第五話

「ロドルフ……どうしてあなたがここに」


 呆然と問えば、彼はあいかわらずの爽やかな微笑を浮かべた。


「ヴィオラがディナーの約束を反故ほごにされたと泣きついてきてね。シリルの部屋を訪ねようとこの階に来たら、君たちの会話が壊れた扉の隙間から聞こえてきたんだ」


 ロドルフは困ったように眉根を寄せる。


「気をつけた方がいい。どこで誰に聞かれているかわからないから。……ね、シリル、そうだろう?」


 ロドルフが水を向ければ、シリルはなぜかはっとしたように青い目を見開く。


「ロドルフ隊長、俺は――」

「もし誰かに聞かれてしまって、結果、何かよくないことが起こったら、君は後悔してもしきれないだろう?」

「それは……」


 シリルはなぜか押し黙った。


「それは……どういうことなの? よくないことって、いったい何?」

「ちょっと待って、リリア。気になるのはそこ?」


 ロドルフは、おどけるように首をすくめる。


「それよりも、僕の気持ち、というところに興味を持って欲しいんだけどな」


 やがて彼の微笑に、真剣味が混じった。


「この際だからはっきり言わせてもらおう。シリル、君は最近、この部屋に私的に出入りしているようだが、どうにもいただけないな。やめたほうが――」

「やめません」


 シリルはかぶり気味に返した。


「シリル……落ち着いて考えるんだ。二年前、一方的に婚約を破棄し、リリアを傷つけたのは誰だ? 今さらそれをなかったことにできるとでも?」

「そうは思いません。だがやはり俺は――」

「思い出せ。君があの時、何を選択し、何を捨てたのか。今さら時は戻せない。君がリリアの手をとることは、もう許されないんだよ。だったら今、危険な橋を渡ることはないだろう?」

「それはもちろんわかっています。ですがそれでも、俺はあの時の判断を悔いているんです」


 シリルはどこか苦しげな表情で、首を左右に振った。


「あの時、俺は選択を誤った」

「だがそうだと後悔したところで、君とリリアの未来は交わらない。もう二度と」


 ロドルフは念を押すように言った。

 その言葉が鋭い刃となって、リリアの心に突き刺さる。ぐさりと。


「交わることは、ない……」

 リリアはぼんやりと呟いた。

 わかっていたことだ、二年前のあの時に。

 なのにもう一度傷つくなんて、どうかしている。


「――だが、僕は違う」

 言いながら、ロドルフはリリアの手を包み込むように握ってきた。

「僕の未来は、リリアと交わる可能性がある。――シリル、悪いが出し抜かせてもらうよ」


 リリアの手に、ロドルフの額が寄せられる。

 彼は神に祈るかのごとく、まぶたを閉じた。


「……聞いてくれ、リリア、僕の想いを。僕は考えたんだ」


 華やかな顔が思いのほか近くにあって、従兄弟といえどもリリアは戸惑った。


「か、考えたって、何を?」

「シリルに婚約破棄され、悪役王女と呼ばれるがゆえに新たな嫁ぎ先が決まらない君。そして僕は不本意ながら一部の者たちから次代の王へと推されている。ならば僕と君が結婚すればいいのではないかな?」

「え……」


 突拍子もない提案。

 あまりにわけがわからなすぎて、リリアの頭の中は真っ白になった。


 結婚? 誰と誰が? わたくしとロドルフが?

 いまだ飲み込めなくて目をぱちぱちさせていると、ロドルフの背後でシリルが鬼のような形相をしていることに気づく。


「ロドルフ隊長、あんたはいきなり何を……!」

「そうすれば僕は、今まで以上にリリアとジョルジュに寄り添うことができる。それに僕自身がジョルジュ派だと明確にすることで、僕を次の王にと考える者もいなくなるだろう」

「ロドルフ、あなた……」


 言われて、たしかに、と納得した。

 リリアの結婚相手になるということは、つまりジョルジュの即位を強力に援護するということ。担ぐ者がいなくなれば、ロドルフ派だとて解散するしかなくなるだろう。


「で、でも、わたくしとあなたは従兄弟同士よ?」

「何の問題もないさ。僕が留学していたテシレイアでは、従兄弟同士の結婚はわりとある話だった」

「でも……!」

「水面下とはいえ、王位争いが長引けば、テシレイアにさらに遅れをとることになる。あちらは政治、経済、医療や武力においてもかなり発展している。我が国が歩みを止めれば、即座に攻め込まれることになるだろう」

「それはもちろんわかっているけれど……」


「君は、僕のことが嫌い?」


 ロドルフは、こちらをひたと見つめてきた。


「嫌いだなんて、そんなことあるわけがないわ。けれど……」


 リリアが抱く好意は、あくまで従兄弟に対してのもの。

 ロドルフのことを異性として意識したことなど、皆無なのだ。


「僕は好きだよ。幼い頃からずっと、明るくて可愛らしくて、何事にもひたむきに取り組む君のことをまぶしく思っていた」


 もちろんちゃんと女の子として。

 そう付け加えるなり、ロドルフはリリアの手の甲にキスをしてくる。


「ロドルフ、わたくしは……!」

「いいかげん殿下から離れろ……!」


 リリアが口を開くのと、シリルが突然間に割って入ってくるのは同時だった。

 彼は自分の背後にリリアを押しやり、ロドルフから隠そうとする。


「このシリルの前で殿下に求婚だと? ずいぶんなことをしてくれますね、ロドルフ隊長」


 リリアの目の前には、シリルのしなやかな背中。

 彼は今、どのような表情をしているのだろう?

 ここから見て取ることはできなくて、やきもきした。


「あなたを次の王にと考える者がいなくなる? 笑わせる。あんたの即位を望んでいるのは、そもそもあんたの母親だろうが!」


 瞬間、リリアの脳裏に、昼間顔を合わせたブルネラの妖艶な笑みが浮かんだ。

 シリルの言うとおり、彼女が息子の頭上に王冠を載せたいと願っていることは明白だった。


「だからこそ、だよ。僕とリリアが結婚すれば、彼女だとてあきらめるほかないだろうからね」

詭弁きべんだな」


 シリルはくつくつと笑う。


「こうなると、あなたがいつまで経っても俺の依頼を叶えてくれないのは恣意しい的ではないか、と疑ってしまいますよ」

「心外だな。君の要望を叶えるべく、手は尽くしたさ」

「ならば聞きます。――あなたの母親が黒幕である可能性は?」

「ない――とは言い切れないのがつらいところだね。よって、捜査は継続するつもりでいるよ」

「捜査、ね……」


 二人の間に、緊張感が漂う。


「まあ、いい。とりあえず今日は帰ってください」


 シリルはまるで自分がこの部屋の主であるかのように振る舞った。


「この部屋から――殿下の前から今すぐに。俺がまだ平静でいられるうちに」


 彼は、殿下に近寄るな、と言わんばかりに、白手袋をはめた手をリリアの前に出す。


「笑えない冗談だな、シリル。去るのは君だろう?」

「何がどうなったって譲る気はありませんよ。あなたより先に俺がここを動くことは、ありえない」


 ふと気がつくと、ロドルフが、どうする? とでも問うような視線をこちらにくれていた。


 ――どうするの、リリア。


 本来であれば、シリルにこの部屋から出て行ってもらうべきなのだろう。

 片方は従兄弟。片方は元婚約者であり部下。

 関係性から考えても、ロドルフを優先すべきということはわかっている。


 けれど、言葉が出てこない。

 帰って、と、シリルに言うべきなのに、リリアの心がそうしてほしくないと願ってしまうのだ。


「……しかたない。では今夜は私が退くとしよう」


 何に対してしかたがないと思ったのか。

 ロドルフは優雅に一礼して去っていった。


「前向きに考えて、リリア。僕の妻になるということを」


 リリアのもとには、彼の切実な願いと、彼らしいまぶしい笑みの余韻よいんが残された。

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