1章 2話 息をすることはとても苦しい


同居人である、ソフィー=ミネルヴァがミカエラについての手紙を受け取ったのは、任務直前のことだった。





手紙を見た瞬間、彼女のに光が無くなる。手紙を持つ手が震える。

悲しさと不安で唇を強く噛むと、薔薇色の血が滴り落ちる。


しばらく唖然としたような様子だったが、やがてぐしゃぐしゃと手紙を鞄にしまった。


「これでいいんだ……これで……」 


ソフィーは何度もそう呟くと、愛用してるリボルバー銃を取り出して握りしめた。


そして、部屋の窓から飛び出すと、美しいをなびかせて駆けていった。




「やっほ〜!アンさん元気〜? 」


 それから2日後。

ソフィーは、軍病院の2階の一室にいた。

本来ならば、すぐにでも駆けつけたかったが、敵国アルキュミア王国にいた為、時間がかかってしまった。


ソフィーは、いつも水色の可愛らしいポンチョとドレスを着ている。

ドレスの腰から下は白いエプロンで覆われてる。

薄桃色の艶のある肌水色の髪を胸の辺りで切りそろえてあり、顔立ちは派手では無いものの、石畳の隙間に健気に咲く花のような、顔立ちと雰囲気を持ち合わせている。


「馬鹿! 戦場から帰ってきてまだた4日後だぞ。何が『やっほ〜元気〜』だ……のわけあるか!しかも、こっちはクソ大佐からまた、仕事増やされたんだよ!大佐死ね!

というかソフィー、お前も任務終了直後なんだから休めよ! 」


 ソフィーの上司でもある、アンドリューは、髪を掻きむしる。それから、薄ら疲れが浮かぶ仏頂面で、腕を組んだ姿勢のまま呆れたような声を出した。


「……本当はそれくらい知っていますよ! ……お疲れ様です。いつも無理ばっかりして! アンドリューさんは、もっと自分の身体を大事にしてください! さっさと逝かれると困るんです」


「それに私は休みましたよ……列車のなかで十分……」


 ソフィーは檸檬色の瞳を細め、ふわりと笑いながら言うと、アンドリューは一瞬俯き「ああ」とだけ言った。


「あ、それとソフィー! また窓から入りやがったな! 窓はドアじゃないと何回言えば分かるんだ! 」


 病院だからか、アンドリューはいつもよりは静かに叱るが、それに加わる威圧感はいつもの数倍はあり、更に顔面が怖くなっている。


「窓は私の身体が入るし、なんか……ほら、動くからドアーだと思います! 」


 ソフィーはドヤ顔をしながら窓をパタパタと開け閉めしてから、窓の外へ出ようとした。

  この窓は防犯面、安全面に特化した窓で、簡単に開けることは出来ない。


「あーーめろ! 怪我されると困る! 」


 アンドリューが必死に止めると、ソフィーは窓に出る直前で停止し、イタズラぽい笑顔でニコリと笑った。


「それで、俺は窓から侵入したことを叱る為にここに呼んだんじゃない。何か分かるよな? 」


 アンドリューが目を伏せて静かに言うと、ソフィーの先程の笑顔が崩れ、青菜に塩を振ったような顔になる。

そして瞳を大きく見開き、思わずアンドリューの服を握りしめる。


「ミカエラが撃たれたですよね……?! ……アンさん彼は……? ミカエラは無事ですか……? ねぇ、元気って言ってくださいよぉ……」


 ソフィーは前半は叫ぶような少し甲高い声だったが、後半になるにつれ今にも消えそうな低い声で言う。

 先程開けた窓からは春なのに冷たい空気が入ってくる。


「……大丈夫に決まっているだろ!言わせるな! ……というか、お前の能力千里眼だろ?ここからでも見れるから見ろよ?」


 アンドリューはソフィーに言うというより、まるで自分自身に言い聞かせるように言った。

「……怖いから見たくないんです。この網膜に映るまで、それが現実とは認めたくないんです」

 ソフィーは俯きながら、先程とは違う弱弱しい声で言った。アンドリューは、それを聞くと「だと思った」と言い、小さくため息ついてから、自分に着いてくるように言った。


 病室に向かう途中、いつもはなんとも思わない廊下が長く、暗く感じる。


 何故か自分の一つ一つの挙動が、こんな時にだけ信じてる神に見張られてる気がする。そして、何か気に入らないことをすると、神罰として部屋に入った瞬間、ミカエラが死ぬような気がした。

 

  自分の部屋と変わらない普通の木製のドアを開けると、そこにはソフィーがよく知る人が死人のように青白い顔で横たわっていた。

  よく似た別人だったら、いいのに……と、いう願いのような希望で目を擦ったり、見開いたりするが変わらない。

少数民族の特徴である、黄緑色の髪に、白磁のような白い肌、長いまつ毛。間違いなくミカエラだった。


 ソフィーは湿った声で小さく嘆声漏らすと、震えながらゆっくりとベットに近づいた。

包帯とガーゼだらけの顔と身体には、腫れてるせいか、面影がうっすらあるだけだ。

更に、身体中に様々な管が付けられてる。

痛苦しいのか、顔を歪ませ、なんとか機械に助けられながら呼吸をしている。


「ミカエラ……!ミカエラ……! 」


 ソフィーは必死に呼びかけたが、ミカエラの瞼はピクリとも動かない。布団からチラッと出ていた手をそっと握ると、真冬の水を触った直後のように冷えていて、触れた瞬間、ソフィーは思わず手を引っ込めた。


「……ァ……ンさん……! こぉ…れ……どういった状態ですか……手がし、死人みたいに冷たい……」


 ソフィーは冷静に喋ろうと努力をするが、声が微かに震え、言葉が乱れ、息が上がっている。

自分自身に落ち着け、大丈夫だと言い聞かせるが、身体がいうことを聞かない。


おかしい、いつもなら……そう、初めて人を殺した時だって……こんな何も考えられない程、ぐちゃぐちゃな感情にはならなかった。


「俺も見ていないから詳しく言えんが、腕と腹と足を撃たれ、左半分の顔と首を鋭利なもの……おそらくナイフで切られたらしい……

あと……すまん……救命の為にちょっと……肋骨が数本折れた……」


 ソフィーは、なんで肋骨が骨折するんだよ言いかけたが、大体経緯は薄々分かる。それに聞いてしまったら余計ショックを受ける気がして、言葉を飲み込んだ。


「それにしてもこれは本当に酷いよな……よく耐えたなミカ……偉いぞ……」


 アンドリューは仏頂面を崩さずに腕組みを解くと、ミカエラの傷だらけの頬をそっと撫でる。


「さっき切られたと言っただろ?どうやら切られた直後に焼かれて……止血されているらしい。」


「見つけた医者とかがやったんじゃないですか?ほら……ショウネツキキャクホウ?みたいなやつあったじゃないですか!」


 すると、アンドリューは目を伏せ静かに首を振った。


「残念ながら焼却止血法ショウキャクシケツホウは今の医学では傷を余計に酷くして『危険』と言われているからやらない」


「それに、ここに所属している軍医達に聞いて回ったが、誰もやっていないみたいだし、一番最初に俺が発見した時は、もう既にやられていた」


 ソフィーはミカエラの包帯が巻かれている顔左目周辺をそっと撫でながら「嘘でしょ……」と呟いた。

包帯の隙間からは、赤黒く砂漠のように乾燥凸凹の肌が見えている。

色白く澄んだ顔半分とは大違いだ。


「何故いちいちそんなことを……もしかして……わざとだったりってことは……?」


「意図は知らんが、わざわざ火傷している部分である顔半分を切り、その直後に炎で止血している辺りを考えると、ミカエラの弱点を知っていた可能性が高い」


「普通だった、そんなめんどくさいことやらないからな。もしかしたら、ミカエラに怨みがある人間かもしれない」


 アンドリューは眉間に皺を寄せ不愉快そうな顔で傷口を見る。

 ソフィーも不愉快そうに顔を歪ませてから、拳を握りしめ「ぶっ殺してやる」と、小さな声だが、殺意がこもった声音で呟いた。


「……それにしても前よりも火傷を酷くさせてしまったな……ここの部分は神経を損傷して痛覚を感じないといえ、心が痛いだろうな……すまない」


 アンドリューは、陰りがある表情でミカエラを見つめてから少し目を伏せて、包帯が巻かれた頭をそっと撫でた。


「首にも傷が出来てしまいましたからね……顔に火傷が出来た時に相当落ち込んで気にしていたから、今回もミカエラ相当気にするだろうな……」


  ミカエラの左目周辺は、数年前に大火傷を負ってしまったせいで、神経が損傷して痛覚や感覚を感じ取れなくなっていた。

それだけではなく、表情筋や皮膚も損傷した為、上手く表情を浮かべることが出来なくなった。

その為、彼は基本無表情のように見える。


 そしてそれ以来、ミカエラは火や、それに関連するものを見る度に、極度に怯えたような表情を浮かべるようになった。

また、咳き込み息を上がらせながら、何か庇うような仕草しているので、自分の能力さえ戦場以外ではまともに出せない。


 火傷した部分を人に見られたくないのか、いつも前髪と包帯の二重で隠している。


そして部屋以外はに火傷跡を見せないようにしている。



「ソフィー、あー悪りぃ……これから少しやることがある から……一旦帰るな。また来る」


 アンドリューは、ふと思い出したような表情を浮かべると、目を伏せてから「また来るな」と言い、ミカエラの髪をいつものように、わしゃわしゃと撫でた。


「ソフィー! さっき俺に休めと言っていたけどお前もな! 無理せずきちんと休めよ! 」


「お前が体調くずしたら元も子もないからな! 」

 

 ドアが閉まる直前、アンドリューが思い出したように後ろを振り向くと、少し心配そうな顰めっ面で言った。


  入れ替わり入ってきたのは、ロイヤルブルーの艶がある髪を後ろで一つに縛り、深緑色の軍服の上に真っ白な白衣を着た上品な男性と、ワインレッドの髪にエメラルドのような瞳に、目の下には青い星の刺青が掘られた、そばかすが特徴的な青年だった。

見る限り青髪の男性は30代後半に、赤髪の青年は、自分達と同じくらいの歳に見える。


「こんにちはソフィーちゃん。僕はミカエラくんの主治医になった、ヴァルト・ツヴァルト=ウェルトヒェン。こっちの赤髪の子は、僕の息子で研修医のネオ=ウェルトヒェン」


 青髪の男性はそう言うと、ニッコリと笑い、丁寧にお辞儀をした。それに続いて赤髪の青年もお辞儀をして、ニッカリと八重歯を見せて笑った。


 ヴェルトヒェン……軍や帝都にいるものならば一度は聞いたことある。貴族であり、帝都の医療を支え続けた一族の名前だ。先代の軍医総監も、このヴェルトヒェン一族で、ヴァルトの父にあたる人だ。


 残念ながら先代は、数年前の北部ヒンメル奪還時に、野戦病院ごと爆破され命を落としている。ソフィーミカエラも過去に治療して貰ったことあるが、とても温厚で技術が高い人だった。


「どうして、軍医総監様がこんな所にいらっしゃるのですか?お仕事は……?」


 ソフィーは一礼をして、敬礼をしながら、怪訝そうな顔でヴァルトを見つめた。例え“少佐 ”という比較的上の階級であっても、主治医に着く医者が軍医総監なんてそうそう無い。


「いや、これもきちんとした仕事だよ。それに後輩のアンドリュー君にどうしてもって、頼まれてね……

それと『様』っていうのは堅苦しいから、呼び捨てか、さん付けでいいよ」


 ヴェルトは笑いながら、鞄から医療器具を取り出し、布団を退かすと、ミカエラの服のボタンを丁寧な手つき外し、診察を始めた。


「あの……ミカエラは大丈夫なんですか……」


 ソフィーは目を伏せ、先程から寒くないようにと、さすり続けている青白く、力がない手を握りしめながら小さな声でぽつりと言う。


「んーまあ、とりあえず峠は超えたよ。言えることはそれしかないけど、彼の回復力を信じよう。彼は峠を超えたられたんだから!それはとっても凄いことだよ!

……本当に2、3日前はどうなるかと思ったよ」


 続けてヴェルトは、少し驚いたような表情と声で、ソフィーの火傷だらけの手を見た。


「ソフィーちゃん!その手どうしたんだい?大丈夫かい?」


「あー……いや、小さい頃に炎に手を突っ込んでしまいまして……馬鹿ですよね?それよりミカエラはどういった状態ですか?」


 ポケットから黒いレースの手袋を出しながら笑いを含んだ声でそう言った。


「うーん……今のところ見てる限りだと、失血が酷い……あとは、脳機能は正常だけど、呼吸器系が結構不安定かなぁ……これ元々持病があったのかな?とりあえず意識が戻ってみないと、まだなんとも言えないから……とにかく目が覚めたらこっちに知らせてね」


 ヴェルトは、ミカエラの手を布団から取り出し抓ると、一瞬ピクリと手が動いた。


「ほらね。最悪な自体は免れた」


 と言ってから、鞄に使っていた医療器具を消毒してから、しまうと「それじゃお大事に」と、笑顔で手を振り部屋を出て行った。

 暗くて寂しい部屋には呼吸の音だけ響いている。


「苦しいよね……」


 もちろん返事は無い。それでもソフィーは、ミカエラの冷たい頬をそっと撫でながら話しかけ続ける。


「……うん、でも……なんとか約束守ってくれたんだね」


「本当にありがとう……」


 布団をかけ直しながらソフィーは、深く降り積もった雪さえ熱く溶けてしまいそうな眼差しでミカエラを見た。


「まさか『行ってらっしゃい。無事生きて帰ってきてね』って会話が最後に交わした言葉なんてそれじゃ悲しいもん……」


 ソフィーはそっと左耳に髪をかけると、太陽のイヤリングがキラリと揺れる。

 それからミカエラの冷たい手を握り、それを頭に乗せた。


手はするりと力なく滑り落ちる。


いつもなら撫でてくれる色白く華奢な手は、いつの間にか病人のか細く青白い手に変わっていた。


「嗚呼……こんなになるまで戦って……本当に馬鹿!馬鹿……大馬鹿!」


「私を……もう一人にしないでよぅ……置いていかないでよぅ……ひとりぼっちは、さみしいんだから」


 ソフィーは冷たい手が少し温かくなるように、撫でるように頬擦りしながら、湿った声で呟いた。






 ✤


  眩しい光と息苦しさで目が覚めた。

白い天井とうっすらと鼻に沁みる消毒の香り。

腕や鎖骨に繋がれている点滴やカテーテルや栄養チューブ。


そして息をする度曇る酸素マスク。


間違いなくここは病院だと理解したものの、何故病院にいるのかが分からなく、ミカエラは目覚めたての意識がはっきりしない頭で、必死に考えていた。


「ミカエラ……?ミカエラ!目が覚めたの?……本当によかった!」


 視界の端で、ソフィーが嬉しそうに微笑みながら、ぎゅっと手を握った。いつも温かい手は今日は何故だか冷たい。


「ミカ……気が付いたか?ここは基地内の軍病院だ。なにがあったか覚えているか?」


 アンドリューは、いつもと変わらない仏頂面と、腕組みの姿勢でゆっくりと言う。

ミカエラは覚えてないと、首を振ろうとしたが、上手く顔が動かない。


「そうか……ミカ……お前は一週間程前に ズッヒャーハイト で撃たれで倒れていたんだ」


 アンドリューは、腕組みをしたままぶっきらぼうな声で言う。


 その瞬間、全て思い出した。自分が得体の知らない敵と戦っていたこと、そしてレオンハルトが撃たれたこと。


 ──レオンハルトは無事ですか?──


 声を出そうとしても、何故か声が全く出ない。

もう一度振り絞るが、掠れたような声さえ出ない。

その瞬間、ただでさえ息苦しい喉に焼かれるような激痛が走り、それと同時に気道が閉まる感覚が襲う。


息が吸えない……吐けない。ミカエラは思わず喘ぐような呼吸になる。


「どうしたの?ミカエラ?」


「どうしたんだ!ミカ?!」


 2人は同時に目を大きく見開き、驚いたような声と顔でこちらを見つめる。


 必死に声が出ないことを伝えようと、何とか動く右手で小ぶりなジェスチャーをする。

しかし、2人は不思議そうな顔をするばかりで何も伝わっていないようだった。


「ミカエラ苦しいの?痛いの?辛いの?医者を呼ぼうか?」


 確かに痛いし、息苦しくて辛いが、今はそれどころでは無い。

何とか首を微かに横に振る。


「じゃあどうしたの?」


必死に『声が出ないの』と唇をパクパクとするしてるが、2人には一向に伝わらない。


『声が出ない』という、たった6文字の言葉さえ伝えることが出来なくて、悔しくて悲しくてまた涙が溢れ出てきた。


「ミカどうしたんだ?息苦しいのか?ジェスチャーだけじゃ……言わないと分からないぞ」


 違う!言えないんだ。喋れないだ。何故か声が出ないんだ!見てくれよ、察してくれと、涙が混ざった目でじっと訴える。


 ──声が出ないんだ。なんにも呻き声さえ出ないんだ──


 ミカエラは息苦しさを我慢して、必死に声をもう一度出そうとするも、カヒュウという音で消される。


「コエガ……デナイ……?……ミカエラ!声が……出ないの?」


 しばらくしてから、ソフィーは目を大きく見開きながら、恐る恐る聞いてきた。

ミカエラはやっと気づいてくれたと、安堵しながら小さく頷き、目を細めた。


「……ヴァルトを呼んでくる!」


 アンドリューも目を大きく見開いてから、滅多に崩さない仏頂面を崩し、勢いよく部屋から出ていった。


  しばらくして何故か軍医総監ヴァルトが、笑顔でゴム手袋をはめながら入って来た。

それにしても何故軍医のトップが、自分の主治医なのだろうかとミカエラは思いつつ、それを伝えるすべが無いミカエラは、考えることを辞めた。


「こんにちはミカエラくん。目覚めて良かった……声が出ないって?どう見せてくれる?」


 ミカエラは目で小さく頷くと、ヴァルトは「失敬」と言いながら布団を剥がす。

ミカエラはベットから少し起され、それから酸素マスクを外し、口を開けるように指示をされた。


「もう1回出来るかな?声を出してみてくれないかい?」


 もう一度喉に力を入れるが、やはり掠れた声さえ出ない。

苦しくて顔を小さく横に振ると、「ごめんねー」と、言いながら、ヴァルトは、いきなり鉄の器具を口の中に突っ込んた。


 ポケットからペンライトを取り出すと、ヴァルトはまるで宝探しをするように、口腔内をじっと見る。


金属のひんやりとした冷たさと、舌にじりじりとくる鉄独特の苦味と酸味。ミカエラは何事かと背中にひんやりとした汗をかく。


「……うん、いきなり器具を入れてごめんね。ありがとう」


 ミカエラの体勢や酸素マスクを元に戻すと、ヴァルトは目の横の皺をクシャとさせ、笑顔でそう言う。


「……それでヴァルトさん、どうですか?」

 

 アンドリューは仏頂面を崩さず、腕を組みドアの入口にもたれかかっているような姿勢で低く濁った声で訊く。


「首を切られた時だと思うんだけど、声帯が損傷している」


「そこから何らかの理由で機能が麻痺して声帯としての機能が果たせていない……」


「ステロイドを投与しながら暫くは様子を見るけど、もしかしたら、ずっとこのまま……の可能性があることを頭の片隅に置いて欲しい」


 ヴァルトは一瞬、目を伏せてから、真顔に戻りミカエラをじっと見る。


ミカエラも力がない目でヴァルトを見つめてから、目を伏せて向いた。


 『戻らない可能性が高い』


一瞬、他人事のように聞いていたが、喉の痛みと息苦しさ共にじわじわと実感が湧いてきた。

背中に何か冷たいものが走り、心臓がいつもより早く鼓動を打っている。


 どうして自分だけいつもこうなんだ?

必死に生活をして何も悪いことしていないのに。

どうしてよりによって一番大切にしていた声なんだ?


上手く表情を作れない自分は、これからどうやって自分の意思を伝えればいいんだ?


そもそも声を失った自分は生きている価値や意味はあるのか?



 そう考えて続けていると、息が上手く出来なく、なぜだか胸が苦しくなってくる。


「ミカエラ……」


 ──今は誰の言葉も聞きたくない。お願いこっちに来ないで──


 ミカエラは涙ぐんだ顔でソフィーを見ると、首を振った。


それを見たソフィーは無言で1歩下がった。

それから少し寂しそうな笑顔を浮かべると「また来るね」だ言って部屋を出た。


周りの人々もそれを察したのか「またな」と言い、次々部屋から出て行く。


 誰もいなくなった後、ミカエラは大きく呼吸をしながら、光が無い虚ろな目から涙を流す。


しかし、直ぐに瞼が重くなり、静かに目を閉じた。

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