それから -3-

 非常に行きづらい久しぶりの高校。


 教室の扉を開けると、半分ほど集まっていたクラスメイトたちの会話がぴたりと止まる。そして、一斉に視線がこちらに向かった。つい最近話題に上がったであろう馬鹿話の片割れ。興味があるのはわかるが、気にしない。


 向けられる視線を無視して、いつも通り誰とも言葉を交わすことなく、窓際の自分の席に腰を下ろす。机の上に筆記用具だけを残し、鞄を机の横に掛ける。

 もう九月に入ったというのに、まだまだ残暑が厳しく日差しがきつい。蒸し蒸しとした暑さの中、さらなる熱視線が体を刺す。どきどきしちゃうぜ。


 とはいえ、二年も留年した身の上である以上、今更めいている。このような雰囲気は復学した際に嫌というほど味わっている。これからこの話題も時間の流れによって風化し、記憶の片隅で噂程度に沈静化してくれるだろう。


 これといって、問題は……。


「こらー廊下を走るなー!」


「す、すいませーん!」


 廊下が騒がしくなった直後、どたばたと慌ただしく一人の生徒が教室に転がり込んでくる。


「おっはようございまーす!」


 朗らかに元気百パーセントの挨拶とともに、クラスメイトの興味対象の片割れが現れた。

 目を向けずともわかった俺は、窓の外に向けている視線を動かさない。


「あああ、晴礼ちゃん! 久しぶりー!」


「待っていたとぞ花守! お勤め、ご苦労様です!」


 打って変わってクラスメイトに囲まれ、歓迎される晴礼。俺との扱いの差がひどすぎる。べ、別に気にしてねぇよ!


「いやー、いろいろやっちまいましたなー。たはは」


 晴礼は特に気負いした様子もなく笑っているようだ。


 多方面からの興味本位の質問や、突っ込んだ質問にも当たり障りなく答えている。

 高校側から生徒側に、俺たちが停学になった理由は正確には伝えられていない。俺たちの停学は、俺と晴礼が夏休み中放浪したという規格外にイカれた行いと、二学期初日と翌日を無断欠席したことへの罰とされている。初日翌日を休んだ理由は、旅先に忘れ物をして取りに行っていたからとかそんな適当な理由。


 さすがにお父さんのことや実際晴礼がやろうとしていたことなど、言えるはずもない。


「あああああああ!」


 突然、やかましい雄叫びが上がる。

 誰に向けられた声であるかはわかったが、無視。


 クラスメイトの間をするりと抜け、俺の机にバンと両手が叩き付けられる。


「渉瑠センパイ、もう来てるじゃないですか! おはようございます!」


「…………」


「おはようございますぅ!」


 シカトしたにも関わらず五割増しで、さらに寄ってきて声が上げられる。


「……おはよう。朝からテンション高いなお前」


 視線を向けた先で、晴礼が腰に手を当てて胸を張る。


「そりゃあテンションも上がりますよ! なんたって停学開けですよ!」


 停学開けは本来そんなに狂喜乱舞するものはないと思う。あと、原因の大半を占めるお前にそれを言われると、すげえイラッとくるな。


 夏休みの長旅で、とんでもない時間をともにした間柄。この期に及んで気を遣うなどできないし、しないことにしていた。これまでクラスで誰も目にしたことがない珍景に、クラスメイトの視線がびしばしと刺さってくる。気にしない。気にしないもん。


「なんで課題手伝ってくれなかったんですかぁ? 結局一人で終わらせちゃいましたよ


「いや、一人で終わらせろよ。差し入れにうまいタルト買っていってやっただろ?」


「ごちそうさまでした! でも叔母さんが宿題終わるまで食べちゃダメって……。食べられたの昨日なんですよー」


 賞味期限大丈夫だったのかそれ。


「センパイが代わりに問題解いてくれたら、もっと早くタルト食べられたのにぃー」


「宿題を人を頼るな。あと停学中に無茶言うな」


「もーいけずですねー」


 言いながら、机に肘を突いて俺の頬を指でぷにぷにと押してくる。


 ……こいつ、停学開けでテンションが振り切れてやがる。普段の三倍はやかましい。


 俺と晴礼が親しげに話していることが意外だったのか、それとも興味心が勝ったからかはわからない。遠巻きに見ていた周囲のクラスメイトたちが、ぽろぽろと近づいてきた。


「ねぇねぇ、二人って付き合ってるんだよねー?」


「えへへ、実はそうなんだよねー。隠しててごめんね」


 晴礼がやや照れくさそうに答えながらも、秘密にしていたことを謝ってみせる。


 この情報は、晴礼の方で人となりに流してもらった。実は俺たち、夏休みが始まる前から付き合ってましたと。正直、これだけは事実として広まってくれなければ、本当になにやってるんだとなりかねない。どっちにしても、なにやってんだだけど。もう付き合ってることを隠す必要がない、という体のやりとりである。


「広瀬先輩彼女持ちかよ。女になんて微塵も興味なさそうな振りして、結構むっつりだったんっすね」


「しかもこの花守かー。もしかして面食いかな」


「いや、俺は前から付き合ってると思ってたけどね」


 ずいぶんな言われようである。あと嘘吐け。


「ま、まあなんか、いろいろあったんだよ」


 一言で説明できないほどいろいろな。


「でも本当にクラスでもほとんど会話とかしてなかったよね。いつそんなに仲良くしてたのよ。全然知らなかった」


 うん、俺も知らない。だってまともに会話なんてしたことないもん。

 ああ、いっそ口に出してすべて楽になってしまいたい。社会的に抹殺されるだろうけど。


「そういえば、ずっと旅行してたんですよね? 二人でどこまで行ってたんですか?」


 一人の女子が興味ありげに尋ねてきた。


「もうあちこち行きまくって最高だったよ! すっごく楽しい旅だった! ね? 渉瑠センパイ?」


「俺一人だったらもっと楽しかったけどな」


「またそういうこと言うー。本当はセンパイも楽しかったくせにー」


 けらけらと笑いながら肘でがしがしと腹を突いてくる。


「あ、写真あるけど見る? めちゃめちゃすごい景色一杯あるよ」


「見る見るー! 見たーい!」


「見せて見せて!」


 晴礼の取り出したスマホに、クラスメイトたちが一斉に群がる。


 写し出される写真の数々。俺たちが歩んできた旅路の情景に、クラスメイトたちが大いに盛り上がりを見せている。

 級友たちに写真を見せる晴礼が浮かべているそれは、名前の通り晴れやかな笑み。夏休みをずっとともにしていたことで、晴礼が笑みを作っているときとそうでないときを、なんとなく見分けられるようになっていた。今の晴礼は、嘘偽りなく、作ってなどいない、正真正銘、晴礼自身の笑みだ。父親のために、自分の心根を吐き出すために撮っていた写真で、クラスメイトと楽しげに騒いでいる。


 その光景が、どこかおかしかった。


「ははっ」


 思わず、俺も笑みがこぼれる。

 すると、周囲の喧噪が一瞬でなりを潜め、クラスメイトの視線が一斉にこちらを向いた。


「え……なに……?」


 まるで郊外の動物園から抜け出してきたゾウガメを見るような衆目。

 目を猫のように丸くしていた女子が、まだ信じられないのか目をぱちぱちとさせる。


「いえ、広瀬先輩が笑ってるところ、初めて見たので」


「俺も、初めて見た気がする。いつはなんかこう、作ったみたいな笑い方してるんだよな」


「そうそう。なんかこう、露骨に話しかけてくるんじゃぇよオーラ出してるというか」


 どんなオーラだよ。勇者の挑戦を待つ魔王かなにかか俺は。


 俺の笑った顔がそんなに珍しいのか、目をぱちぱちとさせながらも女子生徒は笑いをかみ殺している。夏休み前、赤磐先生に集めろと言われたプリントを最後に持ってきた女子生徒だ。


「ひ、広瀬先輩って、本当に、意外ですけど普通の人だったんですね。もっと話しかけにくい人かと思ってました」


 そこまで言う? 一体俺をなんだと思ってたわけ?

 なんて思ったが口には出さない。


「俺、そんなに話しかけにくいか? たしかに年上だけど、ぞんざいに扱ってくれていいのよ?」


 俺のすぐ前の席の男子が、きょとんと目を見開く。


「え? まじで? じゃあ俺たちのアッシーになってもらっていいっすか?」


「はっ倒すぞ」


「ひぃいいいお許しをおおおお!」


 茶番劇にクラス中で笑いが起きる。


 夏休み前からは想像もできないほど、俺は自然とクラスメイトと話すことができた。

 晴礼は再びクラスメイトと写真を見て盛り上がっている。

 今回の〈まほろば〉を捜す旅が、いつの間にか、これまでにないほど大きくなっていることに気がついた。


 晴礼にとっても。


 そして、俺にとっても。


 俺が旅をしてきたことで、晴礼がこんな風に笑っていられる。俺も笑っている。

 これまで、自分の命に意味ばかりも求めてきた。

 けれど、違うのかもしれない。

 大きな思想も、崇高な動機も、行動目的も必要ない。ただ、生きているから、今という時間を生きていく。このありふれた時間と場所で、旅に出ずとも、俺が生きる命の意味は、きっとここにある。


 これで、それでいいんだよな……進歩……。


 俺の胸の内で、たしかにはっきりと、大きな鼓動が脈打った。痛みではなく、ほんのり暖かい、そして優しい鼓動。


 もう一度、小さく笑みが漏れた。


「あ、そうだ晴礼」


「なんですか?」


 クラスメイトに囲まれていた晴礼が、スマホから顔を上げる。


「今週末、今度は山陰方面に行くつもりなんだけど、一緒に行く?」


「行きます!」


 俺の机に大きく身を乗り出して晴礼は嬉しそうに即答する。


「おっほー、公開でデートに誘うとか、お熱いっすねー」


「私もどこかに連れていってくれる彼氏ほしいなー。広瀬先輩、私も連れていってくださいよ」


「あーはいはい。まあそのうちね。こっちの番犬が許してくれたらだけど」


「がうがうっ! センパイは絶対に渡さないぞー」


 ノリよく晴礼が犬の物まねをする。クオリティが低い。

 そうこうしているとチャイムが鳴った。


 同時に教室の扉が開き、赤磐先生が姿を現した。


「ほらー、お前ら席に着けー、チャイムは鳴ったぞ。いつまでもバカップル相手に盛り上がるなー」


 いつも通り自然に接してくれる赤磐先生が、怒るでも責めるでもなく笑いながら告げる。誰がバカップルだ誰が。


 散々騒ぎ倒していたクラスメイトたちもわらわらと散らばっていき、各々の席に着く。


「ああ、それから広瀬、花守」


 停学開け早々の俺たち二人に、赤磐先生は突然神妙な目を向ける。


「また旅行は結構だが、今日の実力テストが悪かったら、土日で補習だからな」


「ええええ!? 補習!? 聞いてません! わ、渉瑠センパイ!」


「ああ、そうだな」


「で、でもでも、二人で頑張って乗り切りましょう!」


「島根に、若草っていうすごく綺麗でおいしいお菓子があるんだ。安心しろ。留守番にはちゃんとお土産を買って帰る」


「いやああああ見捨てないでええええええ!」


 晴礼が頭を抱えながら絶叫し、再び教室が笑いに包まれた。

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