【39】 龍の眠る丘
昨夜は農村博物館からエリザベスにホテルまで送ってもらった。BMWの鍵は掠われたエリックが持っていたからだ。このまま路上駐車していれば駐車違反の切符を切られてしまうだろう。罰金はラドゥに払ってもらえばいい、とシュテファンは憤慨していた。
エリックが心配で亜希はなかなか寝付けなかった。ラドゥは彼に危害を加えることはないだろう。ふと、そう気付いたらやはり身体も心もヘトヘトに疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、亜希はホテルのレストランでシュテファンと落ち合った。そこにいつもいたエリックは今はいない。二人きりのテーブルはどこか寂しいと感じた。
「おはよう、シュテファン・・・えっ、そんなに食べるの!?」
パンにサラダ、ハム、ソーセージ、たまご、コーンフレークにヨーグルト。大きな皿に盛られた山盛りの食べ物を見て、亜希は思わず声を上げた。
「おはようアキ。エリックを助けないといけないからね、タフなアキを見習ってしっかり食べようと思ってさ」
シュテファンは目の周りを少し腫らしていた。おそらく昨日は部屋に戻って一人泣いたのだろう。それでも気丈に振る舞う姿は健気だった。
「そうだね、私もしっかり食べよう」
亜希もシュテファンに負けないくらいビュッフェの朝食をたらふくよそってテーブルについた。
「今晩、夜の11時にエリザベスがこのホテルに迎えに来てくれることになっていたよね」
「そう、それまでに謎を解かないと・・・」
シュテファンの顔には不安と焦りが浮かんでいる。エリックがいたら、そう思っているに違いない。でも今は彼に頼ることはできない。夜11時にホテルを出発し、約1時間で龍の眠る丘へ。それまでに謎は解けるだろうか。亜希も口には出さないが、正直不安だった。それは昨夜、月の明かりの下で見た最後のページのヒントに何も見いだせないからだった。
「最後のページに浮かんだのは輝きを放つ龍の紋章、いったいどういう意味なんだろう」
「最後のページの文言は、“我に伝承者の血を捧げよ 古の龍は蘇る”・・・いよいよ最後の儀式という感じなんだけど、ノーヒントすぎて分からない」
亜希とシュテファンはテーブルに突っ伏した。こう書いてあります、というだけではラドゥは納得しないだろう。
「ここにいても頭が回らないね、今日は天気もいいし、散歩に出かけましょうか」
亜希の提案にシュテファンも賛成だった。ホテルを出て、ヘラストラウ公園へ向かった。農村博物館に隣接する広い園内には湖や遊園地、日本庭園もあるという。
「あの農村博物館の隣はこんなに大きな公園だったのね」
公園の広さに亜希は驚いた。花壇には色とりどりの花が咲いており、緑の芝生がどこまでも続いている。子供連れや若いカップル、老夫婦が思い思いに散策を楽しんでおり、ブカレスト市民の憩いの場所のようだ。
「そうだ、日本庭園に行ってみようよ」
シュテファンに連れられ、日本庭園のエリアにやってきた。桜はもう葉桜に変わっていたが、ちょうど八重桜が満開だった。鮮やかなピンク色の花が青空に映える。
「わあ、綺麗!ルーマニアでまさか桜を見られるなんて」
亜希の笑顔につられ、シュテファンも笑顔を浮かべた。満開の八重桜の下のベンチに二人並んで座った。はらはらと優しい風に揺られて花びらが舞い散る。
亜希は龍の紋章の本を取り出し、膝の上に置いた。
「この本のおかげでシュテファンやエリックに会えたんだなあ」
「そうだね、イスタンブール空港でアキがその本を手にしていたのを偶然見つけて、エリックに連絡したんだ」
「あのときはちょっと怖かったのよ」
「そうだろうね、アキの顔がすごく緊張していたのが分かったよ」
本の上に桜の花びらが落ちてきた。亜希はそれを払おうとしたが、手を止めた。
「ねえ、シュテファンこれを見て・・・」
「どうしたの?アキ」
亜希の声は震えていた。その目線の先には膝に置かれた龍の紋章の本。それを見てシュテファンも息を呑んだ。
「これは・・・まさか」
龍の紋章の本の表紙に風に散った桜の花びらが乗っていた。そのピンク色と本表紙の龍の紋章は最後のページに浮かび上がった絵を連想させた。
「あのページに示されていた輝きは5つ、その数には意味があったんだ」
「そう、龍の紋章に水晶を嵌め込むんだわ」
「で、その龍の紋章はどこに?」
シュテファンの言葉に亜希は本の表紙を見た。最後のページの絵と同じ紋章が浮き彫りになっている。亜希はそれを指でなぞった。表紙には堅い革の表紙が張られているので分からなかった。亜希は本の表紙の革を端からゆっくり剥がし始めた。
「アキ・・・やったね・・・!」
本の表紙を剥がすと、浮き彫りになっていたそれは直径15センチほどのブロンズ製の龍の紋章のメダルだった。亜希はメダルを手にして、鼓動が高まるのを感じた。メダルには5つのくぼみがある。
「ここに5つの水晶をはめ込むんだ」
「きっとそうね」
亜希とシュテファンは抱き合って喜んだ。思わず目には涙がにじんだ。くやしいが、これでラドゥへの手土産ができた。龍の紋章のメダルと引き換えにエリックを返してもらおう。メダルを見つけられたことは、エリックを無事に返してもらえる保証ができたということを亜希もシュテファンも理解していた。
ランチは農村博物館の側にあるハードロックカフェにした。ポテトフライにハンバーガー、ステーキ、そしてダイエットコーク。世界的なチェーン店なのでメニューはそう変わらないようだ。大音量のアメリカンロックを聴きながら久々に食べる渾身のジャンクフードはパンチが効いていた。ボンジョヴィの古いナンバーが懐かしくて、亜希は知らずリズムを取っている。
「エリックとは古い友人なの?」
「私が大学に入ってから、だから付き合いは3年くらいかな」
「そう、息の合ったコンビだよね」
「うん、研究分野の興味も近くて、彼のフィールドワークにもよく一緒に行ったよ。師でもあり、良き友人でもある」
「そうだね、絶対にエリックを無事に取り戻そう」
亜希とシュテファンは拳を付き合わせた。
ホテルに戻り、今夜に供えて、体力を温存することにした。亜希は無理矢理ベッドに横になって眠った。浅い微睡みを繰り返しながら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。目を覚ませば夜の9時をまわっている。シャワーを浴びて、動き易い服を選んで着替えた。ホテルのレストランはまだ営業しているだろうか、亜希は身支度を調えてシュテファンの部屋をノックした。ドアが開いて、シュテファンが顔を出した。
「あのう、お腹空いてない?」
「そうだね、レストランで軽く食べようか」
待ち合わせの時間までそわそわ待ちたくない、というのが正直なところでもあった。シュテファンを道連れにレストランでパスタと紅茶を注文した。
夜11時、時間ちょうどにエリザベスがホテル正面のロータリーへやってきた。彼女の車は赤色のアウディで、すぐに分かった。
「お願いします・・・」
亜希とシュテファンは車に乗り込む。亜希はカバンに龍の紋章の本、そして表紙から外したメダルがあることを再確認した。車はブカレスト市街から北上していく。3車線の広い国道から農道へ、街灯も無い暗い夜道をアウディのヘッドライトが照らしている。道の両脇には平坦な農地が広がっており、遠く民家の明かりがまばらに灯っているのみ。エリザベスが農道脇に車を停めた。
「私はここまで、あとはあなたたちで行くのよ」
エリザベスが指さす先には低い丘が見えた。
「あれが龍の眠る丘・・・」
亜希とシュテファンはエリザベスに礼を言って、丘を目指して畑の中を歩き出す。闇に浮かび上がるその丘の隆起はまるで龍が背中を丸めて眠っているようにも見えた。
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