アマビエさんと俺

高野ザンク

おっさんと俺

 目を覚ますとおっさんが顔を覗き込んでいるので俺はびびった。


 鍵をかけ忘れて不審者が入ったのだと思っい、ドアの方に顔を向けるとしっかり施錠されチェーンまでかかっている。

 じゃあこのおっさんは一体何者なんだ?

「おっさんではない。お前の心が、私をおっさんの姿に見せているのだ」

 うおう。おっさんが喋った。しかも、なんだ?俺の心を読んだのか?あるいは知らぬ間に独り言を言っていたのか。いや待てよ。今このおっさん、俺の心がなんちゃらとか言っていたな。じゃあ、いったいおっさんならぬあんたは一体何者なんだ?

「私はアマビエという妖怪だ」

 アマエビ?

「それ寿司ネタな。私は疫病を予言し、それを払い去る存在なのだ。妖怪とはいえ、良いもんの妖怪だよ」

 そう言っておっさんはニヤリと笑みを浮かべた。

 妖怪?っていうか、妖怪なのにスーツ姿のおっさんなのかよ。しかもこのクソ暑い夏の最中さなかにネクタイまで締めてやがる。クールビズを知らないのか?っていうか、その妖怪がなぜ俺のところに来たんだよ。

「おいおい説明するから、まずは飯を食わせてくれ。腹が減ってるんだ」

 いきなり人んち来て、飯の催促かよ。しかもこんな貧乏学生のとこ来て美味いもん食えるとでも思ったのかよ。それにしても妖怪ってなに食うんだ?カルカンとか?

「なんでキャットフードなんだよ。ちゃんとしたもん食わせろ」

 じゃあビタワン。

「惜しい、それはドッグフード。ペットから離れてみようか」

 しょうがないから、部屋にあった食べかけのカールを与えてみた。おっさんは袋の中の匂いを嗅いでいそいそと食べ始めた。

「いや、これも美味いけど、飯をくれ。菓子で済ますな」

 カールの欠片をちょいちょい飛ばしながら贅沢なことを言ってくる。

 なんだかよくわからないけれど、ちょうど俺も腹が減ったところだ。俺はおっさんと一緒に近所の定食屋に行くことにした。いや、待てよ。こいつ、他の奴にはどう見えてんだ?っていうかちゃんと見えるのか。

「見えてる、見えてる。早よ行くぞ」

 ちぇっ。調子の良い奴だな。俺はTシャツとジーンズに着替えて、おっさんと出かけることにした。


 定食屋では唐揚げ定食を頼んだ。おっさんはミックスフライ定食を頼みやがった。この店で一番高いメニューだ。

 ところで、このおっさんの姿は俺の心がそう見せているって言っていたよな。だったら女優みたいな美人でも良さそうなもんじゃないか。

「本当はガッキー似になっても良かったんだけどな。おっさんの姿なのは、お前の深層心理が本当は女性よりもだな……」

 いや、もういい。それ以上言うな。っていうか勝手にそういう特性を俺につけるな。誤解を生むだろうが。確かに美人なら性別は……とか何言わせてんだよ。いや、それなら美青年とかダンディな奴とかが出てきても良いだろう。それ、どう考えてもコメディリリーフの顔だよ。

「……」

 あ、それには答えないのね。まあいいや。ところで、おいおい説明するって言ってたけど、妖怪が何のようだよ。チマブエって言ったっけ?

「それ、ルネサンス初期の画家な。アマビエだよ、妖怪ひとの名前ぐらい一発で覚えろ」

 おっさんはコップの水を飲んで一息つく。

「この世界に危機が迫っている。放っておくと疫病が流行って世界が滅びるぞ」

 いや、それはわかるよ、それを予言する妖怪なんだろ。なんで俺のとこに来たんだって話、しかも寝起きに。

「お前が疫病を防ぐ鍵だからだよ」

 俺が?

「そう。お前が」

 話についていけないというのなら、このおっさんが登場した時からそうなのだが、余計に意味がわからない。

「お前が私に干渉することで、私は厄災を払う力を手に入れる。本当はまだその時期ではないが、何分腹が減ってしまってな。それで一週間ほど早くお前の前に現れたわけだ」

 え?じゃあ何?おっさん、あと一週間も俺と一緒にいるつもりなの?勘弁してくれよ。おっさんと同居とか嫌だからな。

「掃除、洗濯はやるぞ。あ、でも炊事はパス」

 もうすっかり居座るつもりでいやがる。世界を救うかなんだか知らないが、俺にとってはいい迷惑だ。なんとかこいつを追い出す術はないものか。そんなことを考えていると、定食が運ばれてきた。

 おれにとってはおっさんの姿だけど、他の人にはどう見えているんだろう。おっさんの説明からしたら、その人の深層心理にあった姿に見えてるはずだけど。

 俺は、店員さんに「この人、どんなふうに見えますか」と訊ねてみた。

「おっさんでしょ」

 おい、誰にでもおっさんに見えるんじゃねえか。なにがガッキー似だ。

「……」

 あ、それにも答えないのね。おっさんは俺を無視して黙々と揚げ物を口に運んだ。




「じゃあ、そろそろキスしようか」

 いやいやいやいや、なんでそうなるんだ。可笑しいだろ?女の子とだってまだなんだぞ。ファーストキスの相手が妖怪おっさんだなんて、そんな人生望んでねえから。

「それが疫病から人類を守るためなんだ。私がお前とキスすることでパワーが宿り、災厄を払う力になるのだ」

 いやあ、だったら、せめて女性であってほしかった!

「妖怪に男女ねえから。おっさんの姿してても、人間の言うおっさんそれとキスするわけじゃねえから」

 嫌だよ、なんでノエビアとキスしなきゃならねえんだよ。

「それ、化粧品な。……お前、わざとだろ。なんだかんだで余裕あるじゃねえか」

 おっさんと1週間過ごしてみて、親近感が湧いたというか、まあ何が起こってもしょうがねえという覚悟みたいなのはあったからな。よし!じゃあやろうじゃねえか。ちゃっちゃと済まして世界を救うぞ!

「おっ、その意気だ!やるねえ、流石私が見込んだ人間だ」

 いや、ちょっと待って。どっちから行くの?

「どっちからでもいいが、お前から来たほうが得られる効力は高いぞ」

 うわぁ難易度高けえ。でも、なんかそれわかる気がする。しょうがねえな、じゃあいくぞ。

 俺は意を決して、目を閉じて正座で待ち構えるおっさんの唇に自分の唇を重ねた。その感触は想像よりも柔らかく、マグロのトロを食べたような感覚がした。

 途端におっさんが全身から光を放つ。眩いばかりの光が広がり、6畳一間の俺の部屋を飛び出し、そして世界へと広がった。やがてゆっくりと輝きは収まり、おっさんは満足そうな笑みを浮かべて、俺の前に座っている。

「よくやった。これで世界は救われた」

 ああ、なんとなくそんな感じしたな。良かったな。あ、良かったよ、だな。

 それにしても、なんで俺だったんだ?

「それはな」

 おっさんは勿体ぶって言った。

「お前が、突然現れたおっさんに飯をおごり、同居をし、キスをする、なんていう不可思議な状況を受け入れられる度量の奴だからだよ。そういう人間はお前しかいなかったんだ」

「本当は私のような妖怪は現れないほうがいい。でも、もしまた現れることになったら、その時、お前がまだ今の度量を持っていてほしいと思うぞ」

 いいこと言うじゃねえか。そういう度量の俺ってこの先幸せになれるかな。教えてくれよ。

「その予言は専門外です」

 役に立たねえなチクショウ。

 おっさんはニヤリと笑って、消えていった。




 そんな新型インフルエンザ騒動から10年が経ち、俺は平凡な会社員になっていた。住まいは変わったが相変わらず1Kの独り暮らし。春先から猛威を奮っている新型コロナの感染は収まりそうもなく、俺は自宅勤務の夏を過ごしていた。


 一応待ってはみたが、おっさんは現れない。この10年で、俺はどんな状況でも受け入れる度量を失くしてしまったのかもしれない。俺の他にそういう度量を持った奴がいれば、感染は収まっているのだろうが。

 まあ考えても仕方がない、誰かが世界を救うのだろう。そう思ってコンビニにでかけた路上で、だった。前方10mぐらいのところにおっさんが立っていたのだ。

 おい、来るのがおせえよ。何やってたんだよカンタービレ。

「それ、な。っていうか相変わらずだな、お前」

 それを言うならお互い様……っていうかなんで10歳老けてんだよ。おれの想像の姿なんだろ。あの時と同じでいいじゃねえか。

「……」

 あ、それには答えないんですね。わかったよ。

 おっさんは俺と2mの位置まで歩み寄って言った。

「他も探したけど、やっぱりお前じゃないと無理みたいだ。もう時期は来てるからさっさと終わらせよう」

 おう。俺もあれから人生経験積んだからな。キスぐらいどうってことないぜ。

「いや、キスじゃないぞ、今回は」

 え?

「わかるだろ、災厄が10年前より進行している。キスでは力を発揮できない」

 いやいやいやいや、ちょっと待て。するってえとなにかい?俺とおっさんがキス以上のアレやコレやするってことなのか?この2020年、社会は多様化したしLGBTへの理解が深まったとはいえ、俺は異性愛者だからさ!世界のためと言っても心の準備が……。いや、だけど、ここはひとつ新しい世界を創造すると思って、俺が覚悟を決めるべきなのか?

「何、考えてんだ、お前。ほらいくぞ」

 そう言っておっさんは自分の肘を突き出した。

 は?なにそれ。

「肘タッチだよ。濃厚接触はダメって言われてるだろ?」

 あ、それなの?!なんだよ、キスより簡単になってんじゃねえかよ。あせらすなよ。おう、わかった!それならお安いご用だ。

 俺は自分の肘を突き出し、おっさんと肘を突き合わせる。

「それに10年前だって、唇にだなんて言ってないぞ」

 は?じゃあ、何?あれ手とかでも良かったの?おっさん、目を瞑って雰囲気作ってたじゃねえかよ!

 おっさんはニヤリと笑うと、10年前同様全身から光を放ち始めた。

 この光が世界を包めば災厄は終わる。それは間違いないだろう。こうして俺は、いや俺たちはまた世界を救ったのだ。


 輝きを放ち終わったおっさんは、俺をしっかりと見据えた。いや、お疲れおっアマビエさん、これからどうすんだ?

「おいおい説明するから、まずは飯を食わせてくれ」

 10年老けたおっさんは10年老けた俺に向かってそう笑いかけた。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アマビエさんと俺 高野ザンク @zanqtakano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ