第3話 ダエワの王政復古②

 史書に曰く。フラース・マッジャールは大賢人である、と。

 帝国建国からさかのぼる事、二〇年程の間、ダエワの都を治める賢人会議の首席として、かの地のまつりごとを主導したと言う。

 その政治は、ダエワ人の大地主たちに利をもたらす、国内派の重鎮としての見地からのものであった。

 あるとき、大河レイティノアの上流域に築かれた、ダエワ人の植民都市カルカが、クルガン人の襲撃を受けたとの報せが届いた。

 一大事と叫ぶ使者から、その報せを受け取ったフラース・マッジャールはこう答えたという。

「なんだ、の猫が死んだのではなかったのか」

 植民都市と、商いによる利益とを基盤とする、交易派に属するダエワの賢者たちはおおいに憤慨した。

 だが、大賢人に言わせれば、そのような蛮地に赴く以上は、その末路は必然であり、騒ぎ立てるに及ばぬ、となる。

 国内派としての実績は数知れぬ。

 灌漑水路を整備し、新たに耕地を広げた。

 土地争いの裁定に熱心に取り組み、前例を尊び、法令を整備し、まず公平と言って良い裁きをくだした。

 ときに軍勢をもよおし、レイティノア流域で放牧を行う遊牧民であるアラバヤ人の、盗賊化した集団を討伐し、耕作者の安全を確保した。

 またその軍勢を四方へ派遣し、彼が言う蛮地で人狩りを行い、耕作に必要な奴隷をまかなった。

 人狩りは、交易派からたびたびの抗議を招いたが、大賢人は意に介しなかった。

 かくて内外に憎悪を孕みながらも、多数を支配したフラース・マッジャールの統治は盤石であった。

 だが、史書は言う。その治世の後半に、大賢人は、その熱心な支持者をも眉をひそめさせる行いをなした、と。


     ※


「むう。どういう事だ?」

「どういう事だ、と言われましても……」

 マルファの問いに、エルク・バウトはやや困惑を見せた。

「……フラース・マッジャール様は、持病をお持ちだったのですね。この月の始まり頃の事ですが、朝、召使いが向かうと寝台で身罷みまかっていたとか。ああ、彼の方の御心に、星の正しい導きのあれ、です」

 重ねて問う。

「ぬ? 月の始まり? 間違いはないのか?」

「あのですね、は、ダエワの賢人会議に席をもつ二十八賢人の一人ですよ。他所より正確な情報を、手に出来ている、と思うのですけどね」

 いささかの心外さを込めて、若き賢者は言いかえした。

 マルファは眉を寄せた。

 ――ふうむ。ではあれは、誰の差し金だったのだ?

 脳裏に浮かぶのは、稲光と轟音。

 故郷を、樹砦ジェーリェヴォツィタデーリの地を、蹂躙する無数の日干しの泥の魔法人形ども。

 そして月明かりの中……そう快晴であったのに、雷光が踊っていたのだ。魔法の技であろう……翻る、六連星むつつらぼしを織り込んだ旗。

 マッジャール一門の旗。

 照らす月は満月に近い。すなわち、この月の中ほどである。

 気を取り直した様子で、口を開くエルク・バウト。

「まあそう言うわけでして、次なる二十八賢人を一人選び、次いで二十八の首席を選ばねばならない。ダエワの都は今、そう言う季節になっていましてね、対応のためには人手が要る、と」

 胸に手を当て、彼はマルファを見る。

「もし卿が、フラース・マッジャール様の一派に報恩を、と言う事であれば、良ければに従いませんかね? は、マッジャールの一門ではないにせよ、その引き立てで、二十八賢人に名を連ねるに至った、国内派の一員なわけですから。まあもっとも……」

 そこで、何かに気がついたように溜め息をつく。

 腕を組み、片目をつぶり、うかがうようにこちらを見る。

「……もっとも、卿がフラース・マッジャール様ご本人に、恩を感じられている、と言うのなら、おすすめはしません。なにしろは、あの方の死に、一端の責任のある身ですから」

「おいおい。穏やかでないよ」

 アクル・トウンが口を挟む。

「腕っぷしを売り込みに来た身としては、どういう事か、と聞きたいが。誰が敵か味方か分からんのは、殴り飛ばすときに困るのだよ」

「ごもっともだネ」

 賢者の護衛……シル・ウスルトが同調する。

「ええと……あの方には望みがありましてね……」

 思案のおももちで、てくてくと円をえがくエルク・バウト。

 こちらに背が向いたところで肩をすくめる。両の手をひらげて、ひらひらと振る。

 そして突拍子もない事を言った。

「……せっかくですから、クルガンの人。を殺してみませんか?」

「うん? なんと言った?」

 マルファは片目を細めた。己の機嫌が悪化するのを感じる。殺せと言ったか? いきなり、なにをとんでも無い事を言い出すのだろう、私を愚弄する気か?

 しかるにダエワの賢者は、なんと、面白がる風で言う。背を向けたまま、同様の言葉を繰り返す。

「殺してみませんか、と言いました」

「おい! 笑い話にしては出来が悪い!」

 とがめるマルファ。不機嫌は、怒りの念へと変化する。それも熱ではなく、底冷えを帯びたモノとなる。

 だが、エルク・バウトが気に留めた様子はない。

「いいから。いいから。やれるものなら」

 賢き者、のはずの男は、首だけ傾けマルファを見た

 そこには奇妙なまでの自信が見える。その黒い瞳が、笑っている。できるモノか、と言っている。

「…………」

 マルファは、無言で広刃短剣サクスを表に出す。

 構えをとりつつ、今一度、ことの確認を行った。

 言葉に、満身の殺気を乗せて。

「今一度言おう。冗談にしては質が悪い! 命を玩弄物にする愚か者は、痛い目を見て然るべき、と私は思っている。貴公はどうか?」

 殺気はマルファなりの誠意である。殺傷を、出来ないわけではない、と分かるようにしているのだ。

 しかし、エルク・バウトは嘲笑う。

「はは。痛い目じゃなくてですね、きっちりと殺して見せてください」

「良かろう。死ね」

 ならば、もはや是非も無い。

 命は大切である。

 それは前提として、軽侮けいぶされるのは捨て置けない。

 この時代の、誇り持つ者としての、ごく当然の判断をもって、マルファは横一文字に広刃短剣サクスを振り抜いた。

 ダエワ人の銀の髪が、幾本か宙に舞った。

 同時に、ダエワ人の首もまた。

 その肌の、赤色に近しい、血の滴りもまた同じくだ。

 首を無くした身体が、道に倒れる。

 次いで、その首が地に落ちる。

「……お見事、と言うかよ。容赦ない、と言うかよ……」

 あきれた調子でアクル・トウンが言う。

「……どうするのだよ? この状況を」

「知らん」

 マルファは言葉で切り捨てた。

 広刃短剣サクスの血を払い、袖の隠しに片づけながら続ける。

「このファルワードには、捨て置けぬ言葉と、済ませて置けぬ行いがある。仮にも賢者と言うのなら、知っていて然るべきだ。命を軽んじる者は死ねば良い」

「もっともです」

 声がした。

 星の刺繍を施した、ダエワでは賢者のみが許される外套。

 それを着た、この手で殺したはずの銀髪赤肌の男。

 二十八賢人の一人たるエルク・バウトが立っていた。

 平然と。

 悠然と。

 いやいや、むしろ傲然と。

 冷や汗が滴る。

 ――幻惑まどわしではなかった。手ごたえはあったぞ……あったはずだ……あったよな?

 マルファは知らず身構え、広刃短剣サクスの柄を握っていた。

 見れば、地面に散ったはずの血の痕も、いつの間にやらなくなっている。

 すべては無かった事の様。

 確かにこのダエワ人は、異様の自信を見せていた。とは言え、彼女自身の感覚からすれば、驚愕に足る事もまた事実だ。

「これがダエワの……星界魔法と言う奴かよ」

 あごをさすりつつ、驚きを隠せぬ調子で、つぶやきをもらすアクル・トウン。

 星界魔法。

 それは、ダエワ人をして、己の都を世界のすべてと驕らせた業だ。

 この時代、魔法はさして珍しくは無い。

 人は神を崇め、語らい、その力を借り受ける。

 ときに雨を呼び、ときに獣や病を人の世界から退けるのだ。

 同様に、ダエワの民は、星からの力をもって魔法を使う。

 その力の源は、文字通り星の数ほど。

 ゆえに、底無しで、果て無しで、限界が無い。

 四方の民のうわさの中で、語られるソレを信じさせるに足る、奇跡をエルク・バウトは見せてのけた。

「見ての通り、は死にません。そう言う星を見つけました」

 眼の光をのぞけば、ごく平静たる自信に満ちた態度だ。笑うように言を繋ぐ。

「そしてフラース・マッジャール様は、その治世の終わりに不死をお求めでした」

「お蔭で、まつりごとは歪みましたネ」

 辛辣な調子で、シル・ウスルトが口を挟む。

「大賢人は、巨額の財貨を積み上げ、荘園を与え、あげく賢者の位階すらも代償に、死なずに済む事を求めていましたヨ。外道、非道も省みず、ただ一身のためだけにネ。その反動で、今の都はすっかり紛争の巷」

「まあそのおかげで、星観と研究一本槍の、の如きが、若くして、二十八賢人の一角に成り上がれたんですけどね。いやはや」

 そしてエルク・バウトはマルファを見る。

「と、言うわけで、はフラース・マッジャール様に、恩を感じるべき身の上でありますが、同時に、その死に責任を持つ身の上です。なにしろ、十分な対価を得るまでは、と不死をお譲りしませんでしたからね。そうこうするうちに、あの方は星を観に行かれてしまった」

「いいや、お話は理解した」

 マルファは態度を改めた。

「是非、この身をもって、黒森チョールヌィリェスが受けた恩に報いたい」

 すらすらと大嘘を口にする。

 脳裏に浮かぶは燃える故郷。

 樹砦ジェーリェヴォツィタデーリの地。

 緑竜の咆哮と雷電の投網。

 そして怨に報いる思いがある。

「ははは。ありがたい。いやいや、今日は良い日です。珍しい宝玉が、なんと二つも手に入るとは」

 分かっているのかいないのか、エルク・バウトは満面の笑みだ。

 あきれたように、アクル・トウンが問う。

「しかしな、やすやす首をかき切らせるとはよ。賢者様は痛みとかはないのかよ?」

 巨漢は、その問いを口にした事を、おそらく後悔したはずだ。

 人の内から、闇が覗いた。

「……いえいえいえ……」

 エルク・バウトは言った。

「これがもう……いたいんですよ」

 気配が一変していた。眼を見開き、拳を握る。


「いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたいい……死ぬほどにねえ」


 賢人の顔が後景に去り、現れたのは凶人の顔。

「まったくもって痛い思いを多々しましたよ。大賢人様は、が本当に死なないか、本当に様々な手段を試されましたからねえ」


 ゾクリ


 それは、信念と矜持、そして怨恨によって動いているはずの、マルファの背筋すらをも寒からしめるに足る。

 凶人は、マルファにつかつかと近寄り、その両の手をつかむ。

 その瞳が、彼女を覗き込む。

 まるで底無しの穴だ。

 ――これは……大暗星?

 不意にそんな事を思う。

 それは、おとぎ話で物語られた、姿を見せぬ天の星。ただ他の星を喰らう時にのみ、その存在を知らしめると言う。

 闇の星を思わせるモノが言う。

「さて、は、痛みや苦しみの先には、見合う喜びがあるべき。あって然るべきである、と信じています。昨今の政変から、大賢人様からいただいた二十八賢人の地位を、なんとしてでも守りたいし、欲を言えばさらに欲しい、心の底から思って居ます。なにとぞなにとぞ、裏切ることなくご助力を……ね? ……」

「……あ、ああ……わかった」

 彼女がうなずくと、エルク・バウトは手を放した。

 賢人の笑みを浮かべる。

「それは良かった」

 ぱちんと、両の手を打ちあわせる。

 いつのまにやら先程の、闇よりの気配はどこぞへと消え失せている。

 賢者は、己の護衛を見る。

「さて、シル・ウスルトよ。聞くのが遅くなりましたが、叔父上と一緒に居たはずの卿が、何故にここにいるのです?」

「ハイ。申し遅れました事、お詫びいたします」

 少年は、胸に手を当て一礼した。

 態度が、うやうやしさを感じるモノに変わっている。よそ行きの、と言う風情の雰囲気だ。

「我が主たるエルク・バウト様にご報告します。叔父君……デークー・バウト様より言付かりました。街道の整備清掃、本日の割り当て分について完了した、との事です」

「わかりました。叔父上には、日雇いの者に日当と、ふるまい酒でも渡すように、と伝えてください。なお卿は、その補佐をすること」

「心得ました」

 応諾したのち、シル・ウスルトは頭を上げ確認をする。

「して、エルク・バウト様は如何します?」

「先に館に戻っていますよ。彼と彼女をお連れしてね」

 賢者は、実に楽しげにこちらを向く。

「さてさて、ご案内いたしましょう。この世のすべてに」


     ※


 ――ふうむ。この世は綺麗な場所ばかりではないと言うが……

 気取って聞こえるが、まあ、普遍の事実だろう、とマルファは思う。

 人の世の、富と知識と麗しさを集めたとされるダエワの都だが、世界のすべてと言うならば、美麗ならざるモノもある。

 都城の城門……五つある、と言うその一つに近づいた時、マルファはそれを察していた。

 城門は、巨大な人の似姿……古に、ダエワを守ったと言う、ローブ姿の大賢人たちを模した巨像が、左右に立ちこれを守る雄大な物だ。

 城壁を守る水濠みずぼりも、この時代のファルワードに比肩する物はない。

 そこまでは良い。

 問題は、門前の集落である。

 形を整える余裕のない無造作な日干し煉瓦作り……否、ただ泥を積み上げただけ、と言う家屋のようなモノが並んでいる。

 藁束を屋根代わりにしていれば良い方で、壁だけあって空は開け放たれている家モドキも珍しくは無い。

 それでも足らず、ボロだけまとい、道端に座り込む者も多い。

 貧民窟。

 白い肌はクルガン人。黒い肌は南方セナプス人。褐色の肌は、グチ人かアラバヤ人か、あるいはメシリム人らレイティア下流域の人々だろうか?

 だがなんたることだろう。それらを合わせたよりも赤肌の者が多い。

 何処いずこの民より驕れるはずの、ダエワの民が、ボロをまといへつらっている。

「賢者様。賢者様」

「お救いを」

「お恵みを」

「これを、これをご覧なされ、セールの山々からもたらされた奇石にございますぞ。お買い上げに不足はない品じゃ」

「香木。香木はいらぬか?」

 身分ある者が通りかかれば、まとわりつかれるのは必然か。

「おいおい。危ないのだよ」

 アクル・トウンが苦笑まじりで言った。

 ボロをまとった痩せた男の手首を、ごく軽くねじ上げている。

 なおその男の手には、青銅製と思しき短剣が握られていた。

「いかんよ。食い物が足りてない」

 巨漢は、苦笑を浮かべながら、ボロを着た男に言う。

「だからそんな、フラフラと倒れかかりそうになるのだよ」

 命を狙われたように見えたが、彼は単なる事故として済ますようだ。

 ――ふうむ。慈悲深い男だな。

 マルファは思った。

 この時代、あの状況なら、返り討ちで殺しても文句は出ない。そして、それしきの事は、あの巨漢ならばたやすいであろうに。

 なお、マルファは腕力沙汰には及んでいない。

 ただチラチラと、周囲に睨みを効かすだけだ。

 間合いを踏み越え、攻撃圏内に入ろうとする輩の眼を睨みつける。

 睨まれた側は、おずおずと引き下がる。

 幸か不幸か、不意打ちをし損ねたと気がついて、それでもなお仕掛けようとするほどの気合いは、ここいらの者にはなさそうである。

 まあ泥まみれの者を襲っても、得る物とかないのでは、と思われているのかもしれないが。

 そして一行の最後の一人……エルク・バウトは平然としたモノである。

 あたりまえの態度で道を行く。

 なにがしかの魔法を使っているのか、声をかける者こそ居る者の、手出しにまで及ぶ者は居ない。

 ――ふむ。ダエワ人の魔法に、人除け、と言うモノがある。それか?

 そんな事を考える。

 まあまあこれも、左右にマルファとアクル・トウンが居るからかもしれないが。

「……なにがしか、方策は無いのか? 正直、通るだけでコレとはたまらんだろう?」

 周囲に目配りをしながら問うマルファ。

 エルク・バウトは返す。

「まあ隊商を通す時や、しかるべき使者を出すときは、城門の守備兵が道をあけさせているのですけどね」

「そうではなくてだよ、賢者様。彼らが、たかりなどせずに済む、そう言う手立てはないのかよ?」

 次はアクル・トウン。

「都の出費で、炊き出しはしています」

 賢者は肩をすくめる。

「もっとも、それをするから貧民が集まるのだ。やめてしまえ、と言う意見も二十八賢人の中にはあります。貧民が、盗賊になるぞ、と反論しても、軍勢をもって討てばすむとか……」

「奴隷にするのは? 自由は無くなるが、主人に食わせてもらえるだろうがよ」

「わりと奴隷も飽和状態でしてね。さらに言えば、都の周辺の耕作可能地は、フラース・マッジャール様の二〇年の治世の間に、すべて開墾済みでして、耕作奴隷の需要を増やすと言うわけにもなかなかいかない。あと、いくら貧しくても、ダエワ人を奴隷として買うのは法で禁じられていますので」

 史書に曰く。多少の小競り合いこそあれ、フラース・マッジャールの治世は平穏であった。ダエワの都が、その存亡を脅かされるような大乱はなかった、と。

 だが同時に、もともと豊かな大土地所有者が、さらにその富を増していく時代でもあった。平和ゆえに、下剋上など起きる余地は無く、大地主はますます富を蓄え、失敗を犯し困窮した中小農民の土地を買いあげ、かわって奴隷に耕作をさせた。

 総体としてダエワの都は富んだが、没落し無産となったダエワ人の数は増えた。

 彼らは、門前の貧民窟に流れ込むしかなかった。

 そんな時代ではあった。

 都の政治を主導する、ダエワ国内派のドグマでは、為すところの無い状況だ。

 まあエルク・バウトとしては、本意と言うわけではなさそうではある。

 堀にかかる土橋にたどり着いたところで足を止める。

 一礼する守備兵たちに返礼しつつ、貧民窟に向き直る。

「お聞きなさい。ダエワの民よ」

 多くの赤い肌の民。いくらかの、白い肌、黒い肌、褐色の肌の民。

 それらが気のない態度で、こちらを見た。見ない者もまた多い。

 かまわず賢者は声を張り上げる。

「昔の話ですが、の父は、ここで暮らしていました。書記として、お仕えしていた工房の、火災の罪咎を被って。さりながら、先に星を観に向かわれたフラース・マッジャール様の起こされた、灌漑水路整備の余慶で、賢者となったのです。今、都は混沌の巷にあります。収めたあかつきには、かならずや諸卿の身を立つよう計らいましょう。誇りを保ち、しばし待たれるように」

 大演説。

 反応は無い。

「だめですね」

 背を向け、小声で言うエルク・バウト。

「ふうむ。どうするのだ?」

「どうしたものでしょうかね」

「どうにかならんのかよ」

「どうにかしたいのですけどね」

 この都の権力者であるはずの男は、大きく溜め息をついた。

「まあおいおいに、なんとかしましょう。いまより力を手に入れてからね」

 言葉を交わしながら、城門をくぐり、歩を進める三人。

「ほう!」

 先の貧民窟が……それを生んだ事が、この都の汚点なら、こちらに在るモノは美点であろうか?

 ダエワの民は星を観る。

 諸々の民は、諸々の神を崇める。

 この世のすべてであるこの都には、諸々の神の神殿がある。

 城門内側の広場の右手、間近に見えるのは、メシリム人と誓約した嵐の神ダガンの神殿である。投槍を持ち、末広がりの貫頭衣を着た巨像が立つ。

 その隣は、下レイティノアにあってメシリム人と覇を競ったエンテメナの人々に信仰される、大地母神キガルの神殿らしい。豊満な女神像が見える。

 左手側を見れば、まずキナフ人たちの神……魚の尾と竜の羽をもつ、海神ヤムの神殿がある。

 その隣は、アクル・トウンらグチ人のあがめる戦神イラバの神殿だ。斧を持つ女神像が参拝者を迎えている。

 他、様々な民の、様々な神々の神殿がある。あたり前のように並んで在る。

 もちろんクルガン人のための神殿もある。竜の石像が所々にあるのがそれだ。

 ――ううむ。なにか違うのだがな……

 マルファは思った。

 彼女の故郷の樹砦ジェーリェヴォツィタデーリでは、重要なのは生ける竜そのものであり、かたどった像には重きを置いていない。

 まあ上のエディン樹海は広い。クルガン人にもいろいろいる。アレで良い者も居るであろう。細かいことは言うモノではない。そもそも本物の竜を、ここにお連れするのも問題があるではないか。異郷で故郷の風習に触れれるなら、それはそれで良い事ではないか。

 これらの神殿は、同時にそれぞれ民の隊商宿を兼ねているらしい。

 地元の品々を持ち込み、他方の品々を持ち帰るべく、人々が商談し、あるいはただ談笑し、疲れを癒し、また次なる日に備えている。

 豊かさと、活気がそこには満ちていた。

「あとで卿等も、あがめる神の神殿に、行かれるとよろしいかと」

 エルク・バウトが言った。

 ただちに断る二人。

「気にすることはないのだよ」

「うむ。お構いなく」

 なにしろ方や故郷から放逐された身、方や偽りの身の上を公言している身である。

 下手に近寄りたくはない。面倒事の予感しかない。

「……まあよろしい」

 エルク・バウトは、特に何も聞くことなく、己の案を引っ込めた。

 やがて三人は、八つの光芒を持つ星を刻んだ、とある館の門をくぐる。

 ダエワの都の賢者、ないし富貴を持つ者の館に共通の、回廊に囲まれた中庭と星観の塔……もちろん都の中ほどにそびえる塔ほどの大きさはない……を持って在る。最初にくぐった門は大がかりな作りで、諸々の倉庫と召使いたちの住居を兼ねているらしい。

 賢人エルク・バウトの居館であり、賢者身分たるバウト一門の本拠である。

「おかえりなさいませ」

「おかえりなさいませ」

「おかえりなさいませー。エルク・バウト様? どなたですかー? その二人は……」

 口々にあいさつをする召使いたちを、かきわけるように現れたのは、褐色の肌のごくありふれた貫頭衣を着た、いくらかとうがたった女性だった。

「紹介しましょう。吾が館の召使頭のラウーです。お二人とも、必要な物は彼女に尋ねてください」

「ラウーですー。お見知りおきくださいー」

 ラウーは微笑んだ。

 後で聞けば、アラバヤ人であるらしい。外国人で召使いではあるが、奴隷ではないとの事だ。ダエワの身分制度では、奴隷の上で平民の下……異国の民という枠に入る。

 遊牧の民たるアラバヤ人は、ダエワの民が交易を行う際に、雇用されることが多い。なにしろ一般のダエワ人は、都を離れる事を厭うので。

 その縁故で、特に算術に秀でた者が、賢者の館の切り盛りを任される事がある。彼女もそのケースらしい。なお、そうした仕事につくのは、総数としては書記階級のダエワ人の方が多いのは言うまでもない。

「さて、時にエルク・バウト様……」

 召使頭ラウーは笑みを引っ込めた。

「……このお二人は何事ですー?」

「奇貨おくべし」

 二十八の一たる賢人は、ごく重々しげに言った。

「我等の王も言われてますよね? 珍しいモノは、そのうち価値が出るかもしれないから、手に入るなら手に入れておこう、と」

「うちの館の財布は、王様のところほど豊かじゃないんですけどー?」

 うろんそうに言うラウー。

 エルク・バウトは、面倒くさそうに反論する。

「いくらなんでも、二人ばかり護衛を、増やしたところで、傾くほどではないでしょうに」

「そうはおっしゃられましてもねえ……」

 ラウーは不満そうだ。

「……御役目ですからー、街道の手直しは続けねばならないでしょう? でもー、都の公的金庫からのお手当ては、大賢人様がお亡くなりになって以降、支払いが滞っておりますしー……」

「終わります。終わらせますよ。このゴタゴタは」

 館の主は、強引に議論を打ち切った。

「ふうむ。王様など居たのだな」

 マルファは言った。

 なにしろ、ダエワの都は、賢者たちが取り仕切る街である。

 その賢者たちの一人は、関心なさそうに返答する。

「居ますよ。一応はね」

 史書は語る。帝国建国にさかのぼる事、四六〇年の昔、夏に雹が降り、大河レイティノアすら凍りつく年が続いた果てに、上のエディン樹海から、竜の群れがレイティノアに沿って押し寄せてきた、と。

 大河レイティノアに沿って在る、八つの都の王たちは、盟約を結び軍を連ね、これを迎え撃った。

 だが、竜崇めのクルガン人に加え、遊牧民たるアラバヤ人までもを従えた、竜たちの軍勢は強く、八つあった都の一つは灰塵に帰し、当時のダエワ王サルル・ハトウ八世も戦場に倒れた。

 ダエワの城壁にまで押し寄せた、竜たちの軍を退けたのは賢者たちである。

 星よりもたらされた魔法である。

 この都のあちこちに刻まれた、星が竜を斃す浮彫レリーフは、この故事に基づいている、と言う。

 それ以降、ダエワの都は、賢者たちが統べる所となった。

 それでも王家は存続している。広大な荘園を所持してもいる。

 だがまつりごとには加われず、時に祭りに顔を出すのみ。

 それが今も続いている。

「さて、ラウー」

「はいー?」

「彼女に湯浴みをさせてあげてくれませんか?」

 言われて、エルク・バウトの召使頭は、あらためてマルファの方を見た。

 目を丸くする。

「まあまあまあー。泥まみれ。いったい、どちらのお方です?」

上のエディン樹海のクルガンの人だ。泥被っているのは、不慮の事件のせいでしかない」

 マルファはうんざり気味に返答した。

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