1章 3話 希望のために扉はいつも開けておきましょう

 

  鼻へ繋がれたチューブが痛痒いせいで気になり弄っていると、啄木鳥が木に穴を開けるような高速ノックが病室に響く。


ベッドに横になっていたミカエラは返事の代わりに、近くにあった鈴を鳴らした。すると、凄まじい速度でドアが開き、ソフィが入ってきた。相変わらず行動が賑やかだ。


「やっほーーい遊びに来ちゃいました〜!あ、ミカエラ、酸素マスクは取れたんだね!良かった!」


 ソフィーはそう言いながら、ベットサイドに座る。ミカエラは、自分だけ寝ていては申し訳ないと、まだ痛みと息苦しさが残る体を無理やり起こそうとした。


「ミカエラは無理しないで寝ていて!」


 ソフィーは、起きようとしたミカエラの身体を軽く押さえつけて寝かせると、布団を胸元までかける。それから寝てるミカエラと同じ目線になるように座り直した。


 ベッドに横になった状態で、掌を出すようにというジェスチャーをしたが、ソフィーは何故か、お手をした。これからコミニュケーション関係が大変だな……と、考えたら、鈍い頭痛がしたのでしかめると、ソフィーは驚いた表情を浮かべる。


「なんか、しかめていたけど大丈夫?もしかして調子悪いなら、日を改めるけど……」


 ミカエラは慌てて首を振ると、ソフィーは安心したような表情を浮かべ、ミカエラの額を撫でた。

 しょうがないのでミカエラは、ソフィーの手首を無理やり掴むと、掌に指で文字を書いた。

ソフィーは一瞬驚いた顔をしたが、掌で文字を書いていることが分かると、少し嬉しそうな顔をした。


 ──一昨日おとといはごめんなさい──


「全然気にしていないよ。だってしょうがないじゃん。徐々に受け止めて色々なことを考えよ?」


 ──でもアンさん達に嫌な気分にさせてしまった──


「いや?ミカエラよく考えてごらん?アンさんがあれくらい嫌だと思っていたら、キリがないよ?私のイタズラなんて特に」


 続けてソフィーは、ミカエラの目を見つめてから、手をそっと握りしめながら


「アンさんも、きちんと分別がある大人なんだから事情くらい分かるし、気にしないよ!」


 と、ソフィーはいつものように微笑んだ。

ミカエラは、凪のように静かに安堵の息を吐くと、良かったと口を動かした。


「……ミカエラ……これだよミカエラ!」


 突然ソフィーは嬉しそうに目と口を大きく開け、歯を見せてニンマリと笑う。


「ミカエラ!ついに!ついに!私の得意分野が役立つ時が来たよ!」


 突然の大声にミカエラは大きく肩をビクッとさせる。


「あ……急に驚かせてごめんね」


 ソフィーは少し目を見開き、捨てられそうで鳴く子犬のような声で言う。

しかし、数秒後には再び子供のようにはしゃいだ声になり、興奮したように少し早口で喋り始める。


「読唇術。私の得意分野の読唇術!ほら試しに少し口を動かしてみて!」


 ミカエラは不思議に思いつつ、言われるがままに頭に浮かんだ言葉である『トマトがスープ飲みたい』と、口を動かした。

それと同時に、こんな時にトマトスープをのみたいと言うなんて呑気だなと思った。


「えぇ……トマトスープ飲みたいの?!まだ流石にその体じゃあ飲めないでしょ……飲んたら、誤嚥で肺炎で昇天タイムだよ……」


 ソフィーは笑みを浮かべつつ、少し困惑したような顔を浮かべた。


当たり前だ。数日間昏睡状態の重病人が突然そんなこと出来るわけない。

ましてや、声帯が麻痺してるのだから、下手したら食べ物が気管に入り、肺炎になる可能性もある。


『うん、おかしいことくらい分かっているけど、なんかあの酸味が身体が欲していてね……点滴だけだと、喉が干からびそうなんだ』


「うーん……分かった。あとでヴァルトさんに聞いておくよ……」


 それから、お互いにハッとしたような顔になり、数秒後に同時に笑顔を浮かべた。


「ほら!ミカエラ!今までと同じように会話出来るじゃん!やったね!」


 ソフィーはそう言うと、ニッコリと歯を見せて、欲しいものを貰った子供のように無邪気にはしゃぎ「良かったねえ」と、ミカエラの手を握って喜んだ。

その時のソフィーの顔は本当に嬉しそうで、その顔を見ていると自分までも何故か嬉しくなった。


「おーい入るぞ」


 お互いに喜んでいると、硬く重いノックが3回響いた。アンドリューだ。

2人はお互いに目を合わせ頷くと、ソフィーが返事をした。


「ミカエラお兄ちゃんひたちぶりネ」


 返事をした途端、少女が隙間から部屋に入ってくる。


桃色のおかっぱの髪に、黄緑の瞳が特徴的なこの少女はアンドリューの娘だ。

容姿が全く似てないのは、アンドリューとは血が繋がらないからだ。


今はこのようにどこにでもいるような女の子だが、アンドリューの養子になったばかりの3年前は、酷くボロボロでやつれていた。

 

「ミカエラオニイチヤンだいぢようぶヨ?」


 ネロはベットの横の椅子に腰をかけると、ミカエラの顔をマジマジと見て舌っ足らずが混じった言葉でそう言った。

ミカエラはネロの頬をそっと撫でる。温かくふっくらとしている。

 

「えへへネ」


 ネロは嬉しそうにそう笑うと、何か恥ずかしかったのか、持っていた猫のぬいぐるみで口元を隠した。


「ネロ!ミカはキッキ気分が悪いんだ。あまり五月蝿くならないように気をつけろよ!」


 後から入ってきたアンドリューは、ドアに寄りかかりながら、いつもとは違う優しげな声音と眼差しをネロに向ける。


 アンドリューはネロを愛してる。例え血が繋がっていなく、人種が違っても。そう感じさせるには十分の仕草だった。


「ああ、そうだ……ミカ」


 アンドリューはベットの傍に近づくと、持っていた紙袋から万年筆とスケッチブックと赤いマフラーを取り出した。


「その……意思を図るのに苦労するだろ?」

「あと、赤いマフラー……首の傷……気にしているんだろ?もし良かったらこれで隠せ……」


 アンドリューはぶっきらぼうにそう言うと、少し目を細め口角を上げた。


さっそく代わりに受け取ったソフィーが、万年筆のカートレッジにインクを吸わせてから、ミカエラは万年筆を受け取ると、スケッチブックにこう文字を書いた。


『ありがとうございます』


 アンドリューは、頭を掻きながら少し目を細めて笑い、ソフィーは何も言わずに、ニッコリと歯を見せてミカエラの肩に手を置いた。


 ああ、これで少しは会話が出来る。


少しだけ熱くなった目頭を抑え、目を閉じると上を向いた。

窓から見える空は厚い雲ゆっくりとしたスピードで移動していき、鴉が二、三匹同じ方向へ飛んでいった。普段は気に留めないありふれた光景さえ、美しくそして愛おしく感じた。



 その日の夜。春にしては暑苦しいかったので、ソフィーが帰る際に、開けたままにしてもらったドアを誰か来ないかなと、いう期待の目で、ぼんやりと眺めていた。

 人が入って来る時は、例外ソフィーを除いて、だいたいはドアから入る。だからドアに人影や足音が近づく度に、自分の客じゃないかと思ってしまうが、ほとんど通り過ぎてしまう。


「やあ、ミカエラくん。回診に来たよ。調子はどうだい?」


 人が入ってきたのはいいが、回診に来た医者ヴァルトと数名の看護師だったので、少しガッカリとしながらペンを動かす。


『お疲れ様です。いつも色々お忙しいのにありがとうございます』


「いえいえ。紙とペンもらったんだね!良かった……それじゃ腕と胸と喉を見せてくれないかな?」


 ミカエラは頷くと、袖を捲った。腕には無数の傷跡と点滴の管が刺さっている。


「カテーテル苦しいと思うけど、もうしばらく我慢してね。トマトスープはまだだけど、少しづつ食べる練習していくから。あ、口開けて」


 ヴァルトはそう言いながら、看護師から器具を受け取ると、先日と同じように口の中を見る。それから、隣の看護師になにか言って、ヴァルトは「じゃあ僕は失礼するね」と、言うと、看護師を置いて部屋から出ていく。

 

 「あ、失礼します。ご飯の時間です」

 

 看護師はテキパキとベットの角度を変え、それからカテーテルと栄養剤を繋げると、何かあったら呼ぶようにだけ言うと、部屋から去っていった。

   

 

 

「少佐!夜分遅くに失礼します。荷物を届けに参りました」

 

 しばらくして、先日の声が高い少尉が、ドアをノックすると、血に濡れた服と、茶色の皮のリュックを持ってきた。

服は戦場で着ていた服。リュックは、本部に置いてきた日用品が入っている。


 ミカエラは、急いでリュックのポッケの中に入れたイヤリングがあるか確認をする。ミカエラにとっては大切な物だ。命の次の次くらいに。

 ポケットの底には、金色に光る月のイヤリングがあった。ミカエラはほっと一息つくと、それを耳につける。

 

「レオンハルトの件は残念でした……少佐だけでも生き残ってくれて幸いです」

 

 少尉は前に手を組みながら、残念そうな声でそう言う。

 ミカエラは急いで紙に『嘘でしょ』と、書くと、少年兵は目をつぶり、首を横に振ってから「残念ながら」と、静かなに言う。


 薄々分かっていた。

だけど認めたくは無かった。手厚い治療を受けていると信じたかった。 


 レオンハルトは、死んだ弟に似ており、ユーモアがあり、されども、なんともいえない真面目さを持ち合わせていた。

そして境遇もミカエラと似ており、隊に入って数日で意気投合してから、保護も兼ねて副官として、常に自分の横に置いといた

 楽しかった思い出が次々に蘇る。休みの日に映画を見に行ったこと、夜警の時にしたくだらない話。


 どうしてだろうか? 目から雫がポタポタと溢れる。

 

「では、少佐失礼します。」

 

 少尉は、気まずかったのか、少し早口で言いうと、部屋から出て行く。

 ミカエラは、少年兵が出ていったのを確認すると、涙のせいでグチョグチョになった包帯を取り、咳を一つすると、湿ったため息をついてから、そのまま目を閉じた。


 

 

 次の日、ミカエラが窓の外を見てると、ソフィーが丁寧にノックをして入ってきた。それに気づいたミカエラは後ろを振り返り、目を少し細める。いつもとは違い、白い色の薄いワンピースを着ている。

 

「何見てるの?」

 

 ソフィーは、ベッドに座っているミカエラの隣に座る。

 

 『手向けの花』

 

 ミカエラはそう口を動かすと、窓の外を指さす。そこには満開に咲き乱れて、風に吹かれては、花弁を散らす桃色の花が美しく咲き誇っている。

 

 『戦場で最後に一緒に見た後輩が死んだって』

 

 あの未知の敵によって、呆気なく死んでしまった。


「……」


 ソフィーは何も言わずに、手をそっと握る。

 

 『いい人はみんな早く死んでいく……父さんも後輩達も』

 

「あぁ……ミカエラ……ごめんね。みんなを助けられなくて」

 

 ソフィーは目を伏せ、悲しそうな声と表情で、自分の手を強く握りしめていた。

  

 『どうして謝るの?ソフィーは何も悪くないのに』

 『ねえ、ソフィー。ヴァルトさんに外出許可貰えないかな?せめて彼のお墓参りに行きたいんだ』

 

 ミカエラは遠くを見ながら、ゆっくりと口を動かす。

 

「おやおや!何か話している所に失礼するね。点滴替えに来たよ」

 

 穏やかな顔でヴァルトが部屋に入ってくる。

 

「いえいえ。今、丁度今話していたんですよ……外出許可を貰いたいという話を……部下が亡くなったのでお墓参りに行きたいと」

 

 ヴァルトはそれを聞くと、「あぁ」と、だけ言うと、しばらく考えるように黙り込み、それからゆっくりと喋り始めた。

 

「まず、今の状況だと無理かなぁ……ただ、今の治癒スピードでいくと一週間くらいで外出出来るよ!普通だと一ヶ月半くらい掛かるんだけど、君は異常に治癒スピードが早いからね」

 

 ソフィーは少し驚いたような表情を浮かべて「早」と呟いた。思ったより早くて良かった。もっと一ヶ月くらい掛かるかと思っていた。

 

 『大丈夫だよ。一週間なんてすぐだから』

 

 そう言ったものの、実際の一週間は長かった。

ほとんど寝たきりだからだろうか?

本を読んでいても、1日が永遠のように感じた。

ソフィーやアンドリューに、あと何日で1週間になるか沢山聞いた気がする。

二人とも、呆れも笑いもせずに、真剣に答えてくれた。

 

 

 

 『晴れて良かった』 

 

 ミカエラはそう口を動かして、ソフィーとアンドリューを見る。アンドリューは、いつも通りの仏頂面で腕を組んだまま「ああ」とだけ言って、ソフィーは、嬉しそうな顔で頷く。

 あれから1週間が経った。ここ最近は小雨が降る日が多かったが、今日は爽やかに晴れている。

 

 「ミカエラ!背中に乗って!車椅子がある一階まで運ぶから」

 

 ソフィーは、ベッドと同じくらいまで屈みながらそう言う。

 

 「ソフィー大丈夫か?背負えるか?」

 

 横にいたアンドリューは、腕を組みながら言う。

 

 「女性だからって舐めないでくださいね!アンドリューさんも背負えますから!」

 

 「舐めては無いが……まあ、背負えるなら、それでいいが、くれぐれも階段とか気をつけろよ。これ以上、怪我人が増えると困るから」

 

 そんな二人の会話を聞きながら恐る恐る、ソフィーの背の上に乗ると、ソフィーは軽々と立ち上がる。

 

 「大丈夫?何か違和感とない?」

 

 と、ソフィーはミカエラの方を見る。

ミカエラは頷くと、ソフィーはまるで何事も無いように、散歩するようなスピードで歩き出す。


「本当は車椅子を持ってこようと思ったんだけど、ここ二階でしょ……流石に無理だったから、恥ずかしいと思うけど許して」


「というか、もう少し車椅子とかそういうの軽くならないの?これから色々と使う人が、増えそうなのに……」

 

 ソフィーは不満そうそう呟いた。階段を降りると、そこには木と藤で出来た車椅子があった。ソフィーはその前に膝を着くと、少し後ろに下がりミカエラを座らせた。

 

「ん……じゃあ、俺はもう行くから、お前ら適当にブラブラでもしておけ」

 

 アンドリューは腕を組みながら、素っ気ないような素振りでそう言うと、さっさと去っていった。

 

「ちょっと!一緒に行くんじゃなかったんですか!アンさん!というか、なんのために来た!」

 

 ソフィーは小さめな声で叫びながら言うが、アンドリューは振り向かずに、手を振るだけだ。

 

「全くアンさんたら……あ、ミカエラ!ケープ渡すの忘れてたね」

 

 ソフィーはそういうと、カバンの中から、茶色いケープを渡す。

ミカエラはそれを片手で着て、フードを深く被ると、ソフィーは「レッツゴー」と嬉しそうに言い、車椅子を動かした。

 

 基地の外に出て、しばらく歩くと市街地に出た。


市街地はカラフルな木組みで出来たドールハウスのような可愛らしい家や、じっとり濡れた石畳、繊細な彫刻が施された建物、空まで届きそうなほど高い時計塔が目に入る。


近くには大河が流れており、時折小型の漁船がアヒルのように走ってる。


初めてこの街に来た人はこの光景を繊細でおとぎ話のような街と呼ぶ。


そこから少し路地に入ると、白レンガの小さな建物がある。そこには『catacombe《地下墓所》』と、書かれている。ミカエラ達はその中に入ると、一気に空気が冷たくなり、螺旋のスロープを下ると、壁に骸骨だらけの地下空間が広がってる。

 

「この骸骨ってどれくらいあるんだろう」

 

 と、ソフィーはそう言いながら奥の方へ進む。ソフィーの足音と、タイヤとコンクリートが擦れる音だけが静かに響く。


 数分程歩くと、行き止まりになっており、目の前に長方形の大理石のモニュメントがある。石には『貴方の勇気は不滅。散華した名も無き兵士達ここに眠る』と彫ってあり、その下の地面には沢山の花束や供物が供えてある。

 

「後輩くんって遺体発見された時に、名前がわかってるなら無名戦士にならないんじゃない?」

 ソフィーは、石碑を撫でながら言う。

 

 『レオンハルトは、家族も居なくて、尚且つ親戚にも引取りを拒否されたから、ここに入ることになったみたい』

 

「彼は、独りぼっちなんだね……同じだ……」

 

 ソフィーがそう返すと、ミカエラは目を伏せて、頷いた。


 ふと、視界の端っこに自分より少し小さい人影が見えた。

ミカエラは、そちらの方を向く。

艶がある薄柳色の髪を後ろに一つで縛り、白いワイシャツに、薄茶色のベストを着た、色白の少年があどけない笑顔で笑っている。

 

 「1人はさみしいよね……」

 

 少年の声は、ソフィーには聞こえないようで、声が聞こえても、振り返りもせず石碑に刻んである言葉を見ている。


 少年は、そんなソフィーの姿を優しげな眼差しで見てから、相変わってミカエラの方を無表情でじっと見ると、声変わり前の少年らしい、少し高い声でこう言う。

 

 「ねえ、兄さん。親しい人が亡くなったのは悲しいけど、忘れろとは言わないから、死人にいつまでも執着しちゃあいけないよ」

 

 ――分かってるよルカ――

 

 ミカエラは、ルカと呼ぶ少年の方を向きながら、心の中で呟く。

彼はミカエラより1つ下の弟で、数年前に戦争によって目の前で命を落とした。

 

 「でも、何度も死んだ後輩達や敵への懺悔の言葉を吐いてるじゃん」

 

 『上にいる責任があるし、守れなかったから。それに戦争とはいえ、多くの人を殺したからね。悪いことをしたら謝らないと』

 

 「本当そういうところ……分かるけどさぁ……無駄な共感や後悔ばかりしないでね。それじゃあ、生きて考えるだけのゾンビだ。

 兄さんは、今を生きているのだから……過去に囚われすぎちゃ駄目だよ。自分の人生を無駄にしないで!

なんの為に生きてるの?目の前の人を幸せに出来るのは生きている今のうちなんだよ」

 

 それから、ルカはソフィーの方を見ながら、少し悲しげに目を伏せながらこう言った。

 

 「姉さんも……ボクが死んだのを、責めないでね……姉さんのせいじゃないから。ただ、運が悪かった。それだけなんだ

 ……なーんて、こう言っても聞こえないけどさ」

 

 ルカがそう言い終わった直後、もうそこには少年の姿は、跡形も無かった。


 ただ、入口から風が吹きつける音だけが、洞窟内へ不気味に木霊するのだった。

 それはまるで、無念を叫ぶ死者の声のように聞こえた。 

  

 カタコンベ地下墓地を出ると、日は真南の方を向いていた。どこかで焼きたのパンとバターが溶けたような、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。それも相まってお腹が減ってきた。


 最近はリゾットやパン粥くらいなら食べれるくらいに回復してきた。ヴァルトからは早すぎると驚かれた。

 

「お腹すいてない?もし良かったらお昼にしない?」

 

 ミカエラは少し考えてから、持っていたスケッチブックに『それより先に教会に行きたい』と、書いた紙を見せた。


 「分かった……でも、やっぱりお腹がすいたからテイクアウトでなにか買わせて……そうじゃないと、私うさぎみたいに自分のケツ穴から出たやつ食べる気がするよ」

 

 『分かったけど例えが汚いし、うさぎが食糞する理由は飢えてるからじゃない』

 

 カタコンベのすぐ近くのパン屋に寄り、店から出てきた瞬間ソフィーは、買ったパンを口いっぱいに詰め込んだ。おかげで頬袋に餌を詰め込みすぎたハムスターみたいな見た目になってる。

 

 『先に食べてね。食べながら歩くの行儀悪いから』


 数分後、食べ終わったらしく、ソフィーと共に街の中央にある大聖堂に向かう。

 

 白亜の城のような大聖堂の内部は、外見より広く感じる。正面真ん中には、六大弟子のステンドグラスと、ダッチボブで、極東にある島国、神国の民族衣装であるキモノに似たような服を着た少女の象がある。


 彼女は、国民の約九割が信仰してる、コラン教の開祖であり、聖女コランと呼ばれている。

 聖女コランは神託を聞くことができ、それを真理に則って解釈して、民衆に分かりやすく伝えたという。


 祭壇の前にやってくると、ミカエラは目を瞑り静かに手を合わせる。そして、無事に戦場から帰ってこれたことに対しての感謝と、戦死した両軍の鎮魂を祈った。

 

「ミカエラ、戦場から帰ってくる度に教会に行ってるよね」

 

 チラッと薄目で横を見ると、ソフィーはそう言いながら、目を開いて手を合わせてる。

 

 『大切なことだからね』

 

 礼拝が終わった頃、少し人が多くなってきた。そういえば今日は守護神の縁日でそれ由来の法要があったな……と、思いながらミカエラは再び祭壇を見る。


本来ならば、参加したかったが、この身なりで、しかも体力もまだ無いので、次回にすることにして帰ろうとすると、入口で占星術をしてる男性に声をかけられた。


「やあやあ、そこの二人組さん。今日はミワヨ様の縁日だから、占いが特別に百リラ一リラ=一円だ!」

 

「え!50%以上|割引じゃん!本当にその値段でいいの?」

 

 ソフィーは、嬉しそうに前のめりになりながらそう言った。


星は私達を見守りDie Sterne wachen über uns, 私達の運命を刻みleiten und lenken unser 導くものSchicksal


この文言が聖書の1番最初のページに書かれていることことから分かるように、星という存在はそれほど重要視されてる。


 聖書には、経典を裏打ちした方法によって出された星は、その人の運命を映し出すと書かれており、多くの国民はこれを神からより人生を楽しく過ごす為のお告げだと信じている。

 

「生年月日をお願いします」

 

「私が1867年6月1日。彼が1868年3月25日生まれです」

 

 ソフィーが代わりにそう言うと、男性はそれを紙に書き、経典を捲る。

 

「えっとお嬢さんは……太陽は落ち、月は欠けて、風が吹けば暗雲が覆い包む……

お嬢さんの人生波乱だね。まあ、余計なことしなければ、少しは良くなると思うよ。あと、表現力や演技力の星があるから、ピアニストか女優になるといいよ」


「神の力で人生とかやり直し出来ませんか?」


 ソフィーは手を見つめながらそう言うと、占い師は「出来ないねぇ」と、のんびりとした口調で言った。

 

「で、そこのお坊ちゃんはねぇ……」


 占い師がそう言ったところで、しばらく考え込むような仕草を見せる。それからしばらくして

 

「月は白く輝き、星は巡る。苦しみの輪舞曲ロンドだとしても、灯火を消してはいけない……君は宿命からは逃れられない」

 

 占い師は、先程とは違い、目を大きく見開き、低くハッキリとした声で言う。そしてしばらく俯いた後、不思議そうに「あれ?なにいっていたんだっけ?」と笑いながら言った。

 

 

 帰り道、ソフィーは占いの結果を不思議そうな声で何度も繰り返し呟いていた。

 

「余計なことって何よ。軍をぶっ壊す!とか?敵国の王をぶっ殺すとか?あ!ゴシップ新聞社破壊!」 

 

 『それは分からないけど、両方とも実行はしない方がいいね。無駄死にするだけだがら』

 

 ミカエラがそう書いた紙を見せると、ソフィーは少し悲しげに笑った。

 

「ところであそこにアンドリューさんがいるんだけど……なんで墓場に……しかも、大量の向日葵の花を持ってるの?」

 

 少し遠くを見ると、両手で抱えきれないほどの向日葵の花を抱え、墓の前に悲しげに立ちすくんでるアンドリューの姿があった。顔は帽子で隠れており、よく見えない。

 

 『故人が好きだったとか。ただ、私達には関係ない話だよ』

 

「そうだね。人の秘密や過去は詮索するのは良くないね。私もそういうの嫌いだし」

 

 もう一度だけ、アンドリューを見つめると、2人はその場から静かに立ち去った。

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