恋い焦がれ

 最近ノアがよく私の所に来るようになった。

 だけど特に重要な用事があるわけでもないようで、他愛のない会話をしてから去っていく。

 一体何しに来ているんだろうと思いながらも、特に深くは考えなかった。


「テレジア、最近よくノアと一緒にいるようだが何を話しているんだ?」


 廊下を一緒に歩いている時、フレデリックが私に問いかけてきた。

 だけどその返答に困ってしまう。


「ん~何をと言うほどの会話はしていないのよ。今日は天気がいいですね。とか、私の好きな食べ物は何か? とか聞かれるぐらいだったから」

「それだけを話しに、ほぼ毎日ノアは来ているのか?」

「ええそうよ。総大司教様なのに、今暇なのかしら」


 そう疑問に思っていると、フレデリックが難しい顔で考え込んでいることに気がつく。


「フレデリック?」

「テレジアはヒロインではないから大丈夫だとは思うが……一応念のためだ。ノアにはあまり気を許すなよ」

「え? どういうことなの?」

「……俺の思い過ごしかもしれん。それを憶測だけで勝手に話すのは、ノアに悪いからな。他人に知られないで済むのならその方がいい」

「?」


 言っている意味がわからず首を傾げるが、どうもノアのプライベートのことみたいだったのでそれ以上聞くのはやめた。

 それから数日後、ランペール邸にいた私のもとに一通の手紙が届けられる。

 差出人はノアだった。

 私は封を開け中の手紙を取り出して読んでみる。


『テレジア嬢へ


重要なお話があります。

明日お仕事が終わってから、私の部屋に来てください。

ただしこれは他の方には言えないことなので、誰にも知られないようお願いいたします。

そして読み終えましたら、この手紙を破棄してください。


ノアより』


 手紙を読み終えた私は、難しい表情を浮かべた。


「重要な話ってなんだろう? それも他の人に言えない内容って……う~ん。まあ聞いてみればわかるか」


 そう判断し私は、指示された通りに手紙を魔法で塵にして破棄した。

 だけどその時、もう少し慎重に考えてフレデリックの言葉を思い出していれば、あんなことにはならなかったのに──。


  ◆◆◆◆◆


 次の日、いつも通りに仕事を終えた私はそのまま大聖堂に向かった。

 もちろんビビも一緒だ。

 私は大聖堂の中に入り、その奥に繋がっている居住区に向かう。


「……ここ初めて来たけど。こんなに人がいないものなの?」


 全く人の気配を感じないことに不思議に思いながらも、手紙と一緒に添えられていた部屋の場所を示した図を思い浮かべる。

 そのまま最奥まで進み、明らかに他の部屋とは違う立派な扉の前に立った。


「ここね」


 私は一度深呼吸をしてから扉を叩く。


「……はい」

「あ、テレジアです」

「ああ、待っていましたよ。どうぞ中へ」

「はい」


 中からノアの声が聞こえ、私はゆっくりと扉を開けて中に足を踏み入れた。


「失礼します」


 そう言って入ってみたが、ノアの姿が見当たらない。


「あれ? ノアはどこに……」


 困惑しながら部屋の中を見回そうとしたその時──。

 バンと大きな音を立てて私の後ろで扉が閉まったのだ。


「え?」


 驚いて振り返った私の目に、ノアがうつむきながら扉に片手を置いて立っている姿が映った。

 どうやら扉のすぐ近くに立っていたようだ。


(そんなにすぐ扉を閉めなくても……でもなんだろう。いつものノアと雰囲気が違うよう

な……)


 その違和感に戸惑っていると、扉の向こうから爪で扉を引っ掻いている音が聞こえてきた。


「あ、ビビ!」


 ビビが部屋に入る前に閉め出されてしまったことに気がつく。


「ノア、ごめんなさい。ビビがまだ入ってきていないので、扉を開けさせて貰えませんか?」

「……」


 しかしなぜかノアは、黙ったまま動こうとはしてくれない。


「ノア?」


 どうしたのかと思いながら声をかけると、突然ノアが私を覆うように両手を扉についたのだ。


「ノ、ノアどうされ……っ」


 驚きながらノアの顔を見て、その表情に言葉を詰まらせた。

 なんだか怖い笑みを浮かべ、じっと私のことを見つめている。

 そしてその瞳には仄暗い炎が宿っているように見えた。

 その瞬間、私の中で警報が鳴り響き、今すぐ逃げなければと本能が知らせてくる。


「え、えっと……ちょと用事を思い出しましたので、また日を改めて来ますわ」

「……帰しません」

「なっ!?」


 ボソッと喋ったノアは、突然私を横抱きに抱えあげたのだ。


「ノア、おろしてください!」


 しかし私の声を無視してノアは部屋の中に進んでいく。

 その間もずっとビビは扉を引っ掻いていた。

 私は扉の方に顔を向ける。


「無駄ですよ。あの扉には魔法をかけてありますので、誰にも開けることはできません」

「え!?」


 驚いてノアの方を見るが、黒い笑みを浮かべたまま真っ直ぐ前を向いて歩き続けていた。

 そうして部屋の中にあったソファまで移動すると、そこに私を横たえその上に覆い被さってきたのだ。


「ノア、何を!?」

「ふふ、やっと貴女をこの腕の中に閉じ込めることができました」


 恍惚の表情で見下ろしてくるノアに、いい知れぬ恐怖を感じる。


(なんでこんなことに!?)


 予想だにしなかった事態に動揺しながらも、ノアの胸を押してなんとかどいてもらおうとした。

 しかし外見こそ女性ぽいのに意外と力があり、全くびくともしない。

 それでも私は抵抗をやめる気にはなれなかった。

 おそらく諦めたら最後な気がしたから。


「ノア、どうしたのです? いつものノアらしくありませんよ?」

「……いつもの私は、ずっと自分の気持ちを押し殺していました」

「自分の気持ち?」

「貴女へ対する想いをです」

「え?」


 じっと見つめられドキッとする。


「それって……」

「貴女が好きです」

「っ!」


 前世も合わせて現実の男性から告白されたのが今回初めてだったため、顔を熱くし動揺しだした。


「わ、私のことが好き!?」

「ええ。ずっとテレジア嬢のことを恋い焦がれていました」

「どうして私なんかを……」


 信じられないモノでも見るような目を向ける。


(だって、私は一応悪役令嬢ポジションキャラで、ノアは攻略対象者だよ? おそらくフレデリックのように転生者じゃないんだから、ソフィアのことが好きになることはあっても、悪役令嬢の私を好きになるなんてあり得ないはずなんだけど……)


 戸惑っていると、ノアがふっと笑みを浮かべて話し出した。


「貴女は私のことを、当たり前のように『普通』と言ってくれました。私はそれがとても嬉しかったのです。なぜなら……私は幼い頃よりこの守護の力を使えたため、周りから特別扱いを受け続けていました。それがとても息苦しく感じていたのです。しかしそのうちその感覚が麻痺しだし、とうとう何も感じなくなっていました」


 その時のことを思い出しているのか、表情が曇る。

 だがすぐに顔を緩ませ、そっと私の頬を撫でてきた。


「……っ」

「そんな私を貴女の一言が救ってくれたのです。ああ、私は特別な人間ではなく、他の人と同じ普通の人間なんだと。そう思えるようになりました。そうして私は、ようやく肩の力を抜くことができたのです」

「ノア……」

「貴女にとっては些細なことだったかもしれませんが、私にとってはとても大切な出来事でした。その日からテレジア嬢のことが頭から離れなくなり、やがてそれが恋心だと教えられた私は、その気持ちを抑えることができなくなったのです」


 そのノアの言葉に引っ掛かりを覚え、慌てて問いかける。


「ノア、ちょっと待ってください。それは誰に教えられ……」

「そのようなこと、今はどうでもいいですよね? 私が貴女を好きだということさえわかってくれればいいのですから。さあテレジア嬢、どうか私の気持ちに応えてください」

「それは…………できません」


 私を見ながら懇願するノアに、首を横に振ってキッパリと断った。

 ノアは一瞬目を見開くが、すぐに笑みを深くした。


「そう言われても聞く気はありませんよ。だって貴女はこのままこの部屋で、一生私と暮らすのですから」

「…………は?」

「大丈夫、大切にいたします」

「いやいや一生って……冗談ですよね?」

「このようなこと冗談で言いませんよ。ふふ、時間はたっぷりあります。ゆっくりでいいですから、私のことを好きになってくださいね」


 うっとりとした顔で微笑んでくるノアを見て、私は血の気が引いた。


(この部屋で一生って……それって監禁ってこと? それじゃ私は、このまま誰とも会えなくなってしまうの?)


 そう自覚した途端、脳裏にフレデリックの顔が浮かんだ。


「……っ、そんなのは嫌!!」

「テレジア嬢?」

「ノア、お願いです。こんなこと止めてください!」


 私はノアの胸を叩き、離れるよう訴える。

 しかしノアにその両手を片手で掴まれ、私の頭の上で固定されてしまった。


「それは聞けないお願いです」

「ノア!」

「さあ、少しその口を閉じましょうか」


 そう言うとノアは、ゆっくりと顔を近づけてきたのだ。

 なんとか逃れようともがくが、ノアの脚が私の脚を挟んでいて動けず、両手も自由にできない。

 顔を背けたいのに、頬を撫でていた手がしっかりと私の顎を掴んでいる。

 完全に身動きが取れない状態に私は焦るが、その間にもノアの顔が迫っていたのだ。

 そして吐息がかかるほどの距離まで近づいた時、私は思わず叫んでしまった。


「助けて! フレデリック!!」


 私の叫びにノアが一瞬瞠目したその時──。

 何かが凍る音が聞こえた次の瞬間、激しく砕け散る音が部屋中に響き渡った。

 その音にノアはすばやく身を起こして振り返る。

 私も手の拘束が解かれたことで、ソファの背もたれに体重をかけながら上半身を起こし音のした方を見た。

 そして私は目を見開いて驚く。


「フレデリック!?」


 そこには右手をかざしながら立っているフレデリックがいたのだ。

 よく見ると足元には、扉の残骸だと思われるモノが氷に覆われて転がっている。

 どうやらフレデリックが、氷の魔法を使って扉を強制的に破壊したようだ。

 私はフレデリックの姿を見て、嬉しさが込み上げてきた。


(フレデリックが助けに来てくれた!)


 しかしそのフレデリックは静かに手をおろしながら、まるで射殺すような眼差しをノアに向けていた。

 そしてとても低い声でノアに問いかける。


「ノア、一体何をしている」

「……」

「返答次第では、例え総大司教のお前であっても許すことはできないぞ」

「弁明する気はありません。愛するテレジア嬢を手に入れるためには、こうするしかなかったからです」

「……それでテレジアは、その気持ちに応えてくれたのか?」

「……いえ」

「ではその体勢は、ノアの一方的な行動だという認識で間違いないな」


 私に馬乗りになっているノアを見て、フレデリックが目を細める。


「ええ」


 ノアがそう答えた途端、フレデリックは再び手をかざしノアに向かって魔法を放とうとしてきたのだ。

 それを見た私は、慌ててノアに抱きつき押し倒す。

 ノアは突然のことに戸惑った表情で私を見てきた。


「……テレジア、何をする」

「何をするって、こっちの話よ!」


 私はノアの下から這い出し立ち上がると、フレデリックを睨みつける。


「今、ノアに攻撃しようとしていたわよね?」

「それの何が問題だ。俺はお前を助けようとしたんだぞ」

「確かに助けようとしてくれたことは、すごく嬉しいわよ。でも助け方に問題があるわ!」


 両手を腰に手を当ててフレデリックに怒鳴る。

 するとフレデリックは私を見て唖然とし、額に手を置いて深くため息をついた。


「なぜこの状況で、俺の方が怒られなければいけないんだ」


 そんな呟きが聞こえたが、私は謝る気は全くなかった。


(いくら私を助けるためだとはいえ、ノアを傷つけることもフレデリックが人を傷つけることも絶対駄目だから!)


 私はじっとフレデリックを見つめる。


「……わかった。もう攻撃はしない」

「本当ね」

「ああ」


 フレデリックは頷くと、瓦礫を避けて私の方に近づいてくる。

 よく見るとその後ろから、ビビがついてきていた。


「ビビ!」


 私は膝を折り両手を広げると、ビビは嬉しそうに駆け寄り胸に飛び込んでくる。

 そのビビをぎゅっと抱きしめると、すぐに私の頬をペロペロと舐めてきた。


「ビビが俺をここまで連れてきたんだ」

「そうなの? ビビ、ありがとうね」

「ワン!」


 ビビの頭を撫でると、尻尾を振って喜んでくれた。


「さてノア、話を聞かせてもらおうか」


 フレデリックは私から視線を移し、ソファに肩を落として座っているノアに話しかける。

 ノアは辛そうな笑みを浮かべながらフレデリックを見て頷き、そして話し出したのだった。

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