第39話「嘘つき」



「んん……」

「友美、大丈夫?」


 目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。私はベッドの上で寝ていた。起き上がろうとすると、激しい痛みがそれを邪魔する。痛みを感じると同時に、体に包帯が巻かれていることに気付く。


「痛っ!」

「無理しないで。今日はこのままゆっくり休みなさい」

「花音……」


 花音が私の体を優しく押さえ、布団をかける。様子から察するに、彼女が私の手当てをしてくれたみたいだ。


「路上で倒れてたのを、私が助けたの。重傷者がいるっていうのに、なんで無視するのかしら。もう……」


 花音はぷくりと頬を膨らませる。悪魔達の襲撃で、駅前通りは大惨事に見舞われた。人々は燃え盛る炎に釘付けになり、倒れていた私に気付かなかったみたいだ。そこを助けてくれた花音。彼女には感謝しなければいけない。


「あ、そうだ! 雫ちゃんは!?」


 雫ちゃんも心配だ。タイヤを体に打ち付けられたのだ。彼女もかなり重傷であるはず。


「……」

「あっ」


 花音の後ろから、雫ちゃんが顔を出す。彼女も頭に包帯を巻いてはいるが、無事みたいなので安心だ。しかし、大変な惨事に巻き込んでしまったことが申し訳ない。


「雫ちゃん……よかった……」

「友美、お兄ちゃんに会わせてくれるんでしょ?」

「え?」


 ここで初めて、雫ちゃんが私を睨み付けていることに気付いた。彼女が怒っているのは、怪我をさせたことではない。兄と会わせるという約束を、ないがしろにしようとしていることのようだ。


「えっと……」

「早く会わせてよ。約束でしょ」


 病人の私にきつく当たる雫ちゃん。今の私にはできない。ワールドパスは悪魔達に奪われてしまった。あれがないと、セブンに行くことができない。伝えようにも伝えられなかった。口に出した瞬間、彼女の期待は崩れ去ってしまう。


「あの……」

「やっぱり、嘘だったんだ」


 怒りで雫ちゃんの体が震える。あからさまに怪しい話だったけど、大好きな兄に会いたくて、本気で信じていた気持ちもあったのだろう。しかし、そんな期待を裏切られ、彼女の心にあるのは、ただの悲しみと怒りだけだ。


「違っ、うっ……!」


 訂正しようにも、力みすぎて再び体を痛めてしまった。いや、そもそも何を訂正するのか。直人に会えない事実は変わらないではないか。


「友美、お兄ちゃんが死んでからおかしいよ。ずっとお兄ちゃんにばかり執着してさ。もう死んだのよ? お兄ちゃんはこの世にいないの。会えっこないのに、会いに行こうなんて……ふざけないでよ」


 待って、雫ちゃん。違うの。あのチケットを使えば会えるの。会えるんだってば。そう言いたいのに、私の喉は一向に震えてくれない。


「ようやく今の生活に慣れてきたのに、辛いこと思い出させないでよ……馬鹿!」

「雫ちゃん……」


 雫ちゃんはたまらず涙を流した。彼女はいつも大人びていて、頼もしい印象だった。だが、今の彼女が見せる子どものような泣き顔は、酷く心に刺さる。

 きっと彼女は、私に負けないくらい直人に会いたがっていたんだろう。冗談だと思いつつも、もしかしたら叶うんじゃないかと期待をしていた。そんな期待を裏切られた怒りと悲しみは、私のお粗末な脳みそでは、理解するのに時間がかかった。


 彼女は私に背を向け、玄関のドアに手をかける。




「友美の……嘘つき」


 バタンッ

 勢いよくドアが閉められる。直前に彼女が放った言葉。決して大きくはないのに、なぜか私の耳にははっきりと聞こえた。私の心を鋭くえぐった。私も耐えられなくなって、涙を流した。


「雫ちゃん……ごめん……ごめんなさい……」


 私はようやく理解した。自分が間違っていることに。雫ちゃんみたいに、死んだ人ときっぱり別れを告げて、前向きに人生を歩もうと決意してる人だっているんだ。

 前にセブンに連れていった伊織君もそうだった。その人達の考えを無理やり変えさせようだなんて、とんだ間違いだったんだ。エリン先生だって、私が無理やりセブンに連れていったせいで、失恋を経験してしまった。全部私のせいだ。


 死んだ人に再会できれば、悲しみも晴れると思っていた。だけど、いつもそうだなんて、限らないじゃないか。どうして私は、そのことに気付かなかったんだろう。


「うぅっ……うぅ……」


 それでも、直人に会いたがっている自分がいる。延々と彼との再会に囚われる愚かな自分が。私は一体いつまで別れを告げられずに、彼に執着しているのだろう。私は本当にどうしようもない人間だ。




「……友美」


 花音が私の肩に、優しく手を置く。彼女も散々面倒なことに付き合わせてしまった。心の底から罪悪感がこみ上げてくる。


「花音、ごめんなさい……」




「謝らなくていいよ」

「え?」


 花音は枕元に置いてある私のメガネを手に取り、私にかけてくれた。


「確かに、保科君やエリン先生、雫ちゃんにしてきたことは、どうかと思う。でもね、そこまで直人に執着するってことは、それほど彼のことが大好きってことでしょ?」


 メガネをかけると、優しく微笑みかけてくれる花音の顔がよく見えた。


「それ自体は、素晴らしいことだと思う。だから、私は否定しないよ。直人に会いたがってることを、ダメなこととは思わない」

「花音……」


 どうして花音は、私を責めたりしないんだろう。散々周りに迷惑をかけた自分勝手な私を、どうして否定しないんだろう。


「なんで……」

「なんか……今の友美、あの子に似てるから」

「あの子?」


 突然、花音はかつての親友のことを語り出した。本当に突然だったけど、私はなぜか不思議と聞き入ってしまう。


「私や友美と同じくメガネをかけた女の子よ。好きな人のこととなると一生懸命で、周りの制止も聞かずに突っ走ってた。少し図々しくて、でもすごく優しくて、そこが可愛い子なの。今の友美みたいにね」


 花音の言葉に頬を容易く染められる。そんなナチュラルに褒めないでよ。恥ずかしいから。


「あの子は本当にすごい人だった。好きな人のためなら、何でもした。体中傷だらけになって、もうダメって感じになっても、何度も何度も立ち上がったの。彼女からたくさんの勇気をもらったわ……」


 花音の瞳の輝きから、その子が本当にすごい人だということが伝わる。花音も十分にすごい人だけど。でも、彼女に「すごい」と口にさせるその女の子が気になる。どれほど魅力的な子なんだろう。


「友美を見てると、その子のことを思い出しちゃうのよね」

「はぁ……」


 花音は私の手に自分の手を乗せる。そして、祈りを込めるように口を開いた。


「友美、あなたも諦めないで。友美なら、きっと直人に会える。私は信じてるから」

「花音……」


 花音が手を離す。




「……あっ!」


 私の手には、ワールドパスが握られていた。なんで……悪魔達に奪われたはずなのに……。


「友美をここまで運んできた時、玄関に置いてあったのよ。このメッセージと一緒にね」


 花音は続けて、一枚の小さな紙を差し出す。



“諦めないで クラリス”



 クラリスが書いたものだ。どうやらこのチケットは、クラリスがセブンから持ってきてくれたものらしい。現世の人間に使わせることは許されないと、あれほど私に念を押してきたのに。


「クラリス!」

「誰かは知らないけど、これでセブンに行けるわね」

「花音……ありがとう!」


 花音に微笑みかける。久しぶりに心の底から笑えたような気がする。クラリスにも感謝しなければ。


「セブンに行くのは、この怪我が治ってからだからね。いい? 今度こそ直人を見つけるのよ。これが本当に最後のチャンスだから。直人と会ったら、しっかり話し合うのよ」

「……うん」


 私はチケットを見つめる。最後まで私を見放さない仲間のために、私はこの先ないチャンスをしっかり握り締めた。


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