風は裳と為り

扇智史

* * *

「いつか、ふたりだけで会おうね」


 果たされるはずのなかった約束が、いまでも、濡れた木の葉のように心にまとわりついている。


 「ちい」は、いつだってたくさんの人に囲まれていて、私はそのなかにまぎれた有象無象のひとりにすぎなかった。手で触れられない七色の衣装にあこがれ、無味無臭の気配を夢想し、歌声だけがほんものであるように思いながら、舞台の片隅に実体もなくたたずんでいた。

 「ちい」は色と形と音だけの世界にいた。そこに行くには、私たちはたくさんの機械とアプリケーションを使い、たくさんの手間ひまをかける必要があった。でも、靴を履いて外に出るだけのことがあまりにも難しかったころには、その複雑な経路だけが私たちを外につなぎ止めてくれていた。

 手を伸ばしても、触れることはできない。距離は、人と人との間と同じに隔たっている。だけど、私は「ちい」のすぐそばにいると感じていた。


 最初は、誰でもないひとりだった。万人に与えられたありきたりのアイコンと、雑然として光るところのない文字の羅列の中に埋もれた、誰でもない誰かだった。

 次には、クレジットで印をつけられたことばを読み上げられるだけの、数十人の熱心な仲間たちのひとりだった。それから、もっとクレジットを積み上げて、個別に話をする数分間を手に入れた数名のひとりになった。

 ふたりだけの時間は、夢のようで、現実との落差でめまいを起こすほどだった。翠玉よりも輝く瞳がすぐ近くできょろきょろと揺れ動き、ほんのり紅色をつけた唇が開いたり閉じたりするたびに、川のせせらぎのようにやさしい声が耳の中をくすぐった。

 太くまとめられた束で演算されていた銀色の髪さえも、一筋一筋が光り輝いているみたいに思えて、私はいつも、「ちい」の髪に触れたくて手を伸ばしてばかりいた。ごめんね。「ちい」はいつも、私の手を、あるいは私の手など存在しない場所を見つめて、ため息のように苦笑いをした。その息の音さえ、私の心臓を震わせた。

 私と「ちい」の間で交わされる視線は、火花のように熱くて、だけど燃え尽きることなくふたりをつないでいた。

 そのつながりをそっとたどるように、「ちい」は、私の方に手を伸ばした。薄くたわむ柔らかな袖の上で、プリズムのような様々な色の筋が縦横に揺らぎ、私に迫ってきた。

 そっと、小指を差し出して、「ちい」はひそかな声で約束をした。

「いつか、ふたりだけで会おうね」

 こうして話している時間のことではないのだった。色と形と音だけではない、得も言われぬほどかぐわしい「ちい」の香りと、想像もつかないほど繊細であったかい「ちい」の触感とを伴った出会いを、「ちい」は夢想していたに違いない。

 だって、私もそうだった。きっとね、と答えた私は、こどものような夢を見ていた。

 なんとなれば、夢の中の「ちい」のほうが、かぐわしく、繊細で、あたたかいはずだった。


 音楽が、全身にまつわるものだとわかったのは、「ちい」の歌を聴いてからだ。

 まだ学校に集まることができていたころに、みんなで合唱したり演奏したりしたのは、口先から出る声や、小手先で作る音でしかなかった。その音がどうしても耐えがたかった私にとって、音楽とは、重たい頭痛と酸っぱい吐き気と、鈍く重い侮蔑の視線だった。

 色と音と形の世界に出入りするようになって、たくさんの音を聴くようになって、少しずつ、音楽とは耳で聴くものだと解り、口ずさむことをいとわなくなった。

 だけど、腕や脚まで染み入り、指先とつま先でリズムを刻ませ、腰のひねりと、肩の揺れと、膝と首とでビートを打たせ、頭のてっぺんから胸の奥底までを一度にことばで震わせたのは、ただ「ちい」の歌だけだった。

 詞も曲も自分で作る「ちい」の歌に触れることは、すなわち、私が「ちい」と一体化することだった。その間だけ、私は「ちい」のことを全部知っていたし、「ちい」にも私のことを全部知ってもらえていた。

 歌が終わるたびに、私は幻の痛みを感じた。引き剥がされたくなくて、私はいつも、赤ん坊のように激しい声で泣いた。


 だから、「ちい」に、歌詞をつけてほしいと頼まれた瞬間、私のほんとうの生が始まったのだ。解像度の高くなった体と、感度を高めた心とが、世界とつながるのだと実感できた。


 「ちい」のことを書くのは、恥ずかしくてできなかった。

 だから私は、朝露のことを書いた。そっと咲く花のことを書いた。草のことを書いた。水のことを書いた。灯火のことを書いた。雨のことを書いた。

 とっくの昔に、本物のそれらはとてもとても遠くのものになっていた。だから、それを書くことは「ちい」を書くことと同じだった。

 私の歌詞を読んだ「ちい」は、目じりをわずかに細め、口元を三日月のような形にして、あいまいな吐息をこぼした。笑っていたのだと思うけれど、いまでも解らない。


 その日を境に「ちい」は消えた。

 どんなに複雑な経路をたどって接続しても、「ちい」のいる場所にはたどり着けなかった。ほかの仲間たちから伝えられる不確かな噂を頼りに、あちこち探し回ったけれど、手がかりはなかった。いつもそこにいる、ということが、どれだけ大事でかけがえのないことなのか、私が理解し始めたころには、みんなが「ちい」の不在を受け入れ始めていた。

 櫛の歯が抜けるように、仲間たちも消えた。「ちい」が消えるのよりも、ずっと未練がましかったけれど、つまるところ「ちい」がいなければ一緒にいる理由のなかった人々だ。去ってしまえば、それだけのことだった。

 私は、最後まで残っていた。でも、他の人から見れば、私も消えたうちに入るのかもしれなかった。

 私のいるここが「ちい」の居場所なのか、そうでないのか、確かめる術はもうないのだから。


 そして、私は歌い始めた。最初は、血肉になるほど覚えていた「ちい」の歌。

 それから、私の詞に、きっと「ちい」がつけたに違いない音楽を、夢想し始めた。

 それは、日ごとに旋律も調子も変わる歌だった。朗らかで力強いポップスであり、ゆるやかで切ないバラードであり、激情的で痛々しいパンクロックだった。

 どれがほんとうなのかなんて、誰にも、私にも、「ちい」にも解らない。

 いつしか、私の歌は私だけのものになっていった。「ちい」の歌詞も、「ちい」のメロディさえも、私は勝手に作りかえて唄った。それが偽物や、まがい物だなんて、これっぽっちも思わなかった。

 「ちい」がいなくなったいま、「ちい」でいられるのは私だけ。だから、私が「ちい」だった。


 歌を唄いながら、私は、外に出た。誰にも邪魔されなかったから、誰も外に出ることを禁じてなどいなかったのだと理解した。

 禁じられてはいないのに、そこには誰もいなかった。枯れ果てた木々と、ひび割れた建物の壁面と、灰色の陽射しだけが、私を迎え入れるすべてだった。

 色がなくて、形だけがあった。かすかに焦げたにおいだけがあって、気配はなかった。

 私は唄った。強く、全身を震わせて、腹の底から息を絞り出して、涙をこぼしながら唄った。涙は花弁の先にたまる朝露に似ていたけれど、かわききった土に、涙の水気はあっけなく吸い取られて消えた。

 そして私は、乾ききった土を割って、芽を出した草を見つける。草がたわむ先に目をやれば、くずおれた鉄骨の端から垂れる一筋の水を見いだす。灰色の空はすでに夜陰に沈んで、鉄骨の下にちらつく火花が、灯火のように私を誘う。

 歩を進めれば、水の下に、血のしずくのように赤く咲く花を見つける。

 花を支える土は、人の手で積み上げられてか、ゆるやかに盛り上がっている。それは、まるで墓標のように見える。


 さっ、と、風が吹く。私は手を伸ばして、涼やかに揺れる袖を強く握りしめる。

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風は裳と為り 扇智史 @ohgi_

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