第3話

 その夜、宿でグウェノから提案があがる。

「なあ、ふたりとも。ぼちぼち秘境に入ってみねえ?」

 ハインは腕組みを深め、頷いた。

「拙僧もそう思っていたところだ。とりあえず様子見程度にのう」

「……そうだな」

 打ちなおされたばかりの剣を確認し、セリアスも頷く。

 探索に必要な物資は一通り揃った。パーティーに魔法使いはいないものの、浅いところに行って帰ってくる分には問題ないだろう。

「オッサンは武器はいらねえの? ナックルくらい、セリアスに頼んどけば?」

「拙僧の気功は、金属が間にあっては伝わりづらいのだ。まあ、単純に物理的な攻撃力を高めたいなら、ナックルを使うのもいいが……」

 ハインがグウェノに視線を投げる。

「それより少し『秘境』について教えてくれんか。秘境、秘境とだけ言われてもなあ」

「いいぜ。フランドールの大穴ってのは、わかってるよな?」

 セリアスも武具の手入れをしながら、耳を傾けた。

 城塞都市グランツはフランドールの大穴に面している。その大穴には数々の『秘境』が存在した。謎めいた廃墟、険しい氷壁、複雑な溶岩の迷路……。

「あとは水没しちまった神殿とかな。なんでそうなっちまったのか、誰にもわかんねえんだ。古代文明の遺産って言うやつもいるし、やばい魔導士が作ったって説もある」

 ほかにも吸血鬼の住む城や、歯車だらけの塔など、フランドールの大穴には摩訶不思議な迷宮が点在している。

「とりあえず、肩慣らしには『徘徊の森』がいいかな」

「ほう。侵入者を惑わせる森か」

 グウェノはチッ、チッと指を振った。

「ちょいと違うね。徘徊すんのは冒険者じゃねえ。木に足が生えんだとさ」

 セリアスとハインは何のことやらと顔を見合わせる。

「……木が動くのか」

「そうらしいぜ? オレは見たことないんだけどよ。奥に進めば進むほど、それが酷くなって、ちょくちょく行方不明者も出てるくらいさ」

 これを『肩慣らし』として紹介したのだから、ほかの秘境はさらに複雑怪奇な危険地帯なのだろう。ただ、グウェノの話しぶりからはさほど難所には感じられない。

「まあモンスターは弱ぇし。ハーブでも拾って戻ってくりゃ、及第点じゃねえ?」

「うむ。それくらい慎重に挑むのが、ここでは懸命なのだろう」

 セリアスとて、勇敢と無謀を履き違える真似をするつもりはなかった。

「徘徊の森、か。それで行こう」

「オッケー! そんじゃ、ランプはひとつでいいな」

 いよいよ秘境の探索が決まる。

(退屈凌ぎにはなるか)

 セリアスの剣は切れ味を誇るように輝いていた。


                  ☆


 翌日、セリアスたちは秘境探索の許可を得るため、ギルドへ。すでにリーダーをセリアスとして、このパーティーを登録しており、いつでもサインひとつで出発できる。

「……なんだ? ありゃ」

「妙なことになっとるようだな」

 そのつもりが、今朝のギルドは何やら不穏な空気に包まれていた。

「お願いでございます! どうか、どうかジョージ様を!」

 ジョージ子爵の執事は慌てふためき、ギルドの冒険者らに必死に頭をさげる。

 グウェノが傍の戦士に問いかけた。

「何があったんだ?」

「例の子爵が屋敷の使用人を連れて、許可もなしに秘境に行ったんだとさ」

 ボンクラ貴族の暴走らしい。おそらく執事の目を盗んで、行動に出たのだろう。冒険者たちは呆れ、中には笑いを堪えている者もいた。

「謝礼もお支払いします! どなたか、ジョージ様をお助けください!」

 今にも泣き崩れそうな執事に構わず、セリアスたちは受付で書類にサインを入れる。

「自業自得ってことだろ。なあ」

「しかし使用人は気の毒ではないか。そう遠くへは行っておるまい」

 わざわざ名乗りをあげてまで、助けに行くつもりはなかった。だが、ジョージも徘徊の森に向かったのであれば、ついでに探してやってもいい。

 連れのハインは、ボンクラ貴族の救出もやぶさかではないようだった。

「どうする? セリアス殿」

「子爵の運次第だ。ハーブを採取したら、帰るぞ」

 セリアスの一行は手続きを済ませ、秘境へのゲートをくぐる。


 徘徊の森。それは一見、何の変哲もない森林だった。

 モンスターも動物と大差なく、狼の魔物をセリアスとハインで楽々と蹴散らす。

「これでは相手にならんなあ、セリアス殿!」

「ヒュウ! 楽勝じゃねえか」

 グウェノは短剣を抜くこともせず、モンスターから素材を剥ぎ取っていた。おかげで効率よく成果をあげながら、前衛のふたりは戦闘に集中できる。

「グウェノ殿は、武器はナイフだけか?」

「弓も得意なんだけどよ、ありゃあ荷物になるからさ」

 このメンバーでもっとも身軽なのは、素手で戦えるハインだった。夜間や洞窟の探索となれば、彼に照明を任せることもあるだろう。

 先頭のセリアスは振り向き、ふたりの仲間に尋ねる。

「木は歩いたか?」

 ハインもグウェノもかぶりを振った。

「いや……拙僧にはわからぬ。グウェノ殿、地図は合っとるか」

「今んとこは問題ないぜ。まあ、まだ森の入り口みたいなもんだしな」

 秘境はまだセリアスたちに牙を剥いてはいないらしい。モンスターはいるものの、ハイキング同然の行軍となり、拍子抜けしてしまう。

「この森にタリスマンはあると思うか? グウェノ殿」

「あったとしても、もっと奥だろ。このへんは王国軍も散々、探しただろーし」

 寡黙なセリアスをよそに、ハインとグウェノは無駄話を続けていた。

 不意にセリアスは足を止める。

「どうした? セリアス殿」

「……あの子爵は運がよかったらしい」

 その先では、まさにジョージ子爵らがモンスターの群れに囲まれていた。使用人たちは怯え、子爵の後ろで身を寄せあっている。

「ひいいっ!」

 ところが、子爵の正面には思いもよらない人物が立っていた。

 グウェノが目を丸くする。

「おい、あの子! この間、オッサンがセクハラ働いた女の子じゃねえか」

「おかしな言い方をするでないっ! とにかく助けねば!」

 いつぞやの少女は結界を張り、狼どもの接近を阻んでいた。すかさずハインとセリアスが飛び出し、群れの背後を取る。

「結界を維持していろ!」

「えっ? は、はい」

 彼女が驚く一瞬の間にも、一匹のモンスターが真っ二つになった。

「グウェノ殿! そっちにも何匹か、行ったぞ!」

「へいへい。そんじゃあ、オレも」

 グウェノも軽い身のこなしで魔物の突撃をかわし、ナイフでカウンターを決める。

「ハアッ!」

 とどめはハインが気功を放ち、モンスターを追い払った。

「魔物にしては引き際がよいな。拙僧らには敵わぬと、悟ったか」

「そっちのチビのオッサンよりは利口ってことだな」

 ジョージ子爵はすっかり腰を抜かし、立ちあがることもままならない。

 少女は結界を解き、おずおずと歩み出た。

「あの……ありがとうございます。急に襲われてしまって、詠唱の余裕がなくて……」

「通りかかっただけだ。気にするな」

 セリアスは剣を納め、彼女の風貌を一瞥する。

 やはり魔法使いで間違いない。ただ、それなりの使い手のようだが、実戦経験の乏しさは目にも明らかだった。

 グウェノが軽薄な調子で声を掛ける。

「キミ、名前は? オレはグウェノってんだけど」

「あ、はい。イーニアと申します」

「可愛らしい名前ではないか。拙僧のことはハインと呼んでくれ」

 グウェノはともかくとして、ハインのナンパ行為には頭が痛くなってきた。

 イーニアがセリアスに視線を向ける。

「そちらのかたは……」

「俺はセリアス。とにかく話はあとだ、戻るぞ」

 踵を返そうにも、彼女は西の方角をしきりに気にしていた。左手のコンパスがその方向を指しているらしい。グウェノがそれを覗き込むと、慌てて隠そうとする。

「なんだい、それ?」

「い、いえ! 何でもないんです……」

 ジョージ子爵の一行、とは思えなかった。

溜息交じりにセリアスはイーニアを問い詰める。

「ここで何をしていた? ギルドで許可を取ってきたとは思えんが」

「私は、その……」

 ハインも腕組みを深めて、少女の軽率な行動を窘めた。

「ひとりで忍び込んだというわけか。事情があるのやも知れんが、それはいかん」

「で、ですけど! 秘境のことなら知ってますから」

 イーニアの強情さにはグウェノも呆れる。

「だからってなあ……『知ってる』だけで戦えるわけねえじゃん」

 三人掛かりで諫められ、イーニアもようやく反論をやめた。

「……ご迷惑をお掛けして、すみません」

「もういいな。置いていかれたくないやつは、ついてこい」

 セリアスたちは今度こそ撤退を始める。

「ま……待ってくれ!」

そのつもりが、ジョージ子爵に呼び止められた。

「んだよ、まだ腰が抜けてんのか?」

「そ、そうではない。そうではないのだが、そのぉ……」

 彼の抱えている大問題に気付き、セリアスはやれやれと肩を竦める。

 誉れ高きジョージ=エドモンド子爵は恐怖のあまり、失禁してしまっていた。これにはハインも絶句し、グウェノは笑いを堪える。

「……このざまで子爵とはなあ」

「くくくっ! 可哀相だから、黙っててやろうぜ」

 セリアスたちは大きな荷物を抱え、早々に徘徊の森から引きあげることになった。

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