すれ違インタビュー

二石臼杵

時間差インタビュー

 ――いよいよ新作映画「やつを探せ!」の公開が迫ってきましたね。作品について一言お願いします。


 とんだ失敗作ですよ。


 ――まだ上映されてないじゃないですか。封切り前にナーバスになられているのでしょう。気持ちを切り替えて、主演の梶沢かじさわじんさんについてどのような印象をお持ちですか?


 最低の人間です。殺してやりたいぐらいですよ。


 ――そこまで憎んでいるとは存じませんでした。可愛さ余って、ということでしょうか。


 まさか。ろくでなしを褒めるのがお上手ですね。


 ――話を映画に戻しますが、ずばり今作、観客動員数はどのくらいになるとお考えでしょうか。


 0人に決まっているでしょう。


 ――またまたご冗談を。それでは最後に、今作の意気込みをファンの方々へ向けてお願いします!


 次回作にご期待ください。


 ――今回はユニークなインタビューご協力、ありがとうございました。




「…………なんじゃこら」


 記事を読んだ僕の感想はシンプルだった。

 今から半年ほど前、「やつを探せ!」という映画が公開される前の、瀧本たきもと監督へのインタビューだが、質問者と監督の温度差が激しすぎる。

 こんなちぐはぐなインタビューは初めて見た。

 しかし、このインタビュー、予言めいたところも節々にある。

「やつを探せ!」は、主演俳優の梶沢仁が突然失踪したことにより、公開が見送られたのだ。

 その事実を瀧本監督はさも知っていたかのように質問に答えている。

 梶沢が失踪したのはつい先週のこと。これはいったいどういうわけだ。


「なに紙とにらめっこしてんだ。さっさと取材に行け!」


 編集長の怒声が僕の背中を押した。這う這うの体で僕は会社のビルから追い出されるように外に出る。

 今日はこれから、件の瀧本監督へのインタビューを行わなければならない。

 主演俳優の失踪により、封を切られることのないままに終わった映画。その、お気の毒としか言えない監督の心境を聞いて来いという、趣味の悪いインタビューだった。

 低俗なゴシップ記事ばかり扱ううちらしい、気の重くなる仕事だ。

 僕は足取りも重く、瀧本監督のいるスタジオに向かった。






 実際に目の当たりにした瀧本監督はさぞや落ち込んでいると思いきや、意外や意外、きらきらした瞳をしていた。

 その目は希望とやる気に満ち溢れている。どういう神経をしているんだこの人は。

 自己紹介もそこそこに、さっそく無礼を承知でインタビューを開始する流れになった。

 僕はボイスレコーダーをオンにし、ペンと手帳を手に、質問をする。


「今回このような事態になってしまわれたわけですが、瀧本監督は今作についてどうお考えでしょうか」


「最高傑作だと自負しています」


 なんと。公開一時中止になったのだ。そんなはずがない。しかし監督には嘘を言っているような素振りは微塵もなかった。

 僕は次の質問に移る。


「作品自体には相当な自信がおありだったのでしょうね。悔やまれます。今後の方針などお聞かせ願えますか?」


 瀧本監督は笑顔で答えた。


「このまま順調にいけば、アカデミー賞も夢ではないと思っています」


 夢だよ。覚めない夢。ノミネートすらままならないんだ。

 もしかして監督はショックのあまり、精神状態が不安定になっているんじゃないだろうか。きっとそうに違いない。

 僕は半ば哀れむように非情な質問を重ねた。


「気分転換に最近研究している映画などはありますか?」


「ジョーズですね。『やつを探せ!』もパニックホラーから着想を得ているので」


「なるほど。次回作の構想もすでにおありなのでしょうか」


「いえ、今はまだ『やつを探せ!』から目を離しちゃいかんと思っています。いったいどれほどの人が観に来るか、楽しみです」


 観客動員数は0人だと、半年前のあなたは断言していたじゃないか。


「そうですか。だいぶお疲れのようで……。最後に一言、メッセージなどあればお願いします」


「主演の梶沢くんの演技にご注目ください! 『やつを探せ!』は彼なしには語れません」


 それはそうだろう。最後の最後にとんでもない皮肉をぶち込んできた。

 ずいぶんエッジの利いた、遠回しな嫌味だ。梶沢本人が聞いたらどんな顔をするだろうか。


「……本日はインタビューにご協力いただき、ありがとうございました」


 ボイスレコーダーの電源を切り、手帳を閉じ、一礼して、僕は監督と別れた。

 これ以上この人と同じ空間にいたら自分までおかしくなりそうで、自然と早足になる。

 しかし、やっぱり引っかかる。半年前のインタビューの原稿用紙と、今回のインタビューを書き留めた手帳を見比べた。

 そこでひとつの可能性に気づき、僕はある場所へと向かった。






「医学知識のない人でも幼児退行、という現象を朧気に説明するくらいはできるでしょう。強いストレスにより、精神状態が子どもの頃へと戻ってしまう精神疾患の一種です。私どもは単に『退行』と呼んでいますがね。瀧本さんの身に起きているのは、それに近いものかもしれませんな」


 精神科医はそう語った。

 僕は今、かつて知り合いのつてで紹介されたことのある精神病院を訪れている。自分の仮説を、確かめるために。


「幼児退行の逆、ここでは仮に未来進行とでも呼びますか。映画が成功するかどうかへの不安、あまりに膨大なストレスやプレッシャー、または興奮がスイッチとなって、瀧本さんは未来進行を引き起こした可能性があります。要するに、精神だけが過去ではなく、未来の方へと逃げ込んでしまったんですな」


 精神科医は僕の渡した半年前のインタビュー原稿とさっきのインタビューのノートを見比べる。


「半年前にインタビューを受けたときの瀧本さんの精神は、半年後の時間へと進んだ状態だったのだと思われます。すなわち、半年前のインタビューに答えたのは、半年後の、つまり今現在の瀧本さん本人だったのでしょう」


 そこで気になる部分があり、僕は手を挙げた。


「でも先生、その未来進行、とやらですか。それが起きたとして、瀧本監督は半年後の、主演俳優が失踪して映画が公開中止となった事実を経験していたような態度をとっています。精神的に時間が進んだとしても、未来の出来事まで正確に予知できるものなのでしょうか」


「そこが不思議なことでしてね。しかし、脳というのは我々が思っている以上に実に高性能なシミュレーターです。経験に基づき、憶測を導き、可能性の一つとして、未来を予測することも不可能とは言えませんな」


 それから精神科医は咳払いをひとつ。


「そして、先ほどインタビューを受けたときの瀧本さんは、幼児、とまではいかないまでも、過去に退行していたのでしょう。ショックから身を守るために。半年前の、映画がヒットすると信じていた時間へと精神だけが遡行していたのです。まあ、詳しくは診察してみないとわかりませんがね」


 半年前にインタビューを受けたのは今現在の瀧本監督で、

 さっきまでインタビューを受け答えしていたのは半年前の瀧本監督だった。

 ずいぶん無茶苦茶だが、道理としてはなるほど通っている。

 けれども頭が痛くなってきた。

 確かに記事にはなるだろうが、果たしてこんな荒唐無稽な話が受け入れられるだろうか。

 精神科医にお礼を言い、院内を歩く。

 患者を落ち着かせるためだろう、木々や花に囲まれたスロープを歩きながら、腕を組んで考えを整理する。

 そうやって、歩きながら考え事をしていたのが悪かった。ふと、前から歩いてくる人に気づかず、軽くぶつかってしまったのだ。


「すみませ――」


 そこで、言葉が凍りつく。

 ぶつかったのは、失踪中の人物、「やつを探せ!」の主演俳優の、梶沢仁その人に他ならなかった。






「コーヒーでいいですか」


 自販機で買ってきた缶コーヒーを、ありがとうございます、と梶沢はおそるおそる受け取った。

 病院の屋外の休憩所、木製のテーブルと椅子のある四阿あずまやで、僕と梶沢は向かい合って座っていた。

 まさか、失踪していたはずの梶沢がここに入院していたとは。

 あるいは、入院していること自体を隠していたのかもしれない。病院か、もしくは彼の所属している事務所が。

 メモは取らない、ボイスレコーダーも起動しない、そして決して口外しないという約束で、なんとか彼から話を聞くことにこぎつけることができた。

 プルタブを開け、猫舌なのか缶の口に息を吐きかける梶沢に、こちらから切り出す。


「梶沢仁さん、ですよね」


「ええ」


 梶沢はまだ缶コーヒーをふーふーしていた。


「こちらにはいつごろからお世話になっているんですか?」


「一週間くらい前から、ですかね」


 梶沢の目はずっと、缶コーヒーを見ている。

 後ろめたいものがあるのか、こちらと視線を交わそうとしない。

 もどかしくなって、つい本題を切り出してしまった。


「単刀直入にお尋ねします。なぜ、『やつを探せ!』の公開直前に、姿を消したのですか?」


 ふーふーの息が止まった。

 もう少しマイルドに聞き出せばよかったと後悔するも、吐いてしまった言葉は呑み込めない。

 じっと、返事を待つ。

 梶沢は缶コーヒーをちびっと口にし、唇を湿らせてからテーブルに置いた。


「瀧本監督に、信用されてなかったことに気づいたからです」


「それはもしや――」


「ええ、つい先週、ここに入院する前、インタビューを見ました」


 彼が言っているのは半年前のインタビューのことに違いない。

 その中で瀧本監督は、梶沢について確かにこう評していた。

「最低の人間です。殺してやりたいぐらいですよ」と。


「あの記事を読んだとき、目の前が真っ暗になりました。今まで撮影を通して、確かに厳しい人でしたけど、それでも自分を信じてくれていると、そう思っていたのに。まさかそんな風に思われていたなんてと考えると、もう何もかもいやになって、全部放り捨てて逃げ出しました」


 情けないでしょう? と自嘲するように笑う梶沢に、僕は何も言えなかった。

 そんなことより、もっと深刻なからくりに気づいてしまったせいだ。

 瀧本監督が梶沢のことを憎んでいたのは、未来で梶沢が失踪したからだ。

 しかし、当の梶沢が姿をくらました理由は、その瀧本監督に憎まれていると思ったから。

 これは、いわゆるタイムパラドックスというやつではないのか。

 卵が先か、鶏が先か。

 瀧本監督に憎まれていなければ、梶沢が失踪することはなかった。

 しかし梶沢が失踪さえしなければ、瀧本監督が梶沢を憎むことにはならなかった。

 未来進行というイレギュラーがあるとはいえ、どっちに原因があるのか、わからなくなってしまった。

 この、メビウスの輪のような時間のいたずら。

 なんという厄介なこんがらがり方をしているのだ。


「監督、今も僕を殺したがっているでしょうね」


 そんなことはない。

 さっきまでの瀧本監督は生き生きして、希望に満ち溢れていた。

 あなたたちはただ、すれ違っているだけなのだ。

 それをなんとしても伝えたかった。

 たとえ、ジャーナリストとしての道を踏み外すことになったとしても。

 約束を破ることになっても。

 僕は、ボイスレコーダーをテーブルの上に置き、電源を入れた。


「ここでの会話は録音しないって、約束したじゃないですか! 話が違う!」


 慌てて立ち上がる梶沢に、僕は無言でボイスレコーダーを突き出した。






「やつを探せ!」の公開から一週間が経った。

 瀧本監督が最高傑作と自画自賛した通り、映画はたちまち大ヒットし、観客動員数は0人どころかすでに七〇万人を超えている。まだまだ伸びるだろう。

 主演の梶沢の復活という話題性も素晴らしいスパイスになった。

 このままいけば、本当にアカデミー賞も夢ではないかもしれない。

 自分が撮った映画でもないのに、それがどこか誇らしかった。

 あのとき、梶沢の前でボイスレコーダーを起動させたのは、梶沢の声を録音するためではない。

 直前に録音した、瀧本監督の声を聞かせるためだ。

 半年前の、映画公開前の、期待に胸を膨らませていた瀧本監督の声を、僕は梶沢に聞かせたのだ。

 瀧本監督は本心からこう言っていた。

「主演の梶沢くんの演技にご注目ください! 『やつを探せ!』は彼なしには語れません」と。

 それがまぎれもない瀧本監督の声だとわかると、梶沢は嘘のように活気を取り戻した。

 そして、もちろん多少の悶着はあっただろうが、結果的に梶沢は復帰した。

 ほんのちょっとした、手違いだったのだ。

 瀧本監督は未来に進みすぎて、梶沢は結論を急ぎすぎた。

 たったそれだけのことだったのだ。

 だから、ボイスレコーダー一つで、たちまち誤解は解けた。

 僕のしたことなんか大したことではない。

 誰にでもできることだった。

 そのうち時間が解決できることだった。

 でも、その時間を、ちょっとだけ早めてあげるくらいのことはしてやれたのかもしれないな。

 それを思うと、自分の仕事に珍しく誇りが持てるようになる。

 低俗な記事ばっかり書いてきたが、その悪趣味さが、ちょうどいいタイミングと重なったのだろう。

 そもそもジャーナリストとは、第三者視点でいるべきなのだ。物事に介入し、変化を与えるのは本分じゃない。

 それでも、たまにはこういうのもいいだろう。まだまだ、捨てたもんじゃない。


「おい! にやにやしてる暇あるなら取材行け取材!」


 編集長の怒号が飛ぶ。

 僕は逃げるように外に出る。

 結局、僕の録音したインタビューは採用されることはなかった。

 映画が公開されて、事態が変わったからだ。

 だから今日、改めて瀧本監督にインタビューをしに行く予定だ。

「映画が好調ですが、どんな心境ですか?」と。

 今の瀧本監督の精神は、未来にも過去にも行っていない。ちゃんと現在に着地している。

 映画がヒットしている今こそが、一番嬉しい瞬間なのだ。他の時間に跳ぶ理由はない。

 今度こそまともなインタビューができそうだ。

 さて、それにあたって問題が一つある。

 僕はまだ、「やつを探せ!」を観ていない。

 仕事が忙しすぎて、なかなか映画館に行く暇がなかった。

 だから取材の直前になるが、今から映画館に行って観てみるつもりだ。

 どんな映画か楽しみだ。

 今回僕が関わったささやかな時間のいたずらなんかより、遥かに面白いであろうことを期待している。

 そしてその期待が裏切られずに済むことは、未来の僕だけが知っているのだ。

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