サマーキャンプ・ミスリード

名取 雨霧

直前にこんな星空が見れたなら──

『拝啓 お世話になった皆様へ』


 お手本のような字で綴られた封筒の中には1枚の手紙が入っていた。


『後悔だらけの人生だったけど、せめて悔いのない死に方を選びたいと思っています。最期までわがままで、本当に申し訳ありませんでした』


 ──信じられないものを目にして、俺はしばし動けない。


「青斗くん!そろそろ薪取りに行こうよ」

「あ、ああ。そうだな......」


 俺は大慌てでその手紙を封筒ごとしまったため、リュックをハグするような姿を見られた。挙動不審な僕にひなは大きく首を傾げたが、何もなかったように「テントの外で待ってるね」と出て行った。ひとまず冷や汗を拭う。続いて落ち着いた俺は、状況を整理し始めた。


 今、自治体主催のサマーキャンプ中で、年齢も環境も異なる俺達三人は三日間を同じエリアで過ごすことになっている。現在は一日目の昼過ぎ、説明会が終わったあとの自由時間である。そこで荷物の仕分けをしているときに誰かの封筒が俺の荷物に混じっていたわけだ──それがだとは、夢にも思わなかったのだが。


 俺は大きく唾を飲み込んだ。

 持ち主はこのキャンプ中に自殺しようとしている。都市からだいぶ離れた田舎の山ならば、誰にも迷惑が掛からないだなんて思ったのだろうか。


 そんなことは言語道断である。共同生活をしていた人が突如自然に飲み込まれるなんて状況、残された方の後味は最悪だ。


 とにかく封筒の存在を唯一知っている俺は、この三日間が終わるまでに持ち主を説得しなければならない。そう数回胸を強く叩いて決意すると、「ねーまだー?」と外から退屈そうな雛の声に急かされる。これはいけない。引きこもり時代のマイペースさがまだ染み付いているようだ。



 ※



「青斗くんって何歳なの?」


 薪探しの旅に出かけた俺達は、木陰の多い道を並んで歩いていた。しばらく続いていた沈黙を取り払うように、興味のなさそうな声音で雛が尋ねる。さっき待たされたことを根に持っているのだろうか。


「今年で二十四だ」

「え!?大学二年生なのに」

「はは、色々あるんだよ人には」

「あー、たしかにそういうこともあるかあ」


 彼女は難しそうに眉をひそめる。俺なんかよりよほど頭の良い彼女はあり得る可能性を色々思考しているのだろう。上条雛かみじょうひな、人懐っこくて穏やかな高校三年生である。彼女の通う高校は学業から長らく遠のいていた俺でも分かる名門であり、立ち振る舞いから度々賢さが滲み出ている。


「雛はもうすぐ大学生だな。大学は楽しいよ」

「うーん......」

「楽しみじゃないのか?」

「んー、分かんないや」


 雛は誤魔化すように笑う。

 俺はその意図を汲みきれない。せめて理由を聞こうと思った次の瞬間、景色は一気に開けた。


「おーい、二人ともこっち!」


 透き通った高い声が景色の向こう側から聞こえた。辺り一面は浅い川になっており、すらりとした女性がこちらへ大きく手を振っているのが分かる。


「私達もちょっと遊ぼうよ!」


 雛に手を引かれ、メンバーの三人で合流することにした。



 ※



「アオ君大丈夫?ほら冷たいお水よ」

千華ちかありがとう。夕飯手伝えなくてすまん」

「気にしないで。ヒナちゃんが料理上手過ぎて、私もすることなくて困ってたの」


 年齢と運動神経を考えずにはしゃぐんじゃなかった。ひたすら動き回って挙句の果てに熱中症ときた。これでは周りに迷惑をかけるただの子供だ。川から戻りテントで休んでいる間、二人の力になれないのが申し訳ない。


「辛気臭い顔しないの!休むことも仕事よ」


 だから、彼女──山寺千華やまでらちかの言葉に救われる。俺と同じ二十四歳にして大学をきちんと卒業し、今では大手企業に就職して二年目だ。周りに気を配れて、誰に対しても暖かく接する彼女だからこそ、そんな人生の黄金切符を手にしたのだろう。


「このあと花火やるけど行けそう?」

「ああ、あんま動かなければ大丈夫そうだ」


 俺は重たい腰を上げる。テントを出ると、焦げ臭さを帯びたほんのり涼しい風が頬を撫でる。風上で次々と花火に点火しているのは悪戯っ子のように微笑む雛だった。


「青斗君の分、まだまだあるからね」

「ありがとう雛。あちち」


 静かな闇夜から一転、焚き火を囲んで花火を楽しむ光景は、昼間に負けず劣らず輝いていた。


 花火に照らされるのは、千華の爽やかでくすぐったい笑顔であったり、雛のお淑やかで綺麗な笑顔であったり。


 きっと二人ともこの瞬間を心から楽しんでいる。


「アオ君、どうしたのそんな難しい顔して」

「ああ、実は笑い方下手なんだ」

「いやいやいくらなんでも下手すぎでしょ」

「放っとけ!......はあ」


 だからこそ、俺は余計困惑した。

 絶対に忘れてはならない。あの遺書の持ち主は、この二人のうちのどちらかなんだ。



 ※



 キャンプ二日目。今度は千華と薪を集めに歩いていた。静かな木陰に涼やかな風が吹いてくれるのも夜だけの話、日中は容赦ない蒸し暑さが二人の体力を奪っていく。


「ひー、あっつ」

「そう言いながら、俺より元気そうだぞ」

「空元気って伝染するからね!アオ君もそのうち元気になるはず」


 千華はいつも周りのことをよく考えている。今だって自分の元気な姿が周りの雰囲気を明るくすると分かっての行動だ。


「本当に、千華は人に気が配れて凄いな」


 少しだけ沈黙が生まれる。

 俺より少し背の低い千華の表情が前髪に隠れて見えない。ややあって千華は口を開く。


「凄くなんかないよ」


 その口調はいつもと打って変わって陰っていた。


「どうしてそう思うんだ?」

「人に合わせるのは、凄く楽なことだから」


 遠くを見つめながら答える。

 それから千華は、自身のこれまでの人生を空虚そのものだと前置きした。空気を読むのが上手い彼女は、いつも好きな方じゃなくを選んでいた。勉強をした方がいいからし、大学に行った方がいいから行き、就職した方がいいからした。その全てが、友達、先生、親、赤の他人の言いなりだったと気づいたのは最近のことらしい。


「自分の人生ってなんだろうね」


 諦めにも聞こえるような声で、千華は呟く。俺は全力で頭を働かせた。もし彼女が遺書の持ち主なら。もしここで自殺を止められたなら。色々な可能性と自分のすべき事を考え、ようやく俺は口を開く。


「自分の人生は自分で切り開くものだ」


 満を辞して俺は言葉を発する。千華が困惑した様子で目を細めた瞬間俺は続けた。


「とか言う奴いるけど、自分の人生なんて大体他人が作ってるんだぞ」


 彼女は大きく目を開いた。俺は味を占めたように自分の話を始める。


 三年間、ずっと部屋に引きこもっていたこと。両親や兄のおかげで少しずつ人と接していけるようになったこと。怖かった学校も、復学してからまた好きになったこと。


「登校するだけで震えが止まらないほど嫌いだった学校も皆のお陰で好きになれたんだよ。きっと千華も、皆が作り上げてくれたその環境を好きになるはずだ」


 長かった俺の話をゆっくり飲み込むように、千華の表情に光が戻っていく。そしてようやく口を開いた。


「もう少しだけ、『自分の人生』になるよう頑張ってみようかな......」

「ああ!だからさ」

「どうしたの?」

「自殺はやめてくれ」


 千華は五秒くらい固まったあと、すぐに笑い出す。


「ふふ、心配してくれてありがと。大丈夫よ、そんなこと思ったことないし」

「そりゃ良かった」


 俺はほっと胸を撫で下ろした。

 あの遺書を書いたのは千華じゃない。

 改めてリュックを開けると、昨夜まで入っていたあの遺書は消えていた。


 今晩やることは一つ。雛を止めなければ。



 ※



 二日目の活動が終わり、皆が寝静まったあとも俺は一人でテントの外を見張っていた。幸い、夜風が火照った身体を冷ます快適な環境な上、宇宙みたいな星空が眺められる絶好の場所だった。


 深夜一時くらいだろうか、雛が自分のテントから出てきた。彼女にかける言葉を迷っていると、雛の口から純粋な歓声が飛び出した。


「わあー!綺麗な星空」


 少しずつ俺に近づいて、彼女はやがて隣で立ち止った。俺は言葉を決める。


「あのさ雛」

「なあに?」

「高校楽しいか?」

「なにそのアバウトな質問」

「俺は話すのが下手なんだ。いいから答えてくれ」

「別に、普通」


 雛はつまらなさそうに口を尖らせて告げる。


「どうしてだ?」

「......皆意味分かんないから」


 ややあって、雛から不満を込めた返事が返ってきた。昨日の会話で引っかかった疑念はこれで確信になった。


「もしかして、いじめとか」

「違う!そんなんじゃないよ!」


 雛は怒りを露わにした。俺は少し引き下がりながらも、耳を傾ける。


「なんとなく......居場所がないだけ」


 弱々しい声だ。彼女の両眼には薄ら夜空の星が反射している。きっともう、どうすればいいか分からないのだ。俺は自分なりの言葉を探して、雛に投げかけた。


「その気持ち、分かるぞ」

「嘘つき。適当に分かったフリしないでよ」

「元引きこもりを舐めるなよ」

「──え?」


 彼女の驚いた表情を見て俺は安心した。俺にしかできない励まし──千華にしたときと同じような再起の物語を聞かせ、俺はこう締める。


「自分の居場所は絶対どっかにある。もしそれでもないなんて言うなら、俺らが居場所になるぞ」


 そういい終える頃には、雛はいつの間にか泣いていた。きっと賢いから、色々なことを考えて行き詰まっていたのだろう。俺は優しく雛にとどめを刺した。


「もう遺書なんて捨てろ」


 数秒後、雛はこくんと頷いて、尻に隠していたカッターを谷へ捨てる。もう一つ取り出したのは、あの遺書だ。


「自分の人生がうまく行かないから、赤の他人の人生を妬むなんて、どうかしてた」


 雛はそう言って遺書を破く。


 星空に照らされた少女の表情は、実に吹っ切れていた。








 一方その台詞を聞いた直後、心臓を撃ち抜かれた気分になった。


 そうか──この遺書は雛のものじゃない。雛が書いた、のものだ。他殺を自殺に見せかけるための。


「そうだぞ」


 俺が震える声で誤魔化したことを、彼女は知らない。

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