第5話:一葉さんのわがまま

 震える一葉さんの手を取ってリビングの椅子に座っていただき、お茶を出して一息ついたところで身も心も落ち着きを取り戻してゆっくりと口を開いた。


「さて、勇也君。今あなたが置かれている状況を説明しましょうか。まぁこれは一言で済むと言えば済む話なのだけれど。勇也君は私の所有物となりました。以上」

「うん。わかった。説明する気はないな? そうだな?」

「長々と話しても仕方がないと思ったから端的にまとめたのだけど、いけなかったかですか?」

「ダメに決まっているだろう! いつ俺が君の所有物になった!? ペットを買いましたとはわけが違うんだ! ちゃんとわかるように説明してくれ!」

「ペット。そうですね、勇也君は今日から私のペットになりました。うん、良いですね。素晴らしい響きです」


 状況を説明する気がない上に人の話をまったく聞こうとしない。腕を組み、頬を赤らめながらウフフと妄想に耽っている。それすらも絵になってしまうのだから美人というのは実に反則だ。俺はズズズとわざと音を立てて茶をすする。


「ダメよ、ポチ。そんな飲み方をしたら―――って、ごめんなさい、勇也君。少し遊びが過ぎてしまいまいた。どこまで話しましたっけ?」

「……俺が一葉さんの所有物になったところまでかな」

「そうだった。なんで勇也君が私の所有物になったか、って話ですが。それは他でもない、あなたのお父様が私の母に泣きついて来たからです」


 どうして父さんが一葉さんのお母様に泣きついたか。その理由をかいつまんで説明すると。我が家のくそ野郎な父さんと一葉さんの戦女神のようなお母様は小中高と同じ学校に通っていた所謂腐れ縁だったそうだ。仕事柄、父さんのダメっぷりを耳にしていたようだがひと月ほど前になって突然連絡があったらしい。内容はずばり『助けてくれ』。


「最初は母さんも断るつもりだったみたいです。いくら腐れ縁だからと言って自分の愚かな行いで首を絞めたのは他でもない自分自身。止めずに声援を送り続けていた勇也君のお母さんも同罪だと言っていました」


 あのクソ親父は本当に頭がどうにかしている。所帯持ちの幼馴染の女性に言うに事欠いてSOSを求めるなんて信じられない。海外から帰って来たら気の済むまでぶん殴ってやる。


「ですが、勇也君のお父さんは泣きながら言ったそうです。息子だけは助けてくれと。勇也は何も悪くないし、俺と違って才能もある。あいつの将来を潰すようなことはしたくない。そう泣きながら言ったそうです」

「…………」

「まぁそれでも母さんが首を縦に振る義理はないんですけどね。だからなんだとむしろ火に油でした」


 それはそうだろう。一葉さんのお母様からしたら俺は赤の他人。息子を引き合いに出して助力を得ようなんて水たまりくらいの浅さしかない短絡的な言い訳だ。もう少し頭を捻れよ馬鹿親父。


「では、どうして私の母が助ける気になったのか聡明な勇也君なら疑問に思っている事でしょう。その理由はもちろん! 何を隠そう私がわがままを言ったからです!」


 えっへん、と胸を張ってドヤ顔をする一葉さん。ニットセーターの上からでもその大きさがわかる双丘がたゆんと揺れる。しかも身体を反ることでより強調されて目のやり場に困る。俺は少し視線を外しながら、


「ひ、一葉さんのわがまま? それがどうして俺の父さんを助けることに繋がるのさ? わがまま言ったくらいで他人の借金を肩代わりしないよね、普通」

「私はこう見えて、これまで一度もわがままを言ったことがない、素直で従順な良い子でした。そんな可愛い一人娘が生まれて初めてわがままを言ったことが両親、祖父母、そろって大喜びでした。赤飯は炊きませんでしたが」


 今さらっと自分のことを素直でいい子って言ったけどそこは聞き流そう。そしてわがままを言ったくらいで大喜びする家族って中々ぶっ飛んでいる。あの戦女神のような凛とした人が泣いて喜ぶような姿は想像できないな。


「私のわがままは二つ・・。一つは勇也君を助けてあげて欲しい。あなたは悪いことをしていないのだから当然ですね。別にあなたのご両親がどうなろうと知ったことではないですが、勇也君が悲しい思いをするのだけは見過ごせませんでした」


 どうして一葉さんが俺なんかのことを気にかけてくれるのか。そもそもそこが疑問ではあるが、誰かに心配されるというのはとても嬉しいことだ。


「そして二つ目のわがままですが。これこそ勇也君が私の所有物になった、私史上最大のわがままです。なにせ私はあなたと一緒に暮らしたいと言ったのですから」

「よし! ますます意味が分からなくなった! それはもうわがままじゃないな! 告白とかプロポーズとか色々な過程をすっ飛ばして同棲したいってご両親に言ったのかよ!?」

「だって……勇也君と一緒にいたいんだもん……」


 はい反則! 女神のような凛々しい一葉さんが指をもじもじさせながら口を尖らせて上目出遣いで照れた感じ『だもん』なんて言ったらどんな男も即落ちだ! 戦争すら終結する破壊力だ! 


「それで……私のわがままと初恋の相手ってことでみんな盛り上がっちゃって。お父さんが小切手を用意して、お母さんが勇也君のお父さんに連絡して……それで決まったことがこれです」


 初恋の相手と言う聞き捨てなならない言葉に触れようか迷っていると、一葉さん一枚の紙を手渡された。それは所謂誓約書のようなもので、一番下には父さんの名前と判子が署名捺印されていた。その内容は―――


「一つ。俺と一葉さんと同棲することを許可する。二つ。勇也が十八歳になったら籍を入れて一葉家に婿入りすることを了承する。なお、同棲開始後は吉住夫妻から吉住勇也への接触は永久に禁止とする。なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁっぁ!!??」


 いや、絶叫するに決まっているだろこんなの。

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