第23話 華我子麻耶

 日曜日、僕は出版社の前で、ある人物が出てくるのを待っていた。しばらくすると、目的の人物が出てくる。

「華我子先生。お久しぶりです!」 

 僕はできるだけ明るい声で挨拶をした。さも偶然、出会ったかのように。

 華我子さんは僕のようなそこそこ売れている小説家とは違い、とても忙しい。会えるとしたら出版社の近くで張り込むしかなかった。

 ストーカーじみているが仕方がない。これも『白い大蛇』を見付けるためだ。

華我子さんはそんな僕を無表情で見つめている。

「奇遇ですね!お久しぶりです」

「……」

「どうです?ここでお会いできたのも何かの縁です。少し、お話でも……」

「……」

「えっと……」

「……」

 じぃっと、無表情で僕を見上げる華我子さん。心が折れそうだ。

 華我子さんの感情を映さない目で見られ、額から冷や汗が流れる。とりあえず、三メートル以内には近づくことはできた。後はこの距離を十五分以上維持できれば。

 その時、手を掴まれる感覚がした。視線を下げると華我子さんの手が僕の手を掴んでいる。ビックリしていると、そのまま引っ張られた。

「華我子さん⁉」

「こっちへ」

 華我子さんは僕の手を掴むと、どこかに向かって歩き出した。


「お待たせしました」

 爽やかな笑顔の店員さんがテーブルの上に皿を並べる。皿の上にはたくさんの肉が乗っていた。華我子さんはトングで肉を掴み、網の上に乗せていく。ジュージューと肉が焼ける音がした。

 華我子さんが僕を連れてきたのは、焼き肉屋だった。

 確かにもうすぐ日が暮れ、食事時ではある。問題は華我子さんに連れてこられた焼き肉屋にあった。

(た、高い!)

 メニュー表を見て目が飛び出るかと思った。スーパーにある肉と値段が全然違う。

 今、華我子さんが焼いている肉も特上カルビやら、特上ロースといった高級な肉ばかりだ。こんな高級な店に入るのはいつ以来だろう?確か、高校入学の祝いに両親に連れてもらった時以来だろうか?

 華我子さんは高級な肉を焼いてはヒョイヒョイと口の中に入れている。凄い食欲だ。僕は財布の中をこっそり確認した。

「心配しなくていい」

 財布から目線を上げると、華我子さんが僕を見ていた。

「私が払うから大丈夫」

「えっ……いや、そんなわけには……」

「誘ったのは私だ。だから、私が払う」

「でも……」

「私が払う」 

華我子さんは有無を言わさぬ目で僕を見る。

確かに華我子さんの小説は、僕の小説とは比べ物にならないほど売れている。だけど、年齢はおそらく、僕の方が上だ。ここは年上の僕が払うのが筋だろう。

「あ、あの」

「……」

「……分かりました」

 結局、華我子さんに気圧された僕は渋々同意した。その代わり一つ提案する。

「でしたら、次にご一緒させて頂く時は、僕が払います」

「次……」

華我子さんの箸がピタリと止まった。なんだろう?

「次があるの?」

「えっ、あ、はい。華我子さんが良ければですが」

「いつでも良い」

 華我子さんは静かに頷いた。

「楽しみにしている」

 再び箸を動かした華我子さんは心なしか上機嫌に見えた。


「それで?用は?」

「えっ?」

「何か用があったから、私を待っていたのだろう?」

「うっ……」

 待ち伏せしていたことがバレている。どうしよう。

「あの……えっと……」

 何かないか?待ち伏せしていた適当な理由が何か……そうだ!

「ど、どうやったら面白い小説を書けますか?」

それは胡麻化そうと、とっさに口から出た言葉だった。だけど、いつか本当に彼女に聞いてみたかった事でもある。

「い、いや……ど、どうしたらあんなに面白い小説が書けるのかなって……何か面白い小説を書く秘訣みたいなものがあるのかなって……それを聞きたくて待っていました」

「……」

 華我子さんは少しだけ考え、僕の質問に答えてくれた。

「面白い小説を書くのに一番必要なものは……『運』」

 はっきりと断言するような口調だった。

「『運』?……才能ってことですか?」

「それもある」

 華我子さんは箸を皿の上に置いて、まっすぐ僕を見た。

「人間はたくさんいる。しかも、一人ひとり違う。何人かが面白いと言った小説でも、その他大勢の人間も同じように、それを面白いと感じるかは分からない」

「……はい」

「特に私は人間の機微に疎い。知識としてはあるが、人間の気持ちというのはあまり分からない。私が分かるのは私の気持ちだけだが、私が面白いと思える小説でも大勢の人間が面白いと感じるかどうかは分からない。だから、大勢の人間が面白いと感じる小説を書けるかどうかは『運』」

 小説を書くのに必要なものは『運』と言い切る華我子さんに対して、僕は反論した。

「で、でも華我子さんはデビュー作があんなにもヒットしているじゃないですか……」

 華我子さんは首を横に振る。

「私は偶然一作目でヒット作を出したに過ぎない。私は『運』が良かっただけ」

 つまり華我子さんは一作目に書いた作品が偶然、大勢の人間に面白いと思ってもらっただけだと言っているのだ。

「だとすると、全く売れていない小説家の人達はどうすればいいんでしょうか?」 

「色々な小説を書くしかない。自分が好き、嫌いに関わらず大勢の人間に面白いと思ってもらう小説が書けるまで、何度でも何作でも書くしかない」

でも、それだと一生書き続けても大勢の人に面白いと思ってもらえる小説を書けない人もいるのではないだろうか?

「そう、だから『運』がとても大事。書き続けていけば、いつかは必ずヒット作は出すことができる。でも、自分が小説を書ける内にヒット作を出せるかどうかは『運』次第」

 華我子さんは話を続ける。

「いつヒット作を出せるのかは人間によって違う。私のように『運』よく、一作目でヒット作を出せる人間もいれば、何十年もかかる人間もいる。ただ『運』が悪いと、面白い小説が書ける前に、病気や怪我、年齢、金銭的な理由などで小説が書けなくなり諦めることになる。面白い小説を書く前に寿命を迎える人間もいるだろう。だから『運』がとても大事」

確かにそう考えれば、面白い小説が書けるかどうかは『運』次第ということになる。

自分に面白い小説を書ける才能があるかも『運』次第。面白い小説を書く努力をしても、それが認められるかどうかは『運』次第。

僕も連載されるまで、何度も何度も小説を書いた。でも、小説を書くことを諦めざるを得ない状況になる前に、または自分の寿命が来る前に、小説を連載することが出来た。

となれば、僕はかなり『運』が良いということか。

 華我子さんは置いてあった箸を取り、再び肉を焼き始める。いつの間にか僕は『白い大蛇』のことも忘れて、華我子さんの話に聞き入っていた。

 僕が華我子さんをじっと見ていると、華我子さんは「何?」と聞いてきた。

「いえ、何でも……」

「やはり、この話し方は変か?」

 華我子さんは首を少し傾げた。

「私はいまいち敬語というものの使い方が分からない。だからなのか、よく話し方が変だと言われる」

 確かに、華我子さんの話し方は独特だ。だけど、僕はあまり気にならない。

「いえ、話し方に関しては別に気になりません」

僕は素直に自分の考えを述べる。基本的に僕は人の話し方はあまり気にしない。

それに華我子さんの話し方はどこか猿木さんに似ていて落ち着く。

「ただ、華我子さんって意外とよく話すんだな。と思いまして」

 パーティーに参加した時、華我子さんはほとんど喋っていなかった。なので、今日のとてもよく喋る華我子さんが意外だった。

「私は、神経質で臆病だ。だから、大勢の人間がいる前ではあまり話さないようにしている」

「そ、そうですか」

 とても神経質で臆病とは思えない口調で華我子さんはパーティーで話さなかった理由を教えてくれた。でも、伊那後さんも同じようなことを言っていたので、案外本当のことなのかもしれない。敬語が使えない、というのも大勢の人がいる前で話さない理由なのかもしれない。

 華我子さんは、僕に言う。

「貴方こそ、私に対して敬語を使う必要はない。私のように話してくれればいい」

「そうですか……いや、でも、この口調で話をしても良いですか?なんだか華我子さんに対しては敬語の方が話しやすいので」

 尊敬しているからだろうか?年下ではあるけど、不思議と華我子さんには敬語を使いたくなる。

「貴方が敬語の方が話しやすいというのなら敬語でいい。だが、敬語をやめたくなったら、いつでもやめていい」

「はい」

「さぁ、どんどん食べろ」

 華我子さんは僕の皿の上に、いい具合に焼けた肉を大量に置いていく。

「色々なものを飲み食いできるのは人間の特権だ。どんどん食べて、どんどん飲め」

 それから、華我子さんは大量の肉と飲み物を注文してくれた。

「私も酒を飲んでみたいが、二十歳以上にならないと飲めない決まりなので仕方がない。我慢するとしよう」

 華我子さんは残念そうにため息をつく。そういえば、僕よりも年下というのはなんとなく見て分かったけど、華我子さんの正確な年齢をまだ聞いていなかった。

「華我子さんって、おいくつなんですか?」

「十七だ」

「十七!」

 若いと思っていたが、本当に若い。あれ?僕、未成年の子に誘われて焼き肉屋に来ているのか?条例的にそれは良いのだろうか?今更ながら不安になった。

大丈夫か?逮捕されない?

「高校に行きながら、小説を書いているんですか?」

「……行ってはいるが最近は休みがちだ。教師という人間が言うには、単位というのが少し危ないらしい」

「そうですか」

 もしかして、高校で馴染めていないのかもしれない。まぁ、これだけ売れていれば高校に行くメリットはあまりなさそうだが……。

「大学へは?」

「検討中だ。面白い所があれば入る」

 自分が大学に入学できることを前提に話をしている。高校へはあまり行っていないとのことだけれど、成績はいいのだろうか?学校の成績と執筆に関係があるのかは分からないけど、あれだけ面白い小説が書けるんだ。成績が上位でも驚かない。

「ご両親はなんと言っているのですか?」

「……親とはあまり話していない。今は、一人暮らしだからな」

「あっ、そうなんですね。未成年の一人暮らしは大変じゃないですか?」

「一人の方が気楽なのでよい」

 華我子さんは、テーブルに置かれたコーラを一気に飲む。

「私の家に来るか?」

「えっ⁉」

 突然の申し出に面食らう。

「誰もいないから遠慮する必要はない。美味い食べ物もたくさんある」

「いえ、いえ……そんな」

 一人暮らしの未成年の少女の家を訪ねるのは、流石にまずい。本当に逮捕されかねない。

 僕が丁寧にお断りすると、華我子さんは「そう」と呟いた。どこか残念そう。

「来たくなったらいつでも来ていい」

 そう言って、華我子さんは自分が住んでいる家の住所を教えてくれた。

 でも、よっぽどのことがない限り僕が華我子さんの家に行くことはないだろう。


「ぐふっ」

 結局、僕は食べ過ぎて胃もたれを起こしてしまった。僕がギブアップした後も、華我子さんは黙々と食べ続けていた。

 食事が終わると、約束通り料金は華我子さんが全額払ってくれた。やはり年下の、それも未成年の人に奢ってもらうのは少し……いや、だいぶ情けない。

 華我子さんはタクシーで帰るという。僕と華我子さんの家の方角は同じだったので、一緒に乗せてもらうことになった。

十五分ほど走ると、先に華我子さんの家に付いた。高級そうなマンションだった。

華我子さんは僕の分のタクシー代も渡そうとしてきたけど、流石にそれは止めた。タクシー代だけは、華我子さんの分も僕が払うことにした。

「きょ、今日はありがとうございました。うぷっ」

 胃からせり上がってくる肉を何とか押し留めて礼を言うと、華我子さんは「私も楽しかった」と頷いた。

「またな」

 ドアが閉まりかける瞬間、華我子さんは少し笑った気がした。だけど、それを確かめる前にタクシーのドアは閉まり走り出した。


 タクシーの中で、僕は自分の手首を確認した。

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