第10話 セイロン

 セイロンには十月ごろに着いた。景色は美しく、四方を海に囲まれており、10月だというのに蒸し暑かった。セイロンの首都、コロンボには、瀟洒なリゾートホテルが立ち並んでおり、そのうちの一つにクロウリーはチェックインした。セイロンには高名な魔術師がいるという噂を聞いていた。しかし、例によって、探す手立てが乏しい。そこでクロウリーは、ルックス大師の時と同じように、夜間アストラル界にて、セイロンの魔術師を探索することにした。

 夜、エアコンの効いた快適なホテルの室内で、クロウリーはベットに横たわり、身体の振動派をアストラル界に同調させる呪文を心の中で詠唱した。

「ファー・ラー・オーン、ファー・ラー・オーン、ファー・ラー・オーン・・・」

 徐々に、身体の振動数が変動し、耳元では「キーン・・・」という高い金属音のような音が聞こえ始めた。さらに呪文を唱え続けると、アストラル界の精妙な世界が垣間見えてきた。そこは現世より美しかった。紫や菫色、緑や青、赤やオレンジの雲がたなびいていたが、現世の色彩では無いので、正確な印象は伝える手立てが無い。

 セイロンの魔術師は、クロウリーが今まで見知っていた、黒魔術師や白魔術師の類では無い。彼は秘教徒であり、ルックスのような大師であり、クロウリーが求めている秘教の入門としては最適な師と思われた。魔術師の名は、リーフス・ジャンカルーヤ。クロウリーは彼の名を、大英図書館の秘教文献で知った。インドとセイロンの聖者であり、第七光線の秘教徒だそうだ。アストラル界の精妙な雲間を舞う内、やがて強大な知性と愛の波動を近くに感じた。リーフス師であろうか。クロウリーは、浮遊していた谷間を下り、二階建ての白亜の建物の近くに降り立った。

 上空からは分からなかったが、建物の前には小川が流れており、小川に屈みこむようにして、白いローブとターバンを身に付けた人物が座っていた。何という清らかな光景だろう。クロウリーは、この人物に近づいた。

「アレイスター・クロウリー、黒魔術師だね」男は、囁くように言って、振り向きざま立ち上がった。身の丈190センチ位はあろうか。クロウリーに負けぬ偉丈夫だ。

「・・・なぜ、私の名を?」

「私が第三階梯の入参者と知ってここに来たのでしょう?」

「・・・ええ。私は、ある大師の教えに導かれて、ここまで来ました」

「・・・可哀そうに。あなたは、多くの黒いカルマを犯してきた。これを取り除き、光の道を歩むには、光の瞑想と秘教の知識が必要です」

「それこそ、私が望むものです」

「ここを突き止めたなら、三日以内に来るのです。さあ、現実の世界に戻りなさい」大男は手を伸ばし、クロウリーの胸に掌を載せた。直後、クロウリーは意識が遠のき、気が付くとコロンボのホテルのベッドに大の字になっている自分に気づいた。彼は早速、準備を整え、アストラル界で見たセイロンの山岳地帯へ向かった。そこは駅から数キロあったので、タクシーで向かうことになった。山間の砂利道をしばらく行くと、アストラル界で見たのと同じ谷間が現れた。谷の底には澄んだ川が流れており、しばらく行くと例の白亜の建物が見えてきたので、タクシーを降りて建物に向かって歩き出した。陽射しが強く、空気は乾燥して澄み渡っていた。目当ての男は、建物の前面の軒下で、木製の椅子に座って涼んでいた。

「約束通り、二日後に来たね。来なさい。ここは紫外線が強い。白色人種には有害でしょう。中へ入って話しましょう」

 二階建ての建物は、現地住民が協力して建てたものと思われたが、窓から明るい日差しが指し、心地よい部屋だった。主に木造の調度品が多かったが、市販の物には見られない、オリジナルな意匠や仕組みが散見された。例えば、リーフス師が座った書棚の前の椅子は、木製だったが、座る部分がリーフス師の身体に合うように、楕円形に削られていた。また、リーフス師によると、一方の壁に、2×1メートルの切り込みのようなものがあるが、これはベットを埋め込んであり、寝るときはここからベットを取り出す仕組みだそうだ。このような趣向は初めて見るものだった。

 リーフス師は調理場から、紅茶を淹れて持ってきてくれた。芳醇な香りのセイロンティーだ。味も良かったが、熱すぎず、ぬるすぎず、適当な温度が心地よかった。クロウリーは、何を話そうか考えながら紅茶を味わった。

「・・・あなたは秘教の知識を求めて拙宅を訪ねた。しかし、光の道を歩むには、先ほども言ったように、黒魔術のカルマを除去しなければなりません」リーフス師は諭すように言った。

「・・・確かに、私は黒魔術を実行して来ました。しかし、敵を攻撃するために呪術を使用したことはありますが、それは世のため、人類のためです。悪いことに呪術を使用した覚えはありません」クロウリーはきっぱりと言った。

「それは勘違いだ。黒魔術は、いかなる大義への手段としても正当化されえない。黒魔術を行うこと自体が悪であり、悪のカルマを積むことになる」

「・・・私は、自己研鑽、研究を通して、神人(イプシシマス)になろうと努力してきました。宇宙の法理を悟るため、魔術の実践は不可欠だったのです」クロウリーは思うところを正直に答えた。理論のみならず、実践でしか体得できないものは多い。

「超自然的な世界を求めたのは良いが、そなたは黒魔術の世界に幻惑された。これはトラップであり、多くの旅人は黒き道で長く彷徨った後、やがては正道へ戻るものだ。早めに戻れるものなら、早い方が良い。その道は、カルマの返済をいずれは迫られる」

「・・・しかし、そうだとしても、宇宙の悪には、それなりの存在理由があるのでは無いですか?黒魔術師達も、そのような必要悪なのでは?」

「・・・確かに、おぬしが言う通り、宇宙の悪には存在理由がある。全ての生命が進化するにあたり、悪は必要なのじゃ。しかし、それは惑星の長以上の階梯の者のみが知りうること。汝が進化するに当たり、悪の道へ進んで苦しむ必要はあるまい」

「私は、裕福な生まれです。自分のやりたいようにやってきました。あまり苦労はしていませんが・・・」

「黒魔術師は悪に自覚的であり、黒魔術師としての意識が継続する内は、カルマの返済をまぬかれる。しかし、いずれは道に迷い、正道に戻らんとする日が来る。その時、かれはカルマを返済することを選ぶであろう」

「・・・あなたの話では、すべての黒魔術は、迷いに過ぎないということですか?」

「然り。彼らは彷徨える放蕩息子なり」

「であれば、彼等が師事し、魔術を実行する際に祈祷する対象である悪魔や魔王は、なんなのでしょう?彼等は宇宙における悪の役割を体現しているのでは?」

「おぬしの言うように、悪魔や魔王達は、宇宙の悪を体現しておる。しかし、彼等とて、永久に悪の役割を担う訳では無い。いずれは、神の道に戻るのじゃ」

「・・・全ての悪が、神の道に戻る・・・。しかし、宇宙には悪の存在が必要です。正道に戻った者の穴埋めは、正道から新たに外れた新参の悪者が担うという訳ですか・・・」

「簡単に言えば、そういうことかも知れんな」

「あなたでも、この辺りは分からないと・・・?」

「先ほども言ったように、これは惑星霊のみが知りうる秘教の領域だ。私は惑星ハイラーキーの一員に過ぎない」

クロウリーは、何か釈然としない思いだった。宇宙において、悪が必要ならば、その重要な役割を黒魔術師達は担っていることになる。自らのカルマを汚してまで。しかし、彼らはその攻撃魔術で、他者に苦しみや破滅をもたらすことが多い。それは素人には防ぎようも無く、そのカルマが甚大であることは理解できる。しかし、魔術の探求は、何も他者を傷づけるために行ったものでは無い。メイザースを攻撃したのも、それが教団、ひいては人類のためであると自覚して行ったことだ。・・・クロウリーは、自己正当化しているのを自認しつつも、リーフス師達大師にも、神人にならんとする意志があったことを疑わなかった。要は、目標は同じだが、そこに至る道が違うだけではないか。

「師よ、私に何を望むのですか?今すぐ、カルマの清算をせよ、と?」

「その通りじゃ。秘教を学ぶには、まずはその煉獄にてその身を清らかにせねばならぬ」リーフスは部屋の隅の暗がりで、鋭い眼光を輝かせながら、きっぱりと言った。

「カルマの清算とは、具体的には?」クロウリーは、他に良い道が無いかと頭の中で模索しながらも、聞いた。

「カルマの清算は、そなたの場合、本来の信仰活動に没入することにあろう。そなたは、属すべきコミュニティにて、その活動に励むのじゃ」

「信仰活動?私にとって、幼少期から近しくしていたのは、ローマカトリックです。カトリック信徒として、信仰活動に励めと?」

「まあ、遠からずじゃ」リーフス師は、ここで初めて微笑んだ。クロウリーは、意外な不意打ちを食らった思いだった。「煉獄の炎に焼かれる」とは、もっと苦痛に満ちたものをイメージさせたからだ。ただ単に、週末教会に通い、食事の前に祈ることが、煉獄の修行なのか?

「そんな程度で、カルマの清算ができるのですか?たやすいことのように思われますね」

「そうかな?そなたは利己的な魔術を繰り返し、エゴが増大しておる。奉仕活動にはかなりの抵抗があろう」リーフス大師は見透かしているかのように答えた。

「脅すのは止めてください。ただ、私は、そんな退屈な道にあまり興味が持てないですね。・・・私は、あなたの言う悪を担う存在である、魔王にも接触したことがありますよ」「・・・それは凄いな。君が今、生きている事自体が私は不思議だよ。魔王と接触するなど、大きなカルマとなるからな」

「・・・でしょうね。黒魔術の中でも、魔王の召喚は、最高位の魔術師にしか出来ません。このヨーロッパでも、十人といないでしょうね」

「・・・それで、おぬしは魔王と何を取引したのかね?」

「・・・それを漏らすと、魔王との契約違反になるので詳しくは言えませんが、魔法戦争の勝利に関連した取引だ、と言っておきましょう」

「魔王は、かなり決定的な要求を持ちかけたはずだ。そなたはそれに応えたのか?」

「応えましたが、私は今は魔王の影響を離れていると思います。自然の成り行きでそうなったのです」クロウリーは、不安な気持ちから上目遣いでリーフス師を見詰めながら答えた。

「魔王の目は、宇宙の隅々まで届くのだ。時空を超えてな。人類がこの天の河銀河を自由に出入りできるまでに進歩するまでは、お前達人間は、魔王の目からは逃れられぬ」

「・・そうですか。ならば、私にはまだ魔王の目が届くというわけですね。・・・それは少し怖いですね」クロウリーは、団を脱退したことを、魔王がどう思うかしばし黙考した。団をアスタロトに預けたのだから、契約違反の言われはないはずだが・・・。現状、団がどうなっているかが気掛かりだ。

「・・・・何れにしても、秘教の道を歩むなら、信仰活動をしろということですね?」

「そうだ」リーフス師は、言下に答えた。「信仰活動は、ハイラーキーの力が人類に出現している主要な場だ。知識だけを蓄えることは危険であり、許されない。それは、黒魔術程ではないが、微弱なカルマを生む。知識と実践は、車の両輪であり、どちらが欠けても事故へ至ってしまう」

「・・・少し考えさせてください」クロウリーは、即断出来ずにいた。秘教の道を歩むことをルックス大師から指摘され、ブラジルからインドネシア、セイロンと渡り歩いてきた。キリスト教世界の魔術では得られぬ知覚を求めて。旅程で、彼は三人の不可思議な人物と出会った。彼らは、人の姿をしていたが、人を超えていた。大師もしくは道を歩む白魔術師達だった。魔術の道を逍遥している時は、刺激的な知識人や、野心的な呪術師には出会ったが、彼らは危険な人物であることが多かった。しかし、ルックス師を始め、秘教の道を志向する中で出会った人たちからは、危険な匂いを感じなかった。彼らは、包容力を感じさせる落ち着いた眼差しをしており、このような啓発された人々に出会うのは、クロウリーとしては今までにない事だった。

 クロウリーは、一種のジレンマに陥った。進むべき人物、目指すべき人物は、秘教の道にあるように思われる。しかし、今まで辿ってきた魔術の道は、幻惑するような刺激に満ち溢れていた。これは彼をしばしば最高度に興奮させた。魔術師の道は、知識と知覚の欲求を満たしてくれた。これに反し、秘教の道を辿るには、あの退屈な、偽善に満ちたローマ・カトリックの兵卒として働かなくてはならないとは!クロウリーは、リーフス師と、セイロンの風土や文化について語り合った後、コロンボのホテルに戻った。

≪続く≫

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