第6話:やるべきこと

「はぁ……はぁ……あっつ……」

「私もっ……汗やばい……」


 どさりと音を立てながら、俺は瑞希の隣に倒れ込んだ。

 布団のシーツが身体にへばりついて気持ちが悪いが、でも、それでも瑞希と抱き合うことはやめれそうにもなかった。

 見つめ合っては唇を重ねて、フッと笑い合う。そしてまたキスをする。


「好き、大好き」

「俺も好きだよ」


 どこぞのバカップルなのか、自分の中にある愛をこれでもかと伝え、肌を重ねる。

 本来であれば、汗ばんだ肌が当たり合うのは気持ちが悪いものだが、相手があいてならば気持ち悪いとは一切思わないもので、むしろこのピロートークが終わらないでくれと考えてしまうくらいだった。


「このまま寝たい所なんだけどさ、やっぱり汗を掻いたまま寝るのはちょっとあれだから、一緒にシャワー浴びない?」


 瑞希は身体をギュッとわざと当てるように、可愛く上目遣いでお願いしてきた。


「……電気を消してなら、いいよ」


 逆なんだよなぁ。本来であれば、恥ずかしがるのは俺ではなくて瑞希なんだけどなぁ。


「女子か! って言っても、私自身もまだ恥ずかしいところはあるから、もちろん電気を消してだけどね」

「それならまあ、入ろうか」


 そう言ったものの、起き上がることはなく、またもや抱き合ってキスをしてしまう。


「うーん……中々動かないなー。身体が鉛のように重いですー」

「わかる。これが例の賢者タイムというやつか……」


「ちょっと? 違うんですけど? 今のは起き上がらせてほしいなぁーっていうアピールなんだけど?」

「なにそれわかりづらい言い方やめて」


 であれば、俺は抱きついている瑞希を離す他ないな。その鉛のように重たい体を起こすことに徹しますか。

 寝転がった全裸の瑞希の手を掴んで引っ張り起こし上げようとするが、アレ? おかしいな。


「ちょっ、マジで重いんですけど。何キロですか……」

「へっ!?」


 素っ頓狂な声を上げた瑞希はすぐさま言葉を続けた。


「ちょっと! そんなに重くないわよ! 最ッ低!」

「おわっ!? 暴れんな! まじで!」


 ジタバタと足と手を動かし暴れまわる瑞希はまるで暴れ馬。こうなってしまたら最後、謝るしかない。


「ごめんなさ——」

「うわっ! やばっ!」

「今度は何さ……」

「暴れたせいで……ちょっと垂れてきちゃった……」


 あ、うん……そゆこと……ね。







 目を覚ますと、隣には気持ちよさそうに寝ている瑞希の姿はなかった。

 どこぞに行ったのやらと思いながらも、起き上がってトイレに向かう。

 トイレに向かう中で、周りを見渡しても、耳を澄ませても瑞希の気配はないし、靴すらもなかったのできっとどこかへ出かけてしまったみたいだ。


 便座に腰掛け、ちょっとばかし「なんだよ」と拗ねてみたりしたが、いなくなってしまってはどうしようもなかった。

 用を足し、トイレから出て机の前に座ろうとすると、一枚の置き手紙があった。


『緑へ

 今日は茜さんと志世君と会う予定があったので、そちらへ行ってきます。

 気持ちよさそうに寝ていたから起こす気にもなれませんでした。

 ごめんね、本当は私も起きてからイチャイチャしたかったけど、大事な用なので。

 帰ったらイチャイチャしようね。

                               瑞希より』


 くそう……こんな事になるのであれば、目覚ましでもかけておくべきだった。

 とはいえ、多分目覚ましをセットしても、俺は起きなかっただろう。

 なにせ昨日は寝るのが遅くなってしまったからな。


 昨日はあれからシャワーを浴びて——まあそりゃ色んな事があったわさ……本当に何やってるんだろうか。こんな年になってまで風呂で……。

 タガが外れるとはまさにこの事だろう。あー、怖い怖い。でも楽しかったし、すごく幸せだったのは事実なので否定はしない。


 ——綺麗だった、瑞希は。


 思い出すだけでムラムラしてくるのでこの辺で思考は切り替えるべきだと思った俺はキッチンで水を頭から被り、リセットする。

 大雑把に頭をタオルで拭き、スポーツウェアに着替えて外に出る。

 屈伸をいち、にー、さんしーと繰り返し、他にも準備体操をしていく。

腕時計で一時間のタイマーをセットしてっと。


「よーい、スタート!」


 ピッと時計のボタンを押して、走り出した。







「お待たせしました、遅れてすいません。茜さん」


 予定の待ち合わせ時刻より十分ほど遅れて、約束のコメダに辿り着いた。

 ……昨日、頑張り過ぎちゃったせいで、本当に申し訳ない……。つい、盛り上がった所存で……。


「いいのよ、気にしてないわ」


 今日は志世君を説得する初日。

 何を考えているのか、なんで緑が嫌なのかを知るために、話を聞きながら模索していく必要がある。


「志世君、こんにちは」

「……ちわ」


 ありゃりゃ、こりゃまた結構拗れておりますね。


「運動会は楽しみ?」

「たのしみじゃない」

「そっかー、私は志世君が頑張る姿楽しみだよ?」

「あっそ」


 ……こんのクソガキ……。ってそんな言葉使いが荒いのが新君だけだよねー……クソガキ。


「パパが来られないのはなんでかな?」

「しごと。パパはぼくよりしごとなんだ」


 ほうほう。


「やっぱり志世君は緑じゃなくて、がいいんだ?」

「べつに……」


 どっちなんだーい! という視線を茜さんに向けると、茜さんは首を横に振った。


「じゃあなんで緑は嫌なの? 大事なところでコケるから?」

「みどりはやくそくやぶったもん! いちいってやくそくやぶった!!」


 緑、去年あなたがサンダルではなくて、ちゃんとしたスニーカーを履いていればこんな事にはならなかったかもよ……。


「志世君は知らないかもしれないけどね、緑は志世君との約束を守るために頑張ってるよ? 多分今日も走ってるよ?」


 昨日の寝る前に明日は朝から走ると言っていたから、これを敢えて伝えてみることに。


「だからなんだよ」

「確かに緑は約束を破ったかもしれないけれど、約束を守るための努力は怠っていないよ。……これじゃ分かりにくいかな。緑は志世君との約束を守るために頑張っていたんだよ。前の運動会も、今度ある運動会にも。約束を破ったからこそかもしれないけど、毎日仕事から帰って来たら走ってるんだよ?」


 子供に何を言った所で、伝わらないかもしれないけど、言わないと伝わらない事もあるはず。どれだけ志世君の為に彼が頑張っているのかを知って欲しかったってのもある。


「そんなのみずきがつくったうそだもん! みどりだよ? みどりがぼくのためにがんばるなんてうそにきまってる!」


 ねえ緑……あんた一体、今までどんな感じで志世君とコミュニケーション取ってきたの……あ、ゲーム……。

 一度、201で遊んだ時にずっとゲームしてたわ。すぐ分かってしまった自分が憎らしい。子供にまで、インドア派とバレてるじゃない。


「じゃあパパが来てくれるなら、緑はいらない?」

「……いらないことはない。みどりのことすきだし」


「パパが来てくれるように説得したら、志世君は頑張れる?」

「がんばれる……でも、こない……」


 志世君の言葉を聞いて、茜さんを見ると表情を暗くした。


「私からも言ったんだけどね、大事なプロジェクトだから、これが決まれば昇進もありえなくないって」


 ……仕事って言われてしまうとどうしても強く出られない。

 休み取ってよって言いましたか? なんて当たり前に言っている筈だから、何も言えなくて、私はあんなに大見得切ったくせに何もしてやる事が出来なかった。


 さて、どうしたものだろうか……。

 今の所、緑が来てくれるために説得をする方法と、お父さんを説得する方法くらいしかない。


 どちらも説得する材料が少なすぎて、説得には至らないだろう。

 うーん……。


 まず一つとして、とりあえず緑が努力している姿を見せてみたらどうだろう? 志世君の中で、私の話が本当だと思ってもらう。信じてもらうには実際に見せるのが速いだろう。


 第二としてあがる候補は、お父さんの説得。

 志世君が本当に来てほしいのは、お父さんしかいない。見てたら分かる。

 お父さんが来てくれることが大前提なわけで、緑はどうしても来れなかった時の代役でしかないだろう。


だけど、私は挙式でしか面識がないから急に話がしたいと言われたら、向こうは困惑するだろうし、私自身が上手く話せるかどうか分からない。


 やはりここに関しては私ではなくて、緑に頼むしかない気がする……。


 私が今やれることは、志世君の説得だけだ。よって、前者の方法で緑の頑張りを見てもらうしかない。


「ちょっと、席外していいですか?」

「うん、構わないよ」


 失礼します。と一言告げ、店を出て電話を掛けた。


『はぁっ、はぁっ、どうした瑞希?』

「今走ってる?」

『もちろんだ』


 ちゃんと走ってる事に感心する。

 普通はここまでしないよ。


『んで、どした?』

「あっ、うん。明日も朝も走る?」

『走るよ。もちろん』

「分かった! それだけ聞きたかった!」

『はーい』


 荒い息遣いだったので、手短に電話を終えて、店内へと戻った。


「すいません、お待たせしました」


 席に座り、アイミルコーを一口飲んで、志世君を捉える。


「志世君、明日も私に少しだけ時間くれるかな? 茜さんにも同様にお願いできますか?」

「……いいけど」


「志世がこういってる事だから、勿論私もいいわよ」


 よし、後は緑に走る時間を聞いて、茜さんに連絡すればとりあえずはいいだろう。


「じゃあこの話は終わりっ! 志世君、シロノワール食べたくない?」


 ニッコリと微笑みかけると、驚いて嬉しそうな顔を浮かべる。素直で可愛いなぁ。


「茜さん、いいですか? もちろんお金は私が払いますので」

「いいよいいよ。気にしないで!」

「大丈夫です!」


 手を出し、私が払いますのでぇ! と顔と共に圧で押し切る。


「……じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

「やったね。志世君!」

「うん!」







 瑞希からの電話を終えて、そこから少しの時間を走り、ちょうど一時間が経った。

 アパートの古びた階段に腰を下ろして、クールダウン。


 良い感じに体力がついてきた。始めた当初とは体力の持ちも違うし、身体の疲労具合も大分マシになった気がする。


 継続は力なり。その通りです。


「さてと、俺のやるべきことをやりますか」


 スマホをポッケから取り出して、ある人物に電話を掛ける。


「もしもし、お久しぶりです」

『こんにちは、緑くん』


 疲れ切ったような声だ。余程忙しいのだろうか。


「今、大丈夫ですか?」

『休憩中だから、いいよ。どうした?』


「あの明日、時間作ってもらえませんか? 話したいことがあるんで」

『んー、まあういいよ。九時くらいでいい?』


「はい。僕もその時間くらいの時間でお願いしようと思ってたところです」

『場所は?』


「そうですね。そちらの近くの公園で。時間はあまりとらせませんので」

『分かったよ。じゃあまた明日』


「はい、失礼します」


 電話を切ると、盛大なため息が出た。


「はぁ~、なんかめっちゃ緊張したわぁー」


 志世、待ってろよ。

 俺がなんとかしてやるからな。


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