林檎飴キラーと金魚スナイパー

名取

An apple a day keeps the doctor away.



 標的が死んだらしい。病死だそうだ。依頼人は申し訳なさそうに、しかしどこかホッとした様子で謝罪の電話を入れてきた。前払いの報酬はそのままもらってくれていい、と彼は言う。以前までの彼は憎悪と悲哀で、修羅のような雰囲気を纏っていたが、今は打って変わって人間らしい優しさと穏やさに包まれた声をしていて、これで良かったのかもしれないな、と俺は受話器を置く。

「なんだって?」

「標的が死んだそうだ」

「え、何、先越されたの? どこの誰に?」

「誰ということはない。病死だよ」

 それを聞いて、ソファに寝転がっていたニコライが大きな舌打ちをした。読んでいた雑誌を、苛立ち任せに床へ叩きつける。

「あんだけ図太く周りに害なしまくって生きてたくせに、病死かよ……マジでさぁ、勝手に死んでんじゃねーっつうの。やってらんねー」

「仕方ないだろう。生きてればそういうこともある」

「でも、こうなったら日本、行けないじゃん」

「ああ。そうなるな」

 キッチンに行くついでに、叩きつけられひしゃげた雑誌を床から拾い、テーブルに戻す。

「まあ別に、旅行として行ったっていいとは思うが。金は入ったし」

「いや、ないないない。考えてもみなさいな、チャック。ここは信用が物を言う業界なんだから。こんな危ない時期に海外旅行に行ったなんて知れたら、もうおまんまの食い上げじゃん」

 はーあ。

 落胆の息を吐いて、ニコライがソファでスマホをいじり始める音がする。キッチンの冷蔵庫を開け、炭酸水の瓶を二本取り出しながら、聞いてみる。

「何かそこまで、日本の夏に特別楽しみなことでもあったのか。今年はオリンピックもないのに」

「お前は相変わらず情緒がないねえ。日本の夏って言ったら、夏祭りでしょ。ギオン・フェスティバルよ」

「ギオン? 京都はお前、嫌いだったろう。行ったらいつも二、三人関係ない現地の人間を殺してるじゃないか。どれだけ後処理が大変か……」

「まあそこまで有名なとこじゃなくても、だ」

 さっきまでの不機嫌が嘘のように、楽しげな調子で彼は言う。

「だいたい祭りっていえば、屋台に、山車に、花火ってのが定番らしいねえ。日本人は古来より、そうやってじめじめした蒸し暑い夏を、工夫して涼やかに過ごしてきたんだよ」

「そうなのか? 山車なんて、余計に汗をかきそうだが」

 イギリスの夏は、他より早く始まって早く終わる。日本の祭りはだいたい八月に行われるようだが、こちらでは七月が夏のピークで、八月になるともう涼しさが感じられるようになる。やっと過ごしやすくなる月に、わざわざまた暑いところへ戻るような真似をする意味も、特段ないようにも思えた。


「まあ、クールなお前も、この写真を見たら気が変わるさ」


 瓶を持ってリビングに戻ると、ニコライがスマホ画面を見せてくる。インターネットで拾った画像らしく、日本人が撮った夏祭りの様子が写っている。夜空を彩る花火に、浴衣姿の涼しげな人々、そして所狭しと並ぶ屋台。

「ほう。こんなローカルな祭りもあるんだな」

「こういう小規模なのも、いいよねえ。いろんな店が出てて、めっちゃ興味をそそられるというか。ちなみに俺は金魚のゲームとかやってみたいなあ」

 炭酸水と交換でスマホを受け取り、画面をスクロールしていると、ふと、一際輝くものが目に留まる。

「ニコライ、これは何なんだ」

「ん? あーそれは確か……林檎飴だね」

「キャンディアップル? あれはここまで赤くなかったと思うんだが」

「食紅で染めてるんだってさ。中身はガイ・フォークス・デーのやつとおんなじ。日本人は林檎を血みたいに真っ赤にするのがお好みらしいよ」

「そうか。とてもうまそうだ」

 まるで巨大な宝石のようだ。

 と口に出して言ったらさすがに笑われそうだったので、心の中でだけそう呟く。夏の夜闇の中でキラキラと異様に光るそれは、まるでこの世のものではないかのように魅惑的だった。

 魅入られたように写真を眺める俺を見て、ニコライはソファに寝そべったまま苦笑する。

「あのさあ。別にとやかく言う気はないけど、一応殺し屋なんだからさ。『この色は、仕事の時に流れる鮮血を思い出すから苦手だ……』とか、そういうのないわけ」

「ない。血は血、食紅は食紅だ」

「チャックってつくづく殺し屋に向いてると思うよ。いやマジで」

「これは林檎と砂糖と食紅があれば、作れるな」

「え、まさか作んの?」


---


 作った。


「うわ、うまそー」

「冷蔵庫に余りが冷やしてあるから、よかったら食べてくれ」

「わーお……。殺し屋にしとくには勿体無いねぇ」

 一週間前とは正反対のことをうそぶくニコライを不思議に思いながらも、ともあれ写真で見たものとそっくり同じに出来上がった林檎飴を、まずはじっくりと眺めた。透き通ったコーティングは、飴というよりむしろ薄氷のようにも見える。なるほど、暑い時期にわざわざ溶けやすい飴を売るとは、などと思ってはいたが、実際目にしてみると、これを夏に食べたくなる気持ちもわからないではない。

 さて齧り付こうと口を開いた時、横から見慣れぬものがひょいと出てくる。

「じゃ、こっちもあげるわ。はいこれ」

「……なんだこれは」

ってやつ。これぞ、ジャパニーズ・金魚スコープ」

「金魚スコープ?」

 そういえばこの前、通販サイトでニコライが何やらよくわからないものを一箱買っていたが、その中身がこれだったらしい。プラスチック製の持ち手がついた輪っかに、薄い紙が貼られている。

「日本人はさ、これで照準を合わせてさ、金魚を狙い撃ちするんだよ」

「撃つ? 金魚をか?」

「そうだ。腕が鳴るよな」

 俺は体術での殺しが主なので、その気持ちはいまいちよくわからなかったが、生粋の狙撃手であるニコライには心躍るものがあったらしく、口笛を吹きながら箱の中身を確認している。水中の金魚に弾が当たるのか? とか、当たったとしても水槽も一緒に壊れてしまうのではないか? とか、色々疑問はあったが、しかしまあ異国の祭りである。なんでもありだと言われれば、それで通るような気もする。


「にしても、割と残酷な遊びだな」


 今度こそは、と気合いを入れるわけではないが、そこそこの期待と不安に逸る胸を落ち着かせ、ゆっくりと林檎飴に齧りつく。パリ、パリ、バリッ。ガラスが割れるのにも似た脆い音を立てて、綺麗なものが壊れていく——しかも手ずから労して作ったものが崩れゆく様は、若干のマゾヒスティックな感情を呼び起こさせなくもない。

「……」

 奥歯で軽く噛むと、冷えた林檎の果肉が甘酸っぱさを口中に滲ませる。さく、さく、という軽い噛み心地が小気味好い。薄くコートした外側の飴とも合まって、限りなく甘いのだけれどどこかさっぱりとした、爽快な香りが鼻腔を抜ける。

「ねえねえ、どうなの。美味くできてたわけ?」

 口の中のものをごくんと飲み込んでから、俺はニコライの方を向き、頷いた。

「林檎を妥協しなくて本当に良かった」

「えっなに!? なんで急に泣いてんの!? 怖い‼︎ 仕事のとき標的に見つかって30人の武装したボディーガードに町中追いかけ回された時より怖いわ‼︎」

「思い切って高い方の林檎を買って本当によかった……」

「ねえちょっと聞いてくんない!?」

 流れてくる涙をそのままに、炭酸水で割ったウォッカを飲んでから再びもう一口、林檎飴を頬張った。ニコライが不気味がって何やら喚いているが、聞こえないふりをする。あいつがうるさいのはいつものことだ。


 ところでイギリスには、こんなことわざがある。

 “An apple a day keeps the doctor away.”

 ————1日に1個の林檎は、医者を遠ざける。


 つまり林檎はとてつもなく健康に良いと、昔から言われているわけだ。


「いつか死ぬにしても、厄介な病気で死ぬのは避けたいしな」


 食べかけの林檎飴を見つめ、そんな言葉を呟いた。

 白雪姫が食べた毒林檎のように鮮やかな紅色をしたそれも、この夏ばかりはきっと、こちらに味方してくれるに違いない。


 


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林檎飴キラーと金魚スナイパー 名取 @sweepblack3

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