最終話 永遠でも飽きない【透久凪】

 一花いっかを追いかけて走っていた透久凪だったが、突然走る手間が省けてしまった。

 彼女がUターンして戻って来たのだ。


「はぁい」


 傷だらけの顔で歪に笑っていた。口角を上げ、八重歯が覗くほど口を開いている。


「持っていかれたか」


 軽く舌打ちする。“禍ツ喰まがつぐい”からは赤黒い水滴がドボドボとほとばしっていた。


「やっぱり。おかしいと思ったのよ。ワタシの魔薬まやくはちゃあんと魔法が使えるようになっているし、一度使ったら二度三度使いたくなるはずなのに、どういうわけかワタシが食べるより先にみんな魔女じゃあなくなっちゃうんだもの。魔宮まみや都瑚とこが一枚噛んでいるのなら一筋縄ではいかないわけよねえ」

「俺が魔宮都瑚の使いであると、なぜわかる」

「“禍ツ喰い”でしょ? それ。バカよねえ魔宮も。人間なんかのために魔女殺しの剣なんて造って」

「結果、お前を追い詰めることに成功している」

「だからバカなのよ。所詮人間なんて間違いばかりを犯す生物。ワタシのような魔女が人間の上に立って統治してやらないと、バカがバカを殺し続けるバカバカしい世界が出来上がるだけよ。実際この顔、どう思う?」


 傷だらけの顔を指して言う。


「痛そうだな」

「誰にやられたかわかる? 人間よ? ああ、かわいそうな一花ちゃん。初めから魔薬を飲んでいれば良かったのに、人間を少しでも信じたのがいけなかったの。初めから皆殺しにするつもりでやられる前にやっていれば、こんな顔になることもなかったのに」


 よよよ、とわざとらしく泣いたフリをする魔女。


「わかった?」


 チラリとこちらに視線を送る。透久凪すくなはこくりと頷いた。


「あら物分かりがいいのね。だったら下がりなさい」

「そう言うわけにはいかん」

「だったら死になさい!」


 魔女の手が横薙よこなぎに払われた。火球が飛んでくる。“禍ツ喰い”で受け止めると、刻印の中に吸い込まれた。飛び散った火の粉すらも舐め取る。下段から砂礫を巻き上げたつむじ風が迫るが、根元を切ると立ち消えた。

 側溝にハマっていたグレーチングがカタカタと動き出す。自分の頭がそちらに引っ張られていることに意識が及ぶと、“禍ツ喰い”の柄頭つかがしらで頭を小突く。すぐに引っ張られている感覚はなくなり、グレーチングが軋む音も消えた。


「さすが“禍ツ喰い”ね」


 魔女は人差し指と中指を立てた状態で、掌を上空に向けて、ヒュンッと振った。


「これならどう?」


 ——バチチッ!


 頭上に掛かっている電線の片側が切られ、青い光が歪に伸びる。振り子のようにして弧を描きながら迫って来た。“禍ツ喰い”を電線の先端に向けると、下方からグレーチングが飛んで行って、軌道を逸らした。


「な!?」


 ——ガシャンッ!


 グレーチングはアスファルトに落下してなおも、電線に絡みついていた。


「アナタ、なぜ魔法を」


「俺は魔法を使えん。いまのは“禍ツ喰い”が吸収した魔法を吐き出しただけだ。吐瀉物としゃぶつに負けた気分はどうだ」

「黙れ!」


 両方の掌を胸の前まで上げた。人差し指と親指で三角形を作り、前に押し出すように動かした。

 魔女が作った三角形の中から稲妻が発生。秒速150kmで進んだ紫電は、透久凪の手前で忽然こつぜんと姿を消す。

 手前に出しておいた剣越しに、魔女を見やる。


「“禍ツ喰い”は、光より早く喰らう」


 街灯を怪しく反射するエッジは、魔法を喰う度そのつやを増しているようだ。

 魔女は肩で息をしている。霞のように細かい粒子が、目や鼻や口から立ち昇っている。


「人間ごときが!」


 魔女は火球を放つが、透久凪は逆手に持ち替えた“禍ツ喰い”で、夜の違和感を拭き取るように明るさを吸い取る。


 最後の力を使い果たしたのか、魔女はついに膝を折った。白目を剥いて倒れそうになったところに、駆け寄った透久凪の腕が伸びる。そのまま抱きかかえるような形で膝を突いた。


 “禍ツ喰い”を構える。気絶しているのか目を開けることもない。

 透久凪はゆっくりと剣の腹を彼女の頭の上に置いた。

 “禍ツ喰い”の液体が彼女の頭にべちょりと張り付いてうごめく。

 しばらく続けていると、“禍ツ喰い”からの反応がなくなった。 “禍ツ喰い”を鞘に納める。


「う……」


 一花からうめき声が聞こえた。


「大丈夫か?」

「あれ、私……」


 しばらくぼんやりとした焦点の合わない目で透久凪を見ていたが、やがて正気を取り戻した彼女は跳び起きて、自身の肩を抱いた。ガタガタと震えている。


「透久凪君……、私」


 見開かれた目には、街灯の明滅がチカチカと映っている。


「魔女に操られていただけだ。今後そうならないように魔薬を渡せ」


 一花はポケットに手を突っ込んで小瓶を取り出した。カタカタと震える指先で蓋を回す。


「そのまま渡してくれればいい」


 怯えた表情で透久凪を見る。それからゆっくりと首を振った。


「なぜだ。それは人間にとっては毒になる。魔法使いになりたいわけではないだろう」


 さらに首をぶんぶん振りながら後退る。


「無理だよぉ……、私、ひ、人を、人をぉ……!」


 はあっ、はあっと肩で息をしている。


「でもあの人たちが、透久凪君と会うなって」


 支離滅裂しりめつれつな言動をしゃくり上げる。


 彼女は額に掌を当てて、前髪を掴んだ。触れた傷跡のカサブタが剥がれて、血が一筋の線を引いた。その横を涙が流れる。


「いつもなら言いなりに、なってた。でも、でもぉ……! 透久凪君と一緒に居たいって、そう思って、頑張ったのに! 頑張ったのに!」


 透久凪は一花に向かって進む。


「魔薬を飲むことは、頑張ることではない」

「じゃああのまま会わない方が良かったの……?」

「魔薬を飲むくらいならな」


 彼女は月に溶けてしまいそうなくらい儚げな微笑を浮かべた。蓋の開いた瓶を傾け、上を向いて口を開く。

 咽喉のどがゴクリと鳴った。


「くっ!」


 直後に透久凪は拳を彼女の鳩尾みぞおちに走らせていた。


 ——ゴボァッ!


 胃液と混ざった薬が吐き出され、透久凪の顔に掛かる。と共に激痛を感じて顔をしかめた。

 自分の顔から煙が上がっているのを確認した。皮膚が溶けたのだろう。

 気を失った一花を抱えて、その場をあとにした。






「あらあら。珍しい。勝手にお客さんを連れてきて」


 都瑚は透久凪が背負っている一花を見るなり言った。彼女はまだ気絶している。


「それにしても派手にやられたのね」


 透久凪の顔を見るなり、都瑚はため息交じりに言った。


「魔薬の力を見誤った」

「油断したの? 珍しいのね。その傷は治してあげましょうか? 絆創膏を貼って治せるようなものじゃあないし」

「いや、それくらいならこいつの顔を治してやってくれ」


 透久凪は一花をベッドに降ろした。


「でも、この子を治したら、アンタの方までは無理よ?」

「構わない」

「珍しいわね。今日は珍しいことが三回もある。アンタが人のためなんて」

「別に一花のためではない。俺はお前のために無理をしてケガをした。その証拠が消えてしまうというのが、ただ不安なだけだ」


 都瑚は、ふっ。と言うあざけりとも喜びとも取れない軽やかな笑みを飛ばして、一花の顔に掌をかざした。

 透久凪が“禍ツ喰い”を用意している間に、魔法を施したようだ。向き直ったときには既に彼女の顔は綺麗に元通りになっていた。少しだけ肌に潤いがあるようにも思える。


「ヒアルロン酸も足しておいたわ」

「そんなことも出来るのか」

「科学で出来ることなんて魔法で出来るに決まっているでしょう? 科学なんてたかが宇宙の4.9%しか知らない奴が御託を並べて出来たものでしょう? 魔法は20%から先を知った者が辿り着く超現実の科学みたいなものなんだから」


 透久凪は自分の腕を斬りつけて、“禍ツ喰い”を伝わせ、血を飲ませた。

 いつもはすぐに拭き取る血だが、しばらくそれを眺めていた。


「アンタ、よしなさいよ」


 真剣な語調。透久凪の考えが読まれたようだ。


「人間にしてみたら、それは毒のようなもの。魔力を摂取する前に咽喉のどただれて死ぬわ」

「魔女は強いのだな」

「そうね。でも弱いままに生きて行く人間の方が、存外強いのかも知れないわよ」


 片眉を下げて挑戦的な笑みを浮かべる。

 幼い見た目に、病弱そうな肌色。対して大人びて自信に満ち溢れた言動としぐさがなんともアンバランスで、浮世離れしていた。


「一花を置いて行きたい」

我儘わがままな子ね」

「俺はこいつの家を知らん。かと言って家に上げるわけにもいかん」

「どうして? この子アンタのこと好きよ? 喜ぶんじゃあない?」

「余計に困る」

「健全な男子だったら困らないと思うけど」

「あいにく俺は永遠を生きることを決めている。不健全な男子だ」


 諦観を滲ませたため息を吐く都瑚を尻目に、出窓に歩み寄る。透久凪はカーテンを開けて、電気を消して、彼女の部屋をあとにした。






 朝から関係のない黙祷を済ませ、授業を淡々とこなし、屋上に上がった。透久凪の上には変わらない空と雲が流れている。


 そこに一花が現れた。弁当を携えている。


「透久凪君、その顔ですけど……」

「これか。転んだ先の水たまりが硫酸りゅうさんでな」

「嘘です、魔宮さんから聞いたんですよ」

「どこまで聞いた?」


 彼女は辺りをキョロキョロと見回して、グッと顔を寄せた。


「全部です。魔宮さんが魔女ってことも」


 これには呆れて大きなため息を吐いた。


「あのバカ師匠は、バカか。バカなんだな」


 一花は下唇を噛み締め、弁当の袋の結び目をぎゅっと握った。


「ごめんなさい!」

「構わない」


 深々と頭を下げる前に、透久凪は言い終わっていた。


「え」

「いいから食べるぞ。今日は箸を割るなよ。あ、縦には割れよ。食えないからな」


 彼女はキョトンとしたのち、ふふっと笑って、隣に腰掛けた。

 黙々と弁当を食べていたが、途中で彼女の方から鼻をすする音が聞こえてきた。弁当箱の蓋にぽちゃん、ぽちゃんと不細工なドットを作っている。


「お前は優しいな」


 彼女の肩がビクリと震えた。


「どうせ死んだところでなに一つ影響のない人間の死に、胸を痛められる。確かにお前は罪を犯したが、それでもやはり人間だ。他人の裁きを受けなくても、自分自身で心に傷を付けられる」


 見上げた一花の瞳に、もくもくとした白い雲が映っていた。その雲から、大きな雨粒がボロボロと垂れて行く。天気雨てんきあめ


「誤解を解いておくと、あのときは魔薬まやくは飲んだら駄目だと言いたかっただけだ。いまこうしてお前と話しているのは、不快ではない」


 コクッと頷く。弾けた涙が風にそよぎ虹を見せる。


「それとお前は俺のことを好きらしいな」


 ——ガシャッ!


 一花が仰け反ってフェンスに背中をぶつけた。円い瞳が、大きく開かれ震えている。


「ど、どどど、どうし——」

「師匠に聞いた。残念だが俺はお前の気持ちに答えることはできない」

「やっぱり彼女さんが居るからですか?」

「いや、俺は魔法使いになって永遠の命を手に入れるからだ。お前とは寄り添えない」


 おかずとご飯を口に放り込んでいく。

 どういうわけか、一花の顔は少し明るくなっていた。


「じゃ、じゃあ! 私が同じように魔法使いになって永遠の命を手に入れたら、一緒に居てくれますか?」


 唐突な申し出に、しばらく考えてしまう。


「まあ、そうだな。お前も寂しそうだしな」

「も?」

「忘れろ」

「はい……」


 項垂うなだれる白百合しらゆり


「ところで一花よ。永遠を生きるなんて目標がないと難しいぞ。生きるのに飽きたら地獄だ」

「大丈夫ですよ、絶対に飽きませんから」



 明るく言い放たれた彼女の言葉は、確信に満ち溢れていた。うれいの消え去った目には、透久凪だけが映っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それでも魔女は毒を飲む 詩一 @serch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ