Track.1-4「あいつは一体何がしたかったんだ?」

 くそったれ。

 ああくそったれ。

 くそったれ。

 どちくしょうめが。

 こんちきしょうが。


 ――こうやって情緒もへったくれもない短歌を詠めるほど、こういう時の男というものは冷静になれる。


 あれが“蹴り上げ”だったならこうはいかなかっただろう。昇天間際に辞世の句も詠んだかもしれない。

 “蹴り込んで”くれたおかげでどうにか恥骨を強打した程度で助かった感じだ。


 俺が苦悶に身悶えしている間に少女は走り去ってしまった。さすがに立ち上がって追いかけるには痛みが勝りすぎたし、魔術を行使しようにも直前に怒りに任せてドデカいのをぶっ放したためとてもそんな余裕も無かった。


「くっそ――っ」


 未だに悲鳴をあげる股間をどうにか無視しながら、インカムで支部に連絡を取る。

 しかし収穫はあったのだ。完全に避け切ったと思っていたあの羽虫による攻撃を、僅かばかり受けていたらしい。

 一度支部に戻り、解析を頼むとしよう――手合いが行使した術がどのようなものかを知ることが出来れば、次の手も打ちやすい。


「――ふっ!」


 立ち上がり、魔術でぶっ飛ばしたゴリマッチョ兄貴に歩み寄る。

 これは、うん、アレだ。学会スコラに報告書を提出しないといけないヤツだ。面倒くさいヤツだ。

 一応、こいつゴリマッチョが少女を襲っていたのは――傍目から見れば――事実ではあるので、まぁ、うん、刑法第三十七条緊急避難が適用される気はする。脇腹ぶっ潰したのは、まぁ、こっちも左肩潰されてるわけだし、いい感じにおあいこになるんじゃなかろうか。

 そもそも、魔術士が関与している時点で、学会スコラの管轄になって刑事訴訟の対象外にはなるんだが……問題は、あの少女が異術士であることを証明しなければいけない点なんだよなぁ。


「……一応、緊急通報だけしとくか」


 ふところまさぐりスマートフォンを探り出すと、画面をタップして119番通報を行う。後はそのまま放置しておけば、通話や応答しなくても5分から10分後に救急車の到着、ってわけだ。


「――ん?」


 そうしてゴリマッチョから数歩離れたところで、車道の真ん中で街灯に照らされる異物を発見する。

 黒い革のパスケース。透明なビニール面から覗くのは――


「学生証か」


 先ほど俺の股間をぶち蹴ってくれた少女の仏頂面がそこにはあり。

 当然のごとく、その横には学校名と、少女の姓名と思われる印字がされてある。


森瀬もりせ芽衣めい――こいつ……何だ?どこかで……」


 左肩の痛みと身体中のだるさで今するべきでない追憶を打ち切る。

 そして俺はそのパスケースをポケットに仕舞い、インカムで支部に連絡する。


『クローマーク中央支部です』

「悪い、面倒ごとが増えた」

『またですかぁ?本当、お疲れ様です……』

「今からそっち向かう。魔術による攻撃を受けたかも知れん、解析の準備しといてくれ」

『了解しました』

「あと、学会スコラに報告書提出するから、その準備も」

『マジで何やらかしたんですか、もぉ~――』



   ◆


 

 川越街道は板橋中央陸橋交差点を左折した黒いワゴン車は、東武東上線のアンダーパスを通過しそのまま走り続ける。

 路面の補修工事が進む真昼の環状七号線、所々にあるアスファルトの継ぎ目の段差を踏み付けるたびに重厚な車体が僅かに跳ね上がる。

 数分と経たずに、巨大なふたつの陸橋が立体的に交差する板橋本町交差点に差し掛かったワゴン車は、その車体を仄かに傾げながら変わらない速度で右折、中山道へと進入した。


『解析結果出ましたよ』


 右耳の無線式インカムから聞こえてくる同僚のうんざりした声を聞きながら、民間魔術会社クローマークの魔術士、四方月よもつきこうは口角を上げて返す。


「悪いな、徹夜させて」

『本当ですよ。これは相応のものを奢っていただく他にありませんね』

「おーけぃ、おーけぃ。焼肉でいいか?」

『店選びますよ?』


 魔術と異術は、その根本からして異なる。

 航が受けたのが何らかの魔術であったなら、解析の作業も徹夜になることは無かっただろう。

 魔術とは、その殆どがすでに解析されてしまっているからだ。

 “霊銀ミスリル”を媒介として自然現象や超常現象を“再現”する魔術は有史以前にすでに生まれ、神秘あるいは選民の特権、もしくは畏怖の対象としてその殆どが秘匿されながらごく僅かな血筋の者たちによってそれぞれが独自に発展されていった。

 それを集積し、解析を重ね、新たに体系化したのが“学会スコラ”である。“学会スコラ”にて管理される魔術とは、言うなればすでに解析のほぼ終わった、その発展が現在の延長線上にある学問と言える。


 異術はその成立からして大きく異なる。

 言わば異術とは、“霊銀ミスリル汚染の弊害”、公害病の副作用のようなものであり、本来あってはならないものなのだ。

 だからこそ二人として同じ異術を行使しうる異術士はおらず――汎用性に富む魔術に比べそれは独自性に溢れ、だからこそ解析は滞りがちなのだ。


「で、解析結果はどうだった?」


 待ちきれない口調で言葉を早めると、インカムの向こう側の同僚はひとつ咳ばらいをして、おそらく手に持っているだろう解析結果レポートを読んでいく。


『つまり、一種の精神汚染です。特定の感情――この場合は、ヨモさんの“怒り”を増幅させた、という感じです』

「怒り――ねぇ」


 航には思い当たる節があった。

 いくら咄嗟の行動とは言え、空間魔術方術の中でもとりわけ威力の高い【爆震ブラスト】をどうして選択したのか――確かに思い返してみれば、頭に血が上っていなかったとも言い切れない。


 しかし腑に落ちない、合点がいかない。


「だとすると、あいつは一体何がしたかったんだ?」

『え?』


 相手を怒らせるだけの術など、何のメリットがあるというのだろうか。もしくは、増幅させる感情の種類を選択できるとか、増幅させる感情の対象を制御できるとかなら、色々と使い勝手がいいのかもしれないと、航は思考を脳に浮かべる儘にそれを口に出していた。


『ヨモさん、また声出てますよ』

「ん、お?ああ、悪い悪い」


 それは航の癖だった。思考を脳内で完結させず、言語化してアウトプットしたのち、それを自身の聴覚でもって再インプットする。その癖は航の頭の回転を事実早めており、それを実感した航はもはやその癖を隠したり恥じたりすることは無かった。


『でも感情や対象は選べないっぽいですね。そういう術式は刻まれていませんでしたよ。それどころか、怒りの対象は術の行使者に固定されるみたいです』


 再び航は思案し、その過程を言葉に紡ぐ。

 相手を怒らせ、そして自身が標的になる。

 囮役デコイとしては有用かもしれないが、あまりにもメリットが無さすぎやしないか。

 思案はまとまらぬまま、航が運転する車はやがて千代田区にある中高一貫のお嬢様学校“星百合学園”へと到着する。


 持ち前の空間認識能力を駐車場で発揮した後、運転席のドアを閉めた四方月はスマートフォンで時刻を確認する――午後二時三十九分。約束アポを取り付けた放課後まではまだ一時間以上ある。


「適当にブラつくか……」


 歴史ある学舎を見上げながら航は誰にともなく呟いた。


(そーいや、昼飯食ってなかったな……この辺だと何があるんだ?)


 思考を切り替えてスマートフォンで検索しようとした最中。画面が着信を知らせるものに切り替わり、同時に右耳のインカムからは着信コール音が鳴り響く。

 表示されているのは――今朝がた約束アポを取り付けた、今現在自分のいる、星百合学園だ。


「はい、四方月です」

『あ、四方月さんですか?お世話になっております、わたくし、星百合学園の――』


 そして航は頭を抱える。

 電話の内容とは、今日の放課後会う予定でいた、くだんの森瀬芽衣が、今しがた体調不良で早退した、というものだった。

 もとよりこの森瀬芽衣という生徒は学校を休みがちだったが、最近は比較的出席しており、しかし今日は朝から貧血気味だったと。

 そして昼休みに体調不良を訴え保健室で休んだのち、大事を取って早退することにしたのだと。


(今しがた帰路に就いたのならこの辺りを探せば接触できないことも無いか……?)


 航は一通り思考を巡らせた後、自身がまだ学園に到着しておらず、ひとまず向かっている最中なので到着したら学生証を返却すると伝え、通話を打ち切った。


『クローマーク中央支部です』

「悪い、予定が変わった。あと、報告書増えそうだ」

『今度は何ですかもぉ~!』

「対象、森瀬芽衣が学校を早退した。タイミング的に今から全力で探せば間に合いそうだ。対象との接触を優先させる」

『解りましたよ、“学会スコラ”に追加連絡しておきます』

「悪いな、店のランク一個上げといてくれ」


 支部との通話を切り、両手首の術具に意識を通わせる。

 呼吸により体内を巡る“霊銀ミスリル”を活性させ、術具と共鳴リンクさせる。

 右手はポケットから取り出した、森瀬芽衣のパスケースを握り。

 左手は親指と中指とを合わせ、力強く弾く。

 バヂンッ――音が響き、大気中を舞う“霊銀ミスリル”が震え、常人には見えない虹色の波紋を広げていく。


「“広域探査リサーチ”――――――――見つけた」

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