システムは人を馬鹿にする

秋野大地

第1話

 世の中何でも、「システム」の大合唱になっている。ISOが浸透した結果だろうか。それとも人類が進化したあかしなのだろうか?

 マレーシアで仕事をしながら、幾度となく遭遇するのが、次のようなことだ。

 何らかの品質問題が発生する。これについては日常茶飯事で、問題はあるが問題ではない。いや、この場合、珍しいことではないと言った方が正しいかもしれない。

 そこで、関係者が集まり会議となる。

 会議の目的は、問題が発生したことやその内容の周知、そして問題にどのように対応するかの決定である。

 大切なことは、誰が何をいつまで行うかを決めることだ。

 そして発生問題の解析が終了し、問題の原因が明らかになり対策が決まる。

 その後対策効果確認と弊害確認としての机上設計検証や試験の実施を決める。

 およそそれらの確認が取れたら顧客承認を経て、量産品に対する設計変更を実施し、今度は量産ラインで品質モニタリングを実施する。

 それと並行し、再発防止策の検討を行う。それにはなぜなぜを繰り返すファイブホワイという手法を用い、システムに落ち度はなかったかについて検討し、同様の問題や類似問題の再発防止(水平展開)を目的とした新しい仕組みが追加される。

 つまり我々のシステムは、より堅牢なものへと進化するのだ。素晴らしいシステムを持てば我々の将来は安泰だ、と言わんばかりにシステムを進化させる。

 しかし実際、システムが複雑化し仕事が増えているのに問題は絶えない。

 実はその事実が大きな問題で、更に切実な問題は、日々システムを進化させることに躍起になっていながら、そして自己満足を繰り返しながら、それでも問題が絶えないことを疑問視する人がいない、という現実だ。

 こうやって何が起こっているのかを俯瞰すれば、何かがおかしいことに気付く人も多いかもしれないが、システムを神格化し日々崇めていると、そのおかしな点に気付かない人が多い。

 先日、こんな論争もあった。

 認証機関へ被検査物を発送するのは、誰の仕事か? (最近の製品は、実に多くのパブリック要件を満たさなければならない。例えば妨害電波を出さないとか、発煙発火がない、人体に損傷をきたさない等々。それらを知見のある機関でテストしてもらい、要件を満たしているという証明書を発行してもらう必要がある)

 これらの進め方で、様々な意見が出る。

 認証については色々なドキュメントの要求があり専門知識が必要だから、全て認証を取り扱う部署がハンドリングすべきだ。

 いや、認証グループは専門知識が必要な部分へのアドバイスをする。現物の社内手配や発送は、プロジェクトの詳細に精通しているプロジェクトマネージャーの範疇で行うべきだ。

 要は、面倒なことをできるだけ他人へ押し付けたいのが、それぞれの本音だ。しかし気付けばいつも、議論はおかしな方向へ向かって行く。

 そこにプロシージャ(手順)がない。だから曖昧になってこうした状況が発生するんだ。

 いやいや、プロシージャ以前に、プロジェクトマネージャーの責任範疇、具体的業務内容がシステムの中で明確になっていない。認証グループも同様に、仕事の範囲が明確になっていない。それらがはっきりしないところに問題がある。

 そこからは会議は、延々とシステムの議論で盛り上がる。

 そこでみんなは、システムがないから仕事ができない、進まないと言い始める。

 そんな馬鹿な。たかが製品を発送するだけの仕事で、システムがないからできない?

 製品の発送に限らず、こうした議論は随所で始まる。みんな声高に、システムがない、システムに不備があると騒ぎ出す。

 誰かが何かミスをしたとする。それを社長が追求すれば、ミスをした人は「自分はシステム通りにやりました。それをミスだと言うなら、それはシステムが悪いのです。私が悪いのではありません。悪いのはシステムです」などと胸を張って言い逃れる。

 こんな人にはつける薬がない。末期を通り越している。そんな屁理屈がまかり通る会社にも先がない。そちらももはや末期だ。

 しかし一方で、システムに則りエンジニアにドキュメントの提出を求めると、こんなに多忙なのだから、システム通りになんかやってられない、という話しが出る。

 システムが駄目だから仕事が上手く進まないと言った同じ口で、舌の根も乾かぬうちに、一体どの口が言っているのかと言いたくなる。

 結局みんな、できるだけ手を抜きたいという本音が透けて見える。

 同時にシステムは、考えて行動することの邪魔をする。システムから逸れた行動は、自分の責任になるからだ。システムは何か事故が起きた場合の、最も合理的な責任逃れとなる保険になっている。

 いくらシステムを充実させようが、これでは仏作って魂入れずで成果は出ない。

 成果どころか実際は弊害だらけ。システムを簡略化して魂を入れた方が得策なのは明らかなのに、誰もそんなことは言わない。

 会議の中で、自分もコメントを求められるけれど、僕はそんなときノーコメントを貫く。

 システムが人を馬鹿にする。少しは自分の頭を使って動け。でないと物事は進まない。生産性のない無駄時間ばかりが費やされる。

 言いたいことは山ほどあるが、そんなことを言えば、僕は社内でたちまち逆賊扱いされてしまう。

 システムは絶対なのだ。監査員の声は神の声で、我々はそれに絶対服従でなければならない。

 監査員のみならず、事務職員に、システム通りになっていない、このドキュメントは却下などと言われても、湧き上がる怒りをぐっと飲み込み、分かりましたと言うしかない。

 神に逆らってはならないのだ。一つ古いバージョンのフォームを使っただけで、立ち所にダメ出しされる。内容は誰もチェックしない。必要なのは正しいバージョンのフォームを使い、全ての項目が埋まっていること。埋まっていれば全てが許される。

 そんな馬鹿な。大切なのは中身だろう。

 誰がこれほど、人々を馬鹿にしてしまったのか。

 会社はシステムに多額の金を費やし、せっせと馬鹿を量産し、生産性を落としている。システムが充実したと悦に入って、会社を弱体化している。そしてそのことに、誰も気付かない。

 得をするのはシステム化のルールを作り、それを監査で縛る仕組みを作った賢い人たちだ。

 そんなシステム信仰教が、地球上の隅々までいき渡っている。

 過去の財を食い潰し、さて、ここらで集金システムを作っておかないと苦しくないか? と考えたヨーロッパの罠に、みんながまんまとはまった。今やヨーロッパは、大して稼ぐネタがない。だから一攫千金のシステム教を作って広めた。

 一般の会社で働いていれば、ヨーロッパを元締めとする監査会社に、莫大な金が流れていることを実感できるはずだ。

 それに一歩出遅れて気付いたアメリカも、認証という金の成る木をせっせと作っている。

 たまにやって来る監査員は上げ膳据え膳で迎えられ、高い費用をむしり取っていく。

 正直に打ち明ければ、自分もそちら側の人間になりたいと思ったことが、一度や二度ではない。


 システムは人を馬鹿にする。このままでは、世界中が馬鹿で溢れることになる。

 そのことをよく踏まえた上で、システムというものを考えるべきだと言っておきたい。

 かつての日本には、システムはシステムで必要だが、肝心なのは中味だという良識が充分浸透していた。それが日本品質神話を作り出したことは言うまでもない。

 にわか工業国にその精神を学ばせるのは並大抵でないが、肝心なのはシステムの立派さではなくプロダクトの良し悪しである。

 日本は企画の面で随分世界に遅れを取ってしまったが、品質の本質を知る数少ない国であることは確かだ。

 本物の品質を作るには、実際に取り組む人のが必要となる。立派なシステムなどなくても、それだけあれば充分なのだ。

 日本にだけはその本質を見失わないで欲しいと、馬鹿で溢れ返る海外の地から切に願っている。

 それが日本の将来を支える、数少ない武器になるはずだからだ。

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