俺は、もう迷わない!!

入川 夏聞

本文

 俺はもう、迷わない。


 砂利を焼く日差し、けたたましいセミの声。

 寺の境内を囲む大木、湿った土の香り。


 ここの空気は、懐かしい。


「おお、けんじゃないか」

「師範。お久しぶりです」


 袈裟姿でホウキを持った師範の雰囲気も、あの頃のままだ。

「なんじゃ、じろじろと。そりゃ、この年ならハゲもするわい」

 目尻のシワ数は増したが、より柔和になった印象がする。

「お元気そうで、安心しました。師範」

「ほっほ。じゃが、さすがにもう空手は教えておらん。お前にそう呼ばれるのも、しっくりこんわい」

 師範の視線が、足元の石段に置いた花束を捉えたようだ。

「なんじゃ、珍しいやつが端のほうで座っとると思うたが、お前。花なんぞ持って、待ち合わせか?」

「ええ、まあ」

「そうか……ああ。東京五輪は、残念じゃったの。お前の最後の空手を、近くで観たかったわい」

「……」

 俺は、自分のこぶしを見た。多くの人に育てて貰った、己の拳。

 真に強い空手家を目指し、この拳一つで高校国体を制し、世界へ飛び出した。

「もう二十年か、お前は世界のトップを走り続けとったからの。五輪代表の白紙撤回も、さも有りなんという事、なのかのう」

 俺は、ゆっくりと拳を、握りなおした。


「おっす」


 その新たな人の気配は、軽い足取りで寺の境内に入ってくる。

 ガリガリの青白い顔、そこに太い黒メガネが付いている。

「よう、ガリメ」


「あれ、ハルカちゃんは?」

「まだだ」

「なんだよ、つまらねえなあ。夜勤明けで頑張って来てんだぜぇ?」

 境内から外へ降りる傍の石段に、ひょろりとした足をふりながら腰を下ろそうとする彼の手には、こじんまりとした花束があった。

 根は昔から、優しい奴なのだ。


「あ、けんボー……う、あっち!」

 ガリメは座ろうとして、石段の熱に苦戦しているようだ。

「あー、くそ。拳ボー、来週の動画配信、どうするよ?」

「おお! そうじゃ、けん。そういえば、ユーツーブとか言うので、応援動画を流しとるらしいの!」

 師範がそれを知っているとは、意外だった。

「ええ。今、主だったアスリートは、皆やってますよ」

「へへ、和尚さん。実はあの格ゲー配信勧めたの、俺なんすよ?」

「ほっほ、ワイドショーで見たぞ。 あのゲームというのか、よく出来ておったの! 本当に、拳にそっくりじゃったわい」

 ガハハと少し笑ってから何を思ったか、師範は半月はんげつに立ち、中段の構えを取る。


 ガリメがハッとするほどの闘気……さすがだ。

 そして放たれる、正拳突き二段。空気を引き裂く音。


「『俺は、もう迷わない!』……じゃったか?」


「やべー! 和尚さん、かっけーっすね」


 盛り上がる二人を、静かに見ている自分がいる。

 ここまで心静かに、この夏を迎えられるとは、思ってもみなかった。


 一昨年、俺は世界大会で敗れた。


 世界に出て、初めて、優勝を逃した。

 年齢は三十七、何度も周囲から引退したらどうかと勧められた。


「俺は、もう迷いません。五輪は、俺の夢。絶対に諦めません」


 敗戦直後のインタビューでそう答え、俺は昨年、全ての大会で勝ち続けた。


 足首の疲労骨折、腰ヘルニアの悪化、ろくに治療していないケガ、故障の数々……医師には、まともな老後はもう無いと、言われている。


 それでも、全然、構わなかった。

 夢を諦める選択肢なんて、浮かばなかった。


 自分を信じる。絶対、勝てる。


 そして、五輪代表を、勝ち取った。

 俺は、最後の大勝負に、勝っていたんだ。


 あの、ウイルス騒ぎさえ、起こらなければ……。


「久しぶりに花見誘ったら、すっげぇネクラ野郎になってたんすよ」

「ガハハ! それは信じられんのお!」


 気づくと、師範とガリメは、だいぶ盛り上がっているようだった。


「ちょうど、コロナのアスリート応援動画が流行ってる時期だったんで、単なるギャグで『おい、ストV《ぶい》のゴウ・サクマの配信でもやれ』ってなって……」


 その時、甲高い声が、石段の下から響いてきた。


「ちょっと。そない適当な気持ちで、拳ボーさん誘ったん、このガリガリ」

「んなに?」


 見ると、ゆっくり境内へ昇ってくるその人物は、豊かな花束を抱えている。

 細いシルエットに、身軽な茶色の短髪姿がよく似合っている。


 俺が手を挙げて挨拶を送ると、彼女は明るい笑顔を返してくれた。


「久しぶりだな。いや、初めまして、か」

「むー、そうやね、いつもネット対戦だけやったし」


 形の良いあごに細い指先を当てる仕草は、サムネイルの写真よりもずっとキレイな印象だ。


「コホン。初めまして、拳ボーさん。天王寺ハルカです」

「ガリメです」

「いや、あんたには聞いとらんわ。知っとるし」

「うわ、扱い方!」

「ほっほ。賑やかじゃのう、善き哉、善き哉」


 そのやり取りに、思わず笑みがこぼれる。


 俺とガリメがストV配信を始めてから、『ある人』に紹介してもらったのが、この天王寺てんのうじハルカだ。

 地元の関西圏ではかなり有名なプレーヤーで、eスポーツ甲子園常連校のエースらしい。

 彼女を紹介されたことを伝えた時、ガリメは興奮で鼻血を垂らしていた……本当の話だ。


 彼女には、基礎からみっちり、叩き込まれた。


「このガリガリ! ガチャぜいのくせに、ホンマでしゃばらんといて! ガチャがうつるわ!」

「ふぐぅ!」「善き哉、善き哉」


……相変わらずだな。今も涙目のガリメ以上に、俺も最初は、彼女の“シゴキ”が、本当にキツかった。


 応援企画の一部として気楽にストVを始めた俺は、それがいかに甘い考えだったかを、彼女から教わった。


“あんた、ゴウのモデルやからって調子こかんといてくれる? マコトが夏の大会にあんた誘ってんは、そない半端な気持ちとちゃうねんで!?”


“は? まだ波動掌もろくに出されへんやんけ! マコトが送った技表とフレーム表、全部覚えろ言うたやろ!?”


“あほ! 大パンガードされたらK連打すなぁ! あんた今四フレ不利やから正味、相手の攻撃十二フレ以内ならガードしか出来へんねんで? Kでなしに小パン八フレで暴れたとしても、十フレの始動には間に合わん……て、このやり取り、何度目や!?”


 初めは、何を言っているのか、全く理解できなかった。


 変わった子だと思っていたが、違った。

 彼女は、常に全力投球の、立派なアスリートだったのだ。

 

 彼女の割れた怒声は、幾晩もヘッドホンから響き続けたが、俺は全力でその“シゴキ”に喰らいついていった。


 このハルカを紹介してくれたのが、マコトだ。


 彼と知り合ったきっかけは、配信を始めてすぐの春先にもらった、SNSのダイレクトメールだった。


『拳さんのおかげで、右足を切ることが出来たんです』


 その始まりは、衝撃的だった。


 よく読むと、彼は骨肉腫という重病で、一昨年に足を切断する大手術を受けていた。


『小さい頃から大好きだったゲームのゴウ・サクマと、現実の佐久間拳さくま けんの活躍は、僕の生き甲斐でした。いつか世界大会でゴウを優勝させるのが、僕の夢でした』


 ちょうど、俺が空手の世界大会で負けた頃、彼にとっては高校最後の夏休み中に、大病を告知されたと言う。


『父も、母も、妹も、ずっと泣いていて。

 僕は、そんな家族をなぐさめてから、部屋で一人、泣くことが多かった。


 そんな時期に、拳さんの敗戦後の決意インタビューを、見たんです。


 “俺は、もう迷わない”


 あのゴウの決め台詞は、本物の拳さんが高校時代にご両親を事故で亡くした苦しみを、お寺での空手修行で乗り越え、遂に国体優勝した時の一言を元にしているんですよね。その後の世界大会で優勝して、拳さんは日本のヒーローになりました。

 その年に発売されて大ヒットした格闘ゲームが、ストVの原点です』


 そんな事も、俺は知らずにプレイしていた。


『手術の決断をする前に、本物の拳さんから、またあの言葉が聞けて、すごく勇気をもらいました。

 手術後は、約一年、治療のために入院していました。

 そして、この春に退院したんです』


 その先を読んだ俺は、絶句する。


『ガンが、肺に転移していたから』


 そして、次の彼の言葉が、今の俺を支えている。


『でも、僕は、もう迷わない。

 どんな時も、拳さんは日本中を元気づけてくれていました。

 だから、僕も、少しでも拳さんを応援したい、力になりたい、と思っています』


 頭を、鉄パイプで殴られたような衝撃だった。

 俺の深くにくすぶっていた何かが、全て報われた、そんな気がした。


『夏に、仲間とストVの大会をやります。それに出るのが、僕の目標です。

 そして、拳さんが来年の五輪に出られるように応援して、それを実現すること。

 それが、今の僕の夢です』

 


 ハルカが、石段を駆け足で昇る人影に、手を振っている。


「すみません! お待たせ、してしまいましたか?」

 俺の側まで来た声の主は、呼吸を整えている。

「いや、大丈夫さ」

「あの、初めまして。今日は、ありがとうございます、佐久間さん」

「初めまして、マコトさん。拳ボー、で良いよ。君のお兄さんが、つけてくれた通称さ」

 

 ハルカと同じ制服姿の小柄な少女は、ペコリとお辞儀をした。

 肩まで伸びた髪が、日差しを反射して、ゆれている。


「マコト。ほなら、行こか」

「うん。あ、拳、ボーさん。これ……」


 俺は黙って、一枚の小さなメッセージカードを、受け取った。


「すみませんでした。渡すのが遅くなって……この間のゲーム大会も、中止になって……すぐに、いろいろ、有って」

「いや、いいんだ」

「本当に、いろいろ、有って……でも、兄さんは、最後まで、直接渡すんだって。通称のマコトじゃなく、本名を記載した、そのカードを……」


 震える彼女の肩に、そっと、手を乗せた。

 ハルカも、ガリメも、今にもくずおれそうな彼女の側に寄り添うように立っている。


 俺は、カードに書かれたセリフを、知っている。


 自然と、俺の身体は動いていた。


 境内に、さわやかな風が吹く。


 上段蹴り、正拳、踏み込みから、回し蹴り……。


「さすが……じゃの」師範の声と、いくつかの息づかい。


 半月に腰を落とし、正拳突き二段。

 そして、俺は熱い夏の空へ向かって、精一杯、声を張り上げた。


――俺は、もう迷わない!!


(了)

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