【16】 シビウ 時計塔とうそつき橋

 もう一つのカトリック教会は立派な尖塔を持つ建物で、街のランドマークになっている。ゴシック様式の教会で、高いコウモリ天井が圧巻だ。正教会のように壁面に装飾はなく、シンプルな内装だった。高窓から差し込む光が仄かに聖堂内を照らす。ドラキュラ公の息子の墓は地下にあるという。入り口脇の階段から地下へ降りていく。


 階段の先は地下納骨堂になっていた。明かり取りの窓があるため、地下でも一階部分と同じくらい明るい。ここに納骨されているのは身分の高い人物で、壁面に緻密な彫刻の石版が墓碑になっていた。そのうち一つがミフネア悪徳公の墓だ。石版の脇に墓の主の名と年号が記された紙がピン止めしてある。


 亜希は紙に書かれたミフネアの名前を探しながら壁に沿って歩く。年代は一五―一七世紀のものがほとんどだ。彫刻は髑髏や騎士の甲冑など、いかにも西洋らしい。


「アキ、あったよ」

 シュテファンが手招きする。向かって右側の薄暗い壁の彫刻がミフネア悪徳公の墓だ。彫刻は掠れて刻まれている文字を読むことは難しい。

「話によればシビウで日曜礼拝に参加していたところ、殺害されたそうだよ」

「礼拝中に、なんだか御利益のない話ね」

 亜希は気の毒そうな表情で凹凸の乏しい墓碑を見つめる。

「ドラキュラ公は、彼をよく思わないワラキアの貴族やトルコに寝返ったラドゥにより殺害されている。その後、王位を追われたわけだから、彼の息子を擁立させないために汚名を着せて殺した可能性もあるね」


「そうか、後生の評価は勝ったものの手で作られるというわけね」

 エリックの説明に、亜希は合点がいった。死人に口なしとはこのことだ。

「当時の人の行動など、記録があってないようなもので、ミフネア悪徳公はじめ、ドラキュラ公の子たちはろくでもないあだ名がついている。本当にそういう人物だったのかどうかは誰も知らないんだよ」

 歴史を学ぶものは気をつけないとね、とエリックは言う。


「シビウも素敵な街だわ」

 オープンカフェで亜希はカプチーノとパパナシを注文した。シュテファンとシェアすることにする。揚げたてで熱々のパパナシは香ばしく、生地はふわふわで香ばしい。思わず笑顔がこぼれる美味しさだ。


「私もこの街が好きです。古いものがたくさん残っています」

 エリックがカフェテラスから見える橋を指さした。車道に対して立体的に作られた人が通れるだけの小さな橋だ。鉄の欄干には色とりどりの花が飾られている。


「あの橋はうそつき橋といいます」

「うそつき橋」

 亜希はユニークなネーミングを復唱する。

「そう、あの橋の上で嘘をつくと、橋が崩れるという伝説があるんだよ」

 きっとふざけて橋の上で嘘をつく人間も多いだろう。それでも壊れていないのだから「うそつき橋」なのかもしれない。


「明日はフネドワラ城へ行きましょう」

 ドラキュラ公に関連する場所、しかも龍の紋章の本に載っている場所だ。何か起きるのだろう、亜希は期待に身震いする。

「その城には何があるの」

「それが、私もわかりません」


 本を見せて欲しい、というエリックに龍の紋章の本を手渡した。

「挿絵の城はフネドワラ城で、今読める物語は私の父が解読したところではドラキュラ公がこの城に滞在していたということ」

 エリックがページをめくっていくと、章の最後に文字が擦れ切れた白紙のページがある。


「今夜、月の光の下で読んでみよう」

 シュテファンはラテン語や古代のルーマニア語をある程度解読できるらしい。

「またラドゥが現れたりしないかな、本を取られないか心配だわ」

 付近にラドゥや白装束たちが潜んでいないか、亜希は慌てて目線を動かす。

「おそらく、私たちがこの本の謎を解くのを見守っているでしょう。糸口がつかめたら横取りする気だ」

「取られてたまるか」

 シュテファンが鼻息も荒く語気を強める。若い彼にも研究者としてのプライドがあるのだ。


「ラドゥはドラキュラ公を裏切った男だ。自己愛が強い。それに兄を憎んでいる。龍の力を手に入れることが兄への復讐に思えてならない」

「あ、そうだ」

 亜希はふと思い出す。ラドゥの印象があまりに強くて忘れていた。


「ブラショフのバー、エニグマでラドゥと待ち合わせしていたときに、美しい女性が意味深な言葉を投げかけてきた」

 エリックは怪訝な顔をしている。思い当たる節がなさそうだ。

「誰を信じるか、アキは私を信じていますか」

「そうね、八割くらいかな」

「そのくらいがいいでしょう」

 エリックはそう言って笑った。


 今晩のホテルは旧市街から少し離れた場所にあるため、BMWで移動する。住宅に囲まれた閑静な場所にあった。部屋はやや狭く、ベッドもジャストシングルといった大きさだ。


「この大きさじゃ欧米人ははみ出しちゃうわね」

 亜希が横になってちょうど良いサイズだ。田舎のホテルは概ねこのような感じなのかもしれない。お湯が出るか一応チェックしておく。


 近くのレストランで軽い夕食を済ませた。サプライズで始まった生演奏に民族衣装を着てのダンスは愉快だった。シュテファンと亜希も輪に誘われて踊る羽目になった。こういう陽気な演出になれない亜希は最初は緊張しきりだったが、最後にはやけっぱちになって楽しんでいた。


 ホテルの中庭のテーブルで龍の紋章の本を開いて頭を付き合わせる。ちょうどバラの時期で、仄かな甘い香りが漂ってきた。時計は夜九時をまわっている。空を見上げれば、今夜も月は明るく輝いている。


 エリックがからくり箱に入った片目のレンズを取り出す。フネドワラ城の章の白紙のページを開き、レンズをかざした。月の光に文字が浮かび上がってくる。

「シュテファン、読めるかい」

「やってみる」

 シュテファンはレンズを何度も行き来させ、浮かび上がった文字を真剣に読み込んでいる。気になった亜希も横から覗き込んでみると、数行の文字が書かれているのが見えた。


「えっと、彼が知恵と導きを得た場所、我はそこに在り」

「我って、誰」

 亜希の疑問に三人とも顔を見合わせる。

「この本はおそらくドラキュラ公の死後まもなく作られたものでしょう。一五世紀の本です。その“我”がいたら怖いよ」


 エリックが怪訝な顔で呟く。確かに、五百年以上もそのまま生きているなんて、吸血鬼か悪魔だ。そんなはずはない。

「彼って、ドラキュラ公のことだよね」

 三人は唸りながら考え込む。

「ドラキュラ公が知恵と導きを得た場所はフネドワラ城で間違いないね。彼は城に滞在してヤノシュに政治や軍事について師事していた」

 エリックのつぶやきに亜希とシュテファンが注目する。フネドワラ城に“我”がいるということだ。


「フネドワラ城はそう広くはないが、見当がつかなければ難しいね」

 エリックの言葉に、亜希とシュテファンは困り顔を見合わせた。しかし、これ以上のヒントはない。とりあえず、明日はフネドワラ城へ行ってみようということでお開きになった。謎解きのヒントが無さ過ぎて三人ともモヤモヤしたまま部屋に戻る。


 亜希はシャワーを浴びてベッドに転がった。明日はノーヒントで城の探索だ。ドラキュラ公が滞在していた城、一体どんな場所にあるのだろう。何が見つかるのだろうか。想像を巡らせるうちにゆるやかな睡魔に襲われて、深い眠りに落ちた。

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