。勿論、それで間違ったら、その責任は俺が取るんだけど。

 「だめだ。俺にはまとも家庭の、まともな女子にしか見えん」

 「なにを見極められたような気になっているんだ? どれだけ会話したって、長く付き合ったって、人なんて判らないもんだぜ?」

 くそっ、どうしてこう、まともな、そして聞きたくないことばかり言うのだ、サトシは。


 「卵焼きのあと、クラスの雰囲気はどうだったんだ?」

 「静観だよ、静観。俺をつつく奴もいないし、武藤さんをつつく奴もいない」

 「そうだろうな、まだ。

 で、どうするよ? 文化祭は十月、それまで毎週話すことになる。どこまでがセーフでどこからがアウトなのかの線が判らないと怖くないか?」

 「うん、もう、まな板の鯉だ」

 サトシは探るような目になった。

 「お前、実は、積極的に鯉になる気だな」

 「ぐっ」

 コーヒーが喉に絡まる。理不尽だ、液体が絡まるなんて。


 サトシは、俺の目を覗き込むようにしながら話を続けた。

 「好きで巻き込まれ、好きで陥れられるのはお前の勝手だ。けれども、俺はお前が陥れられるのを見たくはない」

 俺は何も言えなかった。ひとつはサトシがこんなにも心配してくれていたのかと感動していたため。そしてもうひとつは……、その感動の裏返しなんだけど、それでも武藤さんのことが気になるという自分自身を、サトシに対して罪深く感じていたためだった。


 サトシは続ける。

 「まだ、いろいろの真相は判らない。でも、分の良くない賭けだと、俺は思う。

 でもな、人は、不幸になる権利もあるとは思う。

 お前は親もいないし、普通で考えたらもう十分に不幸だ。その上に不幸を重ねる覚悟をしてリスクを冒したいなら、そう言ってくれ。俺は、その判断は尊重する」

 こいつ、本当に同じ歳の、同じ中学を出たバカサトシか? こいつにこんな顔があったのか?


 俺は、俺の口がしゃべりだすのを聞いた。

 「ああ、正直に言う。お前は武藤さんを好みじゃないと言ったが、俺には……、ジャストミートだ。目で追ってしまうし、彼女の声を必死で聞いてしまう。でも、だ。俺は四月からの三ヶ月、心を動かさなかった。今なら、そんな女子もいたと未来で語れるレベルだ。

 でも、今日、俺は動転して舞い上がっちまっている。でも、大丈夫だ。更に彼女と打ち解けたとしても……」

 喉の奥に固まりが押し寄せて来て、しゃべれなくなった。コーヒーを飲み干してなんとか続ける。

 「ICレコーダーは、離さないよ」


 続けられたのは、コーヒーのおかげだけではない。

 ビアガーデンの営業準備が始まっている。酸化した油で、鶏の唐揚げが揚げられだしているのが分かる。普通の人には、食欲をそそられる匂いのはずだけど、俺にとっては胸の悪くなる臭いのせいで、我に返った。現実に強引に引き戻されたといっていい。


 サトシは、ニコリとニヤリの中間の笑みを浮かべると、やはりコーヒーを飲み干した。

 「お前って、鼻抜きだと簡単に鎌かけに引っかかるのな。そーか、やっぱり、武藤さんから身を守るっていうより、好きなんだな。

 ふん、……睨んだとおりだな」

 「ちょ、おま……」

 黒すぎる。こいつこそが、黒すぎる。


 サトシは平然と、「なんかいい匂いがして来たような気がするな」などとうそぶいている。こいつ、誤魔化す気だ。

 「堪忍してくれ。俺は、そのせいでここから逃げ出したいんだ」

 「で、においの正体は何なんだ?」

 「古い油で揚げられている、外国産のブロイラー。××社製業務用唐揚げ粉」

 「ああ、そうか、お前も大変だなぁ」

 心底同情している顔で、サトシは言った。


 ちっ、あとで借りは返すにしろ、ここは誤魔化されてやるしかなさそうだ。

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