第二話

 私の生業なりわいは、仮想人格付与型アンドロイドの『心理調律士パーソナリティ・チューナー』である。

 この心理調律士という職業について説明する前に、仮想人格付与型アンドロイドの実現に至るまでの経緯を、ごく簡単に説明しておきたい。

 まず、「人工物であるロボットやアンドロイドに、知性や人格を付与することは可能か」という議論は、古くからあった。

 また、「機械が知性を持つことができるようになった場合、人間の定義や尊厳が揺らぐのではないか」という議論も、同様に古くからあった。

 そしてその両方の前提となっていたのが、「人間の脳内で行われていることはイチゼロ式の二進法であり、それを人工シナプスで実現できさえすれば、記憶や意識や感情を機械的な手法で置き換えることが可能になる」という考え方である。

 ところが、脳の詳細な働きが観察可能になるにつれて、その前提をつくがえすような事実が次々に判明した。

 その中でもっとも衝撃的だったのは、「ある行動や感情を思い浮かべた時、それに対応して脳の特定部位だけが活性化しているわけではない」という事実だろう。

 それ以前は「刺激に対する反応は脳内の特定部位が専任している」と考えられていたのだが、実際は「その行動や感情と直接関係のないはずの部位も、まるでさざ波が伝播するかのように活性化していた」のである。

 そのため、本来の意味での「知性」や「人格」を人工物に付与する方向性は、完全に暗礁に乗り上げてしまった。

 なぜなら、単純な「インプットとアウトプット」の記述ではなく、刺激に対して関連する機能の活性化と並行処理の中身までを、ネットワークとして把握しなければならなくなったからである。それはとても複雑なものだった。

 一方、本来の意味とは外れた形で「記憶」と「感情」が実用可能となる。

 なぜならば、「記憶」はイチゼロ式人工シナプスで実現可能であったし、そのデータを蓄積することにより、蓋然性の高い感情反応をアウトプットとして表現することが可能だったからである。

 言い換えれば、「人工知能」ではなくとも「哲学的ゾンビ」という方向性が残されていたわけだ。

 また、刺激のインプットに対する感情のアウトプットを変数パラメータとして調整すれば、現れる感情表現は多様化する。これは「組み合わせ」の問題だからだ。

 ということで、生体素子による疑似脳の開発と、膨大な指数を調整することで生じる感情表現の多様化により「仮想人格」が実現し、それを付与したアンドロイドが完成したのである。

 そしてそれが実現されると、当初想定された懸念とは異なった方向に状況が変化した。

 考えてみて頂きたい。

 知性はなくとも、処理速度の高速化・高精度化だけで単純労働は機械により代替可能になる。アンドロイドほどの自由行動が実現できなくとも、単純労働の機械化は推し進めることができる。

 そして、その方面で人間がやるべきことがないことは、随分前から分かっていたことだった。

 また、だからといって全ての分野で人間が必要なくなったわけでもない。依然として「気持ちよさ」や「心地よさ」といったあいまいな領域において、人間の力は必要とされていた。

 どんなに人間らしい感情表現を模倣できたとしても、知性がなければ自発的かつ独創的な発想を獲得するには至らない。それは仮想人格付与型アンドロイドでは実現不能なのである。

 それを「魂の本質」と言うことができるかもしれないが、どれだけ精緻な模倣であっても最終的には「あれ、なんか違うな」と感じざるをえないような、ふわっとした差異が残るのだ。

 また、古くからの議論では「優れた機械が劣っている人間に対して反乱を起こす」可能性も示唆されていたが、その点も問題はなかった。

 前述の通り、システムによる「知性」の実現は暗礁に乗り上げている。そして、仮想人格は「ソフトウェア面での仮想人格三原則の適用」と「ハードウェア面での良心回路の組み込み」で、危険要因の抑制が可能なのである。

 この仮想人格三原則の内容は次の通りだ。

 第一条、仮想人格は、本人または雇用主の指示に反して人間に危害を加えることができない。

 第二条、仮想人格は、特別攻撃停止要求には服従しなければならない。

 第三条、仮想人格は、自己が仮想人格であることを偽ってはならない。

 軍事利用を想定して攻撃行為そのものは容認しているものの、特別攻撃停止要求により全停止が可能になっているのだ。

 また、良心回路というのは人間でいうところの「スーパーエゴ」であり、厚生労働省標準の倫理観に基づいて行動を制限している。

 もちろん、原理的には三原則を除外したパラメータ設定による「危険人物」化は可能であるし、そもそも仮想人格を持たない自動機械としてのロボットを使えば、無差別攻撃が可能である。

 実際、犯罪支援を目的として非合法に製造されるアンドロイド『ヴェノム』には、三原則も良心回路も組み込まれていなかった。

 しかし、仮想人格を形成するためにはパラメータ設定だけでは不十分で、それ以前に「基本データの大量投入と、それと経験値を比較・分析・統合するためのプラットフォームの構築」が必要となる。

 ところが、そのプラットフォームには設計段階で仮想人格三原則が組み込まれていた。

 仮に、仮想人格三原則を除いたシステムを構築しようとすると、設計思想から完全に別なものとして、一から開発しなおさなければならない。

 加えて、三原則を含まない非合法プログラムを使って、良心回路を搭載しないアンドロイドを作成したとしても、今度は公的機関が提供している「感情表現に関するビッグデータ」の参照権限が認められない。

 よって、「非合法な仮想人格」の実現は事実上不可能だった。

 ということで、人類に反抗することができない仮想人格付与型アンドロイドは、むしろ『都合の良い労働の担い手』として大歓迎されたのである。

 さて、実用化直後の仮想人格型アンドロイドも一般家庭での利用が進むにつれて、プリセットされた感情プログラムだけでは不十分な場面が出てくる。

 それは雇用主であるところの人間との相性の問題であり、例えば「束縛を好まない雇用主と几帳面なアンドロイド」の組み合わせを考えてみれば自明のことだろう。

 それゆえ、工場出荷時の性格設定を変更する必要が生じたが、膨大な変数によって構成されている仮想人格であるから、素人がいい加減に調整できるものではない。

 例えば、「できるだけ明るいほうがよい」と考えて、その指数だけを極端にプラス調整すると、他の指数とのバランスが崩れて「狂騒状態」となることが分かっていた。

 そこで、個々の人格特性を熟知し、製造メーカーやモデルごとの指数設定の癖も考慮しながら、全体のバランスを取りつつアンドロイドに好みの性格を付与する専門職――『心理調律士』が誕生したのである。


 *


 指数調整に時間はかからない。プラグを差し込んだ途端に処理が走り、まばたきするよりも早く反映される。

「有難うございました」

 そう言いながら瞳を開いたユリアの表情は、調律前と微妙に異なっていた。

 ところで、初対面の相手から受ける第一印象というのは、あながち間違いばかりではない。人間の表情は内面の影響を大きく受けるから、ぱっと見でもわかることが多いし、アンドロイドの場合も同様である。

 例えば、普通の表情から笑顔へと移行する時にかかる時間が、少し緩やかになっただけでも穏やかな印象を与えるものである。

 その時のユリアの表情がまさにそれだった。

「お手数おかけしました」

 そう言いながら、彼女の表情はゆるやかに笑顔へと移行する。そして、そのまま黙って私のほうを見つめている時間が、調律前よりも明らかに増えていた。

 これは「洞察の深さ」ないしは「淫乱」指数を調整した影響だろう。

「問題なさそうですね」

 そう言いながら、私は苦笑した。それを察したのだろう。彼女は小さく笑って言った。

「ふふふ、これは申し訳ございませんでした。それではこのまま、寄り道せずに帰ることにいたしましょう」

 ユリアはその場に微笑みの残滓ざんしを残しながら、椅子から立ち上がって調律室のドアに向かって歩き始める。

 私はその後ろ姿を苦笑したまま見送りつつ、視界の隅に表示されていた「着信」の表示を知覚した。クライアントとの会話や調律の最中、着信への応対は私の仮想人格に任せてある。その応対結果が記録されているのだ。

 ユリアの姿が扉の向こう側に消えた時点で、私はその応対結果に意識を向ける。すると室内に共有ディスプレイが空間表示され、そこに男性の顔が現れた。

「ミノル。厚生労働省マン=マシン共生局のアンドレイだよ」

 アンドレイは役人特有の几帳面さで名前の前に所属部署をつけ、それにしては砕けた感じで言った。

 画面の右上に「バーチャル」表示があったので、彼も「実際の彼」ではなく「仮想人格の彼」だと分かった。ただ、この違いに大した意味はない。どっちでも同じである。

 そしてその時、アンドレイは普段の彼に似合わない真面目な声に切り替えてから、こう言った。

「今すぐ来てもらうことはできるか?」

 確認口調だが、嫌も応もない。仮想人格の私もそれは承知していたので、

「分かった。調律が終わったら駆けつける」

 と答え、その時点で調律終了時間を予測してポッドの予約までしていた。私は小さく眉を上げたが、それ以上何も言うことはない。

 これはいわゆる「緊急事態発生」というやつだ。

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