私は悪役令嬢

「斉藤! お前なんだこの書類は!」


 三十代後半ぐらいのスーツを着た男性が、眉間に皺を寄せながら書類をデスクの上に叩きつけて立ち上がる。

 そのデスクの前で私は、女性用のスーツを着て涼しい顔で立っていた。


「黒田部長、何か問題でも?」

「問題も問題、大問題だ! なぜ前の物から内容を大幅に変更した!」

「そちらの方がよりよくなると思ったからです」

「いや、前の方が断然いい」

「いいえ、こっちの方がいいです!」

「前のだ!」


 私と黒田部長は顔を突き合わせて睨み合う。しかしすぐに私は顔を離し、肩をすくめてため息をついた。


「そんな固い考えでいるから、鬼上司って呼ばれて皆から恐れられているんですよ」

「なんだと!」

「いくら仕事が出来て顔がよくてもね……そんな性格じゃあ恋人なんていないのでしょうね」

「お前には関係ない! そもそも恋愛物のゲームばかりして、現実の男に興味のないお前にだけは言われたくないな」

「乙女ゲームを馬鹿にしないでください! あれは仕事で疲れきった私の心を癒してくれる、唯一のものなのです。出てくる攻略対象の男性達は、現実の男と違って最高に素敵なんですよ! 特に今ハマってる『この輝く世界で恋をして』は素晴らしい出来映えで……」

「ああもういい! 全く俺には理解できん」

「べつに黒田部長に理解して欲しいとは思っていませんので」

「……相変わらず可愛げのない奴だ。やはり俺は、お前のことが嫌いだ!」

「奇遇ですね。私もあなたが大嫌いです!」


 目をつり上げながら、黒田部長に言い放ったのだ。


  ◆◆◆◆◆


「っ!」


 私は勢いよく目を開け、呆然とする。


「夢?」


 そう呟きながら何度も瞬きをし、混乱する頭を振った。


「大丈夫?」


 その声にハッとしながらゆっくりと顔を上げると、向かいの席に心配そうな顔で私を伺い見てくる女性がいたのだ。

 女性は金色の髪を頭の後ろでまとめ、青い瞳をした艶のある美しい女性。

 私はその女性をぼーっと見つめていると、さらに心配そうな顔で声をかけられた。


「テレジア、大丈夫なの?」


 名を呼ばれた瞬間、私の意識は覚醒した。


(そう私はテレジア、テレジア・ディ・ロンフォルト。公爵家の娘として生まれ変わったんだった!)


 その言葉の通りに本当に私は生まれ変わった。

 今の私は、腰まで伸びた見事な金髪と濃い青色の瞳。西洋風の容姿をした美しい女性。

 しかし私の前世は今と違い日本人で、名前を斉藤夏実。記憶に残っている最終年齢は、確か三十二歳だったはず。普通の会社に勤めるごく普通のOLだった。

 それがどうして死んでしまったのかは……なぜか思い出せない。多分、あまりよくない死に方をしたのだろう。

 そんな前世の私は乙女ゲームが大好きで、会社の昼休憩には片手でスマホを持ちゲームをしながらお弁当を食べる日々。

 正直現実の男性より、ゲームの中の男性の方が数段魅力的であったのだ。


(しかしさっきの夢に出てきた、あの黒田部長……黒田修介。私より五つ年上の上司だったけど、何かにつけて私に絡んできてよく喧嘩してたな~。でも……今思うと、家族以外の男性であそこまで言い合いができたのは黒田部長ぐらいだったか)


 お昼休憩中の私のスマホ画面見て、馬鹿にしたような目を向けてきたことを思い出し、顔を引きつらせる。


「テレジア?」

「あ、ごめんなさい。お母様」


 怪訝な表現を向けてきた向かい側の女性は、生まれ変わった……転生したこの世界での私の母親で、マリアーヌ・ディ・ロンフォルト。こう見えて四十八歳なのだが、まだまだ三十代後半に見えるほどの美貌の持ち主。

 私という二十一歳の娘がいるようには到底見えないのだ。


「……やはり、まだ殿下のことを引きずっているのね」

「え?」


 お母様は同情めいた眼差しを向けてくるが、私はきょとんとした顔になる。


「そうではないの? さっきも寝ている時にうなされていたようだし、今も難しい顔をしていたから」

「あ~いえ、リカルド殿下のことは、もう過ぎたことだと気にしていません。ただちょっと夢見が悪かっただけです」

「そう? でも無理はしなくていいからね。他の者がどう言おうと、私は貴女の味方ですよ。そもそも、いまだに信じられないもの。貴女がリリアーナ嬢をいじめていただなんて……」

「お母様、恋は盲目と言いますから。あの時はリカルド殿下に恋するあまり、リカルド殿下に近づくリリアーナが憎くてたまらなくなっていたのです。だってリカルド殿下は私の婚約者でしたから」


 私はお母様を見ながら苦笑いを浮かべた。


「そうかもしれないけれど……でも殿下も殿下よ。十一年も婚約者でいた貴女との婚約を、ああも簡単に破棄されるだなんて。少しはテレジアのことも考えてほしかったわ!」

「お母様落ち着いて。それだけのことを私はしてしまったから。その結果が婚約破棄に至ってしまっただけ。全て私が悪いの」

「いいえ、テレジアは悪くないわ! そもそもあのリリアーナ嬢が、婚約者のいる殿下に立場もわきまえず近づいていったのがいけなかったのよ。それなのに殿下もリリアーナ嬢の肩ばかり持たれて……いくら稀少な光属性の持ち主だからって、あれはないわ!」

「確かに私も嫉妬に狂っていた時はそのように思っていました。しかし冷静になって考えてみれば、私よりもリリアーナの方が性格もよく、さらに癒しの力が使える者が王太子様の妃となり、ゆくゆくはこの国の王妃となることは国民にも歓迎されることでしょうね。きっとリリアーナはリカルド殿下をお支えし、素晴らしい夫婦になられると思うことにしました。ですから、もうこのお話はここまででお願いします」

「……わかったわ。テレジアがそう言うのであればもうこれ以上言わないわ」

「ありがとうございます。それにしても、お祖父様はお元気でしょうか?」

「お手紙ではお元気だと言っていたわよ。きっと久しぶりに会うテレジアを喜んで迎えてくださるわ」

「ふふ、楽しみです」


 にっこりと微笑み、馬車の揺れを感じながら窓の外に目をやる。


(これでようやく悪役令嬢はお役御免ね。ああ、大変だった……)


 私はこの状況に至った経緯を思い出していたのだった。


  ◆◆◆◆◆


 あれは私がまだ十歳のころ、家の庭で転んだ拍子に頭を打ち前世の記憶を思い出したのだ。

 そしてそれと同時に、この世界が私のハマっていた乙女ゲーム『この輝く世界で恋をして』、略して『輝恋』であることを知った。

 さらに自分がその中に出てくるヒロインを邪魔する悪役令嬢だと知った時は、絶望ししばらく寝込んでしまったほどだ。

 しかしよくよく考えると、このゲームの悪役令嬢の最後はよくある破滅的な展開にはならず、ただ婚約破棄を言い渡されるだけだった。

 ならばゲームのファンとして悪役令嬢の役をやりきり、しっかりとゲームから退場してみせましょうという考えに至ったのだ。

 そうして私は、このカルーラ王国の王太子であるリカルドの婚約者のまま大人に成長する。

 そしてゲームの通りにリリアーナが登場すると、やはり二人は惹かれ始めたのだ。

 それを内心喜び応援をしながらも、表面上は嫉妬に狂う悪役令嬢を演じ、リリアーナをいじめ抜いた。

 正直リリアーナはすごくいい子なのでとても心が痛んだが、心を鬼にして役に徹する。

 だが一応いじめた後のアフターケアを気がつかれない程度におこなったり、私の代わりにリカルドの婚約者となり将来王妃となることを想定して、それとなく王妃教育も叩き込んでおいた。

 そうしてとうとう運命の日がやって来たのだ。


「テレジア、貴女との婚約を今ここで破棄とする!」


 リカルドの執務室に呼び出されて私は、じっと目の前に立つ二人を見つめる。

 金髪碧眼の美青年リカルドと、背中まで伸びた水色の美しいストレート髪と桃色の瞳を持つ美少女リリアーナ。

 まさに正統派ヒーローとヒロインの二人であった。

 リカルドはリリアーナの肩を抱き険しい表情で、先ほどの発言を私に向けて放ってきた。

 それを無表情で聞きながら、私は心の中でガッツポーズをする。


(よし! 断罪イベントきたぁぁぁ!!)


 思わず顔がにやけそうになるのを持っていた扇を広げて口元を隠し、冷たい眼差しを意識しながらリカルドに話しかけた。


「それは、どうしてでしょう?」


 返ってくる言葉は分かっているが、悪役令嬢としてとぼけてみせる。


「どうしてだと? 貴女がこのリリアーナを影で散々いじめていたからだ! 僕が知らないとでも思っていたのか?」


 私を鋭い眼差しで睨んでくるリカルド。

 イケメンはそんな表情もカッコいいなと内心思いながらも、傷ついたような表情を浮かべる。


「まさかリカルド殿下に知られていただなんて……ですが私は、リカルド殿下のことを本当にお慕いして!」

「それでもしていいことと悪いことがある! 貴女のしたことは悪い方だ! そんな貴女と婚約を続けることなど到底できない。だからこの場でテレジア、貴女との婚約を破棄とする。金輪際、僕やリリアーナに近づくことは許さない。これは命令だ!」

「っ!」


 敢えて傷ついたような表情をし、言葉を詰まらせる。

 するとキッパリと言い切ったリカルドをリリアーナは戸惑いながら見つめ、そして私を見て悲しそうな表情になる。


「テレジア様……私、テレジア様と仲良くなりたかったです」

「……」

(ええ、私だって本当はリリアーナと友達になりたかったよ! でもごめんね。だって私は、悪役令嬢だから)


 心の中で謝りながらも私は扇を閉じ、一度目を閉じてからわざとらしくため息をつくと、スカートの裾を摘まみ軽く腰を落とした。


「王太子様の命に私などが逆らうことなどできませんわね。わかりました。慎んでお受けいたします」


 そう述べ頭を下げてから振り返ることなどせず、緩みそうになる顔をなんとか我慢しつつ最後まで悪役令嬢として退場していったのだった。

 その後、正式に私とリカルドとの婚約が解消された。

 だけどさすがにいじめが原因でというのは双方の家にとって外聞が悪く、本当の理由は伏せられ円満に解消したことにされたのだ。

 そのことを疲れきった顔のお父様からお聞きし、何度も謝罪をしてからもう二度とこのようなことはしないと約束した。

 しかし興味本位で私に話を聞きにくる人達が後を絶たず、さすがにうんざりしていた時にお母様の実家へ一時避難させていただけることに。

 そうして私は、お母様と共にバルゴ公国に住んでいるお祖父様のもとへ馬車で向かっていたのだ。

 バルゴ公国は自然豊かなカルーラ王国とは違い、山々に囲まれ一年のほとんどが雪に覆われている国。

 だから窓から見える外の景色も、段々と寒々しいものに変わってきた。

 さすがに馬車の中でも寒さを感じ、用意してあったストールを羽織る。


(確かバルゴ公国は、まだ私が物心つく前に一度行っているらしいんだよね。だけどさすがにその時の記憶はないんだよな~。確かゲームの中で名前だけ出てきたことがあったような……。まあいいか。さあもうゲームから退場したんだし、これからは私の時間を楽しまないと!)


 新たな土地での生活に胸を踊らせながら、チラチラと雪が舞い降りてきた景色を見つめていたのだった。

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