センパイのこと -2-

 〈まほろば〉を探しにいく、旅に出たい。


 そんな思いに取り憑かれたあの日から、薄れるどこか、気持ちは徐々に強くなっていく。やがて行かなければいけないという、強迫観念にも似たものに駆られるようになった。


 当たり前に過ぎる穏やかな毎日で、私の変化に気がついた人は、たぶんいなかったと思う。元々友だち付き合いよりも病院に通うことが多く、私について深く知る人はほとんどいない。病院に通う必要がなくなったあの日からも、どうしても友だちと普通に遊ぶということがイメージしずらくて、つい足早に帰るようなっていた。


 土曜日日曜日は、ぶらりと自転車で行ける付近の名勝や観光地を回りもした。しかし、回れど回れど私が行きたい場所を見つけることはできなかった。


 もうじき夏休みになる。普通の女子高生なら、休暇の予定を立てるのに忙しいときだ。友人とのお出かけ、彼氏とのデート、受験を見据えた勉強。各々が、様々な夢を見ていたことだろう。


 私も旅行に行ってみようかなと、考えはした。岡山に閉じこもっているよりは、欠片程度、可能性が上がると思ったからだ。


 どうしようかと迷っているとき、とある噂を思い出した。


 クラスメイトにいる、留年しているセンパイ。

 そのセンパイは、高校生でありながら既に自動車免許を取得しており、そして自分の車まで持っている。そして通常の高校生がまず持ち得ないその特権を使い、日本全国を旅しているのだと。


 一度、病院でセンパイが、センパイの同級生のお願いを聞いて送り迎えしているところを見た。


 馬鹿げたことを、考えてしまったと思う。


 長期の休みだ。旅好きな人なら絶対に旅に出るはずだ。

 その旅に、一緒に連れていってもらえないかなんていう、どうかしている考え。

 しかし同時に、異性の、それもほとんど話をしたこともない年上クラスメイトと旅に出るなんてことが、できるはずもないと思った。


 事実できたとしても、旅をする道すがらどんな目に遭っても文句なんて言えない。襲われても、暴行されても、それ以上のことをされても、不思議ではないこと。実際一緒に旅に出てみれば、そんなこと、絶対に起こりえるはずもないくらい優しくて、私のことを気遣ってくれて、ぶっきらぼうで。

 私の気持ちになんて気づきもないほど、脳天気な人だったけど。


 話を聞くだけでもと、気がつけば、センパイの姿を目で追うようになった。


 夏休みが始まる数日前、私は教室で手帳を拾った。センパイの手帳だった。手帳に書かれていたのは、車で旅に出るにあたって、必要な荷物のリスト。そして、今後行く予定と思われる、数え切れない目的地のリスト。


 ダメだった。また、旅のことをセンパイに聞いてみたくなった。

 なにを考えていたのか、拾った手帳をすぐにセンパイに返すことができなくて、結局持ち帰ってしまった。

 その手帳を頼りに荷物の準備をしてみた。私がもし一緒に行くなら、そう考えて準備を進めてみると、特に買い出しに行くこともなく荷物がまとまってしまった。本当になにをやっているだろうと我に返り、トラベルバッグを倒してベッドに体を投げ出した。


 謝って、手帳を返そう。

 そう心に決めて、夏休みが始まるあの日、私は教室でセンパイに話しかけられるタイミングを待っていた。なかなか教室から人がいなくならなくて、どぎまぎしてしまったけど。


 そして、うっかり聞いてしまった。


 いつもセンパイのことを気にかけている担任の赤磐先生が、センパイの旅について話していた。

 もうすぐ車で旅に出ると。一月以上、二百以上の場所を巡るだと。

 聞いてしまい。私は結局、どうしようもなくなった。じっとしてなんて、いられなかった。


 ――ああ、やっぱり、止められない。


 心の中に明確な意志が宿り、そこからはもう迷わなかった。

 家に戻った。

 リビングにいた叔母さんに、旅に行ってくる、また連絡するからなんて無茶な言葉を残し、制止の声を振り切って家を飛び出した。

 センパイの家の住所は手帳に書かれていた。歩いていける距離だ。


 そして私は――


 黒い車に触れて、これから今まさに旅に出ようとしているセンパイに言ったのだ。



「センパイ! 私を、車で行くセンパイの旅に、一緒に連れていってください!」

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