第40話「ようやく会えた」



 それから一週間後、私はチケットを使ってセブンに行った。最後のワープは一人だ。あまり大勢で行くと目立ってしまう。

 それに、問題はまだある。亡者歴典に自分の名前が記されてしまうことだ。持ち主であるユリウスという人に見つかる前に、直人に会って帰らなければいけない。


「……」


 もはや見慣れてしまった草原の景色。私はクラリスからもらった直人の住む宿舎の住所を探す。最初ここに来た時は、まだ右も左も分からなかった。だけど、今の私にはあみだくじを進むように、すいすいと道が頭に入ってくる。


“直人……”


 振り返ってみれば、一番申し訳ないと感じているのは、直人に対してだ。私の勘違いから全ては始まった。私が彼の話をきちんと聞いていれば、誤解したまま彼を突き放したりしなければ、彼は死ななかった。


“直人……”


 私は今までの全ての出会いに感謝した。花音、祐知君、エリン先生、雫ちゃん、クラリス……他にも私を支えてくれた人達。その人達の優しさのおかげで、ここまで来ることができた。みんなには感謝してもしきれない。


“直人……!”


 ごめん、ほんとにごめんね……直人。私のせいで死ぬことになって。ようやくここまで来たよ。だから、せめてあの時のことを謝らせて。そして、また声を聞かせてよ。






「……」


 待って。私は本当に許されるの? 彼に「ごめんね」って言ったところで、私の罪はなかったことになるの?


 私がすべきことは、まだ他にもあるんじゃ……。




「友美さん!」

「クラリス!」


 宿舎がかなり近づいてきたところで、偶然にもクラリスに会った。彼女は私のところまでチケットを持ってきてくれた。そのことのお礼を言わなければいけない。


「クラリス、チケットありがとね」

「いいえ、早く行ってあげてください。直人さんが待ってますよ」

「うん」


 私は駆け足で直人の宿舎へ急ぐ。




「あ……待って、クラリス」

「はい?」


 私はクラリスを呼び止めた。




「ごめん、一生のお願い……」


 そして、彼女に言葉通りの一生のお願いを申し出た。最初で最後のお願いだ。クラリスは決死の覚悟で承諾した。








「はぁ……はぁ……」


 まただ。また体が重くなった。毎日欠かさず襲ってくる頭痛や吐き気、体に走る激痛。私の体にまとわりつく謎の症状が、私の歩みを全力で邪魔してくる。それらが完治したわけではないのに、私は無理やり足を動かしている。


「うっ……ぐ……」


 心臓やら肺やらの臓器を、全部まとめて握り潰されているような痛みだ。今にも体が千切れそうで、バラバラになってしまいそうで苦しい。この症状は一体何なのだろうか……。


 考えるな。今はそんなことどうでもいい。行くんだ、直人の元へ。私にしかできない最大の償いをするために。自分でも計り知れない罪悪感を消し去るには、もうあの手しかない。


 でもまずは、直人の温もりがほしい。手を握ってほしい。抱き締めてほしい。




 もう一度私のことを愛してほしい。








「友……美?」




 そこには、求めていた姿が確かにあった。薄い青髪に引き締まった体格の、無駄に顔立ちがよくて生意気な男。でも、私が世界で一番大好きな人の、愛しい姿。


 直人が宿舎の入り口でこちらを見つめていた。間違いない。彼は正真正銘、遠山直人だ。


「直人……」

「おっ、お前、なんでここに……」


 やった……会えた。ようやく会えた。長い道のりだった。時間もすごくかかった。それでも今、ようやく彼に会うことができた。私は体の痛みを忘れ、無我夢中で駆け出した。


「直人……直人……」

「……」


 彼も突然現れた私に、衝撃を隠せないようだった。私は力を振り絞って走る。しかし、必死になって忘れようとも、存在自体は消えようとしない体の痛みが、私を地面の石ころにつまづかせる。


「あっ……」

「友美!」


 直人はすぐさま転んだ私に駆け寄る。久しぶりに彼の限界を知らない優しさに触れ、心が幸せに満たされる。本当に会えてよかった。


「おい大丈夫か?」

「うん、ありがとう……」


 冬の凍てつきから守ってくれる布団のような、この安心感。彼が本物の遠山直人であることの証だ。彼は痛みに苦しむ私を強く抱き寄せた。


「友美、なんでここにいるんだよ」

「直人に……謝りたかったら……」

「俺に?」

「あの日、アナタが浮気してたって、勘違いしたこと……」


 私が一番謝らなければいけない人は、直人だ。あの日、私は直人が花音と浮気していると勘違いした。本当は私へのプレゼントを選んでいただけだったのに。私は怒りに囚われて、彼を突き放した。そして、彼は交通事故で亡くなった。

 私が彼の話をちゃんと聞いていれば、すぐに誤解に気づいて仲直りしていれば、彼は死ぬことなんてなかったかもしれない。だからこそ、彼にはどうしても謝りたかった。


 私は力の限りを振り絞り、謝罪の言葉を吐き出す。


「直人、あの時は本当に……」






「馬鹿野郎!!!」


 ……え?


「直人?」

「そんなこと、どうでもいいだろ! なんで来たんだよ!?」

「だって……このままじゃ直人に申し訳なくて……」

「わざわざ伝えにくることじゃねぇだろ! それだけのために、死ぬんじゃねぇよ!」


 直人は激しく怒鳴る。彼の声が、私の鼓膜を大きく揺らす。なぜ彼が怒りを露にしているのかが、私には分からない。


「直人……」

「来い!」




 直人は私をとある場所に連れて来た。


「鏡、花音達の様子を映せ」


 女神の銅像が建てられた噴水。女神が抱きかかえる鏡が、テレビの画面のように何かを映し出す。見えてきたのは、私の両親、花音、祐知君、エリン先生、雫ちゃん……みんなの姿だ。全員礼服を着て、表情が沈んでいる。


 映し出されたのは、私の葬式の様子だった。


「この鏡は現世の様子を映し出している。今のお前は、現世では死んだことになってるんだぞ!」


 みんなが私の遺影を眺めて涙ぐんでいる。私が死んだことになっているのは、ワールドパスを使って死後の世界に来ているからだろう。今まで気にしてこなかったけど、チケットを使う度に、現世ではこの光景が繰り広げられていたらしい。


「みんな……」

「あの天使のチケットを使ってやって来たんだろ? あれを現世の人間が使うことは、禁止されてるんだぞ! 何馬鹿なことしてんだよ! 現世のみんなにまで、悲しい思いをさせて……」

「でも、もう一度チケットを使って現世に戻れば、死ななかったことになるし……」

「そういう問題じゃねぇ! お前は罪を犯してるんだぞ! 分かってんのか!?」


 直人は私の肩を強く掴み、悲壮な顔で訴えかける。久しく見ることのできなかった私と対面して、嬉しいなんて感情はどこからも読み取れなかった。ただ私の謝罪と善意を、真っ向から否定してきた。


「だ、だって……直人に謝りたくて……」

「頼むから帰ってくれよ。俺に執着しないで、現実と向き合って生きてくれよ……。たとえチケットを使った擬死状態であるとしても、お前が死んでると思うと……辛いんだよ……」


 しかし、決して私の全てを否定しているわけではなかった。私が死後の世界に来ていることが、自分の不幸と同等と思っているのだ。私が死んでしまっている仮の事実が辛くて、悲しくて、耐えられないのだ。私のためを思っての否定だった。


 私の心にも染みるものがある。鏡に映る家族や友達の泣き顔を見ると、改めてみんなに抱え込ませてきた迷惑の重みを感じる。


 でも、理解はしていても、納得はできない。ここまで散々苦労してきたのに、それを間違いと決めつけられる理由が分からない。私、直人に謝りたかっただけなのに。それまで否定されなくちゃいけないの?




「それでも、会いたかった……」

「え?」

「許されないことだって、分かってる。それでも、どうしても会いたかったの。アナタに会って謝りたかった。後悔を抱えたまま生きていくなんて、私にとっては死ぬことよりも辛いんだから……」

「友美……」


 直人への謝罪の気持ちを考えたら、その行為が許されるかどうかなんて、頭に入る余地もなかった。いつだって直人に対する申し訳なさは、私の原動力になっていたんだ。天秤にかける間でもない。

 私は意地でも、直人への謝罪を貫き通したかった。そのために、今までチケットを使ってきたのだから。


「友美、俺……」

「直人、だから言わせて……」


 ようやく溜め込んできた罪悪感を、吐き出すことができる。直人の方も、私の言葉をしっかり受け止める準備ができたようだ。


「直人、あの時は本当に……」


 本当に、本当に……


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