それでも魔女は毒を飲む

はな

それでも魔女は毒を飲む

「お前はここで死ぬんだよ。この魔女にその身体を捧げて」


 その日、私は鬱蒼と生い茂る森の深くに、1人の少女を

 ここに来てしまった以上、彼女はもう帰ることは出来ない。ここで命を終えるしかないのだ。

 これは運命。避けられない事。


 少女の瞳に、微かに炎が灯る。なにをどうしようと無駄だけれど、この世の最期に相手をしてやらなくちゃいけない。

 可哀想に。最期に全ての希望もなくすなんてね。


「魔女がなに? 私は魔女なんかには負けない!」


 少女は激しく燃える瞳でそう言い切ると、素早く呪文を詠唱した。

 途端に、私の足元から炎が吹き上がる。


「まあ。痛くも痒くもないねえ」


 その炎は、私を焼くことは出来ない。いや、私の服すら焦げない。

 炎の中にあって、私は平然とそこに存在できる。


「うそ……」


 目の前の少女は、恐怖に引き立った顔をして呆然と私を見つめた。

 良い顔をしている。これから、もっと良い顔をさせてあげなくては。


「ど、どうして…」

「お前たちとは、ここの使い方が違うんだよ」


 手を上げる動作だけで炎を消し、そのまま自分の頭を指差す。

 本当に、この私から見ればみんな赤子同然。可愛いものでしかない。


「どうせ聞いたって試す機会はないけど、聞くかい?」


 少女に反応はない。

 絶望するにはまだ早いんだけどね。


「反撃のチャンスかもしれないよ」

「——聞くわ……」


 そうこないとね。私だって何十年ぶりに訪れた機会なんだから、もっと楽しませて貰わないと。

 すぐに、良い声で鳴かせてあげよう。ああ、想像しただけで笑いが込み上げる。


「お前たちは、この頭の中に詰まっている臓器の事を知らないんだよ。だから使える魔法に限度が出来る」

「臓器って……」

「知らないみたいだねえ。ここには臓器が詰まってるのさ。そして、身体に負担をかける事を制御している。自分の意思とは無関係にね」


 手をかざす。すると、少女の身体が見えない何かにしめつけられた。苦しそうに呻き声を上げる少女。

 私の魔法は、手をかざすだけでなんでも出来る。なんでも。


「な、なんで……詠唱もなしに……」

「詠唱? なぜ詠唱が必要かわかるかい? 一時的にリミッターを外すためだよ。魔法を使うことは、身体にとっては負担だからね」


 そんな事も分からずに、魔法を使っているとはね。馬鹿なものだ。

 そもそも、頭の中の臓器——脳——が制御をかけているなんて事に思い至っていないんだから、笑わせる。


「つまり、お前の勝算は、己のリミッターを外せるかどうかだ」


 少女に近づき、その頬を撫でる。いまだにしめつけられている少女は、呻き声を上げるだけ。

 ああ、もっと。もっと良い声で鳴いておくれ。


「さあ、外してごらん。できるものなら」


 首筋を甘く噛んだ。柔らかな若い肉。いい弾力。申し分ない。

 手を這わせた太ももも、若さに溢れている。


「や、やめ……」

「お前は、ここで死ぬんだよ」


 耳元で囁いた声に、初めて少女に恐怖が宿ったのが見えた。

 ああ、たまらない。その顔、その感情。


「ほら、出来ないだろう? 抵抗したって無駄なのさ」


 少女を魔法から解放すると、恐怖の表情はさらに増した。

 その表情がたまらない。身体の芯からゾクゾクしてくる。


「もう諦めるかい?」

「そんなこと!」


 少女が叫んで発動させた魔法は、一瞬で立ち消える。

 顔を歪めて連続で打ち込んで来るけれど、どれも私に傷一つつけられない。

 どんどん引きつっていく少女の顔。恐怖の旋律。美しい不協和音。生きる実感。

 撃ち込まれる魔法の数々さえ、清涼な風のよう。


「はあ、はぁ……はぁ……」


 荒い息。

 傷一つ付けられない魔法を闇雲に発動させ続け、少女はついに止まった。彼女の認識で言えば、魔力が尽きたというところだろう。

 私から言わせれば、身体に負担をかけすぎないための制御機能が魔力の流入を止めたということになる。

 まあ、そんな認識の齟齬なんてどうでもいいことだけれどね。


「もう終わりかい?」


 少女の顔が歪んだ。その大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 魔法が尽きた今、これ以上の抵抗は無意味だと悟ったんだろう。

 細く絶望の声が漏れ出す。なんて、なんて美しい音色……!!


「わたしを……殺すの……?」

「ああ、そうだね、ある意味では」


 彼女という個が消滅するという意味では、殺すと同義だと言える。


「お前が死んだ後、その身体だけいただくよ。私の新しい器としてね」


 もうこの身体は寿命なんだよ。そう教えてやると、少女はその瞳を大きく見開いて私を凝視した。

 そう、この身体はもう何十年も共にあった。魔法だって、制御なしに使って来た。もう限界が近い。


「そろそろ、毒を飲んで眠らせてやらなきゃと思ってたんだ。そこへお前が来た。これは、運命だねえ」

「そんな……」

「お前には、この身体を埋葬して貰わなくちゃね」


 こうして、何十年も共にあったんだから、一応愛着もあるしね。

 それに、毒を飲んで死んだ身体ってのは、なかなか美しいものなんだよ。どす黒く染まってね。


「あなたは一体……」

「魔女さ。でも、その辺に転がってる魔女と一緒にはしないでおくれ」


 顔がゆるむ。

 この私に選ばれるなんて、こんな名誉なことは他にない。さぞ悦ぶだろう。


「私は深層の魔女だよ。聞いたことあるかい?」


 その言葉に、ひいっと少女がひしゃげた悲鳴を上げた。その腰が地面へと落ちる。

 途端にガタガタと震えだし、逃げようともがくものの立ち上がることすら出来ない。

 恐怖に染まった瞳から、涙があふれ出した。

 なんて嬉しい反応。なんて美しい顔。ああ、生きている悦びに震える美しさ!


「あ、あの……ご、拷問して……殺す……っ……!」

「お前も拷問されたい?」


 にいっと笑って少女の顎に手をかける。

 ぶるぶると震える首。それは恐怖の震えなのか、嫌だという意思表示なのかすらわからないほど。

 深層の魔女の名が、こんなにも神々しく広まっているなんて嬉しいこと……!


「い、いや……いや! お願い助けて、なんでもします助けて……」

「本当は拷問したいんだけどね? お前は幸運だよ。その身体を私にくれれば、楽に死なせてやるよ」


 もう少女は答えない。恐怖に染まり切って声も届かなくなってしまったようだ。

 ただただ美しい顔で、美しい声で鳴いているだけ。


「可愛いこと。その身体、いただくよ」


 ポケットから、小瓶を取り出す。中に詰まっている液体は、致死量の猛毒。

 何十年ぶりかの、味。


 一気に飲み干すと、すぐに胸が沸騰し口から血飛沫を吐く。

 痛い、苦しい……私は、私は生きている……!

 たまらない、この生の悦び!

 この悦びを与えてやれる、私は深層の魔女。私こそが救世主!


 焦点の合わない目で震える少女に手を伸ばす。その頭をつかんだ。

 目が霞む。息が出来ない。胸が燃えて、四肢がもげるほどの激痛。素晴らしい感覚。

 この世の絶頂。


「その、身体を……ッ」


 一気に少女の頭から魔力を流し込み——私は、立ち上がった。新しい身体で。

 目の前に倒れているのは、飲み干した毒で赤黒く変色した壮年の女。

 私の前の身体だ。

 なかなか美しい変色ぶりだ。痛み、苦しみの反応も申し分なかった。


 その古い身体を私は埋葬する。その身体の上に、ありったけの魔法の矢を降らせて。

 肉も土も巻き上げ、地面に落ちたそばからまた空を舞い。

 どれが肉でどれが土かわからなくなるまで矢を降らせて、埋葬する。

 ありがとう、私の古い身体。


 さあ、帰ろう。この深い森の中の、私の住処へ。

 金属で出来た、それはかつて月から渡って来た船。


 そこに私は、いる。

 ガラスの容器に満たされた、液体の中に浸かって。


「いつ見ても、私が一番美しい」


 この新しい身体の頭の中にもある、そのぶよぶよの臓器。

 この世で一番美しい、私。


 こうして、誰かの身体を貰わなければ見られないのが残念だけれど。

 身体があるから、私は深層の魔女として拷問という救いを与えてやれる。だからまあ、いい。

 身体があってこそ、生きる悦びも感じられるのだから。


 だから私は、また何度でも毒を飲もう。

 どんなに苦しくても、それでも私は毒を飲む。それが、この世の絶頂なのだから。




 Fin.






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