ヒロインと悪役令嬢
「テレジア姉さん危ない!」
駆け寄ってきたヒースがそう叫び、その場でにしゃがんで床に手をつける。
すると私の目の前に水晶の壁がそそり立ったのだ。
そして私に向かってきていた黒い渦を、水晶の壁が防いでくれた。
「ヒース、ありがとう。それにしても、ヒースの魔法初めて見たけれどすごいわね」
「いや、感心している場合じゃないから」
ヒースは床にしゃがんだまま呆れた表情を向けてくる。
「そうだ。まずあれを止めないといけないからな」
「フレデリック!」
私の隣にフレデリックが立ちソフィアに向かって手をかざす。
「微力ながら、私も手伝わせていただきますね」
「僕も頑張るよ~」
さらにノアやアスランまでやって来て、同じように手をかざした。
「ヒース、そのままソフィアを閉じ込めるように壁を作れ」
「はい!」
ヒースは頷き集中した顔をすると、ソフィアの周りに水晶の壁を出現させた。
しかしソフィアから放出される黒い靄がその中で暴れまわると、途端水晶の壁にひびが入る。
「壊れる!」
思わずそう声を出すが、すかさずフレデリックが魔法を放ち水晶全体を氷が覆う。
「じゃあ次は僕だね~」
アスランがさっと手を上げると、床から多数の蔓が伸び水晶と氷の壁に巻きついていった。
「では仕上げに私の結界魔法を」
柔らかな物腰でノアが話すと、ソフィアを閉じ込めている壁の頭上から光のベールが包み込むように舞い降りたのだ。
そうして四人の魔法によって、ソフィアの放つ黒い靄を防ぐことに成功した。
だがソフィアはそんな状況でも奇声を上げて叫んでいる。
どうやら正気をなくしているようだ。
「……さて、これからどうするかだな」
フレデリックの言葉にヒース、アスラン、ノアは難しい表情を浮かべる。
「あんなのでも聖女と呼ばれた者。俺達の力では、あの暴走をどうにかするのは難しいだろうな」
「そうですね。正直この僕の魔法を維持し続けるのは厳しい状態なんです。ちょっと気を抜くだけで確実に破壊されますよ」
ヒースは額に汗をかきながらも壊されないよう必死に耐えている。
「だが、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。おそらくあれが解き放たれれば、ここに居る者全員無事では済まないだろう。さらにこの国……いや、最悪本当に世界さえ壊しかねない」
理性をなくし暴れまわっているソフィアを、フレデリックはじっと見つめた。
「やはり閉じ込められている今の内に、ソフィアの命を絶つしかないか」
「っ! フレデリックそれは!」
フレデリックの言葉を聞き、慌てて顔を向ける。
するとその時、人々の中から二人の男女が飛び出してきて私達の前で跪いた。
「フレデリック殿下! お願いがございます!」
「……エルモンド伯爵か。発言を許す」
「っどうか、どうか……私達の娘であるソフィアの命だけはお助けください!」
「殿下、お願いいたします!」
どうやら二人はソフィアの両親らしい。
エルモンド伯爵は青い顔で必死に訴えかけ、夫人は涙をボロボロと流し手を組んでフレデリックを仰ぎ見ている。
「娘のしでかしたことは、決して許されないことだとわかっています。娘に代わり謝罪させてください。申し訳ございません。……私達は魔法が使えないと思っていた娘の将来を憂い、どう接するべきか悩んでいる内に距離を置いてしまいました。そのせいで娘はあのように……。これも全て親である私達の責任です。私達はどんな罰も受ける覚悟がございます。ですからどうか娘には、寛大なご処置をお願いいたします」
「……それは聞き入れることはできない。現段階では、ソフィアの暴走を止めるにはその命を絶つしか方法がないからな」
「そんな! なんとかならないのでしょうか!?」
「難しいだろうな」
フレデリックの言葉を聞きエルモンド伯爵は絶望の表情を浮かべ、夫人はその場で泣き崩れてしまった。
私はそんな二人を見て胸が痛む。
(……本当にソフィアを殺すしか方法はないの? できればこの二人のため……いや、ソフィア自身を助けるためにもなんとかしたい!)
そう思い、いまだに奇声をあげ続けているソフィアに視線を向ける。
(そもそもあの力があるからいけないんだよね。あれさえなければ、ソフィアはただの女の子なんだから。でもどうすれば…………あ)
私はふと前世で使っていたあるモノを思い出す。
(もしかしたらあれを応用すればなんとかなるのでは? それに私には……)
ちらりと右手の甲に視線を向け、まだうっすらと残る紋様を見つめる。
(これがあればいけるはず! あとは上手くいくかどうかだけど……よし、ここでうじうじ考えていても仕方ない。行動に移そう!)
私は意を決すると、足元に寄り添うビビに声をかけた。
「ビビ、もう一度体を大きくできる?」
ビビは私の言葉を聞き、体を震わせると再び人の背丈ほどに大きくなったのだ。
突然のビビの変化にフレデリック達は驚く。
「しゃがんで」
そうお願いすると、ビビは私が乗りやすいようにふせをしてくれた。
「ありがとう」
お礼を言い素早くビビの背中に跨がる。
「テレジア! 何をするつもりだ!?」
「ちょっと私に考えがあるの」
「考え?」
「説明している暇はないわ。また指示を出すから、その時はお願いね」
ちらりとソフィアを閉じ込めている壁を見ると、ちょっとずつだがひびが入ってきているのが見えたのだ。
私は心配そうにしているフレデリックに、真剣な眼差しを向けてからビビに指示する。
「ビビ、あの壁の天井部分まで登って」
「ワン!」
「待て、テレジア!」
フレデリックの呼び止める声が聞こえたが、ビビは大きく跳躍をして一気に壁の上に降り立った。
しかし想像以上の跳躍力に、ちょっと体が固まる。
「ビ、ビビ、すごいわね」
私の言葉に、ビビは嬉しそうに尻尾を振っていた。
何度か深呼吸をして落ち着かせると、ビビの後ろ首を撫で背中から降りる。
「ビビ、私の後ろに立って落ちないように支えててね」
「ワン」
ビビは返事をするように吠えると、私の後ろに回り込み体を押しつけてくれた。
「よろしくね。さて……」
私は足元に視線を向け、激しく渦巻く黒い靄を見つめる。
「上手くいく保証はないけど、でもきっともう一度は無理ね。だったらここは、なんとしてでも絶対成功させなくては」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、下にいるフレデリック達に声をかけた。
「フレデリック、合図をしたら私の足元より少し前に大きめの穴を開けて欲しいの」
「なっ!? そんなことをすれば、黒い靄が一気にテレジアに向かって危険だ!」
「大丈夫よ。だって私には絶対防護の魔法があるのだから」
「だがソフィアの魔法は防ぐことが……」
「ノア、ソフィアは今闇属性になっているのよね?」
フレデリックから視線を移し、ノアに話しかける。
「え、ええ。ですがこのような例は文献にも載っていませんでした。必ず防げるかどうかは保証できかねません」
「でも私は、ノアの魔法を信じているから」
「っテレジア嬢……」
真剣な眼差しを浮かべ、続いてヒースの方を見た。
「ヒース、穴を開けたら他の部分の強化に全力を注いでね」
「テレジア姉さん!」
「もし他の部分にも穴ができてしまうと、これからすることが成功しないかもしれないから。だからお願いね。ヒースがこの壁結界の要なのよ」
「くっ、絶対壊させないよ!」
「ええ、ヒースならできるわ」
ヒースを見て微笑み、続いてアスランに声をかける。
「アスラン、もし私とビビが吹き飛ばされたら蔦で受け止めてください」
「……わかった~。でも本当は、今すぐ蔦で絡めて降ろしたいんだけどね~」
「それでもアスランは、そんなことしませんわよね?」
「テレジアのやりたいことを邪魔したくないからね~。でも危ないと思ったら、強制的に降ろすから」
いつもの眠たげな目からしっかりと意思を持つ目に変わり、真剣な表情を浮かべられた。
私は苦笑しながらも頷く。
そして再びフレデリックに視線を向けた。
「フレデリック、もしもの時は皆をよろしくね」
「もしもなんて俺がさせない。何をするつもりでいるかわからないが、俺が代わりに……」
「いいえ。フレデリックには無理よ。条件が揃っているのは私ぐらいだから」
「テレジア、一体何を?」
「もう議論している暇はないわ」
足元からピシピシと割れ出す音が聞こえたからだ。
私は大きく深呼吸をすると、右手を下にかざし左手で支えるように腕を掴む。
そして一際大きな声を上げた。
「開けて!」
「くっ、絶対に無理はするなよ! よしやるぞ!」
フレデリックの声を合図に、私の指示した部分に大きな穴が開いたのだ。
すると黒い靄がその穴から一気に外に溢れで出してきた。
「吸引!」
そう叫ぶと同時に風の魔法で逆流を起こし、その靄を手から私の中に吸い込ませ始めた。
「くっ、思ったよりも圧が強いわね。でも上手く吸収できている!」
実はこの魔法、前世で使っていた掃除機をイメージして、独自に風魔法をアレンジして発動させている。
そもそも掃除機は風の力を利用してゴミを吸引するモノ。
そこからヒントを得た私は、風魔法を応用すればソフィアから魔力を全部吸収できると考えついたのだ。
普通に考えればとても危ない行為だが、ノアが与えてくれた絶対防護の魔法が、私の体を中からでも守ってくれると信じた。
その考えは成功し、どんどんと黒い靄を吸収し続ける。
確かに私の中で黒い靄が暴れまわっている感覚はするが、体から飛び出すほどの危険は感じなかった。
さらに背中に感じるビビの体温が、私を安心させてくれる。
「よし! このまま全部吸い込むわよ!」
私は気合いを入れ意識を集中した。
しかしその時、私の頭の中に知らない映像が流れ出す。
「え? 何これ……っ!」
とてつもない孤独感と妬みの感情が体の中で渦巻く。
私は眉間に力を入れてそれに耐える。
そうしないと意識が持っていかれそうになっていたからだ。
(これは……もしかしてソフィアの前世?)
見えていたのはカーテンを閉めきった暗い部屋の中、テレビの明かりに照らされてゲームをしている一人の女性。
無造作に伸びた黒髪に黒い瞳。そして着ている服装から日本人であることが予想できた。
ただその顔には覇気がなく虚ろな目でじっと画面に映っている、『輝恋』の私達を見つめていたのだ。
『私を愛してくれないお父様やお母様、それに私を見下すお兄様なんてべつに要らないわ。だって私には、いつでも愛を囁いてくれる人達がいるんですもの』
ふふっと画面を見ながら笑うソフィアの前世に、私は恐怖よりも悲しみの感情を抱いた。
(乙女ゲームはウキウキドキドキしながら、楽しい気持ちで遊ぶモノなんだよ? それなのにそんな風に依存するなんて……でもそうか。ソフィアから感じる負の感情はこの時から作られていたんだ。だから異常に、ヒロインにこだわっていたんだね。ヒロインであれば、無条件で愛して貰えると思っていたから)
そう思うと、なんだかソフィアのことが哀れに感じてしまった。
(でもそんなのは……)
現状を忘れ、前世のソフィアに意識を向け続けていたその時──。
「テレジア!」
「……っ!」
近くでフレデリックの声が聞こえたと同時に、私の肩を強く抱かれた。
私は驚きながら横を向くと、険しい表情のフレデリックが顔を覗き込んでいたのだ。
「フ、フレデリック!? どうしてここに!?」
「……意識は戻ったようだな」
「え?」
「お前は魔法を発動中にふらついて倒れかけていたんだぞ? だからヒース達にあとのことは任せて、氷の魔法で足場を作りここまで登ってきた。しかし……そんな状態でも魔法を止めずにいられるとはたいしたものだな」
フレデリックの視線が、いまだに黒い靄を吸い続けている私の手の方に向く。
「……もうやめていいぞ。テレジアのお陰でだいぶ魔力は衰えている。あとは俺達に任せてお前は休め」
「いいえ、最後までやらせて。必ず全部吸い取ってみせるから」
「だが……」
「ちょっと意識を持って行かれてしまっただけよ。もう大丈夫だから心配しないで。あ、でももしまた意識を失いそうになったら、私を起こしてね」
「……お前は」
にっこりと笑みを向ける私を見て、フレデリックは呆れたため息をつくと苦笑いを浮かべる。
「わかった。やれるだけやってみろ。ただし危険だと判断したら、無理やりにでも連れ出すからな」
「ありがとう」
フレデリックにお礼を言い、まだ下で奇声を上げているソフィアに視線を向ける。
そして次に泣き崩れているソフィアの両親を見て気合いを入れた。
「絶対、皆救ってみせるから!」
力強く宣言しそばにフレデリックがいてくれる安心感を得て、さらに意識を集中すると吸い込む力を強めたのだ。
そうしてソフィアから全ての魔力を吸い出すことに成功したのだった。
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