第7話 終末の妄想

1階のコーヒーショップで購入したコーヒーを片手に、セキュリティゲートをくぐる。

ゲートの直ぐ前にはオフィス向けのエレベーターが6基並んでいて、基本的に自分のオフィスに戻るのには不自由しないのだが、俺は敢えてそれは使わない。

混んでいるとか、なかなか来ないとか、そういう事ではないのだ。


モダンなデザインのエレベーターホールを抜け、薄暗い廊下を少し進むと、ぼろいエレベーターが1基がある。

清掃員とかが主に使うエレベータらしく、夕方の時間帯は殆ど使われていない。

スマホをポケットから出すと、時間は17時の少し前。

上行きのボタンを押して、カップの蓋を開けて一口啜る。


ビルはかなりの階数があるので、1階に降りてくるまでは時間がかかる。

数字の桁が少なくなった、もうすぐか、と思ったとき、後ろで足音がした。


「お、お疲れ~」


「お疲れ」


足音の正体は違う部署の同期だった。

そして、同期というだけではなく、大学時代からの数少ない女友達。

元々同じ業界を志望してただけに、内定連絡をもらったら同じ会社でした、なんてオチが待っていた。

俺がこのエレベーターを選んで使っていることを知っていて、たまにこうして出くわす。


「今日も残り?」


「ああ、あと少しが片付かなくてなぁ。そっちは?」


「出先から戻ってきたところ。まだ少しかかりそうだけれど、幸い先は見えてる」


「羨ましい」


そんな会話をしているうちにエレベーターの到着を告げるランプが灯る。

オフィスのある36階のボタンを押して扉を閉める。

メインのエレベーターより古いそれは、扉を閉めるのも、上昇を始めるのも、いちいちがたぴしいって、近いうちに壊れるんじゃないかといつも不安になる。


「うわぁ……!」


窓に手をついて、彼女は小さく感嘆の声を上げた。

エレベーターが上に上がるにつれて、オレンジ色の源がはっきりと見える。

今日は異様なまでに強い光で、綺麗だった。


「凄……世界の終わりみたい」


「随分と文学的な表現だな」


「このまま太陽が、こう、どかーんってね」


「訂正、随分と物騒な表現だな」


「例えばそうなる前にさ、なんかしたい事ある?」


「そして随分と唐突な……。世界が終わるなら、って事か」


エレベーターのランプは、10階付近を通過していることを知らせている。


「そうな……、回らない寿司たらふく食って温泉に浸かったらそれでいいなぁ」


「なにそれ、随分と現実的すぎない?もっとこう、普段できないような」


「理想高すぎかよ……、そういうお前はどうなんだ?」


エレベーターは20階付近を通過した。

このままノンストップで36階に到着してくれると嬉しい。


「そうだな~、――例えば」


何を言うかと思いきや、彼女はぐっと身体を寄せてきて。

夕焼けのオレンジが圧倒的な割合を占めていた視界は、一瞬にして闇に落ちたように錯覚した、その刹那。


コーヒーの暖かさとは違うそれが、唇を支配した。


俺も、もう30に手が届くほどは人間をやっている。その行為が何を意味するかは、少し考えればわかる事だった。

きっと、頬どころか耳先まで真っ赤になっているに違いない。

再び視界の圧倒的な割合を占めていたオレンジが戻ってくると、彼女の表情が見えるようになった。

恐らく、俺に負けないくらい真っ赤になっていると思うが、夕焼けのオレンジのせいでよくわからない。


「――そうだ私、コーヒーまだブラックで飲めないんでした」


表情とは裏腹に、随分と余裕をにじませた声でそう言った。


「そう、世界が終わる前に私がしたい事は―」



――好きな人に、キスをしたかったんです。

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