癒しの風

「私はテレジア嬢に、仕事が終わってから部屋へ来て欲しいと手紙を送りました」


 ノアの言葉を聞き、フレデリックは確かめるように私を見てきた。


「本当か?」

「え、ええ」


 動揺しながらも頷く。

 そんな私を見てフレデリックは大きなため息をつくと、眉間に皺を寄せる。


「なぜ俺に伝えなかった」

「それは……」

「私が誰にも伝えないようにとお願いしていました。テレジア嬢はそれを守ってくれただけです。だから怒らないであげてください」


 憂いの表情を浮かべるノアと私の顔を見比べ、フレデリックはもう一度ため息をつく。


「わかった。俺もちゃんと忠告しなかったのが悪かったからな。しかし……いまだに誰一人現れないこの状況はおかしくないか? あそこまで大きな扉の破壊音が、誰の耳にも届いていないとはとても思えないのだが」


 難しい顔でフレデリックは扉の方を見る。

 私もそれについては同じ疑問を持っていた。


(確かにおかしいよね。普通あんな音が聞こえたら、誰かしら様子を見に来るはずなのに……そういえば大聖堂に入った後、誰にも会わなかった。そもそも人の気配さえなかった気がする……)


 ノアの部屋まで道のりを思い出し首を傾げる。


「ああそれは、ソフィア嬢が皆を遠ざけておいてくれたからです」

「…………は?」


 まさかの名前に私は戸惑いの声をあげた。


「え? え? どうしてソフィアが?」

「……もしやと思ったが、やはりそうか」


 私には意味がわからなかったが、フレデリックは呆れた声で納得する。


「フレデリック?」

「ノア、おそらくお前を唆したのもソフィアだろう?」

「……ええ、そうです。ソフィア嬢が私に自分の気持ちに素直になった方がいいと言われ、そのために協力すると……もちろん最初は断りました。ですが、日に日に募るテレジア嬢への想いとソフィア嬢の誘いに、とうとう私は頷いてしまったのです」

「……そうか」

「私のしてしまったことは、とても許されることではありません。私は総大司教の職を辞して罰を受けます」

「ノア、それは!」


 ノアの言葉に私は慌てて止める。

 しかしノアは、私を見て優しく微笑み首を横に振った。


「いいのです。それだけのことを私は貴女にしてしまったのですから」

「ノア!」

「……ならばこのまま衛兵を呼ぶがいいか?」

「はい。構いません」

「ちょっ、フレデリック!」


 フレデリックを見ると、真剣な表情をノアに向けている。

 ノアも覚悟を決めた顔をしていた。


(どうしよう。このままではノアが……っ私のせいでノアが罪を負うなんて絶対に駄目!)


 そう思うと私は大きな声を上げた。


「ノアは悪くないわ! だからそのようなことしなくていいです!」


 私の言葉に二人は、驚いた様子で一斉にこちらを見てきた。


「テレジア、お前は何を言っている。お前は被害者なんだぞ」

「そうですよ。貴女は私を責めていい立場なのですから」

「いえ、そもそも私は被害にあったと思っていません」

「「は?」」


 戸惑いの表情を浮かべる二人を無視して、私はノアの前に立つ。

 そして膝をついて座っているノアと視線を合わせた。


「テレジア嬢……」

「ノア、まず先にお礼言わせてください。私を好きになってくださってありがとうございます」

「……」

「ですが私にとってノアは、親しく話せる友人です。ノアの告白を受けて考えてみましたが、やはりそれ以上には思うことができませんでした。ごめんなさい」


 ノアは私の言葉を聞いて辛そうな表情を浮かべる。

 その顔を見て心が痛んだが、でもここでハッキリと言わないとノアが前に進めないと思った。

 するとノアは一度目をつむりじっと何かに耐えた後、ゆっくりと私を見つめてきた。


「返事を返してくれてありがとうございます。正直辛いですが、貴女を好きになったことは後悔しておりません。時間はかかるでしょうが受け入れていきます」

「ノア、これからも友人として仲良くしてくださいね」

「……こんな私でよければ」


 にっこりと微笑んだ私に、ノアは苦笑いを浮かべながら頷いてくれた。

 私はスッと立ち上がり、フレデリックの方を向く。


「というわけでフレデリック、私は友人を訴える気はないわ」

「だが……」

「今回のことを知っているのは私達とソフィアだけ。だったら当事者である私達が何もなかったことにすれば、いくらソフィアが騒いでも問題ないと思うわ」

「しかしこの壊れた扉をどう説明する」


 フレデリックがちらりと扉の残骸を目で示してくる。


「う~ん……建て付けが悪くて開かなくなってしまったから、仕方なくフレデリックが魔法で壊したことにすれば問題ないのでは?」

「……それで納得するか?」

「それでも納得してもらわないと。だって王家と教会が不仲になることは、国民のためにも絶対に避けなくてはいけないことだから」

「……はぁ~わかった。今回はテレジアの言う通りにしよう。ノアもそれでいいな」


 ため息を吐きながらフレデリックは、ノアに同意を求める。


「お二人がそれでいいのでしたら、私からは何も言いません。……ありがとうございます」


 とりあえず大事にならなかったことにホッとしていると、ノアが何かを考える素振りを見せた。


「ノア、どうかしたのか?」

「いえ、ちょっと昔見た文献を思い出しまして……」

「文献?」

「今はなんとも……確かなことがわかり次第報告します。フレデリック殿下、ここは私がなんとかしますので、テレジア嬢を連れてお戻りください」

「……そうか、ならあとは頼んだ。テレジア行くぞ」

「え? でも……」


 フレデリックが私の背中を押してきたので、戸惑いながらもノアの方を見る。

 ノアはいつもの優しい笑みを私に向けてきた。


「テレジア嬢、おやすみなさい」

「……おやすみなさい」


 その瞳の奥に悲しみがあることに気がつき、今はそっとしてあげた方がいいと察した私はそう答えることしかできなかった。

 どうやらフレデリックにもそれがわかっていたようで、あえて何も言わず私を促してそのまま部屋から出ていったのだった。


  ◆◆◆◆◆


 テレジア達が居住区から出ていく後ろ姿を、柱の影からソフィアが憎々しげに見つめていた。


「悔しい! どうして上手くいかないの? せっかくノアを焚きつけてテレジアを監禁させることに成功したのに! あのままいけばノアはテレジアを一生閉じ込めて、二度と私やフレデリック様の前に現れなかったはずなのに!」


 掴んでいた柱を強く握りしめ、目をつり上げる。


「……やっぱりあの女は、イベント通りに消えてもらわないといけないみたいね。だけどこのままだったら……そうだわ! あの女がこの国に居るってことは以前は……ふふ、これならなんとかなりそう」


 ソフィアは楽しそうに笑うと、軽い足取りでその場を離れていったのだった。


  ◆◆◆◆◆


 城に戻った私達は、無言で廊下を歩いていた。

 しかしフレデリックは、一度息を吐いてから立ち止まり私の方に向く。

 私も一緒に立ち止まった。


「お前とはまだ話したいことがあるが、もう時間も時間だ。今日の所は家まで送ろう」

「え? 話があるのなら今日でいいわよ?」

「いや外もすっかり暗くなっているから……」

「私は大丈夫よ。それにもともと今日は、遅くなると伝えてあるから」

「だが……」

「いいからいいから。フレデリックの部屋で話をするのでしょ? さあ行きましょう」


 そう言って歩き出した私の後ろで、フレデリックの深いため息が聞こえてきた。

 振り向くとフレデリックは片手で顔を覆い、肩を落としていたのだ。


「フレデリック?」

「……なんでもない。行くぞ」


 なぜか諦めた表情のフレデリックが、私の横を抜け前を歩いていってしまう。

 私は慌ててその後を追っていったのだ。







 フレデリックの部屋に到着すると、前回と同じように侍女を下がらせ私達は向かい合わせにソファに座る。

 ビビは定位置のように私の足元で眠り出した。


「それで話は何?」

「ソフィアのことだ。さすがに今回のことは度が過ぎている」

「……そうね」


 さっきまでのことを思い出し呆れる。


「まさかヒロインが、あそこまでのことをするとは思ってもいなかったわ」

「まあな。だがこれでハッキリした。このままソフィアを放っておけば、間違いなくお前に危害が及ぶだろう」

「どうすれば……そういえば、ゲームだと今はどの辺りなのかしら?」

「確か……ある程度のイベントが終わっている辺りだな。あと残っているのは……断罪イベントだけだ」

「断罪イベント……でも私、悪役令嬢らしくヒロインを虐めていないわよ? 断罪イベントが起こっても、その断罪されるネタがないのだけれど……」

「だがあのソフィアのことだ。何かしら仕掛けてくると思う」

「……確かに」


 ソフィアの私に対する異様な敵視が頭に浮かびうんざりする。


「私、このままゲーム通りに断罪を受けるのかな……」

「そんなことは絶対に俺がさせない!」


 半分諦めモードで呟くと、なぜかフレデリックは腰を浮かせ語気を荒くして叫んだ。

 そのフレデリックにびっくりしていると、ハッとした顔で座り直した。


「フレデリック、どうかしたの?」

「いや、なんでもない。それよりもなんとか阻止することを考えるぞ」

「う、うん」


 様子のおかしいフレデリックに戸惑いながらも頷く。

 そうして私達はどうにか手はないか考えることにしたが、これといっていい案は思い浮かばなかった。

 するとフレデリックが、じっと私のことを見つめていることに気がつく。


「何?」

「思い出したんだが、お前……一部の間で聖女と呼ばれていることを知っているか?」

「…………は?」


 私は耳を疑い困惑の表情を浮かべる。


「何それ? 私が聖女? 初耳なのだけれど!?」

「やっぱり本人の耳には届いていなかったか」

「一体いつからなの!?」

「テレジアがあの疫病患者達を看病した辺りからだ」

「へっ? 私はただ看病しただけだし、他にも看病していた人達はいたわよ? それに一人だけだったけれど、ソフィアが癒しの力で患者を治していたわ。そのソフィアが聖女と呼ばれるのはわかるけれど、私がそう呼ばれるのはおかしいわよ」


 全く意味がわからず戸惑う。


「あの疫病患者達、次の日にはすっかり回復して家路についたのは知っているな」

「ええ。特効薬が効いたからよね」

「それがそうでもないんだ」

「どういうこと?」

「同じように特効薬を飲んだ街や他の地域の患者は、治るのに三日ほどかかったらしい」

「え?」

「すぐに治ったのは、あの保護施設にいた者だけだ。テレジア、何か心当たりはないか?」


 フレデリックに問いかけられ、その時のことを思い出す。


「別に特別なことはしていないわよ。施設内を換気して、患者の体を魔法で清潔にしてあげただけだから」

「患者の体を魔法で清潔に? ……テレジア、お前俺が寝込んだ時、何か俺に魔法をかけたか?」

「え?」

「侍女達は誤魔化していたが、アスランに聞いてお前が俺の看病をしていたと教えられた」

「……っ」


 私は恥ずかしくなって目を逸らす。


(そういえばアスランに、口止めしておくの忘れてた!)


 心の中で叫ぶが今さら遅かった。


「テレジア、ありがとう」

「べ、べ、べつにお礼なんていいわよ!」


 はげしく動揺しながらも、手を振って止める。


「そんなに恥ずかしがることか? まあいい。それでその時のことなんだが」

「な、何?」

「俺にも魔法を使ったか?」

「え? ええ、使ったわよ。疫病患者の時に使った体を清潔にする魔法を」


 なぜそんなことを聞くのかがわからないながらも答えると、フレデリックは視線をビビに移す。


「ビビが瀕死の状態の時にも魔法を使ったか?」

「いえ、使って……あ、ランペール邸に連れ帰る時に、体を保護するため魔法は使ったわ。でもそれぐらいよ?」

「……やはりそうか」


 私の話を聞き、一人納得するフレデリックを不思議そうに見る。

 すると突然フレデリックは、手のひらに氷の氷柱を作り出しそれで自分の手の甲を傷つけたのだ。


「フレデリック!?」


 私は驚き慌てて立ち上がると、フレデリックのもとまで駆け寄る。

 そしてすぐにハンカチを取り出して止血しようとした。

 しかしその手をフレデリックに止められてしまう。


「いい」

「どうして!? 早く治療しないと! そもそもどうしてこのようなことを……」


 痛みに耐えるフレデリックを見ながら問いかけた。


「いいから落ち着け。これにはちゃんと訳がある」

「訳って……」


 どんどんと流れる血に私は焦り出す。


「テレジア、この傷をお前の魔法で治してくれ」

「え? いや、私は光の魔法を使えないわよ!!」

「そんなことはわかっている。お前の風の魔法でだ」

「私の魔法にそんな力はないわ!」

「いいからやってみろ。集中して俺の傷が治るように意識しながら魔法を使うんだ」

「でも……」

「やらないなら、もっと傷を深くするぞ」

「なっ!? 馬鹿なことはやめて! わかったわよ。でも治せないとわかったら、すぐに治療するから」

「ああ、それでいい」


 とりあえずやらなければ治療をさせてくれない様子に半ば諦め、私はフレデリックの隣に座ると言われた通りに傷口へ手をかざす。


(私に傷を治す力なんてないのに……)


 そう戸惑いながらも、でも本当に治るのなら治って欲しいと強く願い意識を集中する。

 そして私の手から優しい風をフレデリックの手に向かって送ってみた。

 すると驚くことにみるみる傷が塞がり、傷口も綺麗になくなったのだ。


「嘘……」

「やはりな」


 フレデリックの確信した声を聞き、困惑の表情を向ける。


「これは一体?」

「そもそもテレジアの魔法には、癒しの効果が備わっていたんだろう」

「え? でも今までそんなこと、できたことないわよ?」

「それは意識して使っていなかったからだ。だから効果がそれほど強く出なかったんだろう。だが今は、治すことに意識を集中したことで強くその効果が現れた。おそらくソフィアが持つ癒しの力と匹敵するほどの力だと俺は思う」

「私がソフィアと同じような力を……」


 私は信じられない気持ちで、自分の手をじっと見つめる。


「テレジアは風の魔法だから、それは癒しの風と言うんだろうな」

「癒しの風……」

「よし、これは使えるな。テレジア、俺達から断罪イベントを起こすぞ」

「え?」

「その力があれば、事を有利に進めることができる」

「どうやって?」

「それはな……」


 そうしてフレデリックは、私に思いついた作戦を話してくれた。

 正直そんなに上手くいくのか不安ではあったが、他にいい方法が思いつかなかったためそれに賭けることに。


「わかったわ。頑張ってみる」

「ああ、頼む」

「ええ。さあじゃあそろそろ私は帰るわね。長居してごめんなさい」


 私は腰を浮かせて立ち上がろうとしたが、なぜかフレデリックは私の手を掴んで引き止める。


「フレデリック?」

「まだ話は終わっていない」

「まだ何か?」

「お前、どうして一人でノアの部屋に行った」

「へっ? それはさっきノアが説明を……」

「確かに理由は聞いた。だからと言って夜に女が一人で男の部屋に行っていい理由にはならない」

「いやだって相手はノアだし、お話をしたらすぐに帰るつもりでいたから……」

「だからお前は!!」

「なっ!? ……っ!」


 突然フレデリックは、私を押し倒してきたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る